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インタビュー時:36歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男2歳
首都圏在住。夫と長男、長女の4人家族。
2017年出産時の医療事故で長男が脳性麻痺となった。
気道狭窄のため気管切開して人工呼吸器を使用し気管内吸引、口腔・鼻腔内吸引が必要な状態である。
嚥下できないので、栄養は胃ろうから注入している。
訪問看護やデイサービス、訪問リハビリテーション、ショートステイなどを利用。
現在は育休中だが、在宅の仕事や月1~2回の出社をするなど仕事を続けている。
語りの内容
(在宅での生活は)最初の3カ月は、付き添い入院を経て帰ってきたんですけど、それでも生活リズムを整えるのと、夫婦の分担っていうのが、最初の3カ月は苦労して。
一番私が爆発したのは、(息子の状態についての夫の理解度)。私は毎日息子と接してたので、息子の状態の把握がどんどんレベルアップしてく。でも、主人は週末しか触れないから、その差がどんどん開いてしまって、息子の状態を話しても主人に通じない。
2週間に1度往診医が来てくれるんで、往診医への対応に、レベルの差がついてしまって。
主人が息子について把握していないことに対して、ものすごくイライラするようになってしまって、…それでウワーッと爆発してしまったことが何度か、最初の3カ月は。
寝られないっていうのが、人間として体にも来るし、精神的にも来るし、でも主人は寝てるっていう、その差とか。
主人は、往診医が来てるときに普段はいないんですけど、その日はたまたまいて。
先生が聞く質問に、私はパッパッパッパと、答えられるけど、主人は全く分からなくて、私と先生がしゃべってる会話を全く理解できない。
そこに(主人自身)自分がぽつんとした孤独。何かのけ者にされてるような感覚っていうか。
そこで自分は親として駄目だって思ったみたいで、もっと息子のこと把握しようっていって、もともと家事はやってくれてたけど、息子のことをどんどんそこからやるようになってくれて。
なので、その最初の3カ月はつらかった。
でも、そこからだんだんペースもできてくるし、いい意味、自分の力の抜き方とか、ここはちょっとサボってもいいかなとか、主人の協力も増えて生活はしやすくなりました。
インタビュー02
- 出産事故で怖い思いをしたにもかかわらず、翌日にきょうだいはたくさん欲しいと夫婦で話し合った
- 息子が生まれ会社を辞めようと考えたが、仕事が支えになると社長が言ってくれ、在宅や月1,2回での簡単な勤務を継続している
- 病院のソーシャルワーカーに退院後の支援について自分で役所に問い合わせるよう言われ、いろんな部署を回って大変な思いをした
- 新居を建てるにあたり、息子と暮らすことを前提にバリアフリーや天井に窓がある家、加湿や空気のきれいな環境を保つ家づくりをした
- 本退院前には自宅に病院の主治医と看護師が来て、ベッドやアラームの位置や動線を確認してくれ、自信をもって在宅療養を開始できた
- 退院前に1か月の母子入院で日常的ケア、緊急対応や外出も想定した訓練を受けた。自信をもって退院でき、やってよかったと思う
- 息子が退院し最初の3か月はケアに不慣れで心身ともに参っていた。夫との間でケアの能力差が開いていることにもイライラしていた
- 息子が障害をもって生まれたことで自分の中の差別意識に気づき、障害者差別をなくす活動につながっている。息子には感謝の思いだ
- 息子に障害があることでどう声をかけたらいいか友人たちも悩んだようだ。話してみると子育ての悩みは同じだといわれ嬉しかった
- 仲間内で愚痴程度に話していた内容を陳情書の形で3つの区議会に出した。改善まではされていないが、まず第一歩だ (音声のみ)
- 障害のある子とない子が一緒に育つ教育環境、医療的ケア児に関する情報が行政の中で連携されるよう求める(音声のみ)
- 電源確保の助成、障害児家族も対象とした避難訓練、災害時の福祉避難所の確実な開設を区議会に要望している (音声のみ)