語りのデータベースへようこそ
病い(やまい)について語ることは、力になります。語る人、聞く人、社会全体にとってです。自分の体験から、そう感じます。
私はがんになって十ヶ月後、患者どうしが語り合う場に参加しました。
病いを得て、何を感じ、考えているか。何が不安で、どうしたいのか。言葉にすることで、心の中を整理できました。
語るとは能動的な行為です。病いに「おかされている」という受動的な状況から転じて、私が主体である感じを回復できます。立ち直りにつながるのです。
他の人の語りを聞くことも、私を変えました。
病いのことを誰とも話さずにいると、まるで周囲はみな健康で、自分だけが病いを抱えているかのような孤独感に陥りがちです。
でも、そうではない、自分だけに特別なことではない、多くの人に同じようなことが起きていて、同じような課題に行き当たっていると知りました。
そして共通の課題であっても、人それぞれの向き合い方、やり過ごし方がある、対処の仕方はさまざまなのだ、とも知りました。多様性への気づきです。
病いを語り聞くことは、病いを個人の体験から、さらに広い普遍的なところへと解き放ちます。併行して、自分も少し楽になっていました。
私はたまたま、自分が行けるところに、語り合う場がありました。
健康と病いの語りデータベースでは、時間、空間、体の状況といった制約を超えて、たくさんの人の話を聞くことができます。
体験談が集まれば、患者どうしだけでなく、患者をとり巻く環境にも、影響をもたらすでしょう。
病む人が何を求めていて、何が必要とされているか、どんなしくみを整えなければならないかなどを、多くの声から導き出せます。病いや病む人に対する意識を持ち直すことに、つながるかもしれません。社会を変える力も秘めているのです。
病いを語ることは、勇気が要ります。病いについてはなるべく考えないようにしている、今はまだ思い出したくない、人に知られることを望まないという人も、いらっしゃると思います。私も語り合いの場に行く気になるまで十ヶ月、病いを公にするまでは二年かかりました。
病いを人前で語るのも、語らないのも、人それぞれでいいのだと思います。でももし、自分の内側から話したいという気持ちがわいたなら、このサイトを思い出して下さい。
たくさんのかたの参加をお待ちしています。
岸本葉子(エッセイスト)