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インタビュー時:36歳(2020年11月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男4歳
関西在住。夫と長男の3人家族。
妊娠中に染色体異常が発見された。
生後3か月で、気管切開と胃ろうの手術をしたが、誤嚥性肺炎を繰り返し人工呼吸器を装着した。
その後も下痢や嘔吐などの消化器症状が出ている。
医療的ケア児を受け入れる保育園は近隣にないため待機の状態で、仕事は育休明けに退職した。
現在は訪問看護や療育を利用しながらも日中はほぼ一人でケアを担っている。
就学年齢が近づいているが、特別支援学校の通学バスに気管切開があると乗れないなどの困りごとがある。
語りの内容
もう四六時中、そのことが頭から離れないってことはなかったんですね。
今考えると、とっても幸せな生活をしてたなって思うんですけど、何でもできる。何でも自由にできた時間。
仕事に行って、家に帰ってきて、ご飯を作って食べて、休みの日に出掛ける。
当たり前のことですけど、それがもう全くできなくなってしまったんですね。
仕事に行くこともできない、ご飯を食べるにも子どもが泣いてギャーギャー言ってたら、吸引しないといけない、呼吸器の圧を見ないといけないとか、心拍数見ないといけない、呼吸の状態を見ないといけない、ご飯食べる時間がないんですね。
ほんとに何気なく携帯触ってた時間も存在しなくなる。最初はほんとに戸惑ったし、なんでここまで、この子に自分の時間を奪われないといけないんやろかって、思ったのも事実です。
24時間で自分の時間って、寝てる間。
数分の間も家事しないといけない、洗濯を干さないといけない、たたまないといけないとか、いろいろあるから、結局寝てる時間ぐらいっていう日々が、もう何年も続いてますね。
今だと、朝起きてきて主人がまだ出勤しない時間に、私が起きて洗濯して、お風呂場洗ってって家事をこなして、その間主人が見てくれてます。
出勤するわっていうタイミングで変わって、ご飯を胃ろうから注入をしたりとか、準備とか後片付けとか。
自分がご飯食べて、そうこうしてたら注入も終わって、注入のポンプを洗ったり。
そんなんしてたら、訪問看護の方が来られて息子の朝のケアをしてくださって、その間に朝から晩ごはん作ったり、掃除したり、買い物に行ったりとか、訪問看護の方に頼んで出てって。
訪問時間は、1時間半とか2時間とか日によって違いますけど、その時間になったら交代して、また注入したり、かん腸したりガス抜きしたり、呼吸状態見たりとか、いろんなことを確認してたら、あっという間に夕方になってて、次の注入が始まってみたいな状態なので、ほぼほぼ休む時間はなくて。
夜になったら夜になったで、お風呂入れて、お風呂上がったらまた夜のケアをして、また寝かしつけて、常に、呼吸大丈夫かな、呼吸器ちゃんと動いてるかな、注入中もちょっと動いてしまって接続チューブが取れちゃって、布団が栄養剤でビチャビチャになっちゃってみたいなこともよくあるので、ちゃんと付いてるかなとか、一つ一つ確認したりとか。常に息子の体調を気にして、気に掛けてっていう状態が続きます。
インタビュー07
- 通学バスに乗りたいのに気管切開があると乗れない。親の負担が多すぎて学校に通えないのではと危機感を抱いている(音声のみ)
- 通学支援の介護タクシーの助成があっても、タクシー業者や看護師を親が探す必要があり実際に利用できない(音声のみ)
- 通学手段が無いことで子どもの学びが保障されていない。希望するすべての子に対し学びの環境や方法を検討してほしい(音声のみ)
- 起きている間は子どもの体調や機械を確認する作業に追われる。訪問看護の時間がもう少し長ければランチに出かけたい (音声のみ)
- 相談支援専門員をつけてほしいと希望したが、障害児はサービスを使う年齢ではなく親でもできる範囲だからと断られた(音声のみ)
- 呼吸器を載せられるバギーやベッドサイドの棚を探したが、耐荷重や動作確認の保証がされた製品がなく困った(音声のみ)
- 吸引できるヘルパーが非常に少ない。レスパイトもただ寝かされているだけなので子どもが楽しめるプログラムがほしい(音声のみ)
- 四六時中、ケアのことが頭から離れない生活に最初は戸惑った。今でも緊張感はあり、気持ちが休まる暇がない(音声のみ)
- 息子の成長を感じて嬉しい気持ちがあると同時に、自分が長生きして少しでも長くそばにいてケアをしてあげたい(音声のみ)
- 18週で羊水検査を受け迅速検査の結果は陰性だったが、正式な結果で陽性が出たときには中絶できる時期を過ぎていた (音声のみ)
- 喉頭軟化症があり、言われるがまま気管切開の手術をした。気管切開や吸引とは何のことかよくわかっていなかった (音声のみ)