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インタビュー時:47歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
関西在住。夫と長女(15歳)、長男(11歳)の4人家族。
長女は生後何日経ってもミルクを飲まず経管栄養が開始され、生後7か月で胃ろうとなった。
3歳頃に染色体の一部欠損が分かり、今後できないことが多いのかと思ったが、その予測に反し娘は歩けるようになり、歌やダンスが大好きな子になった。
普通小学校入学を希望し、地域の大きな支援を受けて看護師配置が実現した。
娘の小学校入学を機に仕事をしたいと思い、現在自宅で英語塾の講師をしている。
語りの内容
娘って、あまり何か成長してないなって。見た感じがですよ。
5~6年生ぐらい(まであまり成長していない)と思ってたんですけど、実はものすごく成長してたっていうのが分かった。
1年生から4年生ぐらいまで、何か率先してやるとか(いう姿がなく)、他の育成学級の子たちの中でも、もうできる子いっぱいいてて。
「すごいな、年下の子たちなのにすごいな」とかって思うんです。
いろいろこんなことができていいな、計算もできるんだとか、はさみ使えるんだとか、ボール転がせるとか、いろいろあるんでそういうのを思ってはいたんです。
でも実際、娘はそれずっと見てて、観察してたんですね。きっとね。
今、ものすごくうまいです。
バスケットボールのように、ボールつきが、誰も教えてないのに、すごくできますし。投げるとか。
平仮名とかもものすごくは、教えなかったんですけれど、テレビ出てきた平仮名を、ピッて一時停止ボタン押して、見ながら書くんですね。
漢字とかの難しいやつも、全然形おかしいですけれど、そんなのを見て書いたりとか。
「あ、そんな意欲がこの子にはあるんだ」っていうところを感じると、もう与えてあげたくて仕方がなくて。
かといって、だからといって参考書みたいな、公文のね、そんなんは全然やらないんですけれど。
自分で見つけてやるっていう、そういう力とかがどんどんできてきて。
他の子たちがこういうことしてきたっていうのを、見て学んで、できるようになってからやるんだなっていう。
体がですね。当時、ほんとに歩くのが困難な子だったんですね。
で、片足立ちなんか全然そんな、中学2年生までできなかったんですけれど、それができるようになったら、何かいろんなことをするようになったりとか。
できなかった何かの要素が、どっかに引っ掛かってたのに、見て研究っていうか、理解はしてて、自分にできるようになったら、あふれるようにやるのが、それが今の楽しみです。
インタビュー37
- 食事中、娘の行動で注目を浴びて恥ずかしかったようで、息子が「もう一緒に食べたくない」と言った。ついにこの時が来たと思った
- 私は毎日子どものケアなのに、夫は自由に過ごし腹が立った事もある。でも娘の成長を誰より喜べるのは夫婦2人だけという気持ちだ
- 娘が成長し力が強くなり、高齢の祖父母にお願いしづらくなった。自分の親きょうだいも助けてくれたが、吸引は任せられなかった
- 普通小学校入学にあたり行政との交渉が難航した。議員らにも働きかけて、学校に看護師を派遣してもらい、無事入学できた
- 運動会の組体操で、他の子に混じった娘の姿を探した。今まで目立ちすぎていた娘を探さないといけないことがどれほど嬉しかったか
- 下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた
- パソコンやテレビは使い方を教えなくても自分で機能を発見して遊んでいる。音声検索機能で好きな動画や画像を出すのも楽しそうだ
- 胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った
- 娘は小学校高学年まで積極的な様子がなかったが、身体が成長すると急にボールつきをしたり、学習意欲があふれてきて驚いた
- 1時間かけて経鼻で与えたわずかなミルクも吐き戻してしまうため、胃食道逆流症の手術をし、退院後のことを考え胃ろうも造設した