月別アーカイブ: 2023年6月

医療的ケア児の家族の語り

これから補装具を作る子に、補装具を付けて歩く様子を見せてほしいと息子が頼まれ実演したとき、息子の表情が誇らしげで嬉しかった

うちの子、いまだに首座ってないんですけれど、赤ちゃんの頃からリハビリをずっと続けて、首が座ってなくても立つ練習したり、歩く練習するんですね。
最初、導入されたときはびっくりしたけど。

今、毎週1回その補装具をつけて歩く日と時間が決まっていて、歩かせる。
うちの子、体重17キロあるんですね。で、身長が110センチで。
人工呼吸器のおかげなのか、重症心身障害児のわりに成長がよくなってきちゃったほうで、体がおっきいんです。

だから、プロの理学療法士でもうちの子を歩かせるのはちょっと難しいらしいんですね。
それでも歩かせてくれる人は歩かせてくれるんですけど。

この間うれしかったことは、補装具を作るのに、療育センターが地元にあるんですけど、そこに行ったらこれから補装具をつくる子に、この補装具、見本見せてもらえませんかって、知り合いの理学療法士に頼まれて、つけたんですよ。

じゃあ、ちょっと立ってみましょうかって言ったら、うちの子がね、もう歩くものだって思ってね。
私の知ってる理学療法士だけどうちの子に関わるの初めてで、慣れてない人なのに、その人のちょっとした支えだけで、歩き始めたんですね。

そのときに、うちの子の表情がすごい誇らしげで。
「え、俺、歩けるけど、それが何か」くらいな、堂々たる態度で。
そこにいるちっちゃい子のママもびっくりして。

その補装具を作ってくれる整形医もね、あ、こんなに歩けるんだってびっくりして。
だから、本当あのときはうれしかったですね。
家の中で限られた理学療法士じゃないと歩かせてもらえなかったのがね、家じゃない場所で、慣れ親しんでもいない理学療法士のちょっとした支えだけでもう歩けちゃったって。

その表情がね、ドヤ顔だったっていうのがね。
ああ、この子なりにね、成長してんだなって思いましたね。

医療的ケア児の家族の語り

最初はスロープ付きの軽自動車を購入したが、呼吸器のチューブが外れたときに横に介助者がいないと危険なため、買い直した

――現在、福祉車両をお持ちなんですか。

はい、買いました。
最初、お友達に誘われてお花見に行ったり、ちょっとそこまで公園に行ったりっていうのでも、(介護タクシーで)片道5,000円、1万円をかけていたので、もう生活が。

最初、余命2~3カ月という思いがあったので、後で働けばっていう思いがあったんですけれど、長期で考えた場合にとても現実的ではないというところで、福祉車両が必要ということで。

ただ、なかなか金額も張るものなので、最初は軽自動車で後ろにスロープが付いていて乗れるタイプの車を見に行きました。
実際、息子の使っている車いすを持って、載せてみたんです。
これだったら、リクライニングをしたり倒しても載るねということで。

最初、軽自動車の前に助手席と運転席があって、後ろに1台車いすが載るタイプを買ったんですが、呼吸器を付けていると、外れたときにすぐに付けられないんですね、走行中は。
それはとっても危険なことなので、隣に介助者が乗れるということが、とっても大切になるっていうことで。

普通の道であれば、止まってすぐぱっと付けるっていうことで何とか対処はできるんですけれど、例えば高速道路には乗れないとか、いろいろなことがあって、「これはまずいよ」って結局買い直すという二度手間をしてしまったんですが(笑)。

その辺も最初に買ったときには先輩ママの話を聞く前に動いてしまったところがあったので、あ、ちゃんと聞いてからにすれば良かったなっていう後悔は若干あるんですが。
今は、隣に乗れるタイプのものを持っています。

――福祉車両を買うにしても、経済面での負担を少し支援してくれるものとかっていうのは何かありましたか。

この地域に関しては、車に関しては購入に関する補助は一切ないんです。
考え方としては、タクシー券を出してもらえるんですね。
市のほうから、タクシー券の補助が出るので、移動をする際にはタクシー券を使ってくださいというのが多分、原則というか。

障害がある方が運転をするための車の改造費ですとか、そういった補助はあるんですけれど、運転するのは家族であって、ただ乗せるだけというか、そういう福祉車両に関しては、一切購入に関しての補助はないですね。

例えば高速道路を乗るときの、ETC割のような、障害割というものはもちろんあるんですけれど、車を購入に関しては一切補助がこの地域ではないです。

医療的ケア児の家族の語り

バス利用には事前連絡が欠かせない。乗降時に他の乗客の視線が気になっていたが、運転手が遠慮しないでといってくれた

通院介助を使えるまでは、公共交通機関で大学病院に行ってたんですが、バスに医療的ケアというか、障害のある人が乗ると、他のお客さまの邪魔になってしまう。
乗せ降ろしに時間がかかるので、どうしてもいい顔をされない。

それは私も肌で感じたので、あらかじめ数日前に、バスだったらバスの営業所に電話をして、時刻表はもちろん事前に調べて、この系統の何時のバスで、どこからどこまでの区間に行き帰り乗りたい。
ノンステップバスでできればお願いしたいとか、バス停の縁石の近くまでなるべく寄せてほしいとか、そういった要望をあらかじめ連絡をして乗降をする。

もちろん病院が遅くなっても大丈夫なように、時間にとんでもなくゆとりを持って予約もしますし、早く終わっても逆に乗れないような、そういう不便さもありました。

そうやって通ってたときに病院の近くで降りるとき、縁石の近くにとめてもらったので、自分の力だけで降りられそうだなと思って、「私自分で降ります」って、運転手さんに声を掛けたら、「何か心配だな。ちょっと手伝います」って言われて。

運転手さんが降りることで1~2分のタイムラグがもう生じるので、私は、ああ、嫌だなって思ってしまったんですね。
乗ってる方の視線も痛いですし、中にはね、急いでる人もいるので。

でももう運転手さん、こっち来てしまってるので、お手伝いをお願いして、運転手さんも嫌なのかなって自分の先入観で思ってたんですけど。
降りるときに運転手さんから、「利用しづらいかもしれないけど、こちらは迷惑と思ってないので、これからは全く遠慮しないで使っていい」って言われて。

他(の運転手の方もそう思うのか)は分からないですけど、そんなこと思ってくれてる人いるんだっていうのはすごくうれしかったですね。
公共交通機関を使ってもいいのかなっていう初めての経験でした。

医療的ケア児の家族の語り

息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した

準備は、まず、日本の今いつもお世話になっている酸素(ボンベ)の会社の方に事情を説明して、シンガポール(にいく方は)初めてですっていうようなお話をしました。
向こうの電源のこととか、飛行機上のことですとかも。

飛行機のルールって結構しょっちゅう変わるらしいんです。
持ち込みが酸素のボンベ何本までとか1本幾らでお貸ししますとか、そういうのも結構いろいろ状況が変わるので、そこはご自身で調べてくださいっていうことで。
まず航空会社をチケットを買った後にすぐ、連絡をして、日本の航空会社だったので、やり取りがスムーズにいったのでよかったです。

酸素の持込量の規定とか、酸素会社の方とも連絡して、ボンベを持って行くのがいいのか、それとも充電式で、持込可能な機械をお借りして持ってったほうがいいのかとか、全部計算したり。

もちろんギリギリだと困っちゃうので、余分にこういうふうになったときに、じゃあどうするかとかで、飛行機上で壊れちゃったらどうするかとか、想定しながら手配したのを覚えてます。

現地のホテルも、実家に泊まることができなかったので、ホテルを予約することにしたんですけど、それもなるべく大きい病院が近くにあるホテルにして。

息子自身がアレルギーがあるので、日本は結構その表記としてアレルギー表記って、今、レストランに行ってもメニューに書いてあるところもありますし、例えばパン屋さんに行っても、アレルギー表記とかもあったりとか。
もちろん、スーパーで買ったものとかも結構、多いんですけど。

主人に聞いたら「シンガポールでそんな見たことない」って言ってて、「アレルギーの人なんているのかな」とかって言うから、絶対いるとは思うんだけど、多分そこまで、国のシステム自体がそこまでいってないっていうのかなあとも思って、そこもすごい心配で。

そのとき息子も普通にご飯、軟飯っていうか、柔らかいものだったら口から食べれるようになっていたし、1個1個、聞くわけにもなかなかいかないので、じゃあ日本から持っていったほうが安心だなあと思って。

ヨーグルトとかは向こうで買えるけど、基本的な主食とかはレトルトを持っていかなきゃいけないねっていう話になって、そういうのを準備してキッチンがあるホテルを予約したりとか。
いろんな準備はほんとに前もってやったのは覚えてます。

――何泊したんですか。

ちょうど1週間ですね。6泊7日。

――行く前に主治医にシンガポール行きますって伝えたと思うんですけど、そのときのアドバイスだったり、やり取りって覚えておられることありますか。

今の息子の主治医の先生が、ハハハーっていう感じのほんとにおおらかな先生で。

駄目だよとかって言われるかなーと思って心配して言ったんですけど、全然それを吹き飛ばすような感じで。
むしろ「なんで行かないの、早く行きなよ」みたいな感じの反応だったので、「あ、そうなんだ」と思って、行っていいんだってそこで初めて思えて、すごい安心したのは覚えてるんです。

医療的ケア児の家族の語り

胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った

子どもを、カートの赤ちゃん乗せの所に入れるんですけれど、私、ルートを外さないで、付けたままにして、ウエストのゴムの所に、こうやって、くるんってして置いといたんですね。
そうすると、いつでも(栄養剤を)入れることができる。穴にこう掛けて、くるっとやって。

普通だったらルート外して、衛生を保つんですけれど、それを外でやると、とても大変なのでっていうことで、付けたままで行ったんですね。

そのルートの所がカートの網の所に引っ掛かってしまってて、引っ掛かったまんま、私が娘をよっこいしょって抱っこをして引っ張り上げちゃったから、そのお腹のルートの胃ろうのボタンの所が、ポーンと外れまして。

もうそこから大変ですね。
当時は、造りたてっていうほどではなかったんですけれど、早く連れてかないと、お腹の穴がふさがっちゃうと。
ふさがったらまた胃ろう手術だと思って、それは困ると思って、どうしたらいいんだろうと思って、もうほんとに、すぐ駆け込みました。

最初は、(地元)で車で飛ばしたら10分15分で行く所が、その地域の大学病院なので、それはいいんですけれど。何と、里帰り出産をした先でやったんです。

片田舎なので、それをした時に、近くに小児外科っていう分野の病院がなかったんですね。
今で言う総合大学病院ではなくて、まあまあな病院ってありますよね。その土地の。
そこでも小児科はあるけど、小児外科というような所はないんです。

その時に、外科ならあるから来てくださいって言われて、行ったんですけれど、外科の先生は大人の外科しか知らなくて、備品も大人の物しかないんですね。
子どもサイズの物っていうのは、まずない。
だから、代わりに入れる物もないって言われたんです。

私が「14フレで、ほにゃららで」って言ってるんですけど、そんな物はないっていう形で言われてて。どうしたらいいんだろう、ここは京都じゃないしっていうところで、京都の先生を何とかつかまえて、電話で。
早くしないと、もう、またふさがっちゃうって思ってたので。

先生に電話したら、導尿のバルーンを使ってっていうふうに、それだったら外科のほうにあるかもしれないっていうことで、直接、医者同士で話してくれはって。
最初、私を絡んでやってたんですけど、あまりにも私には分からなかったので、先生同士でお話をしてもらうっていうふうにしてもらって。

5~6時間かかったんですけど、抜去してしまってから、そこの先で導尿のルートで胃ろうを確保してもらって、それなりに整えてから、京都に連れて帰りました。
そういうのが、一番のハプニングです。

医療的ケア児の家族の語り

家族で出かけるときは事前に行先でバギーが入るかなどリサーチするが、トイレもレストランもどこも狭くて苦労する(音声のみ)

――バリアフリーなのに角度が狭いとか、(外出時の)小さな不便を感じられる場所ってありますか。

あ、ほとんどです、大体の場所がそうですね。
実際、大人の足の悪い方が乗るような車いすだと楽々は通れるかもしれません。
でも小児の子のバギー、いろんな機械つけたり、いろいろ改造してるものをそこに入れようと思ったら、どうしても、どこの施設を見ても狭いです。
入り口も狭いですし、中も狭いんで。

――転回できない。

そうですね。
障害者用トイレとか、入り口は広くは作ってあるんですけど、実際中に入って何かしようかっていったら、どうしても狭いですよね。
実際のトイレよりは全然広いんですけど。
だから、それほど広いのがないっていうのが現状ですかね。
特に高速のパーキングなんかは広くないです。

――おでかけされるときに、そういうサイトで調べたりとか、こういうところだったら比較的バリアフリーが整ってるとか(が条件ですか)。

大体それが一番最初ですね。
行きたい場所を上の子に聞いて、ある程度リサーチかけて、その周辺で下の子が入れるようなとこがあるかっていうのを見ていきます。
でも、はっきり行き先が決まらないっていうのがほとんどなんですよ。
そんなに休みが取れないっていうのもありますから、弾丸ツアー的な(笑)、思い立ったら行くみたいな。

――行く途中で、いろいろ調べて。

そうですね。その地域に友だちがおったりしたら、その地域どこそこがあるとか聞いてみたりとか。
広島行ったときもそうでしたね。
向こうにおる友だちにどこそこがあるっていうのを聞いて、そこ行ったっていう。
時間はないですし。

一番困るのは、ご飯食べる場所ですかね。
大体の場所が、子ども用の車いすなんかとてもじゃ入っていけない場所がほとんどですので、どうしても何か買ってきて食べるとか。

夜だったらね、すいとる時間帯を狙って行ったらどうにかなるかなとは思うんですけど、昼間だとまず無理なんで。

医療的ケア児の家族の語り

外出時に自動吸引器は音が気になり、手動は容量も少なかったので、夫が100均の水筒と血圧ポンプを使って吸引器を自作してお出かけした

当時は、退院して、まず吸引がすごいネックだったんです、24時間ずっとっていうのが。
例えば、お兄ちゃんの学校の行事に行かなくちゃいけない。
授業参観だったり、音楽会とかに行かなきゃいけないときも、下の子を置いてはいけないので、連れて行くけど、吸引はしなくちゃいけないので。

持続吸引器だと音もうるさいんで、手動の吸引器をもう少し使い勝手よくしたいっていうことでね、主人は加工したりとか工夫するのが好きなタイプの人だったので、100均で買ってくるような簡単な水筒に、血圧を測るゴムの(ポンプ)。

――しゅぱしゅぱ(ってする)?

はい、ああいうのの弁って(押すと)膨らんじゃうじゃないですか。
でも吸わなきゃいけないので、弁を逆に加工するとか、そういうことをして、その当時、普通に売ってた手動の吸引器の唾液とか痰を貯めるボトルってすごいちっちゃくて、100ミリとか150ミリとかしか入らなかったんです。
でも、500(ミリ)入る水筒とかにそういう加工をしてもらったので、それを車椅子のドリンクホルダーに付けて。

吸引のチューブも病院とかで出されるのって30センチとか40センチとかそんなもんなんです。
でも注入用のチューブを切って、それをつなぐことで何メーターにもなるので、車椅子で寝っ転がらせてる状態で、遠くても吸引ができるみたいな感じに加工しました。
ひもも、水筒なんでひもが付いてるので肩から掛けたり、ドリンクホルダーにも付けられるしって感じで、そういうふうに加工してもらった物で、結構、散歩は行きました。

2年間、病院っていう箱の中にいたので、経験がとにかく少ない。
今まで決まった顔で白い布とか白い壁しか見てなかったから、とにかくいろんな物見せたいとは思ってて。
もう全部を説明しながら、これが土だとか、これが葉っぱだとか、あれは空だとか雲だとかって言いながら、もう見せていくとか、聞かせていくのが、私も楽しみだったって感じですねえ。

医療的ケア児の家族の語り

息子と日本中を旅行した。ディズニーランドのホテルでは使い方が分からないシャワーに四苦八苦したのもいい思い出だ

私の中で、(息子は)長く生きられないっていうのは分かっていたので、今できることを、今いろんな世の中を見せてあげたかった…。
健康であれば、修学旅行で行ったりとかね、自分の旅行で行ってとかできるんだろうけれども、この子は、それは一生することができないので、だったら私がする。
私も行きたいディズニーランドに、一緒に連れて行く(笑)。

ディズニーランドに行ったときに、導尿もしました、ベンチで。
経管栄養も車椅子でぶら下げたまましましたしね、パレードを見ながら。

どちらかというと、(住んでいるところより)他府県のほうが障害持ってる人には優しいかもしれない。
土地柄なんですよね。
階段とか坂が多いので、障害を持つ人たちが表に出る機会がないんですよね。

東京とか大阪はバリアフリーになってますでしょう。
障害を持ってる人たちが目に入るっていうか、そういう土地柄的なものもあるのかなとは思いました。
自分が実際行ってみて、2人で行っても何も困らなかった。

――ホテルは、どんなとこに泊まるんですか。

もう普通のところです。ディズニーランドは一番いいホテルを取ったんですよ。もう30万、全部使っちゃいました。
一番いいホテルに泊まって。
いいホテルって慣れないんですよね。

シャワーをまず使えない。
息子を入れ、一緒にこうして。シャワーと浴室が別になってるもんだから、どうやって入れるのかなって思いながら、抱っこしながら、2人で浴室をうろうろしてたのは覚えてますね。

――シャワーブースがあって、高級感があるホテルですね。

高級感があり過ぎて、どっちが蛇口なのか。
蛇口開いたら、いきなり上からボーンって、シャワーからお湯が出てきて、2人でワーッってなって、ごめんごめんって言いながら。
「いやー、やっぱり駄目よね、高級過ぎて」って言いながら。

旅行は何度かしてたので、S字フックとかというのは持って行ってたし、先にHOT(在宅酸素療法)も入れてもらってたし、ボンベも準備してもらってたし、荷物も先に送ってましたので、手元には、酸素と吸引器と着替えとおむつぐらいなもんで。
元気だったんでしょうね、私もその頃はね。

医療的ケア児の家族の語り

息子をディズニーランドに連れていきたいと主治医に伝えると、車いすや行ける環境を整えてくれた。息子の昔からの友達とママ達との交流も楽しい時間だ

退院の会議をしたときに、病院の主治医の先生、在宅医療になってからお世話になる地域の診療所の先生、訪問看護に入っていただく看護ステーションの担当の方々がいらっしゃった。
その中で訪問看護師さんが、「おうちに帰ったら何がしたいですか」って質問をしてくださったんですね。

それまで「帰る」ことに夢中で、まずはおうちに連れてってあげたいからって、とにかく楽しい思い出にとは思っても、具体的に何がしたいっていうのは全く浮かんでなかったんです。
なので、そのときは特に答えられず帰ってきたんですが、帰ってきた後にその言葉がすごく印象に残っていて、「何をしたいだろう」っていうのをすごく考えて。

夏休み前に、(息子が)事故に遭ったのが秋だったんですけど、夏休みにディズニーランドに行きたいっていう息子の希望があったんです。
「お母さん暑いから夏は嫌だ」って言って、「秋になったらハロウィンの時期に行こう」なんていう話をしていたのを思い出しまして。

結局、夏行かないまま事故に遭ってしまったので、「そうだ、ディズニーランド行きたい」と思いまして、退院して1カ月もたたないときですかね、主治医の先生に訪問診療で来て
いただいたときに、「先生、ディズニーランドに連れていきたいです」っていう相談をして。

「ディズニーランドいいですね。お誕生日いつですか」「来月です」って、「えー、それはちょっと難しいかも」っていう話になったんですけど。「先生、でも私、ホテル取っちゃった(笑)」って言いました。

そうしたら、その先生を中心に、福祉用具屋さん―まだ車いすも、急きょ退院だったので車いすなども何にも準備してなかったんですけれど―デモ機というか、レンタル用の車いすにベニヤ板で、呼吸器が載せられる台を付けてくださったり。

相談員さんも、ディズニーランドに行った先輩ママさん、医療的ケア児をお持ちのお母さんに、どんなものが必要かとかを聞いて情報を集めてきてくださったりとかして。
まあ結果、それは実現していく形でとんとん拍子にというか、ほんとに私は「やりたーい」を言っただけで、周りがほんとに動いてくださって実現することができました。

医療的ケア児の家族の語り

夜中の体位交換や見守りのため夫婦で睡眠時間をずらしていた。自分の運転で娘を学校に送るので、寝不足にならないように注意した

睡眠時間は、本当にライフステージによって違うんですけれど、最初、1歳ぐらいまで、それこそ手帳をもらうぐらいまでのときは、ほぼ(親は)寝ていなかったです。
娘の睡眠が、連続して4時間寝られるようになったのは、恐らく1歳過ぎてからぐらいで、それまでは私も、主人も寝たことがないような時期でした。

胃ろうになって少し夜寝られるようになったのが大体、5~6時間ぐらいで、その間、随分私たちも、寝られるは寝られるんですけれど、私と主人が一緒に寝てしまうと夜中体を動かしたり、夜中の体調変化に対応ができないので。

(娘が)亡くなるまで主人と私は睡眠を一緒に取ることはなくて、例えば夜10時ぐらいから私は寝るけど、大体夜中の3時とか4時ぐらいに起きる…。
主人はその代わり夜の12時過ぎだけど、朝6時ぐらいに起きるっていうかたちで、どちらかが夜中にやる、どちらかが早く寝る、遅く寝るっていうことをできるだけ意識して、睡眠時間を確保しながら娘の夜中の体調を整えることも一緒に並行していました。

(自分がライターの専門)学校に通うようになってからは、その睡眠時間をあまり変えずにいました。
でも原稿書かなくちゃいけないときは結局、睡眠時間を削って書くようになるし、仕事をしてからは結局、削れるのは自分の睡眠時間だけなんです。

でも、あまり徹夜して何かするっていうことを極力私はしないようにしていた理由の一つが、自分で車を運転する時期があったから。
(当時、スクールバスには乗れず親が学校への送迎しなければならなかったので)睡眠を、とにかく減らさないことを意識しました。

運転もケアも、自分のケアも大事だし、運転も大事だし、全てを完璧にすることはできないので、睡眠時間だけはできるだけ確保するように意識をして、毎日スケジュールを組むようにしてました。