月別アーカイブ: 2023年6月

医療的ケア児の家族の語り

他のお母さんには下の子の病気については話していない。日常生活を病気の話で埋めたくない (テキストのみ)

他のお母さんたちにこの状況を話したくないって、自分から壁をつくっていて。
まずストーマって言いたくなかった。

別に周りを信頼してないわけじゃないんですけど、絶対そういうのってどこからともなく、湧いてくるはずで、できるだけ話したくなかった。
言ってる相手ってほんとに数少ない人たち。
あとはおなかの調子が悪いみたいな感じで、やり過ごしてきました。

上の子も落ち着いてきた今は保育園でも、「下の子の様子どう?」とか聞かれても余裕があるから大丈夫なんですけど、(下の子の入院とか)渦中にあるときは、聞かれたくなかった。
送り迎えのときも誰にも会わないといいなって思ってました。

どこかで言わなきゃって思って伝えたことがある。懇談会のときに、早速「下の子大変だね、どう?」みたいな会話になっちゃうんです。
日常生活を、病気の話で埋めたくない。

中には詮索してくる人がいるんですよね。
「何の病気? どうしちゃったの?」みたいな。
余裕があるときはいいし、言いたいときは言うんですけど、聞かれたくないときもある。

この話題に関しては、自分が(もともとは)何でも話しちゃいたいタイプだから、セーブするのが結構しんどかった。

医療的ケア児の家族の語り

子どもの障害が分かった当時は誰とも話せずにいたが、今は、周囲に知ってほしいと明るく受け答えするように心掛けている

友達との連絡は、出産するまでみんなすごく楽しみにしていてくれたので、友達とは連絡取っていたんですけど、こんなこと(出産事故で子どもに障害が残ったこと)になってしまって、全て連絡を一回絶ちましたね。
SNSもやっていたんですけど、全部、連絡絶とう、っていうか(笑)、連絡できなかったです。

――現在はいかがですか。

現在は、私の気持ちも落ち着いているので、こういう子を育てているっていうのを、うわさで皆聞いているみたいで、最初は知られたくない気持ちは大きかったんですけど、今は知ってほしいっていうほうが大きくなった。

何か聞かれたら、自分からたくさん答えるようにして、声を掛けづらいとは思うんですけど、聞いて、聞いてっていう感じ(笑)。
やっと今そうなれているので、本当につらいときは無理に連絡取らなくて良かったなって思います。

――もっと知ってほしいっていう今の思いへの変化は、どういったところからですか?

本当に自分の子はかわいいっていうのを、心から思えるようになったのが大きいですね。
医療的ケアがある子を育てているお母さんに会う機会があって、本当に子供のこと一生懸命愛してかわいがってっていうお母さんに、たくさん出会って、このままじゃ私も駄目だなって。

町を歩いてても、かわいそうっていう目で見られるのがほとんどで、最初はずっと下を向いて歩いていたんです。
本当に視線が痛くて、見ないで、見ないでって思っていたんです。
そうやって歩くよりも、やっぱり顔を上げてにこにこ歩いてる。

外歩いているとね、小さい子が寄ってきて、ショックだったのは「何で死んでるの」とか言われたりする。
何て返せばいいのか最初は分からなかったんですけど、子供なので不思議に思って、ただ悪気もなく言っていることなので。

私もつらいですけど、そこは明るく返すようにして、こんにちは、とかあいさつして、産まれたときに病気でって、分かりやすく話したり。
この子も、学校行っているよとか。
僕、何歳?、一緒だねとか、何が好き?とか、いろいろ話していくうちに、向こうも私の子供のことも分かろうとしてくれて。

最初は傷つくことを言われるかもしれないけど、真に受けて、気にし過ぎてしまうと、なかなか外に出られなくなるので、何か言われたら、明るく返すのは、心掛けている。

医療的ケア児の家族の語り

息子に障害があることでどう声をかけたらいいか友人たちも悩んだようだ。話してみると子育ての悩みは同じだといわれ嬉しかった

友人に関しては、結構2つに分かれたんです。
息子(の出産)を機に、関係を絶ってしまった友人も実際いるのと、それを機にすごく親身になってくれた友人もいて。

心配して、何でもないような会話を毎日毎日、最初の数カ月送ってくれたり、毎日「祈ってるよ」ってメッセージをくれる友達は、すごいありがたかった。

最初、正直、重い障害を抱えている子どもを持った私に対して、何て声を掛けていいか分からないし、どういうふうに接していいか分からないし、自分は健康な子どもがいて、傷つけてしまうんじゃないかって、…距離を置いてしまった(という友人がいる)けど、違う友人が声を掛けて会いに来てくれたんですね。

そのときに、あ、普通にしてればいいんだって。
持ってるものは違うけど、結局悩んでることは、子どもの教育のことだったり、主治医のことだったり、抱えている悩みとかストレスっていうのは同じだって気付いたから、「普通にすればいいんだって分かった。ごめんね」って言ってくれた友達がいて、すごいそれは救われた。

私はどちらかというとうちを知ってほしい。
息子を見てほしいって考えでいるので、友達が会いにきてくれるときには、子どもを連れてきてっていうふうにお願いするんですけど、正直に言われたのは、「うちの子どもたちが傷つけることを言っちゃうかもしれないけど、大丈夫?」って聞かれたことがあって。

「子どもは素直だから、別に傷つける意図はないし、子どもたちは学んで経験していくから、それが大事だと思うから連れてきて」って言うようにしてる。

正直に言ってくれる友達と、ちょっと怖いのか離れていく友達と、2つに分かれて、こちらも無理せず離れていった友達は追いかけずに、それを機に心がより深まった友達は呼んでます。

医療的ケア児の家族の語り

将来、障害のある次女も地域で自立して暮らせる在宅環境を願っているが、田舎で事業者や病院がなく、民生委員との連携もなく不安だ

特に話したことはないんですけど、長女に対しては、妹の面倒を見ないといけないとか、そういう環境では育ってほしくないっていう思いがあります。

次女には次女の生活の仕方が、どんどんこれから開けていくから、(長女には)次女を見ないといけないとかいうので、何か諦めたりとか、そういうのはしてほしくないと思ってます。

今回、(次女が)入院してて退院時に、先生のほうからたくさん医療的ケアがあるから、在宅で見るのは難しいんじゃないかと言われて、入所をすごく勧められたんです。
でも私の中では、入所っていう気持ちは一つもなくて、今まで、ショートステイとかも一度も利用したこともなくて、ずっと家で見てきたから。

旦那に対して私の気持ちは言わずに「パパはどう思ってる? 先生にほうやって言われたけど」って聞いたときに、「俺は全然、入所を望んでない」って言ったのでそこで、あ、同じ気持ちなんやーと思ってホッとしたのはあります。

病気があるとか疾患があるとか関係なく、育児としてるので、別に特別なことと思ってなくて、長女も一緒に家で過ごしてるように、次女も過ごすのが当たり前という環境に思ってます。

(同じ)地域ではないですけど、県内の方で、障害がありながらも、在宅で1人で暮らしている人がいるっていうことがすごく将来、次女もそうなってほしいっていう願いに結び付いるのもありますね。

いろいろ制度があるんですけど、この県内(でも)、田舎過ぎて、それを利用するほどの事業所なり、病院なりが整っていないっていうのが、がっかりっていうのと。
毎年、災害時に(向けて)いろいろ書類を出すんですけど、民生委員さんとかの助けを必要とするみたい感じで、毎年毎年(書類を)書いてるんです。
でもその民生委員さんに一度も会ったことがないというのが、(課題として)大きいですね。

医療的ケア児の家族の語り

田舎でバスの本数も少ない。将来息子が大人になったときに公共交通機関を使って自力で移動できるよう、定期的に経験させている

ここはバスは1日に10本も多分ないです。
朝の時間、夕方の時間は本数は多少増えると思うんですけれど、昼間だと何時間に1本、夜の最終便は、「え、こんな時間に終わっちゃうの?」っていうのが最後という状況なので、公共交通機関で動けないっていうのは大きくて。

ただ、息子に経験としては、やっぱり公共交通機関が使えないと、例えばここで生きていくために、私が高齢になって動けなくなったときに、タクシーしか手段がなくなってしまうのはいかがなものかという思いもあるので。
本数は少ないんですけれど、路線バスに乗ったり電車に乗ったりっていう経験はさせたいと思って。
まあ、時間を合わせてにはなるんですけど、なるべく定期的に外出の練習のような形では挟んでます。

ただ実際問題として、1日に10本あるかないかのバスの中で、スロープ車が1日に1本、2本、行き帰りで1回ずつ、逃したらもうないっていうような、そういう環境っていうのは…。
やっぱり都会に住んでたらもっと、電車だって1本乗り過ごしても次がすぐホームに入ってくるっていうのは、魅力だなとは思いながら過ごしてます。

その辺の自立(について)、子どものときには、親が付いていることが、障害や病気にかかわらずあると思うので、それはそんなに大きく感じてはいないんです。
でも成人になるとか、大人になって、ほんとに親のサポートがなくなるときに、地域で生きていくことを考えると。
その辺の交通機関が使えないと、やっぱり田舎では難しい面っていうのがいろいろ出てくるのかなというのは、今ちょっと課題ではありますね。

医療的ケア児の家族の語り

娘が成人して社会人としてどう生きていくかを考えた。最初に行ったのは選挙だ。コミュニケーション機器で投票を完了したときは感無量だった

成人式に行って、他の子どもたちの様子も見て、みんな大人になったって思うことも、もちろんだったんですけど。
成人した段階で、さあここから娘はどんなふうに、社会人になれるかなーっていうことを考える。どういうふうに、社会人として生きていこうかって、生きていくのがいいのかっていうことを考えるようになりました。

で、その中で、一番早く訪れたんは、選挙だったですけど、成人式のあったその年の暮れに初めての選挙があって。
一番地元の近い、当初から、(未成年のとき)娘は選挙権がなかったので、娘の車椅子を押して一緒に連れて行って、私が選挙をしていた、そこの投票所に、今度は娘も連れて行って。
選挙権の投票用紙を持って連れて行って、コミュニケーションの機械でこの人に投票しますと、投票をさせた(注1)、そのときの達成感は何とも言えなかったですね。

娘も、家でも練習しながら、そういうコミュニケーションの機械を使った投票っていうのを、初めてそのときトライしたんです。
その前に高校受験で3回駄目だったっていう経験を経ながらですね、その投票に同じような手法で挑んで、そしたら、その投票所の担当の方が、「代筆ですね」って言って、マニュアルをめくって見てくれた。

全然、前触れもなく行ったのに、そうやって見てくれたことが、ああ、大人になったんだなって、社会人になったらこんなにも違うんだなってすごくうれしかったのを覚えています。

だから、今言った、選挙には必ず行くっていうことですねえ。
それについては、ほんとに本人、そういうことを、家でも話もしていたので、意識はすごく高かったですね。

雨が降る日に、選挙に(行くの)「もうやめとこか」って言うたら怒ってるんですね。で、「行くの?」って言うたら、「ふん」って言うんですね。
行って、代替コミュニケーションの機械で、投票をするんですけれども、そういうことを自分がするっていう意識付けは、すごくできていっていたと思うし。

注1)事前に「この人にお願いします」という言葉を吹き込んだ機械を持ち込んで、投票所の立会人が候補者名をゆっくりと順番に指差しながら読み上げてもらいます。
投票したい人のところで機械のボタンを押して意思表示をすると、代筆者がその候補者の名前を投票用紙に書き、本人にそれを示して再度確認してから投票するという手順を踏んだそうです。

医療的ケア児の家族の語り

娘は今、一人暮らしの夢をもつ。ヘルパーさんと意思疎通をする手段として会話が必要だと頑張って会話するようになった(音声のみ)

今、娘の夢が1人暮らしなんですね。で今、自立生活サポートセンターっていうとこに週3回通ってるんです。
そこで、ヘルパーさんがついて。娘のこと、私に代わっていろんなことをやってくれてる感じなんです。
いずれ1人暮らしをしたら、もうそのヘルパーさんを24時間365日つけて。
1人暮らしっていうのがもう、娘の最終目標なんで。

そうなったときにもうやっぱり娘の中でしゃべったほうが早い(笑)。
しゃべったほうがもっと仲良くなれるって頭の中では分かっているんですけど、今まではそれがなかなかやっぱりできなかったんです。

その1人暮らしっていう夢がですね、かなり娘にとっては大きい夢というか、強い思いがあって、ヘルパーさんにはしゃべるようになりました。

大勢いる中ではなかなかなんですけど、送迎の車の中とか、うちに帰ってきてお部屋でとかは、ヘルパーさんと1対1になったときにはしゃべってます。

もう、1人暮らしが夢で、中学校に入ったくらいから。
私シングルマザーなんですけど、上に2人お兄ちゃんがいても、私に何かあったときに、上の子たちは上の子たちの人生があるし、うちの両親も先に逝く人なので、そうなったときに、私以外の人たち、私じゃない誰かにケアをしてもらうっていうところで。

娘に「お互い自立しようね」っていうのが中学生ぐらいになったときに、もう合言葉のように私、ずっと言ってたんです。
最初はやっぱり、娘ももうずっと私と一緒に、どこに行くでも一緒だったし、「何言ってんの?お母さん」みたいな感じだったんですけど。

学校でそうやっていろいろ看護師さんたちのお世話になったりとか、学校が終わって、日中一時支援事業所に行きだしたりとかすると、ああ私、お母さんじゃない人のケアでも大丈夫なんだとか、そういうことを一つ一つ経験して学んでいったのか。
いつの間にか娘の夢が1人暮らしになってしまって、もう私のほうが寂しくなっちゃったっていうか。

いつの間にか私が自立しよう、自立しようって言ってた思いを娘が超えてしまったというか(笑)、そんな感じです。

医療的ケア児の家族の語り

娘は導尿が必要だが、腰を固定してもらえば自分で導尿ができるよう練習している。周りに声をかけ支えてもらえるようになってほしい

この子は導尿が必要なんですけど、学校でも自分で導尿をするっていうところの教育を、小学校の1年生からずーっと看護師さんがやってくれています。
まずは自分で、鏡で陰部を見てどういう構造なのかとか、どこにチューブを入れるのかとか、入れるにしてもそのチューブのどこを持っていいけど、どこは持っちゃいけないとか、どんなふうに清潔をキープするかとかっていうのを、すごく細かく(教えてもらって)。
もう9年、今、(経験を)積んできてるんですね。

ただ、機能的な問題で彼女は下肢まひなので、ポジションを自分で固定する(体勢を保持する)っていうことができなかったりするから、そこはやっぱり手伝ってもらわなきゃいけないけど。
そのポジションを固定するっていうのは、看護師じゃなくてもできる、資格がなくてもできることなので。

だから、チューブを入れるっていう医療行為だけ自分でできれば、学校卒業した後の就労先で、看護師がいない場所も、もしかしたら選択肢に入るかもしれないとか、そういう意味で結構、(経験を)積んできているかな。

そこまでやってくれるところがあるかどうかは、またこれから探さなきゃいけないし、ほんとは、自分たちでもそういうところ(居場所)をつくりたいとは思ってます。

(娘は)コミュニケーションの部分はほんとにいいので、今後も、知らない人に堂々と話し掛けていくその姿に、ちょっと恥ずかしいなって(笑)思ってしまうこともあるんです。
それでもやっぱり変わらず同じように声を掛けたり、関わりを持ったりっていうことはしてほしいなーとは思ってます。

多分それはこの子の財産なんだなーとは思っていて、強みでもあって、それで人を集めてほしいし、助けてって言えるようになってほしいかなと思います。

なかなか言葉が出にくいので、他愛もないあいさつとかはどんどんできるんですけど、自分が思ってて伝えなきゃって思うことほど、言葉になりにくいので、そこがちょっと今のテーマです。
助けてとか、これやってとかっていう言葉がどんどん出て、たくさんの人に手伝ってもらいながら、支えてもらいながら、生きていけるようになってほしいかなと思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

息子の成長を感じて嬉しい気持ちがあると同時に、自分が長生きして少しでも長くそばにいてケアをしてあげたい(音声のみ)

最近、(息子は)DVDで映像を見て「おかあさんといっしょ」とか、そういうのもちょっとうれしくなってきてる。
お歌歌ったり、人がなんかこう動いてるとかっていうのも、本人も分かってるみたいで、そういう映像を見て楽しめるようになってる姿とか見ると、あ、やっぱ成長してるなって思う。
なんかそういう楽しい映像いっぱい見せてあげて、楽しい時間をつくってあげたいなっていうふうに思います。

――今後、体も大きくなっていったときの楽しみもあるけど、心配なことっていうのもありますか。

やっぱり1人では生きていけない子なので、この子よりかは長生きしたいなって思いますね。
それいつも妹とも話すんですけど、私はできたら看取ってから、自分が亡くなるほうが気が楽なんじゃないかなって言うんですけど、妹はやっぱりそれは違うって言うんですよね。

だから絶対に自分が病気できないし、死ねないって思ってるので、すごい健康に気遣うようになりました。
ちょっと、何か痛かったりとかしたらすぐ病院行って、診てもらおうとか思いますし、ちょっとでも長生きしていたいなって。
誰かに任してっていうのが、家族以外の人やったら、今みたいに、本人のことを思ってケアしてくれる人ではないと思うので、本人が寂しい思いするんじゃないかなって思っちゃうので。

医療的ケア児の家族の語り

29歳の娘はぜんそくの発作や、コロナワクチン接種をきっかけに、小児科から大人の診療科の受診を勧められ、移行期間中だ

娘の場合も今年から、小児科から大人の内科のほうに移行する段階に入っています。
まあ、入っていると言っても、今29歳なので、実は遅いぐらいのことなんだろうと思うんですけど、でも、私の周りでは成人した後もまだまだ小児科のほうで診てもらってる子たちはたくさんいます。

そういう人たちに「実はね、うち、今こういうことになってるんよ」って言うと、「うちまだやから、まだ行けるかなあ」みたいな感じで、診てもらえるうちはラッキーみたいな感じでね、特別、自分からは言わずに診てもらい続けていこうとしている方がほとんどです。

娘の現状を言うと、大学病院の小児科でずっと診てきてもらっていたのが、昨年の夏に、ぜんそくで入院を1週間ぐらいすることになったんですね。
それをきっかけにしてっていうことではないけれども。
小児科の病棟もいっぱいだし、その中での様子見てたら、まあ、すごいちっちゃな、もうほんとに泣いて泣いてしているような赤ちゃんの中に、うちのようなおっきい子が、一緒に寝てるっていうのはどうかなみたいな感じも、少し、印象としては受けました。

今年に入って、内科のほうでって言われたので、じゃあ、神経内科のほうですねっていうことで言われたんです。
でも今まで診てもらってないので、じゃあ、どの先生に診てもらうのみたいな話だったんです。

ただ、その中で信頼できる先生が御一方、いらっしゃったので、その先生だったらいいわと言って、紹介状を書いてもらって、今、その先生のほうにも診てもらうということになってきています。
なので、毎月てんかんの薬とかももらわないといけないので毎月、小児科と神経内科に受診しています。

実は先月、さらにその小児科の先生が、ぜんそくのことやコロナワクチンを接種するっていうことの話の中で、もし呼吸困難なったらどうしたらいいんだっていう話を、私がしていたこともあって、呼吸器内科の(話が出た)。

「ぜえぜえ」したり、嚥下が難しいっていうこともあったり、睡眠時無呼吸っていうこともあったりする中で、もしかして酸素を夜だけ使ったほうがいいかなっていうふうな話もあって、今は何とか行けるだろうと、そのまんまで来てるんですけれども。

「呼吸器内科も、かかったほうがいいと思うので、お母さん、呼吸器内科も、小児科と神経内科と来るついでに、呼吸器内科も足運んでみたらどう?」ということになり、紹介状を書いてもらって、つい先日予約したところです。
なので、今月またその呼吸器内科も行くことになり、となると来月以降おそらく小児科、神経内科、呼吸器内科と受診をするようになって。

ゆくゆく、来年以降ぐらいは、小児科はなくなって、神経内科と呼吸器内科っていうふうな大人の領域の診療体系になっていくかなと思います。