インタビュー時の年齢:44歳(2021年6月)
関係:母 (インタビュー25の妻)
医療的ケアのある子:長男15歳
北関東在住。夫、長男、二男(1歳)と暮らしている。
長男は小学2年生のときに交通事故で寝たきりとなり、人工呼吸器の管理、痰の吸引、胃ろうからの経管栄養の医療的ケアが必要となった。
息子は現在、特別支援学校の訪問教育を受けている。
自分は息子のお世話をしながら、バリアフリーに改装した自宅で小さなカフェを始めた。
同じような境遇にある方々にとって安心して外に出かけられるきっかけとなる場所にしたいと思っている。
プロフィール詳細
長男は小学2年生の時、交通事故で一時心肺停止となった。
命は助かったが、第一、第二頸椎の脱臼と脳幹の損傷で、その後も意識が戻らないまま余命2〜3ヶ月の宣告を受けた。
家に連れて帰ってあげたい一心で、24時間つきっきりで人工呼吸器のケア(吸引、気管カニューレ交換)と胃ろうからの注入を看護師や医師に教わりながら練習した。
医療的ケアを担うことの心配よりも、最期を楽しく過ごさせてあげたい、という気持ちでいっぱいだった。
事故の前に息子が行きたいと言っていたディズニーランドに行くことを決意し、訪問医を中心に相談員や福祉用具店の協力も得て退院してすぐに実現することができた。
息子の状態に大きな変化がなく1年が経った頃には、看取りではなく、先をみた生活を考えていこうという思いに徐々に変わっていった。
現在は、訪問看護と居宅介護、訪問リハビリ、訪問入浴を利用している。
息子と一緒に外出する以外はほとんど家での生活のため、外から来てくれる方々とたわいもない会話をする時間で日々癒され、心が軽くなっていることを感じる。
夫は平日は仕事で帰りが遅いが、帰宅後や休日にはケアを代わってくれたり一緒に出かけたりして楽しんでくれる。
息子の吸引のためにまとまった時間眠ることが難しいが、それが毎日、何年も続いているのであまり苦にはなっていない。
これまで、医療的ケアのある子どもがいる先輩家族とは、相談員を介しての出会い、特別支援学校での出会い、また、呼吸器をつけている子どもの親の会に参加をして交流を続けている。
先輩家族の話は失敗談を含めてとても勉強になっており、当事者の姿は説得力があり、助言には実用性があることを実感している。
例えば、呼吸器の電源確保のためにレストランで「コンセントを貸してください」と当たり前のように聞く先輩お母さんには驚いたが、そんな姿から学んでいったことは自分にとっては大きかった。
地方圏で公共交通の便が悪く、ほんのそこまでの外出に、往復1万円前後のタクシー代がかかってしまうこともある。
福祉車両を購入する際に、事前に先輩家族から話を聞けたことはとても有難かった。
息子は、幸い肺や心臓も強く、これまでに熱一つ出さずに安定して過ごせている。
事故による脳のダメージで、イエス・ノーがわかるようなコミュニケーションは全く取れていないが、以前より表情も出て、家族や長く関わってくれている方には、息子の表情や、醸し出す雰囲気から感情を読み取れることがある。
1歳の弟がベッドに近づいてくる足音がすると何かされるのではないかと不安そうな表情をしたり、大好きなヘルパーが来てくれた時には口角を上げてニヤニヤしたりする一方、見慣れない訪問医には無表情で微動だにしない。
事故の後、寝たきりで呼吸器もついた姿を見て、息子のお友達はどんな反応をするだろうという不安があった。
しかし、自分のそんな心配をよそに、お友達が普通に接してくれたことがとても嬉しかった。
息子が通う特別支援学校の訪問籍では、定期的な居住地校交流があり、以前に通っていた学校のお友達と会うことができ、高校生になった今でも長期休みには家に会いに来てくれるお友達もいる。
息子の医療的ケアのために事故の前まで勤めていた仕事は辞めたが、自宅をバリアフリーにリフォームしたのをきっかけに家で小さなカフェを始めた。
同じような境遇にある方々にとって医療的ケアがあっても安心して出かけられる身近な場となり、それがさらに社会のどこにでも出かけられる勇気につながって、その方々の世界が少しでも広がるきっかけを作れたらいいと思っている。
息子は事故で医療的ケアが必要な状況になったが、一人の人として生きていることに変わりない。
感情がうまく表せないけれど、息子なりの感情もある。医療的ケアがあるから特別な人でなく、みんないつそうなるかわからないという意味で、みんな一緒であると思う。
いつか、特別意識することなく、そこにいて当たり前の共生する世の中が来るといいと思っている。
命は助かったが、第一、第二頸椎の脱臼と脳幹の損傷で、その後も意識が戻らないまま余命2〜3ヶ月の宣告を受けた。
家に連れて帰ってあげたい一心で、24時間つきっきりで人工呼吸器のケア(吸引、気管カニューレ交換)と胃ろうからの注入を看護師や医師に教わりながら練習した。
医療的ケアを担うことの心配よりも、最期を楽しく過ごさせてあげたい、という気持ちでいっぱいだった。
事故の前に息子が行きたいと言っていたディズニーランドに行くことを決意し、訪問医を中心に相談員や福祉用具店の協力も得て退院してすぐに実現することができた。
息子の状態に大きな変化がなく1年が経った頃には、看取りではなく、先をみた生活を考えていこうという思いに徐々に変わっていった。
現在は、訪問看護と居宅介護、訪問リハビリ、訪問入浴を利用している。
息子と一緒に外出する以外はほとんど家での生活のため、外から来てくれる方々とたわいもない会話をする時間で日々癒され、心が軽くなっていることを感じる。
夫は平日は仕事で帰りが遅いが、帰宅後や休日にはケアを代わってくれたり一緒に出かけたりして楽しんでくれる。
息子の吸引のためにまとまった時間眠ることが難しいが、それが毎日、何年も続いているのであまり苦にはなっていない。
これまで、医療的ケアのある子どもがいる先輩家族とは、相談員を介しての出会い、特別支援学校での出会い、また、呼吸器をつけている子どもの親の会に参加をして交流を続けている。
先輩家族の話は失敗談を含めてとても勉強になっており、当事者の姿は説得力があり、助言には実用性があることを実感している。
例えば、呼吸器の電源確保のためにレストランで「コンセントを貸してください」と当たり前のように聞く先輩お母さんには驚いたが、そんな姿から学んでいったことは自分にとっては大きかった。
地方圏で公共交通の便が悪く、ほんのそこまでの外出に、往復1万円前後のタクシー代がかかってしまうこともある。
福祉車両を購入する際に、事前に先輩家族から話を聞けたことはとても有難かった。
息子は、幸い肺や心臓も強く、これまでに熱一つ出さずに安定して過ごせている。
事故による脳のダメージで、イエス・ノーがわかるようなコミュニケーションは全く取れていないが、以前より表情も出て、家族や長く関わってくれている方には、息子の表情や、醸し出す雰囲気から感情を読み取れることがある。
1歳の弟がベッドに近づいてくる足音がすると何かされるのではないかと不安そうな表情をしたり、大好きなヘルパーが来てくれた時には口角を上げてニヤニヤしたりする一方、見慣れない訪問医には無表情で微動だにしない。
事故の後、寝たきりで呼吸器もついた姿を見て、息子のお友達はどんな反応をするだろうという不安があった。
しかし、自分のそんな心配をよそに、お友達が普通に接してくれたことがとても嬉しかった。
息子が通う特別支援学校の訪問籍では、定期的な居住地校交流があり、以前に通っていた学校のお友達と会うことができ、高校生になった今でも長期休みには家に会いに来てくれるお友達もいる。
息子の医療的ケアのために事故の前まで勤めていた仕事は辞めたが、自宅をバリアフリーにリフォームしたのをきっかけに家で小さなカフェを始めた。
同じような境遇にある方々にとって医療的ケアがあっても安心して出かけられる身近な場となり、それがさらに社会のどこにでも出かけられる勇気につながって、その方々の世界が少しでも広がるきっかけを作れたらいいと思っている。
息子は事故で医療的ケアが必要な状況になったが、一人の人として生きていることに変わりない。
感情がうまく表せないけれど、息子なりの感情もある。医療的ケアがあるから特別な人でなく、みんないつそうなるかわからないという意味で、みんな一緒であると思う。
いつか、特別意識することなく、そこにいて当たり前の共生する世の中が来るといいと思っている。
インタビュー24
- 息子のケアに慣れてきた頃、下の子が生まれた。まだ手のかかる時期だが、下の子がいることで家族全体で楽しい時間が増えた
- 自家用車での通学時、予定時間に到着できない事があり、ヘルパーさんをお待たせしてしまったり、自分たちが待ったりする
- 交通事故で医療的ケアが必要になり元の学校に戻るか相談した際、息子の状態や学校の負担、親の付き添いの負担も考え訪問籍にした
- 訪問教育でじっくり子どもの反応を引き出してもらえた。訪問籍でも通学籍の子との交流の機会もあり子ども同士のつながりもあった
- リフォームで玄関のバリアフリーや濡れずに出入りできる駐車場、雪の積もらないスペース確保、地震時に安全なものの配置などを考えた
- 息子をディズニーランドに連れていきたいと主治医に伝えると、車いすや行ける環境を整えてくれた。息子の昔からの友達とママ達との交流も楽しい時間だ
- 最初はスロープ付きの軽自動車を購入したが、呼吸器のチューブが外れたときに横に介助者がいないと危険なため、買い直した
- 田舎でバスの本数も少ない。将来息子が大人になったときに公共交通機関を使って自力で移動できるよう、定期的に経験させている
- 事故で身体が動かなくなった息子が退院したとき、近所のママたちがクリスマス会を企画し、子どもたちもこれまで通りに接してくれた
- 地域の避難訓練に参加し、吸引やアラーム音、荷物の量など知ってもらった。家が一番なのでできるだけ家で過ごせるよう準備している
- 呼吸器のチューブ内に結露した水が気管に流れ込み、子どもの顔色がみるみる変わり、怖い思いをした。予防や対処法を知り、対応している
- 宣告された余命をはるかに超えて子どもが落ち着いて過ごしている。少しずつ長期的なことに目を向けていけるようになった