月別アーカイブ: 2023年3月

医療的ケア児の家族の語り

重症心身障害児となるかもと聞き、重い気持ちで参加した妹の結婚式で父が子どものがんばりを親戚に伝えてくれて皆から励まされた

ちょうどね、私が退院した翌日ぐらいに妹の結婚式があったんですね。
私はもうはっきりいって、妹が結婚するからうれしい一方で、子どもが重症心身障害児になるかもしれない(状況の中)、素直にうれしい状態じゃなかったんですね。

隠し通したいぐらいだったから、きっと結婚式に行ったらみんなから赤ちゃんどうしたのって親族に聞かれまくるのが嫌で、いっそのこと欠席したいって思ったんですけれど、まあ、行きました。

そうしたら、父親があろうことかその親族控室で、私とその息子の様子をしゃべってんですよ。
それで助かったんだよって言いかたをして。

なんかもう父方、母方の親族たちがみんな感動してるさまをみて、結婚式の主役は妹なんだけど、その妹そっちのけでうちの息子が助かったことを喜んでくれてるの見て。

私は、一族にこんな子どもを授かってどういうつもりだとかね、お叱りを受けたり、すごいバッシングされること覚悟してたのに、全く違う方向だったんですね。

だから、あのとき父親が堂々と言ってくれたことは感謝してますし、自分では言う自信はありませんでしたね。
隠し通したい気持ちでしたから。

だから、いまだに父方のおじたちともメールして、「うちの子、誕生日迎えましたよ」とかって写真送ると、もうすごい温かいメッセージがすぐ届いて。

やっぱり親族、家族からは障害が重くても見捨てられてない、一緒に伴走してもらってる感じはありますね。

医療的ケア児の家族の語り

娘が成長し力が強くなり、高齢の祖父母にお願いしづらくなった。自分の親きょうだいも助けてくれたが、吸引は任せられなかった

主人のお父さんお母さんの年齢がもう80すぎてるんですね。
そのお母さんたちとかに何かってお願いする時に、娘が暴れたりとか、娘の特性とか、一緒に住んでいないと分かり得ないところなんですけれど。

逆に何かして、おじいちゃんおばあちゃんたちにけがさせるほうが、そっちのほうがもっと危ないっていうところだったので、今はお願いはしていません。

小さい頃に一緒に訪れたりとか、そういうところで一緒に遊んでもらったりとかっていうことはあるんですけれど、普段一緒に生活していないので、遊び方とかも分からないし、やっぱり理解が難しい。

「大変なんだね」っていうふうには言われるんですけれど、(自分たちが)一緒にいてたら(祖父母も)一緒に過ごせますって感じですね。
お任せっ放しにできるというのは、まあ2~3時間ぐらいですね。

過去に数回ぐらいは2~3時間ぐらいを(お願いすること)はありました。
主人のほうのお母様には。

注入もしてもらおうと思ってたんですけれど、やっぱりご高齢っていうところもあって、不安なところがあるので、なるべくないような感じで。

1回ぐらい(注入の回数を)抜いたところで、死ぬほどのことではない成長になってるのでっていう、そういう気持ちを持って今は生活してます。

私のほうの実家っていうのも遠いので、なかなかっていうところはありますね。
なので私がほんとに風邪で倒れた時とかですよね。

その時は私の看病しには来てくれましたけれど、娘のことにおいてはもう「あと2時間で注入するから起こして」とか言って、死ぬ気になって私が注入するとかそういう感じで使ってはいました。

私の代わりに家族のご飯を作ってくれるとか支援とかっていうのを、私の親はお願いしやすいなっていうふうに思いますね。

それでその、時間的にあれ(前後する)なんですけど、私の娘が生まれた時にものすごく大変だったんですよね。
片道、車で50分かかる病院にいたんですよ。

そこにピストンでお弁当を運んでくれたりとか、(子どもが)ものすごく吐くので服もすごく汚れるんです、ミルクで。
それの洗濯とか。

で、また新しいのとか私の服も病院ではもちろん洗濯できないので。
なので、その辺のこととかも全部やってくれたのが、うちの姉と実家です。
もう嫌なことも全部ですね。

おかげさまで、理解はものすごくしてくれてまして。
かといって、注入だけはちょっと任せられなかったです。
で、いまだに注入ができるのは私と主人だけです、家族の中で。

そんな難しいことはないのでいいかなとも思ってはいたのが、他の先生から言われたのは私が人を信じなさ過ぎて人に任せられてないって言われました。

「あ、あるな」って思いました。
私がこう、3時間おきにするとか3秒に1滴やったら吐かないんですよね。で
も何かアバウトな人って、2秒に1滴とかにするんですよね。

で、ゴボゴボッて吐くんですよ。
で、ゴボゴボッて吐いたところで、その処理をするの私じゃんとか思ったりとかすると、そうすると、私がやったほうが絶対確実にできるのよねとか。

私がやったほうが絶対うまくいくのよ、回るのよっていうところとか。
私が抱っこしたほうが泣きやむのと一緒なんですけれど、他の人に渡すぐらいだったら、私がやったほうが、早くてうまくいくっていうのとかで。

あと何だろう、不満にならないっていうふうがあって、誰にも任せなかったところがありました。
それが一つ、失敗だったかもしれないっていうのはあります。

医療的ケア児の家族の語り

まとまった期間で帰省し実家にケアをお願いする。祖父一人で看ていたらカニューレが抜けたが、見よう見まねで切り抜けてくれた

私が(婦人科系の手術で)入院すると決まったときに、(夫に)「私、入院するけど、どうする? 子ども」って聞いたら、「一緒に入院できひんの?」って言われたんです(笑)。

で、今はもう笑って話せる私のあれ(気持ち)なんですけど、昔だったら泣いてましたけど。

あ、やっぱりこういう人かってなるんです、今は。
無理に決まってるやんってなって。
まあ(夫も)仕事もあるしってなったから、私の母親に来てもらいました。

――実家のお父さん、お母さん。お子さんにとってはおじいちゃん、おばあちゃんとの関係とか、距離とか、協力体制っていうのも教えてください。

実家の母親も、おじいちゃん、おばあちゃんも積極的に吸引もやってくれるし、教えてたら注入とかもします。

一回まだ子どもが2歳か3歳ぐらいで実家に帰ってたときに、私が妹とちょっと出掛けたんです、車で15分くらいのところに。

そしたら、子どもがピッて引っ張ったときにカニューレが抜けて。
おじいちゃんが1人で見ていたから、慌てて電話かかってきて。
「お前、抜けたんやけど」って。

「どうするんや、救急車呼ぶんか」ってなって(笑)。
で、「待って、すぐゼリー塗って入れてみて」とか言って。

それで、家に急いで帰ったら結局おじいちゃんは私が入れてるところを見てたから、家帰ったら、ちゃんと入ってたんです。
でもそれ以来、絶対連れていけとは言われます、出掛けるときは(笑)。

――今ご実家のサポートは長期で2カ月とか、今までもあった。

(長期で帰省するのは)ちっちゃいときだけですね。
小学校行く前までだけですね。
今は夏休みと冬休みだけ帰る感じです。

医療的ケア児の家族の語り

私の母は孫のケア、日常の家事も含め一番の応援団だ。祖母として常に愛情深く接してくれ私たち親子にとって心のよりどころだ

母は一番(娘)のことを大事に思ってくれてて、私のことも大事にっていうか多分、私を一番に大事に思ってくれてると思うんですけど、一番の応援団ですねえ。

やっぱりいてくれて安心感があるし、もう今、年も86になっているので、介護部隊としてはなかなか役割は担えないんですけれどもその愛情深さというか、それが心のよりどころになっていると思います。

実際、家事の中でも担当してもらえることが多々あるので、私としては非常に助かってますね。

もう一つ、仕事についても役割を担ってくれているのでなくてはならない存在ですね。
だけど、いつまで続くかなあって言ってます。
私が死んだ後あんたたち2人がどうなるんだと、いつも心配ばっかり言ってます。

母がいなくなったらすごく火の消えたようになるかも分からないけれども、だけどそれは順番に行くことなので、それはそれでそのときになったらそのときの絵を描いて、娘と私だけになってもまあ、世の中ほっとかないよねっていうぐらいの気持ちでいます。

いろんな人とそのときに寂しくないようにつながっていけたらいいかなみたいに思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

重症心身障害児を一人で看る困難を思い、悩んだが、最終的に離婚し気持ちが軽くなった。元夫と息子の面会交流も続いている

シングルに(なったことに)対してですね。
私は最初結婚生活9年で正直、結婚して子ども授かりたいと思ったけど、結婚してすぐ離婚したいって思っちゃうくらい、その夫との関係が厳しい状態で。

わが子を出産したらもうシングルになろうかなってちょっとよぎるときもあったんですけど、それは健常児、またはただのダウン症児だったらシングルでやれんのかなと思ったけど、まさかの重症心身障害児で医療的ケアも必要だから、あ、これは無理だわと思って。

夫もNICU毎日通ってくれたし、職場からね。
それで息子に愛情いっぱいに関わってくれて。

それでもちょっともう耐えられなくなったときに、でも医療的ケア児と重症心身障害児は人の手があって初めてね、在宅が成り立つくらいですから、無理だって思っちゃったんですけれど。

ただ、本当に私自身が我慢してて、自分の力が発揮できない状況が続くんだったら、やってみようって。
それも、周りの人がそういうチャンスをくれたっていいますかね。

それで、実際やってみたら、自分の足で立って生活するってことがすごい心地のいいものだって思いました。
誰のお伺いも立てずに自分の責任で両足で立って。

だから貧乏だって問題なくて、むしろその精神の自由を勝ち得たことがとても大きかったですね。
私が夫婦生活のことで悩んで療育センターのケースワーカーに相談に乗ってもらってたときも、「あなた、本当離婚してからすごいよくなったわ」とかね、お褒めの言葉いただいて。

――ありがとうございます。離婚されたのは、お幾つのときですか。

はい、3歳になったときですね。
ちょうど障害児保育園に内定を決まったときでした、はい。

――それ以降は、お父さんとは、関わりというのは何か続いているんでしょうか。

はい。
やはり元夫が息子が大変なときに支えてくれたっていうご恩はすごいありますので、面会交流を私が立ち会わない形で、第三者を介して交流するってことを続けています。

ただ、今コロナで会えない状態で、本当に息子もパパが大好きなので息子にとっても元夫に対しても会わせられないのは本当心苦しいなと思います。

医療的ケア児の家族の語り

夫婦の負担の差に不満もあるが、日本の社会構造の問題だと思う。夫も社会も少しずつ変わり、今は任せられることも多くなった

私が思うのは、(夫の存在は)バランスですね。
非常にバランスを取ってくれてるんだと思います。
ほぼ私と正反対な(笑)感じがするぐらいなんですよね、いろんなところにおいて。

子どもに対する思いとか根っこの部分は同じなんでしょうけれども、一つの出来事に対する取るすべが全く正反対とまでは言わないですけれども(違う)。

だからこそ私はまた違うところを一生懸命探したりするし、夫のそういう態度があったからこそ、今の私があるってすごく思うんですよね。私と同じ考えで理解があったとしたら、もしかしたら家族みんなで一つの手段だけしかやらなかったかもしれないけれども、そうじゃないから。

――うまく(夫婦の)バランスを取ってくれてるっていう中でも、夫婦として不満だったりお子さんに対してのことだったり、家族の役割について、ここは改善してよ、みたいなことは何かありますか。

うん、いっぱいあります。
でもそれって彼の問題だけではないんですね、思えば。
社会における夫婦の問題なんですね、ほとんど。

非常に常識的な人間なので、夫はこう、妻はこうみたいなものを、非常に悪気なくそこも素直に受け取ってきてるんだと思うんですね。
だから、子育ては妻がすると思ってたと思います。

そういうのは最初の、子どもが身体・健康面で落ち着かなかった時期に私にとって、ものすごいダメージになりました。
子育ての域を超えてますからね。
医療的ケアが四六時中必要な子どもと健常な幼子を育てるっていうのは、1人の母親にできることではほぼほぼないぐらいの仕事量です。

そういう中で自分は手伝ってるつもりではいるんでしょうけれども、圧倒的にやっぱり負荷が妻のほうに来てるっていうことに、どうしても気付かなかったり、妻がやるっていうことが当たり前だと思っている。
元々の社会的な概念のほうだと思うんですけど、そういうものを持っている人だと思うので。

今は、だいぶ変わってきてると思います。
もうほぼほぼ私と同じぐらいケアをしてくれるので、まるっと1日バトンタッチして家を空けることも、うちの場合できるんですよね。

そこまで一生懸命歩み寄ってくれてるんだと思うので、私はいろんなことを不満に思ってきましたし、すごく違うんじゃないっていうのあります。
でもよくよく考えると彼がっていうよりかは、この社会が、この日本の国っていうものが持ってる夫婦のスタイルやあり方が、正直先進国の割にはっていうぐらい遅れてるところがあると思うんですね。

医療的ケア児の家族の語り

私は毎日子どものケアなのに、夫は自由に過ごし腹が立った事もある。でも娘の成長を誰より喜べるのは夫婦2人だけという気持ちだ

(夫と)同じ会社だったから想像がつくんですよね。
どんな生活を1人で送ってるかって。
そう思うと、だんだんだんだん憎しみに変わってきたんですよ。

もう多分、仕事終わってからお酒飲んで、わー、とかっていう。
奥さんもいなくて、面倒見ないといけない子どももいなくて。

でも、「俺は今、子どもが大変で気を遣ってるんだよね」というような、いいお父さんぶってるけど、実際してないじゃんみたいな。

この生活をたった1日するだけなのと、ずっとし続けるのとでは大違いなんですけどっていうところで、ものすごく反発心がありまして。

例えばどっかおいしい所でね、食べに行ってたとかっていうのは、まあ、あってもおかしくないんでしょうけど、そこ許せないんですよね。

娘がちょっと状態が悪くて、 例えばね、今日会社の後飲み会なんだとか。
だから帰り遅くなるしとか言って、行くとしますよね。

でも大体そういう時に限ってっていうぐらい、子どもって状態が悪いんですよね。
で、不安になるんです。
どうしようっていうか、何かちょっとおかしいって感じで。

そうする時に、「ねえ、ちょっとほんとに、大変なんだけど。今も吐いたし、ほにゃららだし」とかいってメールすると、
「もうそんなにあれやったら、救急車呼んだら?」とか言われるんですよね。

で、そういうのもすごく腹が立ってて。
何でも救急車呼んだらって、すぐ言うんですよね。
それがすごく嫌や、腹立たしかったりとかしてました。

その会話があったから、どんどんどんどんこう、離れていきました。
だから、私がやらなくちゃって思ったのかもしれません。

――それが何か夫婦間(の関係)が安定したっていうのは、お子さんが順調に大きくなってこられたっていうことが大きいですか。

そうですね、まあそこそこ。
結局は、私が怒ってるっていうところは、まあその、何だろうな。
彼女を理解できるのって、私たちしかいないんですよ。

なので、こんなことができて、「わー、うれしい」って思って喜べる人って、あ、主人しかいないっていう。
そこかな、それだけですかね。

医療的ケア児の家族の語り

三男の退院時に、三男の命ファーストという家の憲法を決めた。家族全員の役割が自然と決まり、家族全体を成長させてくれた

息子が帰ってくるときに家の憲法を決めたんですね。
やはりこの医療的ケアのある息子の命が、一番であると、ということを憲法が決まりましてですね。
そうすると大変シンプルなんですね、考え方が。

彼によって私たちの生き方は180度変わりまして、まず外出ができないとか、そういった医療的ケア児にありがちな状況というのはほんの序の口で、常に息子の命が私の双肩にかかってるというそのプレッシャーですね。

プレッシャーの中で生きていくのに、やはり家族の考えの指針を決めないと、どんどんぶれてしまう気がして、主人と話し合って決めたのがその医療的ケアのある息子ファーストであるということです。

それをお兄ちゃんたちにも話をして、まあ「もちろんそのとおりだ」と兄たちも。
そこで、じゃあ僕はこれをやる、お父さんはこれをやる、お母さんはこれをやる、といった家族のこう役割というのが自然にこうできまして、役割分担が決まる。

決まってから息子のためだという共通の目標があるので、それぞれがそれぞれのことを自動巻きで行動するようになったというのは、われわれをすごく成長させてくれた一つのきっかけかなというふうに、もう感謝しかないですね、あの子に関しては。

医療的ケア児の家族の語り

妻が腎盂炎で入院した。子どもの入院付添ができないため子ども一時退院させ、自分が家で子ども2人の面倒をみた(音声のみ)

――お子さんが生まれて10年ぐらいたつその間、どちらかが病気をしたりとか、なんか入院するほどじゃないけど寝込んだりとか、そういうこともあったんですか。

奥さんのほうは(入院したこと)ありましたね。
ずっと高熱が出て、腎盂腎炎になったんですかね。

それで何年前か忘れましたが、年末だったんですけど、自分も仕事が休めないし原因も分かってないから休みの申請のしようもない、そういう状況で。

検査に行って初めて分かったんですけど、腎盂腎炎になってすぐ入院せないかん。
でもそうなると、子どもはその病院で見るには付き添いが絶対必要だったので、それができない。

だから、子どもを一時的に退院させて奥さんを入院させるっていうふうにしてたんです。
年末に本当は全員そろって退院っていう形をとりたかったんですけど、子どもだけ退院して奥さんだけ年明けは病院で過ごしたっていうんはあります。

――そのときは上の、お姉ちゃんも学校があったりで。

そうです、そうです、はい。

――で、ケアもあって。どういうやりくりだったのか覚えてますか。

そのときはもう(上の子は)冬休みに入ってるので、学校に対してどうこうっていうはなかったです。

それで、その上の子自体もいろいろ手伝ってくれるので、はい。
分からんなりにもこう、動いてくれて。
なんか取ってきてっつったら取ってきてくれてっていう感じなんで、特に困ったことはないです。

医療的ケア児の家族の語り

夫は入院付添いにストレスを強く感じるようなので私が付添いし、夫は家でお姉ちゃんの面倒を見るという夫婦の分担になった

主人は入院の付添いはちょっと俺には無理だと言ってました。
病院のベッドがちっちゃくて、そこに2人で添い寝する感じなので、ちょっと男の人には難しいのかなって。

正直病院の付き添いは、自分の食事をどうするかとか、それこそトイレに行く、お風呂に入るとかって、そういう基本的なことすらままならない状態なので。

ほんとに次女にずーっと付き添うって感じで、かなり精神的なストレスが来るので主人はそれはできないって。
家にいて長女の面倒を見てるほうが、仕事もありますしうまくできるって。

私はその辺は多少融通が利かせられるので、気持ち的にバランスも取れるので、お互いいいほう、自分にとって無理のないほうを取ったという感じで。

主人は病気のことを受け入れるのに多分、私より時間がかかってしまったみたいで、NICUの面会とか入院のときの付き添いとかはあんまりしなかったかなと思います。

家に帰ってくれば全然かわいがってくれるんですけど、やっぱり入院手術になって不安が大きいというか、そこに向き合うのに結構精神的な気持ちが必要なので、そこは主人はなかなか私ほどは向き合えなかったと思います。
まあ、(夫婦で)上手にバランスを取ったという感じだと思います。