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医療的ケア児の家族の語り

人工呼吸器、胃ろう、経鼻経管栄養、痰の吸引のような通常病院で行われるようなケアを日常生活でも必要とするお子さんのことです

ーー「医療的ケア児」というのは、どういうものですか。

医療的ケア児というのは、近年になってできた言葉で、日常生活の中で何らかの医療的なケアを必要とするお子さんのことを総称した言葉です。
この医療的ケアっていうのがまた難しいですけれども、人工呼吸器、胃ろう、経鼻経管栄養、痰の吸引のような、病院で行う医療っていうくくりのケアのことを言います。

ーー「医療的ケア児」以外に、「障害児」という言葉もあります。医療的ケア児と障害児はどう違うんですか。

障害児といわれるなかに、医療的ケアが必要な障害の方もいらっしゃいます。

例えば言葉を発することが難しいとか、体の機能の発達に遅れがあるっていうような時に障害児とみなされることがあります。
(そこに)プラス気管切開がある、あるいはその発達の遅れによって呼吸が難しくて人工呼吸器を必要とするという場合は、障害児であり、かつ医療的ケア児であるということになるかと思います。
逆に言えば、障害のお子さんで医療的ケアがないお子さんも、もちろんいらっしゃるということになります。

医療的ケア児の家族の語り

在宅で医療的ケアを行う家族は、生活の中で様々なケアがスムーズにできるよう気を配る。親たちの負担を軽減するサポートが必要だ

ーー家の中で医療的ケアを行うには、どういうことがあるんでしょうか。

家庭で(医療的ケアを)するというのは、病院や施設で(医療者に囲まれて)やるのとは違いますよね。生活全体(を家族が担うこと)になると思います。

例えば経管栄養をするっていうふうになった時に、経管栄養のボトル作ってつなげばいいのかっていうと、そうではないですよね。
経管栄養をする時のお子さんの体位を、ご家族は考えながら、経管栄養をする前の3時間は反対側の体位で休ませてあげたいなと(考えながら)してるわけなので。
つなぐ3分、5分だけでなく、ずっと生活がつながる中で医療的ケアがあるということを、支援する側(である医療者や相談員)もよく分かって医療的ケアを生活に取り入れていかないといけないのかなと思います。

おむつ交換でもそうですし、痰の吸引、経管栄養、全てが生活と共にどういうふうにあるのかっていうことが、家の中で医療的ケアをするっていうことなんだと思います。
 

ーー家の中 で医療的ケアを、医療の素人である自分が行うことに、多くのお父さんお母さんが不安を持っていると聞くんですけれども、その点についてはどうでしょうか。

本当にそうですね。負担という言葉が合うかと思うんですけれども、大変なことだと思います。
これをどうしたらいいかということはすごく大きな課題で、すぐに答え出ないんです。

一方で、お子さんの生活、それからご家族の生活を、ご家族らしく過ごしていくっていう中に、医療的ケアを組み込むことができれば、それはすごくいいのかなと思います。
けれども、今のところ生活に組み込みたいといっても、他のことを犠牲にしなきゃいけない、あるいはサポートがない、自分1人でやってる、どこに相談すればいいのか分からない、そういう状態がある。

ご家族が安心して自分たちらしく生活するために何が必要なのかっていうのは、このプロジェクトのインタビューの中でもいっぱい出てきてますし、そこに耳を傾けることがこれから重要になると思います。

ーー医療的ケアがなくなるタイミングっていうのもあるんでしょうか。

医療的ケアを始めたときの理由がなくなれば、医療的ケアは必要なくなります。今は飲み込みが上手にいかないお子さんが、嚥下、飲み込みの機能が上手になったら経管栄養はやらなくなるかもしれませんし、空気の通り道が成長とともに丈夫になって強くなって、もう(呼吸が)できるよとなれば、人工呼吸は必要なくなることもあります。

一方で、その状態を長く持ちながら医療的ケアと共にお暮らしになるお子さんもいます。
どんな場合があるかは、そのお子さんお子さんで変わってくると思うんですけれども、時々に相談したり、もう要らないのかな、(まだ)要るのかな、を検討しながら、医療的ケアと共に暮らす形を作っていけるといいのかなと思います。

医療的ケア児の家族の語り

なんらかの事情で気管内を空気がうまく通らず呼吸困難となる場合に、気管を切開する。切開後は気管内のたんの吸引をし、空気の通り道を確保する必要がある

ーー気管切開はどういうもので、どんな種類があるのか教えてください。

気管切開って、文字どおり気管を切開するっていう、そういう術式、手技のことを指します。
気管切開をなぜするか、それから(その)種類なんですけれども。

ここ、喉を見ますと、喉仏がある、ちょっと固いところ、ここが気管に当たっています。
人間の体は、この気管の後ろに食道があるわけなんです。
気管というのは空気の通り道で、その後ろにあるのが食べ物の通り道、お水とか唾液とか、お鼻がいっぱい出た時にもお鼻がそちらのほうに行ったりします。

気管切開は、気道が通りにくい(場合にします)。
赤ちゃんだったり、障害があったりする時に、気管がすごく柔らかく、空気を通そうとすると、ぺちゃって、ゴムのチューブみたいになっているの(気管)が閉じてしまって、酸素がうまく通っていかない。
そういった時に、ここを切ってチューブを入れると通り道ができる、ということだと思っていただけるとよいかなと思います。

気管切開の中にも、チューブを留置する、置いておくと意味なんですけれども、留置しておくタイプと、あるいは、しばらくの間入れるんだけれども、その後必要なくなったら取りましょうという気管切開もあります。
手術だったり、事故(にあって重篤な状況だったり)で、一時的に(気管を)切って(呼吸を確保し)、呼吸が治ってきたら閉じる場合もあるということです。

ーー気管切開に関する医療的ケアはどういうものがあるんですか。

1つには、空気の通り道を作っているものですので、そこがうまく通るようにケアするのが一番の大きな目標になると思います。
例えば人工呼吸器を使っているなら、ここ(喉)に空けた穴に入っているチューブと人工呼吸器という機械のチューブとをつなげて、空気がうまく入っていくのを助けるために、人工呼吸器の管理をする。
(人工呼吸器につながる)チューブの中に水が(入って)ないかなとか、通り道がうまくいってるかなとか、そこを管理する必要があります。

もう1つは、通り道を塞いじゃうものがどうしても人間にはあって、それが痰や唾液です。私たちだって風邪ひいた時に、痰がいっぱいだと息がしにくいなと感じると思うんです。
その痰を取ってあげる吸引が、定期的、あるいは不定期に必要になります。
気管切開をしてチューブを入れていますと、異物が入っているので、それによって喉の中、気管の中が刺激されて痰が作られやすいこともあるんです。
ですから吸引が割と頻回に生じることがあります。

ーー医療的ケアを、医療者ではない人が行うことで、一番怖いこと、注意しなければいけないことはなんですか。

空気の通り道が詰まらないようにして、うまく酸素がいき、呼吸が楽であるっていうことを目指したいわけなんですね。
医療者が例えば人工呼吸器で気管切開されている患者さんを診る時にも、やっぱりすごく緊張します。外れてて酸素がうまく(肺に)行かなかったらどうしようということもあります。
吸引をする行為、技術そのものも緊張するところかなと思います。

チューブを喉の中に入れて、吸っていくわけですので、体の中にチューブを入れるって普通はやらないことですよね。そこはすごく緊張します。
人工呼吸器とつながっている場合には、それを外して吸引するとなると、その間、酸素、空気が行かないことになりますね。
酸素の途絶えた時間の中で素早くやりたいので、かなり緊張するところになります。

ーー気管切開をしていると声が出せなくなると聞いたんですけれども、それはどういうことなんでしょうか。

気管切開したりチューブを入れたりすると声が出なくなることがあります。
違う場合もあるので後でご説明しますけれども、気管の通り道と食べ物の通り道っていう話を先ほどしました。
気管があって空気が入る、その後ろに食道があって食べ物が通じるっていうふうになっています。入り口は1つで、お口を開けると穴は1つになっています。

じゃあ空気の通り道と食べ物の通り道、どういうふうに分けてるかというと、物を飲み込む時に喉の付け根にある喉頭蓋(こうとうがい)っていう蓋があって、ごくんと飲み込むとそれがぴたっと閉じて、気管のほうには食べ物が行かないようになってるんです。

そういういい仕組みがあるんですけれども、それと同じように喉の付け根に、声帯が付いています。それで声帯を震わせると、(空気が)声として出ていくっていうふうになるんです。
ところが気管を切開してここ(喉)にチューブを入れると、気管切開からこの口までの間は、実質、空気がツーツーと通らない。

声を出す時には、下から空気を吐く時にそれが声帯を震わせて声になるわけなんですけど、ここ(気管切開したところ)でその出していくもの(空気)が止まっちゃって、ここ(チューブ)から空気が出ていくので、声帯を震わせることができないんです。
なので、声にならないというふうになってます。

今、いろんなものが開発されていて、チューブの中でも、おしゃべりができるように上がちょっと開いてるっていうものもあるんです。そういうチューブを使いますと、喉の外の空気の出口にはバルブという蓋をして、そして喉の中のチューブの上のほうには穴が開いていて、空気が出た時に声帯を震わすことができるのでお声が出るという仕組みのチューブもあります(スピーチカニューレという)。

どのチューブを使うのがいいのかは、そのお子さんごとの呼吸の状態、全体の状態によっても変わりますので、これをしたいと言ってもそうできない場合もあります。
ですが、仕組みは、そういうことになっています。

医療的ケア児の家族の語り

肺に酸素の供給が十分にいかない場合に人工呼吸器が必要となる。酸素が届いているか、血中酸素濃度を気にしながらの生活となる

ーー人工呼吸器は、どういう時に必要になるんですか。

上手に酸素を取り込むために…酸素というのは吸えばいいだけじゃなくて、お胸の中の肺にいっぱい、ブドウみたいに房になって酸素を血液に透過させてくれる(肺胞という)袋がいっぱいあるんですね。
(吸い込むことと透過させること)その両方がうまくいかないと呼吸っていうのが成り立たないんです。
どこかがうまくいってない時には、人工呼吸や気管切開をしようということになります。

例えば、気管がとても柔らかくて、空気を吸おうとするとチューブがぴちゃってしぼんでしまってうまく通せない場合に使う時には、気管切開してチューブを通す。それだけでも気管がうまく広がって、人工呼吸器使わなくても、(気管の)穴さえあればいける場合もあります。

一方で、(気管の)穴はあるんだけど、上手に肺(の周囲の筋肉)を動かすことが難しいとか、酸素の取り込みの量が少ないっていう場合には、少し高濃度の酸素を人工呼吸器で送ることで、すごく効率良く酸素を取り込むことができるんです。

(空気の)通り道が欲しいだけだったら、気管切開だけでも通り道ができてオッケーっていう場合もあるし、もう少し酸素をうまく効率良く取り込みたい、あるいは肺の機能も助けたい場合には、人工呼吸器も使いたいということになります。

人工呼吸器が必要な場合というのは、例えば気管切開はなくても、肺の機能をもう少し助けたいっていう時には、お口からチューブをして人工呼吸器を使うこともあります。
大人でも大きな手術する時に麻酔をすると、自分で肺を動かす機能が、鎮静がかかってうまくできなくなるので、人工呼吸器使いましょうということで、喉からチューブを入れて人工呼吸器につないだりすることがあります。
ですので、人工呼吸器と気管切開は必ずしもセットではないんですけれども、一緒に使うことはよくあります。

ーー人工呼吸器を在宅で使用する時に、注意しなければいけないことを教えてください。

すごくたくさんあります。
お子さんの状況によっても注意するべきことっていうのは変わるかもしれません。
ここでは原則ですけれども、お子さんに必要なように使うっていうのが、まず1つは注意することです。
あとは、人工呼吸器がお子さんの体を助けている状態をしっかり保つために必要なケアをすることが、家の中では必要かなと思います。

一方で、人工呼吸器があると酸素がうまく行っているかなというのがいつも心配になります。SpO2(血中酸素飽和度)を測る、コロナで結構有名になったモニターがありますね。
ああいうのを付けながら、アラームと共に生活するっていうこととかは大変なことでもあります。

いろんな練習したり、お子さんの状態を知りながら、人工呼吸器があっても家族らしい生活を、みんなで暮らせることが、一番大切かなと思います。

ーーお風呂に入ることも、普通にできるんですか。

普通っていう言葉の使い方がちょっと難しくはあるんです。(言葉の意味を)どういうふうに捉えるかという点で。

お風呂も入れます。
ただし、気管と食道は通すものが違う。肺にお水がいっぱい入ると肺炎を起こしたり、感染症になったりがあるので、気管切開をしてるところからお水が入らないようにしたい。

ですので、お風呂の時には、「ここ(喉元)までは浸かれない」ってなりますし、シャワーを使う場合もお水が入らないように注意は必要になります。

ーー人工呼吸器には、どういう種類があるんでしょうか。

大きく言うと、喉、お口、あるいは鼻に通す場合で、喉までチューブを入れて使うタイプと、何かを挿入はしないんだけれども、鼻にマスクをして行う人工呼吸器があります。
それは、お子さんの状態に合わせてっていうことになります。

医療的ケア児の家族の語り

経口で栄養を摂取することが難しい場合に、鼻から胃や腸にチューブを通したり、胃に直接穴をあけて胃ろうを作ったりする

ーー経管栄養というのはどういうものですか。

経管栄養は、お口から食べて消化することが難しい時に使うものです。
喉には気管と食道がありますが、ごくんってした時に、気管の入り口の蓋が閉じて物が入らないようになる仕組みがあります。

その仕組みがいろいろな理由でうまくできないと、食べ物が肺のほうに行っちゃう。そうすると、感染症や肺炎になって、熱が出たり呼吸が苦しくなったりということがあります。
それが誤嚥性(ごえんせい)肺炎です。

嚥下(えんげ)機能という飲み込みの機能全体に何か課題があってもう少しサポートしたほうがいい時、今はお口からごっくんってしないほうがいい場合には、直接食道のほうに食べ物が行くように、チューブを通して、そのチューブの中を食べ物が通って胃や腸に行くように経管栄養をします。

ーー経管栄養の中で幾つか種類がありますが、どういうふうに選ばれるんでしょうか。

お子さんの状態によって選ばれるというのが1つの答えです。
まず、最初大体は、お鼻から胃に通す経管栄養だと思います。
鼻からチューブを入れて食道を通して胃までつなげます。もう少し長いものだと、お鼻から腸まで行く経管栄養もあります。

それぞれ少し特徴があります。
胃までですと、長さはまあまあある。
ただし、チューブを長く置いておくことができないんですね。
なので、ある程度の期間で入れ替えが必要になります。

腸まで行くチューブですと、結構、長く置いておくことができます。
長く使えるんですね。
けれども、長い分だけ、チューブを入れるのも大変ですし、入れられるほうのお子さんも大変だということはあります。

チューブをどう入れるかっていいますと、例えば大人が一時期使う場合、お鼻にチューブを通す際に、喉の辺りに来た時に、ごっくんってしてもらうんです。そうすると気管の蓋が閉じて食道のほうだけ通じるので、チューブを進めると食道のほうを通じて胃に行くんですね。

もちろん鼻にチューブが入るのでかなり違和感もありますし、喉のほうまで行くので、皆さんも耳鼻科とかでやったことあるかもしれませんけれども、うまく鼻の奥の穴に行かない時には突いちゃったり、鼻血が出たりもある。
とても痛いし、大変かなと思います。

ごっくんっていうのが上手でないお子さんにする時には、慎重にそれ(チューブ)を進めて食道まで入れないといけないです。
これが間違って気道に入ると、食べ物が気道のほうに行って感染症を起こすことになるので、そこは慎重にやらないといけないのも大変なところの1つです。

お子さんにとっては違和感もあるし入れる時痛いし、じっとしてなきゃいけない。
入れるほうにとっては、痛そうだなっていうのを頑張って押さえながら入れなきゃいけない時もあるし、ちゃんと入れたいところに入ってるかなっていう(不安)、そういう大変さもあります。

ーー胃ろうのほうが管理が楽と聞いたんですが、どういう違いがあるんですか。

管理は胃ろうのほうが楽なこともあるのではないかなと思います。
胃ろうは、胃のある辺りの皮膚の上から胃の粘膜の裏側まで、カフスボタンって想像していただいたらいいんですけど、上と下からカチンって、ちっちゃな穴を開ける、そういう仕組みなんですね。

鼻からずっと通ってチューブがあるわけじゃないので、手を引っかけたら抜けちゃう心配もしないでいいし、ちょっと抜けかけのチューブに食べ物を入れて、気道のほうに食べ物が行っちゃうかもしれないという心配をしないでいい。

管理も、チューブを定期的に換えたり、きれいにしたりという作業が、鼻のチューブにはありますが、胃ろうだとかなり長い期間そのまま置いておいて、そこに経管栄養のボトルをつなげるだけで使うことができます。

あとは、お風呂です。
胃ろうですと、お風呂も気にしないでそのままボチャンって入ることができます。
その後も特に肌が荒れていないのであれば、特別なことはしなくても大丈夫です。

経管栄養だとチューブを鼻とかにテープで留めなければいけないので、お風呂の後テープを貼り換えたり、肌荒れがないかを確認して、付けるところを変えたり、そういったところも違うところかなと思います。

ーー一度、経管栄養を実施すると、その先もずっと経管栄養になるんでしょうか。

必ずしもずっとそうなんだということではないです。
お子さんの状態を見ながら決めなければいけないので、絶対外れるとも言えないですし、ずっとしているとも言えないです。

発達とともに嚥下が上手にできていくお子さんもいて、もう上手に飲み込めるから経管栄養要らないねっていうこともあります。
一方、嚥下はできるんだけど必要な栄養量を全部お口だけで取るのは体力的に疲れちゃうかなという場合に、経管栄養も使うけれどお口でも食べようかという場合もあります。

医療的ケア児の家族の語り

腸に穴をあけ袋(パウチ)をつけて便を排出するストーマは、子どもでは素早いパウチ交換、ずれない工夫を行う必要がある

ーーストーマについて、教えてください。

ストーマは、腸のどこかに穴を開けて、そこから便を排出するものです。
腸を便が流れていくんですけれど、肛門から出すのではなく、何らかの事情で肛門から便を出せない場合に使います。

腸の途中にちっちゃな穴を開けて、そこに人工肛門というものを作り、そして便を出す。便を受け取る袋を、その近くに付けておいて、そこに便をためて、袋を換えて便を排出します。

ーー(ストーマ)を、赤ちゃんや子どもの時から使う時に、大人とは違うところはありますか。

医療の中でいわれるのは、赤ちゃんですと大人に比べて体の表面積ってとても小さいですよね。
(そのため)ストーマや、それを受ける便の袋が体に占める割合がすごく大きくなっちゃうんですね。
だから赤ちゃんが動きにくくなったりするので、なるべく赤ちゃんが動きやすいように、パウチを袋に入れて腹巻きみたいにして、動きやすくしてあげることもあります。

大人と違って赤ちゃん自身がストーマを気にしながら(生活すること)はできないですし、成長を考えた時には、一生懸命、(子ども自身で)気にしてもらうのは大変かな。
便が漏れるとか、そういったことに関して周りの大人がよく見てあげながら、ストーマを管理する必要があるというふうに思います。

ーー日常生活で、例えばプールや海に行く、温泉に入ることもできるんですか。

はい、できます。大人も、赤ちゃんも子どもでも、プールに行ったりお風呂に入ったりができます。ぜひ、世の中でストーマのことの理解が進んで、みんなが自由にプールやお風呂とかに入っていけるような、そんな社会になるといいなっていうふうに思います。

ーーストーマのケアに当たって注意しなきゃいけないことは、どんなことですか。

食べたものやお子さんの体調によって便の状態が結構変わってきたりする時もあります。
ストーマって、腸が少しだけ肌の外に盛り上がってるような形になってるんです。
その大きさに合わせて粘着テープを切って、スポッとはめて、便を入れる袋を付けていくんですね。それをなるべく上手に貼って、漏れがないようにしたい。
漏れがあると、パウチを貼っているところの肌荒れができて、パウチを貼ること自体がお子さんにとって苦痛になるので、スキンケアが大事になります。

一方で、お子さんが動きたがることもあるので、貼る時にも素早く貼らなきゃとか、形を作るのもすごく大変だったりするので、ぜひパウチを使う時にはそこの工夫を、医療者と相談しながら、うまい方法を見つけてくれたらと思います。

成長するに従って腸の状態が変わっていくと、大きさが変わることもあるんですね。
ですので、外来へ行かれた時にそんな相談をしたり、パウチの貼り方も、ぜひ一緒に医療者とご家族と、そしてお子さんとでやっていけるといいかなっていうふうに思います。

医療的ケア児の家族の語り

尿道から膀胱に直接管を通す導尿には、清潔な操作が必要である。訓練して中学生くらいから自力で導尿をできる子どももいる

ーー導尿について、教えてください。

導尿は、自分で尿を排せつするのが難しい時に、管を尿道から膀胱(ぼうこう)まで通して、その管を通じて尿を排せつするものです。

ーー尿道の形は男女差があるんですけど、男の子と女の子で、ケアで注意しなきゃいけない、難しいところはありますか。

男の子だったら、通す長さが長くなるので、その分入れにくい。
どういうふうにやるのかを一生懸命トレーニングするっていうことはあると思います。
一方で女の子は、長さは短いんだけれども、その分、膀胱とも近いですし、感染症により気を付けないといけないことがあります。

ストーマですと、感染症を気にしなくていいんですね。
清潔な操作(無菌での操作)は要らないんですけれども、導尿の場合は無菌操作が必要になる。
これは男の子も女の子も一緒です。

ですので、きれいな環境で管を通して抜くっていうことが必要になるのは、(男女)共通のところかなというふうに思います。

ーー無菌操作だと、1日何回もやるというのは難しい、そういう環境にない場合もあると思うんですけども、大体、1日何回以上やらなきゃいけないとか、どの程度、決まってるんでしょうか。

それはお子さんの状態にも、年齢にもよります。
大人だったら1日何回ぐらいとか膀胱の容量もありますから、それはお子さんごとに(合った)回数があるかと思います。

ただ、環境のことなんですけれども、お子さんですと、学校がありますよね。
学校では休み時間に導尿をするという、生活サイクルの中に導尿を上手に組み込むことを、親御さん、お子さん、それから学校の養護教諭、そして医療者が、みんなで上手に相談しながら計画立てることも大事かなと思います。

ーー学校の休み時間に導尿するのは、大体何歳ぐらいのお子さんだと自分でできますか。

それもやっぱりケース・バイ・ケースだと思います。
お子さん自身の発達の状態とか、体の状態にもよると思うんです。

導尿だけが必要だという場合ですと、小学校2年生ぐらいから練習し始めたり、もう少し早い方だと小学校入るぐらいから練習し始めて、中学年になる頃にはご自身でやろうかなというお子さんもおられると思います。

そうでない場合、お休みの時間に合わせてご家族が学校に行って導尿するという場合もあって、それは本当に大変ですよね、時間的にも。
その辺り、いろんな支援が入ってくといいなというところです。

医療的ケア児の家族の語り

亡くなって半年は何もする気になれなかったが、当時、地域に通える特別支援学校を切望していたことを思い出し、現在設置にむけた活動をしている

いろんなことを話せるようになって(子どもが亡くなったことへの気持ちは)少しずつ時間が解決してくれるのかなーとは思います。今年になって、娘の着てた服をようやく整理できた。3年間たんすに詰まったままだったんですけど、少しずつね、前を向いて歩いてるのかなあと思います。

その中でやっぱり(特別支援学校設置の)署名活動をしてるっていうのが、大きいと思うんですよね。
心残りだったことを変えていく。結構そういうお母さん多いですよね。
風しんの予防接種を受けなかったことで、子どもが障害を負ってしまったから、その風しんの予防接種を浸透させようと頑張ってるお母さんとかいますしね。

子どもが亡くなったことで、自由になる時間があるというものもあるんですけれども、その中でできることを一つ一つやっていくことが、自分に対する供養じゃないかなと思うんですよね。
別に娘のためにはならないですけどね、今さらね。

学校ができたからって、(自分の子が)学校に通えるわけではないんだけど…。
何のためにやってるのとかもよく言われるんだけど、多分、自分のためにやってるんだろうと思います。

――お子さんのことからもう離れたいっていう…思い出すから、つらいから離れたいっていうふうにはならずに。

結構、半年ぐらいは封印されていましたよ。
何もせず、やってたんですけど、小さい子を見るだけで嫌っていうか、思い出したくもないというか、思い出すと泣いちゃうみたいな感じだったんで。

でも、半年ぐらいたって、学校を作りたいと突然思ったんですよねー。だから結構、時間が解決してくれるし、こういう活動を始めているから、救われてる部分が大きいんだと思います。

医療的ケア児の家族の語り

息子が生きているときは自分が強くいなければと泣けなかった。亡くなってから信頼できる人に息子の話をすることで心が癒されることに気づいた

泣いてる暇がないっていうふうに自分も思ってて。
特に旦那と離婚してからはですね、私が守るんだって、私が手となり足となりっていうところがあったので。

まずね、子どものことを話すときに、涙をこうこらえるっていうんですかね。
泣かない習慣を付けてしまってたらしくて、その先生が言われました。
「泣けなくしたのは僕たちだ」って。
「お母さんに背負わせてしまうことが多くて、医療者として、泣けないお母さんにしてしまったのは僕たちの責任だね。ごめんね」って、先生が言われたんですよ。

で、「お母さん、今から(息子のことを)どんどん人に話して、そこを泣ける親になってほしい」って。
「泣くことで悲しみやつらさを流してほしい」って言われたんですけど…ずっと泣けなかったんですよ。

まずできることは、話そうと思って、自分が心を許せる人には、息子のことを、今の勤めてるところもそうですし、学生のときもそうですし、その前に勤めた病院のところでも話すようにしました。
そしたらだんだん心がそうなってきたんですかね。癒されるっていうか。

けど、基本私の中には、そうなってみない(自分の子を失ってみない)と分からない心情っていうのは絶対にあると思ってるので、分かってもらおうとかっていう思いでは話してないんですよね。

私たち、仲間でもいっぱい子どもを亡くしてるお母さんはいらっしゃるんですけど、人それぞれ違うんですよね、受容の仕方が。

私はですね、とっても元気っていうか、心が病んだりとか、ご病気になられたりしてる方もいらっしゃるんですけど、私はほんとに根っから強いのか、逆なんですよね。

もともとの強さっていうのもあるんだと思いますし、もう1つは、後悔がないです。
子どもにああしてやればよかった、こうしてやればよかったっていう後悔がない。
自分より先に死んでしまった子どもがいるということは、とってもつらいんだけれども、一生懸命私はこのときに、もう早く亡くなるかもしれないから、このときに、こういうことをしとこうっていうふうに決めたことを、一つずつ私はやってきたつもりだったので。

医療的ケア児の家族の語り

元夫は息子が亡くなるまでの最後の1週間毎日病院に来てくれた。夫婦としては全うしなかったが、父親として精一杯やってくれた

向こう(前夫)は家庭があったので、いろいろはもちろん言いませんけれども、(息子の)命に関わってくるようなときには、連絡をしてたんですよ。
そのたびに来てくれてたんですよね、彼は。

最後、亡くなる1週間ぐらいの期間、毎日来てくれて。最後の病名がMDS、異形成骨髄性白血病だったんです。それを彼に伝えて、もうおそらく駄目だろうって、分かってたので。

初めてかもしれないね、夫婦で息子のことを真剣に話したのは。うん。
私は、息子が亡くなることは、ほとんど誰にも言ってなかったので、彼に伝えて、「この子を死なせたくない……私はこの子がいなかったら生きていけないから、死なせたくないから助けて」って言ったら、彼は…「逝くか逝かないかを決めるのは、息子自身が決めるんだ」って…だから、それを見守るしかないって言ったんですよね…。

それから毎日、病院に来てくれて、一応、最後の瞬間も連絡はするっていうふうに決めてたので、来る来ないは彼が決める。
で、連絡をしたら来てくれて…そして、最後に抱いてもらってね……。

亡くなったときも、真ん中に息子がベッドで寝てて、両端に彼と私がいたんですけど、ぼろぼろ男泣きに泣きながらですね…「苦労を掛けてすまなかった」って、私と息子におわびの言葉を言ったんですけど…私は、彼にね、謝らないでほしいって。

決して私は、2人で生きてきたことが不幸ではなかったので、夫婦としては縁がなかったけれども、父親としての、できる限りのことはしてもらったと思うので、謝らなくていいって……。

私が最後にできる(のは)、この子に、母として父親に会わせるっていうんですかね。
会いたいと思っても言えないからですね、息子は。
彼に覚えててほしかったんですよね。
あなたの子どもはこれだけ一生懸命生きて、頑張ってるよって。

彼に記憶としてとどめてほしかった。だからもう感謝しかないですね、彼にはね。