年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

息子は発話はないが、感情を表に出してくる。経管栄養のチューブを引き抜こうとするなど、親の注目を浴びるようないたずらをしてくる

普通に会話したり、言葉を発したりっていうことはできないんですけど、感情をすごく表情に出してくれるので、ものすごく分かりやすいんですね。
何回か接してもらうと、大体、考えてることが分かるようになってきてくれるので、周りのかたがたも。

そういう状態なので、表情で意思の疎通はしています。
あとは、割とこっちをいたずらして困らせて、注目を浴びて喜ぶっていうことは、最近よくやるようにはなってしまって、ちょっと困ってます。

――どんないたずらをするんですか。

まず一番多いのは、経管栄養のマーゲンチューブをつかんで、にこにことわざとこちらを見て、見せつけるようにして引っこ抜こうとしたり、引っこ抜いたり。
ものすごく悪い顔します。
あとは、人工呼吸器の回路をつかんで揺さぶったり、回路の首のすぐところにふたがあるんですけど、それを外したりとか、結構やってくれます。

――よく見て、反応を伺ってるってところですね。お耳のほうはどうですか。お話ししたりとか、音楽聞いたりとか、そういった聴力的なところはいかがでしょうか。

聴力に関しては一応、赤ちゃんの頃に、一般的な聴力検査ができないので、脳波でしか確認はできてないんですけれども、耳がちゃんと形成されてない左側は数値的には聞こえていない。

耳がある右側に関しては難聴と言われていて、耳鼻科の先生が見ても、穴が狭すぎて鼓膜が確認できないぐらいなんですけれど、本人の反応を見ると、難聴でもなく普通に聞こえているような反応は見せてくれてます。

補聴器も作ったほうがいいのかなと思って、相談をしたんですけれども、ちょっと息子のお耳は小さいので、形状的に付けられない。
もし付けるとしたら、骨伝導のために穴を開けなきゃいけないって言われて。
でも反応見ると聞こえているので、そこまでしなくていいのかなっていう状態で、今、何もしていないです。

医療的ケア児の家族の語り

介助者が手指の動きをアシストする方法で息子の意思を読み取る。彼に伝えたい思いがあるなら母親としてそれを信じて受け止めたい

介助付きコミュニケーションって言うんですけれども、介助者が彼の手をこう取って、彼の手を支えるっていうのが、ベースなんです。

(手を)支えて、彼が右のほうに丸とかばつ書いてねっていう話を、最初にいろいろ打ち合わせてですね。
丸はこっち、ばつはこっち向きに書いてっていうようなことをやり取りして、丸ばつからこう始めるんですけど、ちょっとだけでも右のほうに行くなっていう動きを感じたら、それを少しアシストするみたいな感じで。

右手が丸、こっちかって。
彼自身のロボットアームに自分がなった感じで、一緒にって言ったらあれですけれども、彼の動きを、やや増幅したほうが自分自身も読み取りやすいですからね、ものすごい小さな動きなので。
そういう形で練習をスタートしてくんです。

その当時からなんですけれども、そのやり方に慣れてらっしゃるかたがたとは、息子は普通にいろんな言葉を交わしました。
その1回目で私もびっくりしたんですが、「誰かに言いたいこと、メッセージとかあったらいいよ」って、「手紙書く?」って言っていただいて、「お兄ちゃんへ」って言って、彼はお兄ちゃんへ手紙書いたんですね。

その言葉が私はもうほんとに、もうこれは息子の言葉でしかないなと思うようなことを書いてくれました。
非常に次男坊らしい(笑)。

えーと、お兄ちゃんへ。いつもママを独占しててごめんね、みたいに。
で、僕はお兄ちゃん大好きだけど、お兄ちゃんどう? みたいなこと書いて、嫌いって言わないと思うけどね、そんな言葉で締めてあってですね。

最初は私の中でもこの介助付きコミュニケーションの方法っていうのを、半分受け止めつつ、半分どっかでいつも悩みつつ、でもこれが本当に彼の言葉であるとしたときに、私がそれを受け取らなかったらって思ったとき、怖かったんですよね。

彼がそれだけ思ってるのに母親が、周りの一般的に言われてることと同じようにして、そんな思ってるわけないでしょって、否定されちゃったら息子はどう思うかって。

それを思ったときに、恐ろしいと思ってですね、そんな身近な人間からの拒絶って、どれだけの傷を付けるだろう、息子自身にと思ったら。
そのことを考えただけでも、私はもう全部これをちょっと受け止めてあげようと思って、それから同時に私自身もそのやり方を練習してったんです。
息子とやり取りもっともっとしたい、してみようと思って。

私が彼をそういうふうに、扱ってきてるっていうことを、彼はしっかり分かってくれてるので、それによって何が起きたかっていうと、彼の気持ちが安定しました。
障害を持ってる息子自身の気持ちが、非常に安定したと親の目から見て思います。

医療的ケア児の家族の語り

息子は身体を動かせるような状態ではないが、彼なりの元気と回復を大好きなお母さんに伝えようとしていると感じる

本来であれば、医学的な見方をすれば、何か意思を持って体を動かしたり、そういうふうなことは、きっとできないっていう診断が下されるレベルなんだと思います。

ただ、関わっていく中で、間違いなくそれは、まあ難しいことはよく分からないですけども、医療の中で説明がつかない部分っていうのがもしあるのだとしたら、そういうレベルのところで、彼はちょっとずつ良くなっている。
そして、その良くなっている部分、良くなっていることを、僕たちに伝えることができている。

多分、絶望的な状況の中で、ひょっとしたら、何も伝えられない、何もすることができない。もし僕が本人だったとしたら、もうそこでほんとに、「もういいかな」って思っちゃうんだと思います。
でも、きっと彼もその同じような状況の中で、彼なりに、「こういうことはできるんだよね」って頑張っている。

「こういうことができるようになったよ、ちょっと分かってもらえるかな」っていう表現をしている。
それを、彼はしている、僕らは感じ取ることができるようになっている。
これはすごいことだなって思って。

お医者様にはもちろん感謝はしてます。
いろんな判断をしてくださったりとか、いろいろなケアをしてくれたおかげで、彼は元気になっているのは間違いない。

そこを超える部分で、彼個人の頑張りとか、もしかしたら彼と関わってる人たちの中にある、目には見えない部分というか、医療的な部分では説明できないような部分。
そういうものがあって、彼は彼なりに、今でもコミュニティーを広げつつあるってところがすごいなって思いながら、はい、やっています。

――その力っていうのはどこから、何なんでしょうね。

はい。まず1つは、単純に彼は、お母さんが大好きだったからだと思います。
お母さんが大好きで、お母さんが悲しくなるのが嫌なのかな。

で、彼としてはもしかしたら、遠のく意識の中で、お母さんが、このまま(自分が)いなくなっちゃったら、お母さん悲しくなっちゃうっていうふうなのがあって、最初はそれでつなぎ止まった。

その後、彼なりに何か頑張ってみたら、ひょっとしたら、お母さんが喜んでる気持ちっていうのが、彼には、僕なんかよりも伝えるのが上手な方なので、どんどん伝わっていって、それで、うまいこと軌道に乗ったのかなって気はします。

医療的ケア児の家族の語り

退院当時は意識もなく意思疎通ができなかったが、今は気持ちを表情で伝え、回復と成長と元気を伝えてくれていると思う

当初、多分こういうことはできないよって言われていました。
例えば簡単に言えば、何か食べ物を口から摂取をして、それを味わってみるなど。

退院してきた当初は、栄養も基本的には胃ろうで。
で、意識がなくて、意識もはっきり分かってるのかどうか、よく分からない状態なので、体を動かすことはできないですって。

そんな状態だから、僕らは触れて何かを感じてもらうとか、場合によっては、あったかさで何かを感じるとか、そんなふうなことで、できる限りのコミュニケーションを取っていたんです。

今は、おいしいものを口に入れてみると、多分おいしいような反応をしますし、痛いとか、つらいとかっていうふうなのは、表情にも出てきていると思いますし。
もちろん、誰にでも分かるのかっていったら、それは誰にでもではないと思います。

でも、しばらくの間ケアに携わっていただいた方ならきっと感じられるレベルに、彼は彼なりに反応を、表現することができているのかなと思います。

そういうのもあるので、彼は明らかに、事故で入院した当時からは回復をしているし、成長もしているし、元気になっているっていうふうに感じてます。

――今の生活の中で、お子さんがすごく楽しんでるとか、そういう表情を見せる場面って、どんなときなんでしょうか。

まあ食い意地が張ってるのか、多分、食べ物が一番。
あとは、これも恥ずかしいお話なんですけども、お気に入りのケアをしてくださる方に、担当が回ってきたときは、非常にいい顔をします。

医療的ケア児の家族の語り

発話はなくともうれしい時は笑い、嫌なときは寝たふりをする。ストレスがかかると血糖値があがるという形での意思の表出もある

意思表示に関して、気管切開があると、声を出せないので難しいんですが、人の認識はある程度してるようです。
私か私じゃないか、親か親じゃないか、知ってる人かとか、親じゃなければ仏頂面したり、何かちょっとそっぽ向いてみたりみたいなことはしますね。

泣いたりっていうことはあんまりないですけれど、うれしかったりしたら笑います。
あと何か嫌だなと思ったときには、あの子なりの意思表示なのでしょう、寝たふりしてやり過ごしたりとか、むすっとした顔をしたりとか、その人のことにらんでみたりとか、そういうことをします。

たまたま病気の必要上、血糖値の測定をしてるんですけれど、どうやら人間はストレスを感じると血糖値が上がるみたいです。
短期入所っていう制度で、レスパイトでお願いしたりすると、低血糖の病気なんですけれど高血糖になってしまったりとか(笑)。
それで預け先の医師の方がびっくりするようです。見た目などの私たちが分かりやすくない感じですが、表出はどうやらしてるなと。

ただ、療育手帳や愛の手帳などの判定で、声に出すかどうかっていうことも結構表出の大きなキーポイントなので、そこはね、なしとみなされてしまうんです。
でも子どもなりに、何らか意思表示はすごくしてるなというのはいつも感じてます。

医療的ケア児の家族の語り

子どもの笑顔を見たくて笑わせる方法を考えてしまう。上の子と先に弟を笑わせたら勝ちという勝負をするのも楽しい日常だ (テキストのみ)

かわいらしさのもう一個の理由にね、笑ってくれるんですよ。
だから、コミュニケーションの一番のキーは喜怒哀楽なんですよね。
で、何よりもその笑いがめちゃくちゃ癒やされるんですよね。

踊りだしたり、風船プーって膨らましたり、僕が部屋から出て部屋に帰るときに、ドアからこうやってやる(ドアの影から見つめる)と笑ってくれんですよ、こっち見て。
わざと、じーって。「見てるよ、じー」とかやると、こっちちらっと見てにやって。

結構ツンデレなんで、「ああ、笑ってくれたー」って行くとツンとするんですよね。
なんで、そこがかわいいんですよね。思うとおりにならないんだけど。
でも、一定のパターンを、笑わせる術みたいなことに命賭けてます。

おもちゃとかありとあらゆるの買ってくんですよね。もう何がいいか。
音が出るのがいいのかとか、うちの子どもが喜ぶおもちゃが1個あるんですよ。
この6年間で3代目で、こないだ誕生日で4つ目買ったおもちゃがあって。

子どもの頃にね、赤ちゃんの頃、寝たきりのときにね、メリーってあるじゃないですか。
台座みたいな台が付いてるメリーね。で、上に3つぐらいおもちゃが付いてるやつあるよね。
あれが大好きで、うちの子はあれを持ってブーンって投げるんですよ。
で、ガシャーンって、フローリングの音だとガシャーンってするのが好きで、もうボキボキ折れるんですよね、プラスチック部分が(笑)。
だからおもちゃが好きじゃなくてね、その投げる行為が好きで。

それが一番今でも好きなんで、ほんとに例えば注入我慢して終わって、ピピピピって終わって、点滴抜いてキュってやると、チラってこう、おもちゃのほう見るんですよね。
そうすっと、「これだよねー」っつって、「これ欲しいんだよね」って、ゆっくり、「これかな、これかな」ったら、もうくーってなるんですよね。
もう、やったーみたいな。

注入も終わったし、おもちゃが来るーみたいな、もう全身できーってなんのね。
もうほんとにもう、心全体が喜んでて、このおもちゃが欲しかったんだーみたいな。
でもこう、ブインブインブインブインってやって投げて、で、拾って投げて、もうこっからはこっちめんどくさいんですけど、投げたら拾って、投げては拾ってとやってんだけど。

ほんと何が好きなのかをほんと分からないんですよ、やっぱこういう子はね。
ただ、一定のパターンで、この子が好きな物を見つける喜びみたいなのがあって、それはお姉ちゃんも一緒なんですよねえ。

お姉ちゃんもパパとよく競争すんですよね。
先に笑わしたほうがテレビ見る権利みたいなことやって、じゃあ「お姉ちゃんどうぞ」とかって順番に。
で、かくし芸みたいにパッて一瞬やって、笑わなかったら次みたいのをやって、笑かせるみたいなので勝負したりするんだけど。
で、それもなんか、ま、独特なの。

医療的ケア児の家族の語り

息子と身体を動かすような遊びをしていた。初めてクリスマスツリーを見せたときは目をきらきらさせていてこれが好きなんだと思った

こういうことを言うと性別の(思い込み)かもしれないんですけども、男の子なので体を動かす遊びが好きなんじゃないかと思って、よく高い高いをして(笑)。
私の足の裏に、息子のおなかを乗せて高い高いをしたりとか、もうすごいです。
よだれが垂れてくるんですよ、ここに。

抱っこして、一緒にくるくるくるくる回ったり。
音楽が好きなので、私も音楽を聴いていて、その頃は時代なんですけども、One Directionを聴きながら、車でノリノリになりながら、息子と、いいでしょう?みたいな感じでやってたりとかしてましたね。

息子が1人のときにはちょっとおしゃれなカフェにも連れてったし、動物園にも連れてったし、それこそデパートにも連れてったし。

すごくいい反応をした時の話で、商業施設があるんですけども、そこに12月1日からとっても大きいクリスマスツリーが屋内で飾られるんですよ。
本当にきれいなんですよね。それを息子が初めて見たときに、目をきらっきらして見てたんですよね。

「これ好きなの?」と思って、きらきらしたやつ好きだったんだって思って、そこから毎年、息子をクリスマスツリーを見せには連れてってますね。

――パパはどんな役割を果たしたりどんな遊びをしたりっていうことがありましたか。

パパはね、遊ばないんですよ(笑)。全然遊ばないんですよ、パパ(笑)。
でもね、すごく不思議なんですけども、私が動。
静・動でいうと動ですね。動いて、どっか連れてったり動かしたり、「ねえ、どうどう?」ってやるんですけど、パパはじっとして、横になっていたり、なんかそばに寄り添うっていう感じですかね。
本当にパパは静かにこう(笑)、いる感じですね(笑)。

医療的ケア児の家族の語り

息子は身体を動かせないが、飼っている犬が毎日、近寄っていって、舐めたり、鼻息をかけたり刺激を与えてくれて息子は喜んでいるようだ

(息子は)全く体を動かせないタイプの状態なんですね。
まぶたをほんのちょっと動かしたり、ちょっとうなずいたり、手だって動いちゃいるけど、50センチぐらい(の距離に)近寄らないと見えないぐらいの動きしかできない。
全身のまひが強くてですね。で、そういう子のところにもペット(大型犬)は、行って舐めたり、ふーふーしたり、毛のふわふわした感触をこう与えてくれるわけですよね。

それだけでもものすごい、毎日それがあるとないとじゃ大違いだと思います。
うちの子ども、障害のある子はどうも好きなんですね、生き物が。
多分、飼ってなくても彼は好きだったんじゃないかなと思うんですけど、生き物が好きな子にとって、生き物がそこにいるっていう喜びですよね(笑)。

それはかけがえのないものを、私はプレゼントしてあげられてるぞっていう自信があります。
そのためにでもないですけど、何だかんだと今うちの中でもペット増えてってるんです。
増えれば増えるだけ子どもたちの教育には、特に障害のある子にとっても、いろんな良いことが言い尽くせないぐらいあります。

医療的ケア児の家族の語り

娘はお風呂やプールが好きで入るとニコニコ嬉しそうにするので、家族で温泉や川遊びを楽しむこともある

人工呼吸器になる前なんですけど、大阪のスパワールドに(笑)、広い中を次女を抱っこして歩き回って、全部のお風呂に入れたりとか、お部屋に温泉とか露天風呂が付いてるところに入れたりとか、そういうことができるところではしてます。

――結構、熱いお風呂でも喜んで?

喜んで入ります(笑)。

――プールはどうですか。

プールも大好きで、呼吸器になってからは、家でお姉ちゃんとプール入れたりとかしてます。
呼吸器になる前には川にも行って、浮き輪に乗せてると、川の中で寝てたりとか。

――へえ。ふわふわした水の中が好きなのかな。

そうですね、大好きなんと思います。

――他にお子さんがこういうときがご機嫌とか、うれしそうっていうのありますか。

音に対しての反応がすごくいいので、音楽とか歌を歌ってくれたりとか、演奏してくれるような場はすごくニコニコしてますね。

――じゃあお姉ちゃんがリコーダーの練習してたりとか。

家にトランペットがあるんですけど(笑)、それのときはさすがに顔は怒ってますね、うるさいみたいな感じで。

医療的ケア児の家族の語り

表現が出ないとわからない、幼いという扱いを受けてしまうが、年齢相応の音楽や刺激を与えてあげないと立ち止まったままだと思う

こういう子どもたちって表現がないんで、どうしても「分からない」とか「幼い」とかっていう扱いを受けがちなんです。
学校でもね、いまだに「おかあさんといっしょ」のぬいぐるみを持って、「おかあさんといっしょ」とか「しまじろう」ばっかり聞かされてる子がいるんです。

「それがこの子は落ち着くんです」って言うけれども、そればっかりしか知らなければ、そりゃそうなるよねと思って。

年頃の女の子・男の子が好きそうな音楽を聞かせてあげるとかしなければ、いつまで経ってもそこに立ち止まってるのに、何でもっと学校だからこそいろいろ教えてあげないんだろうと思って。

それがない状況ではどうやって落ち着いたらいいのかとか、「こういう世界もあるんだよ」っていうのを教えてあげるのが学校だと思ってるんです。
学校でできないのであれば、そういう場所を学校の外に卒業後も見つけて行かなきゃいけないんだろうなと思う。

あとは私がいなくてもこの子が生活できるようにしていかないと、私が死んじゃっても、私がコロナで倒れても、この子はどうしたらいいのか分かんないような状況なので、そういう居場所を探していかないといけないかなと思ってます。