※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:41歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女5歳
首都圏在住。夫と娘の3人家族。
第一子となる長女が原因不明の先天性疾患をもって生まれ、生後まもなく気管切開をし、現在人工呼吸器を装着している。
2歳で胃ろうの手術をし、胃ろうから24時間持続的に栄養を注入している。
大学卒業後から会社員として働き、仕事復帰を望んでいるが、娘の預け先がなく復職は叶わずにいる。
仕事を再開できる環境が整うことを望んでいる。
語りの内容
今使っている医療、育てる上で必要な社会資源っていうのは、行政から紹介されたものではありません。
結局インターネットで収集したり、同じような医療的ケアを行っているお母さんと個人的なつながりをSNS等で持って、そのお母さんから情報を得たりしたものです。
私も以前はブログというものをして、匿名で発信をしてたんですけれど、そういったブログ仲間から収集して得た情報でやっと利用にこぎ着けたというものですね。
まず、その利用にこぎ着けるまでが非常にハードルが高かったです。
最初、居住地域に行くべき療育センターがあったんですけれど、医療的ケアを理由に利用できるかこちらで判断させてください、対応できなければ利用できませんっていうふうに、半ば断りみたいなものが入りまして。
もちろん大学病院の主治医の先生には、療育に通ってもいいというお墨付きがあったり、診療情報提供書は、紹介状は出せるということで、自信を持って行っていいということだったんですけれど。
当時は法律もまだ整備されてなくて、医療的ケアを理由に断られてしまったという、1カ所目が断られてしまったという経緯がありました。
どこにも通えなくて、学齢期になるまでどこにも居場所がないのかなと思ってたんですけれど、同じような境遇のお母さんからSNSの情報をもらって、市内の越境をする形で療育センターに問い合わせをしました。
するとこちらは「では、初診いつにしましょうか」って二つ返事で言ってくれて。
そのときに医療的ケアのある子を育ててて初めていいことがあったかなというか、悪いことしか今までなかったので、いいことの初めてがそれだったというか。
ちょっと理不尽な目に遭い過ぎてて、当たり前のことなのかもしれないんですけれど、それが一番うれしかった最初のことですね。
インタビュー03
- 夫も病院でケアの指導を受けたが、成長に応じて必要となる手技や工夫が増えて母中心で回っており分担はほとんどできていない
- 子どもに障害があることが不幸なのではなく、医療的ケアがあるために社会から特別視され、孤立することが不幸なのだと思う
- 療育センターの入所は医療的ケアを理由に断られ、居場所がないと思っていたが、越境して通える療育があることをSNSで知った
- 発話はなくともうれしい時は笑い、嫌なときは寝たふりをする。ストレスがかかると血糖値があがるという形での意思の表出もある
- バス利用には事前連絡が欠かせない。乗降時に他の乗客の視線が気になっていたが、運転手が遠慮しないでといってくれた
- 仮死状態で生まれて高度医療が必要となり、こどもだけが転院搬送となった。自分としては漠然とした状況のみなんとか把握できた
- 心の準備もなく障害児の親になんてなりたくないと思った が、この子がかわいそうな子になるかどうかは自分次第だと気づいた