インタビュー時:43歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男13歳
関西在住。夫と長男の3人家族。

息子は妊娠27週目に超低出生体重児で生まれ、生後すぐに心臓手術や気管切開を行った。
1歳のとき、人工呼吸器と4時間おきの経鼻経管栄養が必要な状態だったが、家で一緒に過ごしたいと強く希望し在宅療養となった。
成長はゆっくりながら、4歳で自力歩行可能となり、手話のほか、呼気を使って近くなら聞き取れる程度の声で会話もできる。
現在も胃ろうからの栄養注入とたんの吸引が必要である。
現在特別支援学校に通っているが、将来の自立に向け、勉強の機会はもちろん、自力でのたん吸引等を許可してほしいと考え交渉中である。

プロフィール詳細

息子は妊娠27週で母体の高血圧と肝機能の悪化から帝王切開で生まれた。出生体重は800グラム台で、すぐに心臓手術や気管切開が行われ入院した。
1歳の誕生日当時、人工呼吸器をつけ、経管栄養は1日6回、4時間おきに必要だったが、家で一緒に過ごしたいと母としての強い希望を伝え、在宅療養となった。
週1回の訪問看護、隔週での往診を受けながら、すべての医療的ケアを在宅で担ってきた。

息子は手足が動き、呼吸器の管や人工鼻(人工呼吸器装着時に喉元につける加湿加温のためのパーツ)も自分で抜いてしまうこともあるため、ショートステイの利用は断られた。
夫には仕事で家計を支えてもらうだけで手一杯で、ケアまでは頼れなかった。
3歳頃に役所にヘルパーの申請をしたこともあるが「お母さんがいるでしょ」と、取りつく島もなかった。
小学校にあがるまでは、実家から6時間かけて車で迎えに来てもらい、3か月まとめて滞在して息抜きをすることもあった。

息子は呼吸器系疾患をもつ。心臓にも負担がかかり、ただ呼吸をするだけでも体力を使うようだ。
発達は遅く、2歳頃にはいはいとつかまり立ち、4歳で歩けるようになった。

週3日療育に通っていたが、小学校入学を見据え、残り2日、どこかで過ごせる場所を探していたとき、心臓病の子を守る会主催の保育園に出会った。
保育園では障害のある子もない子も一緒に育ち、大切にされる場で、自分自身も大いに刺激をうける環境だった。
子育てとケアのため以前の仕事は辞めたが、現在は、自身が理事を務めるNPOが運営する保育園で事務の仕事をしている。

小学校は、地域交流を盛んにしている特別支援学校を希望し、就学前に近くに引っ越した。
当初は支援学校しか選択肢にないと思って選んだが、普通学校の支援級に行っていればもう少し勉強の面で息子に機会を与えられたのではないかと今、思うところはある。

息子は小さい頃からマカトン(障害者や小さな子でも使いやすいシンプルなジェスチャー法)を使ってコミュニケーションをとるほか、現在は、手話や呼気を使って聞き取れる程度の声量で短い言葉で自分の気持ちを伝えることはできる。
ひらがなや漢字、計算など小学校2年生くらいの内容を理解する力はある。

特別支援学校では様々な子どもが在籍していて、息子の学力を最大限伸ばす方向に時間を割いてもらうことは難しい。
今後のコミュニケーション手段として、筆談もできるようにしたい。
家庭学習で漢字の書き取りや計算などをさせ、学校に具体的な学習内容について要望を伝えている。
そのため息子の学習時間が少し増えているようだ。
息子への性教育の必要もここ数年感じる。

数年前、新聞で東京大学で開発中のハンズフリーの人工喉頭を知った。
首回りに小型の機器を装着し、自分の出したい声を出すことができる装置だ。
小学校の卒業式ではこの人工喉頭を使い自分で返事をする経験ができた。
人工喉頭を使い、今後、息子の能力や世界が広がってくれるのではないかと期待している。

息子は今も、胃ろうからの栄養注入とたんの吸引が必要である。
小学5年生から家では自分で吸引する練習をし、学校でも自力での吸引を許可してほしいとお願いしている。
将来の就職や自立のために自分でケアができることが大きな分かれ道と思うからだ。
しかし、学校では安全面から自己吸引等は断られており、これが今の一番の課題だ。

歩ける医療的ケア児であることで、障害児としての制度上の支援が得られなかった一方、できることはあるのにその力を伸ばすことには協力してもらえないというジレンマがあり、これまでやりきれない思いもたくさんしてきた。
息子の自立のため、親としてなにができるか日々模索中だ。

私は: です。

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