※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

インタビュー時の年齢:48歳(2021年6月)
関係:父 (インタビュー24の夫)
医療的ケアのある子:長男15歳
北関東在住。妻、長男、次男(1歳)と暮らす。

長男は小学2年生のとき交通事故に遭い、今までとは全く別の生活が始まった。
ケアの技術や判断はもちろん妻には及ばないが、できる限りのことを妻と協力し、自分も肩の力を抜いて無理なく長男のケアを続けている。
人工呼吸器の管理、痰の吸引、胃ろうからの注入が必要な状態だが、毎日元気に過ごしており、その成長し頑張る姿から、日々喜びと勇気をもらっている。

語りの内容

まずきっかけというか、原因は事故、交通事故ですね。
それまでは、一切、まあはっきり言ってしまえば、病院にかかることもほとんどないような子だったので、単純にその事故で、いきなり生死を問われるような、そんなふうな状態になって。
ただただひたすら僕らは、まあ無事に、元気に戻ってきてくれればいいなっていうふうにして思っていて。
で、一命を取り留めたっていうふうな…。そこから、実際にはちょっと自分たちでも想像していなかったような生活が、始まることになってしまいました。

まず、体を動かすことが一切できなくなりました。そのためいろいろな、これまでできていた食事であるとか、排便排尿、あと体をきれいにする、お着替え。そういった身の回りのあらゆること(の介助)が必要になり。
何よりも、脳に損傷をきたしてしまうような、大きな事故だったもんですから、自分で呼吸をすることができない。
気管切開っていうんですかね。それをした上で、人工呼吸器を付けて24時間生活する。そちらの管理とか、そういったものも、必要になってきました。

帰ってくるに当たって、そもそもそんなに長期間、こう生きていられるっていうふうなことを、確信できなかった。どちらかというと…。
事故の後、最初に言われたのが、余命3時間ですっていうふうにして確か言われたと思うんですけども。
で、その後、何とか症状が落ち着き、それでこの後、意識がちゃんと戻って、昔のようにお話をすることはできないですっていう宣告を受けて。
今までと…言い方はちょっと違うかもしれないですけども、今までと同じ子という感覚でいると、つらい思いをしますよっていうふうなことを、お医者さんに言われたと思うんですけど。
で、まあ何となく、そうなのかって納得できたような、できなかったような、そういうふうな気持ちの状態で。
でも、やっぱり無事であったっていうふうなことにうれしさを感じていたのと、余命があまり長くないっていうふうなのであれば、余計に病院じゃなくてお家のほうがいいんじゃないのかなっていう気持ちがあって。
可能ならばお家に帰りたいなっていう気持ちにはなっていました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧