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インタビュー時:40歳(2022年10月)
関係:父(インタビュー42の夫)
医療的ケアのある子:長男4歳
首都圏在住。妻と長男の3人家族。

息子は生まれた直後に緊急搬送され、生後2か月で気管切開、4か月で胃ろうが必要となった。その後、両親の遺伝子の同じ部分にそれぞれ異なる変異が偶然あったこと(常染色体潜性遺伝)による世界でも稀な疾患であるとわかった。夫婦とも研究職で結婚後もそれぞれ自分中心の生活だったが、息子が生まれ一変した。息子が1歳半頃、地域の保育園の受け入れが決まり、妻も仕事復帰した。夫婦とも学会や調査で出張もあり、対等な関係として協力し、子育てしている。

語りの内容

実は市が市内の医ケア児を1カ所、療育センターに集約するみたいな方針を立てて、うちにもその説得をかけに来て、もう一家庭にも説得をかけに来たんで。

ただ、僕たちはやっぱ保育園というのが素晴らしくて、すごく本人の発達にもいいし、療育センターに集められると社会から分離して孤立してしまって、医療的ケア児とか障害児の存在が見えなくなってしまうっていうことを恐れてたので。

それで、今年の1月にいきなりそんな話が降ってきたときは、相当に抵抗をして、いろんなとこに声をかけて知恵をもらったり、訴えかけてきて、ようやく3月ぐらいにその方針を、事実上撤回させることに成功したんですが。

――行政とのやりとりで相談する先というのは政治家だったり、医ケアの親の会とかどんなところがあるんですか。

いろんなとこに相談して、その問題があった時に相談員さんっていう、日常的なこととか制度的なことの質問先とか調整先の方にも聞きましたし。
地元の市議会議員で福祉関係に強い方にも相談して、働きかけもしてもらったんですけども、全然、行政側の対応を変えるような気配がなくて。

医ケア児の保護者のネットワークにも相談したり、市が第三者機関として依頼してる社会福祉系の団体、人権関係の相談窓口に行って、そこはすごく動いていただきましたね。

いろいろつてを使って、地元選出の国会議員の方のところにも問題を共有しましたし、政策アドボカシー団体の方にも相談しに行って、そこから先、行政の国レベルのとこに話をつなげてもらったりもしました。

あと、メディアですね。
知り合いに記者の方がいて取材をしてもらって、その記者からも行政に取材をかけてもらったら、多分、最後、その辺りが決め手になって市も撤回したかなという雰囲気はあります。

ただ、そこまでしなければ、行政が動かないってことにがくぜんとしまして。
だって、その、医療的ケア児法はできて、本人たちの意見をちゃんと尊重してください、その地域で生きるっていうことを基本としましょうっていう法律ができたのに。
全然、それに対して市の担当の人の頭が、市長もそうなんですけども、追い付いていないっていうことで。

市長への手紙みたいな、直接、投書するところがあったんですけども、全然、その回答がなしのつぶてというか、全然回答になってないような回答があって。
県にも相談したんですけども、全然、県も「自治体、市のほうが最終的には権限があって」みたいな(回答で)。

ですので、一枚紙の資料を作っていろんなとこに共有して、メディアの方とか議員の方とか、説明資料を作って、やりました。

私は: です。

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