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インタビュー時の年齢:50歳(2020年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男7歳
首都圏在住。長男との2人家族(長男3歳の時に離婚)。
妊娠中に子どもがダウン症候群の疑いがあることがわかった。
妊娠30週台の時に緊急帝王切開で出産した。
現在、長男は気管切開、吸引、胃ろうによる経管栄養、睡眠時に人工呼吸器を装着し、週に4〜5日特別支援学校に通っている。
水頭症とてんかんと診断されている。
親の会に参加したのをきっかけにそれまで受け身だった自分自身に気付き、積極的に居住地における医療的ケア児に関わる課題の解決に仲間とともに取り組んでいる。
語りの内容
うちの子、いまだに首座ってないんですけれど、赤ちゃんの頃からリハビリをずっと続けて、首が座ってなくても立つ練習したり、歩く練習するんですね。
最初、導入されたときはびっくりしたけど。
今、毎週1回その補装具をつけて歩く日と時間が決まっていて、歩かせる。
うちの子、体重17キロあるんですね。で、身長が110センチで。
人工呼吸器のおかげなのか、重症心身障害児のわりに成長がよくなってきちゃったほうで、体がおっきいんです。
だから、プロの理学療法士でもうちの子を歩かせるのはちょっと難しいらしいんですね。
それでも歩かせてくれる人は歩かせてくれるんですけど。
この間うれしかったことは、補装具を作るのに、療育センターが地元にあるんですけど、そこに行ったらこれから補装具をつくる子に、この補装具、見本見せてもらえませんかって、知り合いの理学療法士に頼まれて、つけたんですよ。
じゃあ、ちょっと立ってみましょうかって言ったら、うちの子がね、もう歩くものだって思ってね。
私の知ってる理学療法士だけどうちの子に関わるの初めてで、慣れてない人なのに、その人のちょっとした支えだけで、歩き始めたんですね。
そのときに、うちの子の表情がすごい誇らしげで。
「え、俺、歩けるけど、それが何か」くらいな、堂々たる態度で。
そこにいるちっちゃい子のママもびっくりして。
その補装具を作ってくれる整形医もね、あ、こんなに歩けるんだってびっくりして。
だから、本当あのときはうれしかったですね。
家の中で限られた理学療法士じゃないと歩かせてもらえなかったのがね、家じゃない場所で、慣れ親しんでもいない理学療法士のちょっとした支えだけでもう歩けちゃったって。
その表情がね、ドヤ顔だったっていうのがね。
ああ、この子なりにね、成長してんだなって思いましたね。
インタビュー10
- 重症心身障害児を一人で看る困難を思い、悩んだが、最終的に離婚し気持ちが軽くなった。元夫と息子の面会交流も続いている
- 重症心身障害児となるかもと聞き、重い気持ちで参加した妹の結婚式で父が子どものがんばりを親戚に伝えてくれて皆から励まされた
- 支給されたタクシー券は通学ですぐに使い切ってしまい、往復5,000円の経済的負担を考えると回数を減らすしかなかった
- 非正規雇用ながら、やりがいのある専門職だった。再雇用や保育園も決まっていたが、生まれた子の障害がわかり、仕事復帰を諦めた
- 学校の付き添いが外れ仕事復帰した。放課後に居宅児童発達支援を利用するが、いつ呼び出されるかと考えると本格復帰はまだ難しい
- コロナ禍で家にいると昼夜逆転し子どもの機嫌も悪かったが、学校で緊張する時間が長くなると体力消耗し家でも落ち着けるようだ
- 医療的ケア児のブログで親の会を知り、そこでリアルな仲間と出会って意気投合し、必要なことを訴える強さを身に着けた
- 目が見えず難聴の子のため、ケアを開始するときは身体に触れて伝える。吸引のときは口を開けて待ってくれるときもある
- 家ではあまり表明のない息子が学校ではスイッチを使い返事をしたり、やりたいことの意思表示をしていると聞き驚いた
- 息子は人工呼吸器をつけ体調が安定したが、呼吸器の装着が不快で自ら外してしまい夜中もアラーム音が鳴り響く
- これから補装具を作る子に、補装具を付けて歩く様子を見せてほしいと息子が頼まれ実演したとき、息子の表情が誇らしげで嬉しかった
- 区の福祉センターに医療的ケア児を受け入れてほしいと活動し、実現した。引っ越し先の他区でも重症児のデイサービスを作る活動をする
- 高齢妊娠で羊水検査を勧められ、命の選択のためではなく万全の態勢で子どもを迎えるためと言われて受け、ダウン症が分かった