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インタビュー時:42歳(2021年6月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女0歳5か月(逝去時)
北陸在住。夫、次女2歳の3人家族。
長女は3年前に生後5か月で亡くなった。
緊急帝王切開で生まれた長女は、合指症や心房心室中隔欠損などの身体的特徴があり、検査で染色体異常(18トリソミー)がわかった。
生後まもなく口腔鼻腔内吸引および経鼻経管栄養、さらに人工呼吸器と医療的ケアが必要になっていき、娘のためになにがよい選択か親として悩む日々だった。
娘の「生きたい」という気持ちを感じることができ、とても短い人生だったが多くのことを残してくれたと思う。
語りの内容
(クリスマスに)帰ってこられるのが分かったときは、まず普通のうちと同じで、飾り付けを突貫工事で、朝早く起きて、バーって大きなツリー飾ったり、プレゼントをネットで注文して。
小さいクマのぬいぐるみを準備したり。
家に帰ってくるとなると、在宅ケアの準備をしないといけない。
たとえ、一時帰宅でも。
どうやって酸素の機械を家まで運ぶか、リハーサルを一回やってみる。
その来る前の積み込みからどこに娘を乗せてって全部シミュレーションを一回っていうことが病院でもあった。
機械を家に設置するので、業者の人に酸素を立てる台を運んでもらう準備もありました。
GCUの看護師さんが家に来てくださって、家の動線、危なくないかとか。
酸素の機械って火が近いとこに置けないんですね。
安全かどうかっていうのを一回確認しに家に来てもらってて、そのチューブがつながったまま家のお風呂にどうやっていれるかっていうのを一緒にやってもらったり。
ベビーバスですね。
つながったまま、外れないように入れるやり方を教わったり。
――病院でできる範囲のことが家でもできるように、家を近づけてったっていう感じですか。
そうなんですけど、病院、GCUで自分がおむつ替えたり、経鼻栄養の準備したりしてるときっていうのは、何かあったときにいつも看護師さんや先生が後ろにいてくださるので、呼べば来てくださる状態なんで、なんかあったときの不安っていうのはあまり正直なかったんです。
けど、家に帰ってくると、私と主人でそれをしなくちゃいけないし、なんかあったときにすぐ誰かが来てくれるわけではないので、そこの緊張感がやっぱりすごくて。
楽しかったのは楽しかったんですけど、娘が病院に戻った後、ものすごく緊張感から解放されたというか。
あ、こんなに緊張してたんだっていう思いはありましたね。
――何泊して、どんなことをしたんですか。
クリスマスは1泊でした。
いろいろしようと思ってたんですけど、娘がクリスマスのとき、家でずっと寝っ放しだったんです。
普段、病院では、夜起きてて、看護師さんたち困らせたり、構って構ってっていう感じで泣いたりしてるのが、うちに帰ってきた瞬間にずっと、ほとんど寝っ放しっていう感じの1泊でしたね、クリスマスは。
インタビュー26
- 第1子を生後5か月で亡くし、第2子を妊娠したときに迷いながらも出生前診断をした。異常なしだったが生まれるまで不安だった (音声のみ)
- 娘はクリスマスに初めて一時退院し家族だけで過ごした。様々な人が在宅環境を整えてくれ感謝だ。楽しく、緊張の2日間だった (音声のみ)
- 娘が生まれた年は記録的な大雪で、病院にいくため自家用車もタクシーも利用できず、病院近くの施設に泊まり込んだ (音声のみ)
- 気管挿管が成功し、ほっとしたのもつかの間、娘の心拍が急に下がった。突然のことで受け入れられなかった(音声のみ)
- アロマのお風呂に入れて楽しめることがあると思った矢先に娘は亡くなった。父親も一緒にいられる日を選んでくれたのか(音声のみ)
- 亡くなった娘と家に戻り最後に川の字で寝た。また戻ってきてという思いで、次の妊娠に向け行動を開始し、下の子を授かった (音声のみ)
- 明日が保障されない目の前の子どもの生と向き合うことで精一杯だった。障害は自分たちが寄り添っていくしかないと思った (音声のみ)