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インタビュー時の年齢:50歳(2020年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男7歳
首都圏在住。長男との2人家族(長男3歳の時に離婚)。
妊娠中に子どもがダウン症候群の疑いがあることがわかった。
妊娠30週台の時に緊急帝王切開で出産した。
現在、長男は気管切開、吸引、胃ろうによる経管栄養、睡眠時に人工呼吸器を装着し、週に4〜5日特別支援学校に通っている。
水頭症とてんかんと診断されている。
親の会に参加したのをきっかけにそれまで受け身だった自分自身に気付き、積極的に居住地における医療的ケア児に関わる課題の解決に仲間とともに取り組んでいる。
語りの内容
――お子さん自身が、学校が始まって何か変わったことってありますか。
そうですね、3月31日まで保育園に週4〜5日通って長時間親と分離してたから、朝起きたらもう外に出るものって思っていました。
3年間そうやってきたのに、コロナで学校がしばらく自粛でね、オンライン授業だったんですね。
それでね、生活リズムが崩れちゃって。
ま、コロナに4月1日からもう家にずっといるものってなっちゃったんですね、息子がね。
昼夜逆転が甚だしくなりましたし、医療的ケア児なんですけど、もうすごい体力が有り余ってるんですよ。
だから、外に行って社会的なかかわりでね、社会的緊張も必要ですし、いろんなアクティブな活動をして初めて家で眠れる子なので。
コロナの自粛のときに生活リズムが崩れたため、6月から学校が再開したとき、ずっと学校で寝ちゃってたり。
あと、本当になんで突然外出しなくちゃいけないんだって。
うちの子、目も見えてないし耳も悪いんですよ。
耳は補聴器なんですけど、ハウリングしやすいから、家でちょっとつけられてなくて。
だから目も見えてなくて、耳も家の中で聞こえづらいから見通しが持ちづらい中ね、なんで外に出るんだって言って、しょっちゅう大暴れして、車いすに乗せてましたね。
今は引っ越したので、もう毎回朝はこの時間に起きて、学校に行ったり、病院に行ったりとかね、外出するものってなったのでね。
学校に行っても起きてられる時間が長くなったみたいですね。
インタビュー10
- 重症心身障害児を一人で看る困難を思い、悩んだが、最終的に離婚し気持ちが軽くなった。元夫と息子の面会交流も続いている
- 重症心身障害児となるかもと聞き、重い気持ちで参加した妹の結婚式で父が子どものがんばりを親戚に伝えてくれて皆から励まされた
- 支給されたタクシー券は通学ですぐに使い切ってしまい、往復5,000円の経済的負担を考えると回数を減らすしかなかった
- 非正規雇用ながら、やりがいのある専門職だった。再雇用や保育園も決まっていたが、生まれた子の障害がわかり、仕事復帰を諦めた
- 学校の付き添いが外れ仕事復帰した。放課後に居宅児童発達支援を利用するが、いつ呼び出されるかと考えると本格復帰はまだ難しい
- コロナ禍で家にいると昼夜逆転し子どもの機嫌も悪かったが、学校で緊張する時間が長くなると体力消耗し家でも落ち着けるようだ
- 医療的ケア児のブログで親の会を知り、そこでリアルな仲間と出会って意気投合し、必要なことを訴える強さを身に着けた
- 目が見えず難聴の子のため、ケアを開始するときは身体に触れて伝える。吸引のときは口を開けて待ってくれるときもある
- 家ではあまり表明のない息子が学校ではスイッチを使い返事をしたり、やりたいことの意思表示をしていると聞き驚いた
- 息子は人工呼吸器をつけ体調が安定したが、呼吸器の装着が不快で自ら外してしまい夜中もアラーム音が鳴り響く
- これから補装具を作る子に、補装具を付けて歩く様子を見せてほしいと息子が頼まれ実演したとき、息子の表情が誇らしげで嬉しかった
- 区の福祉センターに医療的ケア児を受け入れてほしいと活動し、実現した。引っ越し先の他区でも重症児のデイサービスを作る活動をする
- 高齢妊娠で羊水検査を勧められ、命の選択のためではなく万全の態勢で子どもを迎えるためと言われて受け、ダウン症が分かった