月別アーカイブ: 2023年5月

医療的ケア児の家族の語り

2010年頃、短期入所の予約は申し込み方法が施設ごとに異なっていた。自らマネジメントしながら、予約申請するしかなかった

――そういった短期入所の場所っていうのはご自身で探されたりとか、例えば行政の方から紹介を受けたりとか、何かありましたか。

一応、行政の方からも紹介してもらえたり、病院のソーシャルワーカーですとか療育機関の相談員の方に言えば教えてはいただけるんですけれど、ちょっと困ったことに、当時は、療育機関、それぞれの申し込み方法が全部違っていて。

ある所はFAXで、ある所は何月何日の何時何分に電話で、ある所は窓口で行ったときに、次(の予約)っていうかたちで口頭で言うだけでもできる所もあったりとか、そういった形でまちまちだったんですよね。

ですので、スマートフォンにあるリマインド機能を利用して、そのときになったら、療育センターに電話をしようとか、申し込みをしようっていう、どうやって申し込みをするか療育機関ごとに全部一覧を作りました。
そして、その時々に入れるタイミングで入所できる手はずを整えながら(笑)、申し込みをしていましたね。ちょっと面倒くさいシステムでした。

――それを一つ、一つ、その当時はそのやり方で。

そうですね。(決められた)やり方でやらないとできないので。
例えば、高齢者のケアマネジャーだったら、ケアマネジャーにひとこと言えば済む問題が、障害のある子供、特に医療的なケアがあったりすると、利用できる療育機関も限られるし、専門相談員の方に言ってもそういった対応はしていただけない。
なので、全てのコーディネートやマネジメントをするのは家族。
特に、母親に負担が掛かる場合がほとんどなんじゃないかなっていうのが、私の実感ですよね。

団子の串のように全ての機関をくし刺しにして一つ一つマネジメントしていくのは、それぞれの(機関の)役割の機能を理解していないとできないことですので、私もうまくやれていたかどうかは分からないんですけれど、慣れるまでには時間がかかると思います。

医療的ケア児の家族の語り

下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた

息子を身ごもってまして、出産しようと思ったんです。
でも出産をする時に、娘は胃ろうがあるので、娘をどこかに預けないといけない。
娘の胃ろうをやってくれる人がいない、どうしたらいいかっていうところで。
私が入院してる最中ですよね。出産の1週間をどう過ごすかっていうところで。

今の、あれ(育休制度)だったら父さん休んだらっていうところがあったんですけど、うち大黒柱が主人で、その当時、主人の会社は大手の企業だったんですけれど、休めそうな会社ではなかったんですね。
子どもの出産に10日とかお休み取れるような所じゃなかったので。取れないこともないんですけれど、それをしたら、ちょっと立場的に(難しい)とか、そういう懸念があったので、どうしてもそれを決断できなくて。

例えば私が、高熱を出した時に、誰が注入するのっていう感じで。
もうひたすら這いつくばって、「誰かしてくれる人いませんか」とか言って、市の人に掛け合ったりとかしてまして。
「契約してない人には無理なんです」という感じで、もうひたすらつらい思いをしてきたので、出産でいない間どうするとか、突然倒れたりとか、交通事故に遭ったりとか、そういう時どうするんだろうっていう不安があったので、何とか(したい)と思いまして。

そしたら、障害児だけが行ける幼稚園が市にありまして、そこにお世話になることができて。
そこはお泊まりもさしてくれるっていう所だったんですね。
なので、先生たちが胃ろうができるように試験(研修)を受けてくださって。
万全の対策でうちの娘を受け入れてくれたので、障害児が行くっていう幼稚園のほうに、通わせていただくことができました。

取りあえず私としては居場所があるとか、受け入れられた所があるとか、その場がほんとに子どもらしくて楽しい場所だったので、それはすごく良かったなと思っています。

医療的ケア児の家族の語り

娘と離れる時間を作るよう勧められ、日中一時預かりを利用し始めた。自分は新たな趣味を見つけ、娘も友達との時間が楽しそうだ

今、日中一時預かりに月2~3回行ってるんですけれども、それを利用し始めたのはお姉ちゃんのことも大きかったんです。
私も(娘を)ケアをしたい。娘も私のケアを望んでる。
でも、リハビリの先生に「典型的な共依存で駄目」って言われたんです。
「やっぱり外の世界も知らなきゃ駄目」って。

でもやっぱり、娘は寝たきりとはいえ、娘自身の成長も考えていかなければいけないですし、私自身がずーっと元気で全部見れるわけでもないので、徐々に外で誰かのケアを受けてくということも考えなきゃなと思って、日中一時預かりを利用し始めたんです。

医ケアのあるお子さんを持ってるお母さんって、どうしても子どもとずーっと向き合ってしまって、自分のことはおろそかになってしまったり、きょうだい児のことが二の次三の次になってしまったりとなりがちです。
そういうお母さんたちもたくさん見てきて、私自身もそうなんですけど、なかなか仕事に行くのも難しいし。

でも自分自身の人生っていうのも考えて、子どもだけでこれから先終わってしまうのも、それはつらいだろうなっていうふうに思ったので、実はその娘を預けてる月2回、私ウクレレを習っていて。
そのウクレレは最初は娘のために始めたんですね。音楽的な刺激をつくってあげたいなと思って。

最初は(娘も)連れて行ってたんですね。
で、連れて複数の人数でやってるんですけど、そちらも連れてきていいよっていうことだったんで。
でもだんだんだんだん私自身が楽しくなってしまって、結局、娘を預けて、私が1人の時間をつくるっていうふうになっていて、そういう時間が増えて、やっぱりお互いよかったなと思って。

私自身もリフレッシュする時間ができて、ゆっくり自分の時間がつくれて、ゆっくり買い物をしたりとか、ゆっくり家のことをしたりとか。
娘がいると、どうしても吸引をしてケアをしてっていうふうになっちゃうんですけど。

娘自身も、最初は預けられることに不安があったんですけど、行けばお友達もいる、いろんな製作をしたりして楽しみもある、散歩も行く。
で、私には見せない顔っていうのがあって、やっぱり家にいると、どうしても関わりが単調になりがちなんですけど、初めて「(ディズニー)プリンセスのDVDが好きなんですね」っていうふうに言われて、スタッフの方から。

見せたこともなかったですし(笑)、そういう発想が私になかったので、あ、DVDとか好きなんだって。
ましてやプリンセスが好きなんだっていうのを知って、外で自分以外の誰かと関わりがあるっていうことで、私には見えない娘の一面を知ることができたので、すごくよかったなと思っていて。

今は、割と積極的に利用していて、以前は用事があるから預けるっていう感じだったんですけど、今は用事がない日に預けるっていうふうにして、娘の時間、私の時間っていうのをつくるようにしています。

医療的ケア児の家族の語り

吸引できるヘルパーが非常に少ない。レスパイトもただ寝かされているだけなので子どもが楽しめるプログラムがほしい(音声のみ)

ヘルパーさんで吸引できる人っていうのが圧倒的に少ないですね。子どもを見られる人も少ないので、もっとヘルパーさんでも吸引ができるようなシステムを作ってもらいたい。

ヘルパーステーションたくさんあるのに、吸引の免許がないからできませんとかっていう話になって、結局、子どもの吸引できるヘルパーさんの取り合いになるし、全然ほんまにいないんですね。

小児を診れる訪問看護ステーションすごい少ないとは聞いてて、うちはたまたまその病院の紹介で違和感なく来ていただいて、特に疑問を感じたりってこともなく、うまくやってくださってるんですけど。
子どもを診れるステーションが少なくて、慣れてなくてみたいなところも多分、地域的にはたくさんあるだろうから、小児に特化したような、訪問看護ステーションとかも増やしていかないと。
どんどん医療的ケア児は増えてるのにニーズと事業所の数がかみ合ってないっていう現状が、多分あると思います。

レスパイト先もあるにはあるんですけど、1回だけ、レスパイトの登録をするのに、お試し入院みたいな感じで行かないといけなくて、1回入れたんです。
でも元気じゃないですか、レスパイト行くときは。レスパイトは、通常の健康な状態じゃないと入れないので。

(元気なのに)行くと、もう入院っていう形なので、大体ベッド用意されてて、横になって、日中だから(見に)行ってみたら、子どもは元気やけど何もすることがない。ただ横に寝かされてるだけ。

保育士さんもいはるんですけど、もっと動ける、大変なお子さんに付いてたりするから、医ケア児の横に付いて、なんかずっとやってくれるっていうわけでもない。
OT(作業療法士)さんやPT(理学療法士)さんが、リハビリの何十分かだけは来てくれて、一緒に遊んだりとか体動かしたりはしてくれますけど、それ以外は基本寝てるんですね。

まあ、言うたら放置されてるというか、確かに親の休暇にはなりますよね。子どもが手から離れるわけなので。
だけど、子どもから手が離れるけど、離れた先で、ただ横に寝かされてて。

看護師さんも、お忙しいですからね。あやす、遊ぶとかっていう時間もない中でバタバタしてて、ただ、横に寝てるっていう状態を見ると、私はすごい疑問を感じるし、何のためにレスパイト入れたんやろって、私は思ったんです。

保育士さんが2対1で付いて、一緒に遊ぼうよの時間がもっとあったりとか、工夫ができてて保育の時間とか、お歌歌ったりとか、そんなことができたら、もっと本人も楽しいだろうし、違うのやろなと思うんですけど。
全くそんなことなくて、ほんとに病院に入院。横にならされているだけみたいな状態なので、子どもがかわいそうに見えて、なかなか私は預けようっていうふうになれなくて。

医療的ケア児の家族の語り

息子が大きくなってきていずれ自分だけで入浴させるのが難しくなる。子どもの訪問入浴制度を利用したい(音声のみ)

身体的なところは、例えば具体的に言うと、お風呂を入れるっていうのが、もう妻はできなくなって久しいですね。
自分ではもう無理なので、僕は完全にお風呂係なんですけど、それもいずれ僕1人じゃちょっと難しくなるかなっていう。

今のうちに、その後のことを考えようかっていう話を最近してて、ただ、大人の障害のある方や介護で(用意されているような)訪問入浴の制度がきっちりできてるわけじゃないので、そこを今どうしようかっていうところですね。
まあ、そういう意味で、大きくはなってきてて、前とはちょっとケアの仕方が変わってきてるような時期ではありますね。

――制度に関して何か望まれていることってございますか。

それは訪問入浴とかの辺ですかねえ。医ケアの子たちが大人になるまでのブランクの部分ですよね。
親がケアしにくくなってきて、体が大きくなったけど、まだ未成年で、大人の制度が使えないようなところが、今後どんぐらい出てくるんだろうなと思ってるんです。
ちょっと僕も全部を把握してないので、とりあえず今、入浴のことだけなんですけど。他にもいろいろあるんですかねえ。

医療的ケア児の家族の語り

呼吸器をつけていても動ける子が増えているのに、基準での重症の認定は古いままで、将来必要な支援が受けられないのかもと心配だ

時代がすごい進んだと思います。この10年で。
多分医療的ケア児っていうのが、議員さんのおかげで広がってきたっていうのもあるし。
厚生労働省の中で小児科の先生が動いてきたっていうのもあるし。
小児での在宅医療っていう幅が結構広がってきたのが、この10年ですごい増えたと思うんです。

うちの子が退院したときって、本当に訪問看護を探すだけでも大変だった。
NICUから出る子って、どこも受け入れてくれなかったっていうところが、今は、そういうところ専門で見る子どもの訪看さんも多くはなってきてるし。
この10年で、すごい変わってはきてるとは思いますね。

ただ、福祉のランク付けというか、重症認定というか、呼吸器つけてても動いてたら重症にならないっていう判断とか、そういうの(時代の変化への対応)がちょっと遅いのかなって。
判断が、国の基準が追いついてないのかなっていうのは感じられます。

――動けると重症認定がされないから、受けられない制度があるっていうことなんですね。

なんかそう言ってましたね。
まあ多分、今は大丈夫なのか、ランク付けみたいなのが厚生労働省の中にあるみたいで。
呼吸器よりも動けるか、動けないか。肢体(不自由児)か、肢体(不自由児)じゃないかみたいな感じのほうで丸をつけたりするときがあるみたいなんです。

1年前か2年前で、障害者手帳を更新するときに、いつも呼吸器つけてるから1級だったんですけど、呼吸器疾患が。
1回、ちょっと申請遅れますっての(連絡)がきたときに、それ(理由)を主治医の先生に聞いたら、役所のほうから、「歩けるのに呼吸器なんですか」って、「歩けるのに重症なんですか」みたいな感じで聞かれたって言ってたので。

それを往診の先生がここの都道府県の、昔っからの名残でっていうふうには言ってはって。
ただ、そこでもし(障害の)ランクが下がって返ってきてしまうと、それを私が受け止めてしまうと、これから先、こういう子って多くなるから、みんなが困ってしまう。
困ってしまうっていうか、認めてはいけないところになるから、もし等級が下がって返ってきたら、僕に言ってくださいっていうぐらいだったんで、多分まだ、役所の中の判定基準が昔のままなんじゃないんかなっていうのは受け止めましたね。

医療的ケア児の家族の語り

手続きしに行政の窓口に出向くのは負担だ。コロナ禍で対面のやり取りが減っているが、一層のオンライン化を要望する(音声のみ)

いろんな制度があってありがたいんですけど、その制度を使用するのに、手続きがもうそれぞれ必要で、割とその手続きが重いですね、僕らにとっては。

最近、大体、区役所には僕が行くようにしています。前は妻のほうが一手に引き受けてたんですけど、もう大変過ぎるので、僕がちょっと仕事の合間を見て、部分休を取りながら、役所に行ってみたいなことをやってます。
あれをもう少し何とかオンラインでやるとか、何かしら、もう少しやりやすいようにしてくれたらなーとは思いますね。

――大変さっていうのは具体的にどういうところなんでしょうか。

今でこそ、コロナなので、必ずしも必要ないっていうことにだんだんなってるんですけど、前は、役所の現場に行かないといけなかった。
場合によっては下の子を連れて行かなきゃいけないとかっていう、面談みたいな形ですかね。なんか、そういうのがあったので。

最初の制度を申し込むようなときはそれでもいいのかもしれないですけれども、継続の場合はそれ必要なのかなーと思いながら、何かしら継続の場合は書類、またはオンラインのシステム上で済ませられるような何かがあればいいなーとは思いますねえ。

医療的ケア児の家族の語り

子どもが退院してすぐ訪問看護が週2回来てくれ助かった。今は医療的ケア児の人数が増えなかなか利用が難しいと聞いている

(子育てで)すごくつらかったっていうのがないんですね。そう考えてみたら、すごい制度に守られてたんですよ。
例えば、退院してきて間もない頃は、東京都の場合は東部訪問看護、西部訪問看護(注1)っていうので、重症児のお宅に看護婦さんが1週間に1回来てくれる、東京都の制度があって、それで来てくれてたんですね。

それとは別に(市区の)訪問看護ステーション、週1回来てくれてたんで、外に出れなくても週2回は、大人の人がうちに来て、子どものケアをしてくれたんです。
だから話す相手もいたし、私的には程よい時間だった。
(時間が)少ないっちゃ言えば少なかったんだけれども、すごく制度としてはありがたいなって思ってました。
児童発達(支援サービス)のほうに関しても、年中(組)のときに新しく区でできて、週4ないしは週5通えてたので、すごく満足してたんです。

でも今、丸5年たってふたを空けてみたところで、児童発達のほうは子どもの数が増えてるので、週4とか絶対無理なんですよね。
同じところで、年長さんで週2、それ以外は週1しか通えない。

この丸5年、6年違うだけで、こんなに、受け入れる制度っていうのが違ってきてしまうんだなと思ったときに、それはほんとに、その時代時代なんだなと。
今は就学前でも親が働いてれば、医療的ケア児を預かってくれる保育園とかもありますけれども、もしかして私の子どもがちっちゃいときにそれがあったら、私はそれを選択肢として働いてたかもしれないなって。

そんとき働いてたらまた違った形の姿っていうのが、今あったのかもしれないなとかって思うと、ほんとに何て言うのかな。
制度ってほんと5年、6年ぐらい違うだけで全くやっぱり違うなって。

その時代に合ったものを、その時その時でチョイスしてやってかないと、取り残されちゃうし、自分が嫌な思いするんじゃないかなって思って。
だから発想をね、いいほうにいいほうに全部チェンジしてやっていかないといけないなって、すごく思います。

注1)東京都重症心身障害児等在宅療育支援センター東部・西部訪問看護事業部は、東京都からの委託事業として、特別区と多摩地域の訪問看護事業部を行っています。(特別区を東部訪問看護事業部、多摩地域を西部訪問看護事業部が担当)
重症心身障害児等在宅療育支援センター 東部・西部訪問看護事業部

医療的ケア児の家族の語り

身体障害児用車いすの費用補助のため1歳半頃に身体障害者手帳を申請した。抵抗はあったがその後多くの支援サービスを受けられた

手足が動かないっていうことで、1歳半ぐらいになってくると、成長が遅いとは言いながらも、通常のベビーカーにはもう乗れないサイズになってくるんですよね。

成長は確かに遅かったんですけど、もうベビーカーではだんだん難しくて。
で、大きくなってくると、子供が乗るバギーというものがあって、自費で買うと10万円を当時、超えるような高額なもので。

ただ、通常の数万円のベビーカーには、もう乗れるようなサイズではないので、ベビーカーからバギーに替えるためには、やはり手帳を取らなくちゃいけないよねっていうことを検討し始めて。

身体障害者手帳を取ると、子供用のバギーでも行政が(費用を)負担をしてくれるおかげで、私たち利用者は、一部の費用負担で済むので、一応手帳を取得することを決めて1歳半で身体障害者手帳1級(を取得)。
当時、埼玉県に住んでいたので、知的障害を示す手帳を確か就学前に取りましたね。

ただ、東京都に行くと、その手帳は「愛の手帳」となるので、「愛の手帳」というかたちになると1度という障害になります。
ですので、身体障害者手帳1級、「愛の手帳」1度という、状態としては非常に重い障害の状態の診断が下されたおかげで、まあ大変ではあったんですけど、そのおかげで、ヘルパーさんも行政のいろんな支援も受けやすくなったことも事実です。

正直、手帳を取得したときは、ものすごくショックなことだったんですけれど、でもそのおかげでいろんな支援を受けられるようになったので、すぐに受け止められるようになったと思います。

医療的ケア児の家族の語り

様々な補助を受けるため障害者手帳が早く欲しかった。自治体によっては、発達の遅れでは手帳がすぐに交付されないケースもある

身体障害者手帳は何歳のとき取ったっけな。結構4歳ぐらいのとき取ったかな。
別に違和感なく取りました。もう、いわゆる身体障害者なので早く欲しかった。それがあることによって、日常生活用具の補助とかが出るじゃないですか。
だからこれあるといいよっていうか、早く欲しいんだけれども1歳ぐらいまではもらえないんですよね。その成長を見なきゃいけないからっていうので。

2歳とか3歳ぐらいのときかな、結構、早い段階で障害者手帳もらいました。
障害者手帳があることで、補助が出るっていうのは、お風呂用のシャワーチェアだったりとか、座位保持の椅子だったりとか、そういうので購入ができるっていうのはありがたいので、取ることへのわだかまりもなかった。
早い段階でもらいたいっていうのはあったので、ただ役所的には、何歳までは取れないみたいなのがあるみたいなんでね。ま、明らかにもう障害児だから、はい。ありがたいです。