月別アーカイブ: 2023年3月

医療的ケア児の家族の語り

出産事故で怖い思いをしたにもかかわらず、翌日にきょうだいはたくさん欲しいと夫婦で話し合った

息子を産んだときに、(出産)事故でこういうふうになってしまって、すごく怖い思いをしたので、また次にって普通は思えないのかもしれないんですけど。
私たちは何か自分たちでも不思議なぐらい、産んだ、その怖い経験をした翌日に、きょうだいをいっぱいつくろうねっていう、夫婦でそういう約束をしたんですね。

もともといっぱい欲しかったですけど、よりその気持ちが強くなった。
で、それは、息子を見てくれるきょうだいをつくりたいとかではなくて、何だろう、こう、わちゃわちゃしたい。
家族でわちゃわちゃしたいっていう気持ちが大きくて、きょうだいいっぱい、家族いっぱい増やそうねっていう形で。

なので、きょうだいの下の子たちには、お兄ちゃんを将来面倒見てねとかは言いたくない。
だけど、子どもたちが自然と、あ、おにいちゃん、私たちでみるよって言ってくれればそれはそれでありがたいですけど、それをきょうだいに押し付けようとかっていうのは思ってはいない。
ただ、仲のいいきょうだいになってくれたらいいなっていうのは、すごく思っています。

でも、多分思春期とか、それぞれの年齢で抱えてくる問題っていうのはあるので、そこに向き合っていく大変さはきっとあるだろうなっていう覚悟はしてる。
そのためには、どっちのきょうだいもいっぱい、愛情注いでいくのがいいんじゃないかなって思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

次男は兄とその友人たちがゲームをしている姿をみて楽しんでいて、その空間が親としても嬉しかった(音声のみ)

上の子の同級生たちに家まで遊びに来てもらって、そこに下の子もいる形で遊んでいたので、割と同級生の子たちは下の子のこともちっちゃいときからよく知っててですね。

(次男は)このお兄ちゃんと友達が自分の周りで遊んでるのが好きなんですよ。
友達たちが遊びに来てくれるのが好きで、友達とゲームしてるのを見てるのが楽しいみたいですね。

そういう形でちっちゃい頃から過ごしてきてたので、割とお兄ちゃんの友達たちは、来るたびに下の子にもあいさつしてくれますし、そこに一緒にいる空間つくってくれてる感じですねえ。

それに対して上の子が特別に何かをしてることはないかもしれないですけど、一緒に遊んでる感じになってます。
中学校になってから、そういう機会が減っちゃったんですけどね。
まあ、コロナっていうのもあったんで、そこはちょっと残念なんですけど。

医療的ケア児の家族の語り

お姉ちゃんが妹と遊んでいる姿をみて、私は障害児を育てているのでなく育児をしていると思えた

一番やっぱりお姉ちゃんがすごく力になってくれました。
子どもの素直さみたいなところがあって、私自身が身構えてても、純粋にお姉ちゃんの目には障害のある妹ではなくて、ただの自分の妹だったので、一生懸命、歌を歌ってくれたりとか、おもちゃで遊んでくれたりとか。

それを見た時に…当時(次女の)反応があまりなく、大きな音にびっくりしないし、まぶしさに目を細めたりもしないから、耳が聞こえてるのかも、目が見えないのかも分からなくて。
でも、そういうのって関係ないんだなーって。

私は私の娘として、お姉ちゃんと同じように育ててあげればいいんだと思えました。
寝てる下の子の横でお姉ちゃんが高く積み木を積み上げて、それをガシャンと崩してあげたりとか、こういうのも刺激になるし、そういうふうにしていこうって、娘に対する、何て言うんですかね、向き合い方ができたところが、それだったのかなーと思って。

それからは反応があってもなくてもどっちでもいいので、絵本を読んであげる、手遊びをしてあげる、散歩に連れてってあげる。
普通の子っていう言い方もおかしいんですけど、私は障害児を育ててるんじゃなくって、子どもを育ててるんだっていう意識を持って、娘と向き合うようになって。

そうすると、ケアの一つ一つも、育児の一つになって、しんどいと思ってたことも、割と生活の一部でやっていけるようになって。
私がそういうふうに向き合えばお姉ちゃんも向き合ってくれるし、周りの人も同じように向き合ってくれるので。

あと一番お姉ちゃんに我慢させたくなくって。
妹がこうだからきょうは遊びに行けないよ、これはできないよ、それはやらないでっていうのを絶対にしたくなかったので、なるべくお姉ちゃんの希望をかなえるために、それこそ真冬の公園にお姉ちゃんが行きたいと言えば、(妹を)毛布にくるめて吸引器持って行ったりもしてましたし。

それがいいか悪いか分からないけれども、やっぱり娘の刺激になったし、上の子の経験にもなったし、今のうちの基本になってると思います。

医療的ケア児の家族の語り

長男が中学生になったころ、弟を学校に連れてきてほしくないと言ったことがある。その気持ちは親としても理解できた

――今お兄ちゃんはどんなふうに弟さんに接してますか。もうだいぶ大きいですね。

(長男は)もう大きいから、いろいろ手伝ってはくれますけど、それでも中学校に上がったときに、またガラッと環境が変わるじゃないですか。
小学校の友だちはみんな(弟のことを)知ってるし、かわいがってくれるけど、中学校はもちろん違う小学校からも来るから、弟の存在知らない子もいるので、「連れてきてほしくない」って言ったことがあって。

なんか隠すようなときがあったときに、ずっとお世話になってる主治医の先生に、そんなこと言うんですって相談したら、「お兄ちゃんには、お兄ちゃんの子ども(同士)の世界があるから、必ず、また大丈夫になる時期があるから、そういうときは決して無理して行かないで」って言われて。

今はそうしてよかったと思います。
だから、お兄ちゃんが嫌だったときは連れていかない時期もありました。

――大丈夫になる時期が来たのはいつですか。

いつだろう。高校生?
でも、もう(お兄ちゃんの学校に)行くことがなくなっちゃったんですよね。
だけど、そのときにお兄ちゃんが、連れてこないでほしいって言いつつ、「こんなこと言ってごめん」って言ったのが、逆に、ちょっと切ない。

なんだろう、そんな思いをさせちゃったお兄ちゃんに対して。
でも、そうだよなと思って。
自分にはきょうだいいなかったけど、やっぱり他人と違う姿とかしてると、みんなが見ますよね。
それって、変な意味合いで見てるわけじゃなくっても、やっぱ傷ついたりもするじゃない。
特に思春期の頃って。

例えば、「誰あれ?誰の弟?」っていう会話が聞こえただけで、別に悪口じゃないのに、なんか傷ついたりするじゃないですか。
そういうのって、お兄ちゃんの立場になって想像したときに、無理に連れて行くときじゃないなって思って、授業参観とかは必ず預けて行ってました。

医療的ケア児の家族の語り

食事中、娘の行動で注目を浴びて恥ずかしかったようで、息子が「もう一緒に食べたくない」と言った。ついにこの時が来たと思った

旅先で、朝ご飯は大きい会場で、家族単位で食べることありますよね。
その時に、娘を部屋に1人にするわけにもいかないので、一緒に連れていくんですけど、(娘が)もう拒否で。
そこにいる時に奇怪な声とか、奇怪な行動とか、ガシャンガシャンって音もすごくて。

そういうのが起こると、やっぱり他の人たちからの目線があるじゃないですか。
私たちは親だから、まだどういうふうでも受けていられるし、「これ、何々だよ」とか言って、「駄目だよ」とかね、「これ、こんなことしてもいいよ」とか。

いつもはさせないんですけど、「携帯使っていいよ」とか。
落ち着く方法をいっぱい、「絵描こか」とか、とんでもない会話とかいろいろして、興味を持たせて。
取りあえずこの食事をね、食べさしていただこうかなって思うんですけれど、それでも聞かん時とかっていうのは、ほんとに大変で。

そこでちょっと恥ずかしい思いして、弟がですね。
「もう俺は、一緒に食べたくない。おいしそうなご飯も、こんなのはもう嫌だ。」

もうここから、あれしたいとかの、そういうようなところがありまして。
ああ、来たか…この、何て言う、この感情を持つ時が来てしまったなっていうのはあります。これが実は最近で、それまでは結構うまくいってたので。

娘が食べない分、いっぱい食べられるしっていう意味で、ちょっと前は良かったのに、今は同席する恥ずかしさっていうのが出てきまして。
そこは今、この子の課題かなって思っていますね。
どうしようかな。

お姉ちゃんを理解させるのは難しいけれど、そこを何とかしてあげたいな。
外食の楽しさとかいう。
なるべく個室っていうふうにはしてるんですけれど。

医療的ケア児の家族の語り

ケアの負担から次男に冷たく当たってしまったとき、長男も自分と同じように接するのを見て反省し、2人をかわいがって育てることに決めた

きょうだい児は、本当にいっぱい問題があって。
なかなかね、医療的ケアのある子どもばっかりに目がいくので、きょうだいの子がね、つらい思いしてると思います。

そんな中で、「何でこんなに仲いいの」ってよく言ってもらえるんですけど、昔、(次男が)退院してすぐのときに、医療的ケアがたくさんあり過ぎて、私がもう本当にパニックになってしまって。
本当につらくて、子どもに冷たく当たってしまったときに、長男のほうも弟に冷たく当たることが多くて。

私の姿を見て同じことをしているんだなっていうのを思って。
それで考え直して、私が本当に2人とも、かわいがってる姿を見せることが、「僕はこんなに愛されているんだ」っていうのが分かって、長男も弟を愛するっていうか、うん。
まあ、そうですね(笑)。

かわいがっている姿をお兄ちゃんがちゃんと見てることで、お兄ちゃんも弟をかわいがれるというか…。
本当に仲良く2人ともしてくれてるので、助かってます。

医療的ケア児の家族の語り

兄達が小学校の友達に「俺の弟かわいいだろ」と紹介していて、これでいいんだと自己肯定感が高まった

4年生のときに、小学校に連れて行ったんですね。
兄が2人いるんですけど、兄の1人目がですね、校門まで迎えに来てくれて「お母さん、こっちだよ」って言って。

で、休み時間みんな遊んでる中で、兄のお友達がみんな「あ、これ」うちの息子の名前を呼んで「弟でしょ」って。
「そうだよ、俺の弟だよ。かわいいだろ」っていうふうに(笑)兄が紹介してくれてですね。

私もどういう反応するかなっていうのが、正直怖かったところがあったんですけれど、兄が「かわいいだろ」って、自分の弟を紹介したときに、なんて私は恥ずかしかったんだと、もう大変反省しましてですね。

そうしたら周りの子たちも「かわいい、かわいい」って言ってくれて。
「何これ?」「これ呼吸器だよ」「何これ?」「サチュレーションだよ」っていう(笑)。
「サチュレーションモニターだ、触んなよ」って言いながら、兄が説明してるんですね。

管もいっぱい付いてますから「これ、どうしたの」「うちの弟は呼吸できないんだよ。おまえ触んなよ」(笑)と言って、兄が一生懸命バギーを押しながら、小学校の中に入れてくれたのを今も覚えてるんですけど、もう大変ありがたかったですね。
そこで、この子連れていいんだって、私も自己肯定感が育まれてですね。

それからはもう、積極的に連れては行くんですけど、やはり子どもよりも大人の方のほうが、受け入れられる受け入れられないが、表情ですぐ分かりますので、難しさを感じるのは大人のほうですね。

医療的ケア児の家族の語り

お兄ちゃんの保育園に送迎する際、誰も頼れず、携帯で呼吸や吸引の様子をモニターしながらケアの必要な子を留守番させた

お兄ちゃんを保育園に送るのに、さあ、この子どうするっていう問題も実はあって。
ちょうど、学校の送り迎えしてくれたりとか、母親が帰ってくるまで子どもと一緒に、お留守番してくれるみたいな、制度が行政の中にもでき始めていて、何サポートだったっけ。(「ファミリーサポート」の事)

――その、子どもを見てくれる?

はい。(サポーター)が、幼稚園、保育園、小学校のお迎えも行くし、そのまま家で預かることもできて、先輩ママたちがそういうお手伝いをしてくれるっていう。
料金もちろん発生するんですけど、そのとき1時間700円だったと思うんですよね。
それを使って、お兄ちゃんの送迎をしてもらおうかなと思ったんですよ。

でも毎日あるので、毎日その金額かあと思って、1カ月で換算するともう何万円ってなっちゃうので。
プラス、チャイルドシートを毎回取り付け直すんですよ。
来てくれた方の車に付けるっていうんで。

ちょっと現実的じゃないかなーと思って、もう何とかするしかないみたいな感じで、最初はお兄ちゃんとこの子を一緒に車に乗せていました。
でも、吸引しないと溺れちゃうし、シートを倒してうつ伏せにして、ダラダラこうよだれを垂らしてもいいようにバスタオルを敷いて、その子を押さえながら運転をするみたいな。

お兄ちゃんは後ろに乗っててもらって、「様子見ててね」みたいな感じで、園まで送っていたんですけど、ゴホゴホって言うと、路肩に車を止めて、すぐ吸引してっていう。
もうなんか、短距離だけど気が気じゃない時間がすごくあって、これよくないと思いながら。

その後は携帯電話で自宅に電話をかけて、自宅の子機を子どもの横に置いて、携帯電話で、息してるかどうかとか、吸引の音が聞こえるかどうかを聞きながら運転して、お兄ちゃんを園に送迎していました。
天気がいいときはバギーに子ども乗せて、お兄ちゃんと歩いて1時間ぐらいかかったかなあ、片道で。
そんなことをしたりしながら、何とかかんとか卒園まで行くっていう感じでした。

医療的ケア児の家族の語り

次男の急変時にきょうだい2人は預け先もなく、病院のベンチに置き去りになり騒ぎになったこともある(音声のみ)

きょうだいが急なけがをして、学校から「病院にすぐ連れてったほうがいいと思いますので、お母さん迎えに来てください」と連絡があっても、次男を置いて迎えに行くことができないんです。
夫も仕事ですぐに行けないことがあると、ほんとにそういう時困って。

学校には元々、事情はちゃんと言ってはあるんですけれども、急きょ訪問看護師さんに都合をつけてもらって、看護師さんが(家に)到着するのを待って、きょうだいの学校に急いで向かうこともありました。

長女が熱性けいれんを起こして顔色が悪くなり、次男の酸素を測る機械を付けてみたら、かなり値が低くて慌てて救急車を呼んでしまったんですけれども、救急隊員は運ぶのは次男だと思っていて。
「いえいえ、そっちじゃなくてこっちなんです」って長女のことを言ったら、「お母さん。この状況でこの子を置いて、娘さんを搬送はできないから」って言って、救急隊員が帰ったこともありました。

夫が仕事で毎日毎日忙しくて、遅くて、なかなか私を手伝うことがないんですけれども、そんなときに次男の調子が悪くなって…。
救急外来に、お兄ちゃんも連れて、妹も連れて行ったこともありますけど、救急外来に次男は入れても、次男と私しか入れないので、きょうだいたちは病棟外のエレベーターに待たせておいて。

結局入院になり、入院の手続きなどを私がいろいろやってるうちに、病棟外のエレベーター前のベンチで寝てる子がいるって話になって。
病院で誰だっていう、しかも夜中の0時頃なんですけれども、そうやって、きょうだいをそこに置き去りにせざるを得ない状況って言うんですかね。

見てくれる人がそばにいないと、次男から私が離れられないので、きょうだいはそこのベンチでいつの間にか寝てしまって、夜中の0時、1時に、看護師さんたちがちょっと騒ぎ出すっていうこともありました。
ほんとに生活の中での不自由さっていうのは、今でもやっぱり感じます。

医療的ケア児の家族の語り

障害児を抱えた生活では少しの外出にも準備がいる。PTAの役を断るために自分の状況を説明するのは気が重い(音声のみ)

障害児を抱えた生活って、不自由さをすごく伴っているというか、やはり外出がすぐにできない。
この子を、連れていけばいいんですけど、吸引があまりにも頻回過ぎて、外出先でもしょっちゅう吸引してるんですね。

そうすると、なかなか外出って難しくって。
きょうだいの行事だったり、習い事の付き添いなどは、よそのお宅みたいには、うまくいかないというか。
次男を見てくれる人を決めてからしか、私も出掛けられないので、きょうだいの学校のPTAとか、すごく困りました。

みんな仕事をしていても、どんなことがあっても、皆さんPTAってやりなさいっていう雰囲気があって…。
(PTAの役が)ポイント制で何点までになってない人は次は役をやってくださいとか、そういうことがあったりするんですけど、どこまで次男の存在をどこまで知らせるべきなのかとか。

下手したら教室の中で「実はうちはこういう子がいて」と、みんなの前で言わされるような状況に陥ったりとか。
みんなみたいに、やってあげたいんだけどできない事情があるんだよって、そこを理解してもらうところは、結構難しい。

同じ屋根の下に暮らしてないと、想像もつかないと思うんですよね。
どういう状況の子を抱えていて、どういうことを毎日やっていて、どんなところに生活の不自由さを感じているかとか。
現場を、この生活を見てくれている人にしか多分、理解できないだろうなって私自身が思ってしまうので。

きょうだいのお友達の保護者や、自分の古いお友達とか、そういう人にどう自分の状況を理解してもらうのか、なかなか壁があると言ったところで。
ちょっと分かんないだろうなって、こっちも思ってしまって、逆に言えば自分から壁をつくってしまうところもありますね。