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インタビュー時:44歳(2021年11月)
関係:母(インタビュー34の妻)
医療的ケアのある子:次男11歳
首都圏在住。夫と長男、次男の4人家族。
次男は出産時の事故で低酸素脳症となり、現在も、気管切開と胃ろうなどが必要である。
自身は元獣医で医療知識はあったものの自分の子にケアを施すことに当初がく然とした。
次男は自分から身体を動かすことはほとんどできないが、まぶたや指先、目線で気持ちを伝えている。
指先のわずかな動きをアシストする方法で、読み手に思いを伝えることができ、思いがけない息子の気持ちに気づかされる。
語りの内容
私が思うのは、(夫の存在は)バランスですね。
非常にバランスを取ってくれてるんだと思います。
ほぼ私と正反対な(笑)感じがするぐらいなんですよね、いろんなところにおいて。
子どもに対する思いとか根っこの部分は同じなんでしょうけれども、一つの出来事に対する取るすべが全く正反対とまでは言わないですけれども(違う)。
だからこそ私はまた違うところを一生懸命探したりするし、夫のそういう態度があったからこそ、今の私があるってすごく思うんですよね。私と同じ考えで理解があったとしたら、もしかしたら家族みんなで一つの手段だけしかやらなかったかもしれないけれども、そうじゃないから。
――うまく(夫婦の)バランスを取ってくれてるっていう中でも、夫婦として不満だったりお子さんに対してのことだったり、家族の役割について、ここは改善してよ、みたいなことは何かありますか。
うん、いっぱいあります。
でもそれって彼の問題だけではないんですね、思えば。
社会における夫婦の問題なんですね、ほとんど。
非常に常識的な人間なので、夫はこう、妻はこうみたいなものを、非常に悪気なくそこも素直に受け取ってきてるんだと思うんですね。
だから、子育ては妻がすると思ってたと思います。
そういうのは最初の、子どもが身体・健康面で落ち着かなかった時期に私にとって、ものすごいダメージになりました。
子育ての域を超えてますからね。
医療的ケアが四六時中必要な子どもと健常な幼子を育てるっていうのは、1人の母親にできることではほぼほぼないぐらいの仕事量です。
そういう中で自分は手伝ってるつもりではいるんでしょうけれども、圧倒的にやっぱり負荷が妻のほうに来てるっていうことに、どうしても気付かなかったり、妻がやるっていうことが当たり前だと思っている。
元々の社会的な概念のほうだと思うんですけど、そういうものを持っている人だと思うので。
今は、だいぶ変わってきてると思います。
もうほぼほぼ私と同じぐらいケアをしてくれるので、まるっと1日バトンタッチして家を空けることも、うちの場合できるんですよね。
そこまで一生懸命歩み寄ってくれてるんだと思うので、私はいろんなことを不満に思ってきましたし、すごく違うんじゃないっていうのあります。
でもよくよく考えると彼がっていうよりかは、この社会が、この日本の国っていうものが持ってる夫婦のスタイルやあり方が、正直先進国の割にはっていうぐらい遅れてるところがあると思うんですね。
インタビュー33
- 夫婦の負担の差に不満もあるが、日本の社会構造の問題だと思う。夫も社会も少しずつ変わり、今は任せられることも多くなった
- 地域の普通小学校に通うという選択肢があるとは思わず、勧められるがまま特別支援学校に決めたが、今は状況が変わってきたと思う
- 自宅で学習教室を開業した。自分の精神的よりどころとしても、医療的ケア児の親のチャレンジとしても仕事をしたいと思った
- 息子に視線入力にトライさせている。学校でも取り入れてほしいが、学校はこういった技術への取り組みが遅れているように感じる
- 制度の名前が似ていて、自分の家に該当する制度がどれなのかが全くわからない。一人一人にあった制度の情報を提供してほしい
- 息子は身体を動かせないが、飼っている犬が毎日、近寄っていって、舐めたり、鼻息をかけたり刺激を与えてくれて息子は喜んでいるようだ
- 介助者が手指の動きをアシストする方法で息子の意思を読み取る。彼に伝えたい思いがあるなら母親としてそれを信じて受け止めたい
- これまでの人生で経験したことのない目の前が真っ暗な世界だった。当時、自分には二度と心から笑える日は訪れないと思った
- 必死に生きようとする息子の横を必死で伴走するしかないと思った。気が付いたら、前より美しい世界を見せてもらえるようになった
- 気管切開と喉頭分離を母である自分が最終決断した。子どもから恨まれるかもしれないが、全て自分が責任を取るつもりでいる
- 手術前に「怖いけど、頑張る」と子どもが思いを伝えてくれた。そのやりとりがなかったら今でも悩んでいたと思う