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インタビュー時の年齢:50歳(2020年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男7歳
首都圏在住。長男との2人家族(長男3歳の時に離婚)。
妊娠中に子どもがダウン症候群の疑いがあることがわかった。
妊娠30週台の時に緊急帝王切開で出産した。
現在、長男は気管切開、吸引、胃ろうによる経管栄養、睡眠時に人工呼吸器を装着し、週に4〜5日特別支援学校に通っている。
水頭症とてんかんと診断されている。
親の会に参加したのをきっかけにそれまで受け身だった自分自身に気付き、積極的に居住地における医療的ケア児に関わる課題の解決に仲間とともに取り組んでいる。
語りの内容
わが子の経過に気付いたときっていうのは、妊娠中からでした。といいますのは、わが子はダウン症候群で、私が高齢の妊娠だったものですから、羊水検査を勧められました。
でも、どんな状態でも産みたいから、羊水検査をするだけで流産のリスクがありますから、はじめ医師に断ったんです。
ですが、医師から命の選択のためじゃなくて、状態があらかじめ分かってれば、おなかのなかで育ててるのか、外に出しとくのか、それが分かるために羊水検査を(やる)。
できる時期ってのが限られてるから、今ならできるから、万全の態勢を取るためにやっときたいんですよって言われて、それで羊水検査を実施したら、ダウン症っていう結果が出ました。
その前の年に、18トリソミーの子を妊娠したけど、おなかの中で亡くなっちゃってたので、21(トリソミー=ダウン症のこと)の状態のほうが強いのかなと思って、本当に生まれてきてほしいって思いました。
それで、もう事前に21トリソミーって分かっていたので…、もう万全の態勢を取るために、ダウン症外来っていう外来があるんですけど、そこに自費で、妊娠中カウンセリングを受けに行きました。
インタビュー10
- 重症心身障害児を一人で看る困難を思い、悩んだが、最終的に離婚し気持ちが軽くなった。元夫と息子の面会交流も続いている
- 重症心身障害児となるかもと聞き、重い気持ちで参加した妹の結婚式で父が子どものがんばりを親戚に伝えてくれて皆から励まされた
- 支給されたタクシー券は通学ですぐに使い切ってしまい、往復5,000円の経済的負担を考えると回数を減らすしかなかった
- 非正規雇用ながら、やりがいのある専門職だった。再雇用や保育園も決まっていたが、生まれた子の障害がわかり、仕事復帰を諦めた
- 学校の付き添いが外れ仕事復帰した。放課後に居宅児童発達支援を利用するが、いつ呼び出されるかと考えると本格復帰はまだ難しい
- コロナ禍で家にいると昼夜逆転し子どもの機嫌も悪かったが、学校で緊張する時間が長くなると体力消耗し家でも落ち着けるようだ
- 医療的ケア児のブログで親の会を知り、そこでリアルな仲間と出会って意気投合し、必要なことを訴える強さを身に着けた
- 目が見えず難聴の子のため、ケアを開始するときは身体に触れて伝える。吸引のときは口を開けて待ってくれるときもある
- 家ではあまり表明のない息子が学校ではスイッチを使い返事をしたり、やりたいことの意思表示をしていると聞き驚いた
- 息子は人工呼吸器をつけ体調が安定したが、呼吸器の装着が不快で自ら外してしまい夜中もアラーム音が鳴り響く
- これから補装具を作る子に、補装具を付けて歩く様子を見せてほしいと息子が頼まれ実演したとき、息子の表情が誇らしげで嬉しかった
- 区の福祉センターに医療的ケア児を受け入れてほしいと活動し、実現した。引っ越し先の他区でも重症児のデイサービスを作る活動をする
- 高齢妊娠で羊水検査を勧められ、命の選択のためではなく万全の態勢で子どもを迎えるためと言われて受け、ダウン症が分かった