年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

パソコンやテレビは使い方を教えなくても自分で機能を発見して遊んでいる。音声検索機能で好きな動画や画像を出すのも楽しそうだ

まあゲームなんですけれど、ゲームとかもどんどん、どうやったら勝てるかとかって、こう追求していくんですね。
どのボタンを押したら何々、どのボタン押したらこうなるよとか、一切教えてなくて。
自分でパパパパパッて、覚えてやってくので、どんどんどんどん、上手になっていくんです。

何をやってるかはあまりよく分かってないんですけど、ゲームで、マリオのお金、取ってくるじゃないですか。
マリオじゃないんですけれど、それのはたから見たバージョンじゃなくて、自分が取っていく側になっていく、ミニオンズバージョンなんですけど、バナナを取っていくのとかなんですけど、それとかをすごく楽しんだりとか、今してます。

で、あと面白いのが、言葉もまだ足らないんですけれど、グーグルの音声検索ですね。
で、そこにポッとやってて、「ドラえもん、ドラえもん、ドラえもんのかばん」とか。
それが相手に伝わらなくて、「土曜日ですね」とか「今、分かりません」とか言って。
何かもう、いっぱいこう言われるんですけど。

親だったら、もう何回も聞かれて嫌だなとかって思うんだけれど、やっぱりあのAIさんたち、パソコンさんたちは、根気良くずっと、「ほにゃららですか。ほにゃららですか。分かりません」とか、そういうので何回も言うんですよ。

分かってもらえるために。そのしつこさって言ったらいけないんですけれど、すごくかわいくて。
それで、だんだんだんだん、滑舌も少しずつうまくなってきたっていうのは、現代のあるあるなのかなとか思いながらいます。

それで検索して、出てきたら、写真が、「ドラえもんのかばん」とか言うと、ドラえもんのかばん、いろいろ出てきて。
好きなのこうやってしながら、探したりとか。「これ欲しい」とか言って、「それは幼稚園の子たちが使うのだから駄目だよ」とかって言ったら、「そっか」とか言いながらとか。そういうのが今すごく楽しいやりとりです。

医療的ケア児の家族の語り

息子は実家の大きいカレンダーに興味を示したことがきっかけで数字にはまった。お散歩で速度標識の数字探しをするのも楽しい

世間一般に、これは脳にいいよとか、発達にいいよって言われるものは、何もかも試したくなるのが親心です。
いろいろおもちゃも買いましたし、これがいいかもって思ったら試してみたりとかしました。
でもやっぱり、親がいろいろ買うものは偏りがほんとにあります。
もちろんはまってくれるものもあれば、一瞬見るけど触りもしないで興味を示さないものもあったり。
今もまだ部屋の隅っこにたくさん置いてあるものとかも、すごくたくさんあるんです。

今、好きになった電車は、散歩中に電車が走っていて、そこで興味を示して好きになったっていう気がしますね。

数字は、ほんとにそれはなんで? って思ったんです。
たまたま実家に遊びに行ってたときに、今の私たちの自宅には、壁掛けカレンダーが一切なくて、もう携帯で親は済ませてしまってるんですけど、実家っておっきい壁掛けカレンダーがあるんですよね。

やたらと数字がおっきくって、そこにおばあちゃんが予定とか書いてまして、そのおっきい壁掛けカレンダーの数字に、一番最初は興味を示したんです。
自分では話ができないんですけど、人に言ってもらうの、息子はなんか好きで、指差してこれ何、これ何みたいな感じの訴えを私たちに聞いてきて。

これは数字で1だよとか3だよとかって言った、それが面白かったみたいで、実家に行くたびに、その壁掛けカレンダーに一目散に行って、これ何、これ何みたいな感じで指差すようになりました。
これってなんか、もしかしたら数字に興味示してきてるのかなっていうふうに、親はいいように捉えて。

それからカード作ったりとかしたら、すごいはまって。
あとお風呂に貼れる数字のポスターみたいなのとかも、すごいはまってますし、今は外に散歩に行くと、道路標識のスピードの30キロですとか、60キロですっていう、あれにすごいはまってて。
30探しの旅じゃないけど、30の標識を探しに行く散歩とかも、今すごい2人ではまってやったりとかして、もう自然に何となく興味を本人が持った、っていう感じだったと思います。

医療的ケア児の家族の語り

訪問看護や介護、巡回入浴には感謝の気持ちはあるものの、他人が家に入ってくるストレスを家族がそれぞれ感じていた(音声のみ)

(社会サービスは)訪問看護師さんや、ヘルパーさん、巡回入浴、本人の髪の毛を切る訪問理美容というものも利用しています。

この生活、本人の体調とともに健康を維持するためには、かかりつけの病院以外に往診(ここでは訪問診療)というものの意味がすごく大きい。
ちょっと体調を崩し始めたなと思ったら、往診が早々にお薬を出してくれて、抗生剤をすぐ飲み始めたり、ほんとに支えてもらってここまで来てるというのが実情ですね。

社会サービスを利用し始めの頃は、やはり人がひっきりなしに自宅にやっぱり来ますし、家の生活を全て見られているというか、やっぱり散らかしておくこともちょっとできなかったり、気を遣うので、すごくそれで疲れてしまっていた自分もいたんですね。

看護師さんが来るなんていうと、慌てて部屋をとってもきれいにしたりして、なんかそういうこう、生活を覗かれてるって言ったら変ですけど、やっぱり訪問してくるってことは自分たちの私的なエリアに入ってくるってことなので。
そうですね、それはとっても疲れるなって思っていたんですけど。

だんだん…やっぱり利用せざるを得ないんですね。きょうだいの行事があったり、保護者会があったとか、そういうことでも看護師さんが、子どもを見ててくれないと、私も外出ができないので。

ずっと同じ訪問看護ステーションに、もう1歳の頃から今までお世話になっていて、赤ちゃんだった本人を今、大人になってきた、もう青年の次男を、看護師さんたちは見続けてる状況です。
なので、私ももう、緊張して人を迎え入れるようなこともなくなっていて、まあその辺ではだいぶ私も肩の力が抜けて、いろんな人にありのままの姿、生活を見せてやっていけるようになったなというふうに、ここまで来て、そういう感じになってきています。

ま、ちょっとね、例えば子どもの受験だったり、「ああ、お兄ちゃんはどこに行ったんだね」とか、「今年は受験だね、どうするの?」とかね、やっぱりそういうプライベートな話もいっぱい出てくると、結構、子どもにもちょっとこう、ストレスがかかったりする。
本来だったら他の人は知らなくていいようなことも、やっぱり家庭に入ってきてもらってるがために、知り得る情報っていうのがやっぱりあるじゃないですか。

もちろん看護師さんやヘルパーさん、みんな個人情報なんで、そういうのを口外するわけではないんです。
けれども、次男を見るにあたっては関係ない話題も、たくさん日常の中ではあるので、そういうところが、きょうだいにとってはストレスになってるようなところも、多少あったかなっていうふうには思っていますけど。

医療的ケア児の家族の語り

田舎で小児の訪問看護を見つけるのは難しい。入院中に枠が埋まり、スタッフも人員不足で毎日入浴させるのは難しくなってきた

田舎なので訪問看護とか、訪問診療で先生を探したりする時点ですごく苦労しました。
もうたくさんしてるとこあるんですけど、子どもはちょっとしたことないっていうとこが多くて、断りが多かったです。

大人の人にケアマネさんがいるように、障害を持った子どもたちには相談支援員さんという方がいて、その方にいろいろ相談をすると、一緒に探してくれたりします。
あとは、かかりつけの地域連携室の方たちが在宅の先生とか、訪問看護先を一緒に探してくれたりとかはしてくれてます。

――今は十分に揃っているというふうに考えてますか。

揃ってないですね。入院中にスタッフの方が、在宅のスタッフの方が不足してしまい、もう行けなくなったっていうところはやっぱりあります。

――行けなくなっちゃったっていうのは?

もう、次女のケアには来れなくなった事業所とかもあります。

――入院してる間に、その枠がどんどん埋まっちゃって?

枠が埋まったり、あとは産休とか引っ越しでスタッフの方が辞めちゃって、コロナっていうのもあって、募集してもなかなか今の時代、来ないらしくて、受け入れの体制が整わないという返答があります。

――一番、手が足りないとか、ここでヘルプがあったらなーって思われるタイミングっていうのは、いつになりますか。

次女は呼吸器になってからも毎日、お風呂入れてたんです。
在宅の訪問看護師さんとかが入ってくれるまでは、旦那が帰ってくるのが遅かったりとかして、夜の9時とか10時ぐらいにお風呂入れたりもあったんですよね。

今は、訪問看護さんとかが入ってくれるようなったんですけど、スタッフ不足で入って来られない日があるので、お風呂に入れてあげれないときも増えてますね。
ちょっと旦那と2人だけの力では難しいときとかもあって。
本当ならば、毎日お風呂も入れてあげたいのが希望です。

最近、状態は落ち着いてるんですけど、酸素の値が低下することがちょっとあって、在宅の先生から(入浴時は)最低3人とかいないと、もし(酸素の値が)下がったときの対処に困るという理由でストップが出てるので、旦那と2人だけでは入れられない。
プラスそこにおばあちゃんとか、長女を人員として入れるのは、また違うかなあと思って。

医療的ケア児の家族の語り

訪問リハビリにより専門家の視点でアドバイスを受けることで、娘の成長が著しく変わったと感じている

――お母さんの目から見て、訪問リハを受けてからお子さんは変わったなっていう、思われるところはありますか。

もうほんとにすごく変わったなというか、毎回来ていただく度に成長を感じられるなって思います。
例えばつかまり立ちの立ち方一つにしても、ここに力を入れると立ちやすいとか、こんなふうにするとっていうのを、その時間の中で何回も繰り返し練習したりとか、本人に促したりしてくれるんです。
そうするともうその日の、夕方とか夜から、自分で自主的にやりだそうとする様子があったりとか。

言語聴覚士さんは、何か具体的にそこで、介入をめちゃくちゃするわけではないんですけど、言語聴覚士さんからは私にたくさんアドバイス(注1)をしていただいています。
「次はこんな物を食べさせてみましょう」とか、「こんな物をやってみましょう」とか、「これは危ないからやめときましょう」っていうアドバイスをいただいてます。

いただいたアドバイスに従って、ご飯を食べる練習とかをすると、本人も進んでやってくれたり、やる気を持ってくれたりして、やっぱりプロの目から見てアドバイスをいただけるので、すごく成長が著しくなっているなっていうふうに思います。

注1)言語聴覚士の行うリハビリの一つに、医師らの指示のもと行う嚥下訓練があります。

医療的ケア児の家族の語り

療育園に親の完全付き添いで週2回午前だけ通うことになった。給食の時間もいたかったが、食べられないのにかわいそうと言われた

胃ろうの開いてる子を受け入れたことがないのでって最初は言われたんです。
園の規約とかをちょっと見直して改定しない限り、おたくのお子さんはちょっと受け入れ難しいですって、はっきりその後、言われちゃって。
で、その改定してくれんのって聞いたら、ちょっとやってみようとは思ってますっていう話だったので、多分、保健師さんもそのお立場がね、つらいんだろうなあっていうのは、ちょっと透けて見えたりはしたんですけど。

まあ、待つしかないよねって、ちょいちょい声は掛けて、どうですかって言って待つっていうのを続けているうちに、規約がどうのこうのじゃなくて、実際にそこに入っていたお子さんが、体調が悪くて休んでいるうちに胃ろうになりましたっていう話があって。
実際に籍のある子が胃ろうになったから、もう受け入れないわけにいかないっていう話で、その流れでうちの子も受け入れてもらえたっていう感じで。

行けるようにはなったんですけど、「でも週に2回、午前中だけです」って、「この子はご飯を食べないから、給食の前までですよ」って言われて。
「いやいや、みんなが食べてる姿も見せたいし、それを刺激にこの子の嚥下が回復しないかなーって、ちょっと期待してるんですけど」って言ったんですけど、もう園的にはちょっとかわいそうだって。
「食べられない子の横で食べてる子がいるっていうのは、ちょっとかわいそうですから」って言われて。「んー、なんかかわいそうかどうか、そっちが決めちゃうんだ」とは思ったんですけど。

あとは看護師さんがその時間にいるかいないかみたいな話で、結局、医療的ケアのある子を受け入れるには看護師さん有りきなので。
有りきとはいえ、それでもお母さんはずっといてくださいねなんで、じゃあいなくてもいいじゃんみたいな話なんですけど、でも一応なんかそういうルールというか、格好があるんだなーと思って。
なので週に2回、午前中のみっていう感じで、母もべったりで行きました。

医療的ケア児の家族の語り

療育園は準備が大変なのに、保育士とも他の子とも交流もなく、行く意味があるのかと思ったが、次の人につなげたいと意地で通った

午前中の2時間とか3時間(療育に)行くためにも、出掛ける準備っていうのがすごく大変で。
たった一つ何かがないだけで命取りになるので、家のことを全部して、抜けのない準備をして、ようやく出掛けても3時間しかいられない。
行ったところで保育士さんも付かなくて、よその子との交流もほとんどなくてっていうので、何か意味あるのかなあとは思いましたけど。

でも多分、先輩のママたちがそういうのをコツコツ積み重ねて、きっと今があるんだなと思って、もう私もしょうがない、後に続くしかみたいな感じで、その条件の中で通い続けた。
歴史をつくるじゃないけど、そういう選択をして、すごい頑張ったなっていう時期ですね。

行くことで他の知的(障害のあるお子)さんとかのお母さんたちとの交流(園で悩みを話す会が月1回あった)みたいなのは、ちょっとあったんです。

(うちのように)とにかく呼吸してくれればいいし、1日に1回でも「あー」でも「がー」でも声が聞ければいいしっていうレベルと、「最近、家の電話をいたずらしちゃうんですよ」とか「靴放り投げちゃって」とかって言ってる(レベルの違いがある)。
命の問題のレベルの子と、しつけとか教育のレベルまで上がってる子たちのお母さんたちの悩みとっていうのは、やっぱり違っていて、私が発言しちゃうことで言いづらくなっちゃうんですよね。

まあ、生きてればいいのかみたいな。なんか(雰囲気)壊しちゃってるなーと思いながら、変に悩んでないのに悩みつくってみたりとか、特にないですって言って、口をつぐんでみたりとかしながら、しょうがないなって、もやっとした感じではありました。

でも、そのときのお母さんたちとは、その後、特別支援学校で再び会って、それこそPTAの活動とかで一緒になったりして、今はすごくいい関係なので振り返ればよかったんだなとは思ってます。

――その療育園での活動内容やプログラムっていうのは、ずっと変わらないまま2年?

多分、自閉的な傾向の強いお子さんたちが、落ち着くプログラムがメインだったんだと思うんです。だから毎日変わらない。
内容もなんか例えば季節で歌が変わるとかでもなく、毎日1の次は2だし、2の次は3だしっていう感じの内容が多かったかなあ。

医療的ケア児の家族の語り

自分の身体を休ませ上の子と過ごすために宿泊の短期入所を利用したが、準備が大変で1週間あっても自由になるのは2、3日だった

リフレッシュをできるだけしようと思って、短期入所を利用することを、割と他の親御さんたちよりも早い時期から考え、積極的に利用をしていました。

東京都にある施設で、特に23区内の療育施設で短期入所ができる施設というのはごく限られていました。
奪い合いと言ったら失礼な言い方かもしれないんですけど、非常に希望者が多い状態で、特に入学式とか卒業式のような、決まったタイミングではどうしても希望者が集中してしまいます。
そういった時期以外は、できるだけ私は利用するようにして、たった3日間でもいいから体を休ませる時間をわざとつくるようにしました。

例えば1週間短期入所の期間があったとしても、前半の1日と最後の1日っていうのは、本当に前半の1日は預け入れるだけにものすごく時間がかかってしまいます。
もう行って、帰るだけでへとへとになってしまって(笑)、最初の2日間とか3日間は寝っ放しなんですよね。

最後の日も、あ、いよいよと思いながらも、ちょっとのんびり過ごす時間にしていて。
そうなってくると正味動ける時間って、1週間休みがあっても1日か2日ぐらいになってしまうんですけど、その時間にできるだけリフレッシュするように心掛けて、美容院に行くとか(笑)、そういうようなこともしたりとか。

あとは、お兄ちゃんもいたので、できるだけお兄ちゃんと向き合う時間を取るようにして、そういうときに外食に行くようにしたりして、できるだけゆっくり話を聴けるように、時間を取るように心掛けていましたね。

短期入所は、月1回取るように心掛けてはいたんですけれど、23区内の施設が非常に限られていました。
大きくなってきて少し体力も出て来たら、23区外の東京都の西部の地域にもいろいろな療育センターがあったので、そういった療育センターにも行く希望も出しました。

最大で6カ所、毎月希望を出して、そのうちどこか1つが当たればラッキーぐらい(笑)、の感覚でいましたねえ。
それでも、6カ所、どこも取れないときもありましたし、逆に重複して取れたときもあります。
そういう所を利用しながら、あえて休む時間もつくるようにして、リフレッシュしながら介護と向き合っていましたね。

医療的ケア児の家族の語り

2010年頃、短期入所の予約は申し込み方法が施設ごとに異なっていた。自らマネジメントしながら、予約申請するしかなかった

――そういった短期入所の場所っていうのはご自身で探されたりとか、例えば行政の方から紹介を受けたりとか、何かありましたか。

一応、行政の方からも紹介してもらえたり、病院のソーシャルワーカーですとか療育機関の相談員の方に言えば教えてはいただけるんですけれど、ちょっと困ったことに、当時は、療育機関、それぞれの申し込み方法が全部違っていて。

ある所はFAXで、ある所は何月何日の何時何分に電話で、ある所は窓口で行ったときに、次(の予約)っていうかたちで口頭で言うだけでもできる所もあったりとか、そういった形でまちまちだったんですよね。

ですので、スマートフォンにあるリマインド機能を利用して、そのときになったら、療育センターに電話をしようとか、申し込みをしようっていう、どうやって申し込みをするか療育機関ごとに全部一覧を作りました。
そして、その時々に入れるタイミングで入所できる手はずを整えながら(笑)、申し込みをしていましたね。ちょっと面倒くさいシステムでした。

――それを一つ、一つ、その当時はそのやり方で。

そうですね。(決められた)やり方でやらないとできないので。
例えば、高齢者のケアマネジャーだったら、ケアマネジャーにひとこと言えば済む問題が、障害のある子供、特に医療的なケアがあったりすると、利用できる療育機関も限られるし、専門相談員の方に言ってもそういった対応はしていただけない。
なので、全てのコーディネートやマネジメントをするのは家族。
特に、母親に負担が掛かる場合がほとんどなんじゃないかなっていうのが、私の実感ですよね。

団子の串のように全ての機関をくし刺しにして一つ一つマネジメントしていくのは、それぞれの(機関の)役割の機能を理解していないとできないことですので、私もうまくやれていたかどうかは分からないんですけれど、慣れるまでには時間がかかると思います。

医療的ケア児の家族の語り

下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた

息子を身ごもってまして、出産しようと思ったんです。
でも出産をする時に、娘は胃ろうがあるので、娘をどこかに預けないといけない。
娘の胃ろうをやってくれる人がいない、どうしたらいいかっていうところで。
私が入院してる最中ですよね。出産の1週間をどう過ごすかっていうところで。

今の、あれ(育休制度)だったら父さん休んだらっていうところがあったんですけど、うち大黒柱が主人で、その当時、主人の会社は大手の企業だったんですけれど、休めそうな会社ではなかったんですね。
子どもの出産に10日とかお休み取れるような所じゃなかったので。取れないこともないんですけれど、それをしたら、ちょっと立場的に(難しい)とか、そういう懸念があったので、どうしてもそれを決断できなくて。

例えば私が、高熱を出した時に、誰が注入するのっていう感じで。
もうひたすら這いつくばって、「誰かしてくれる人いませんか」とか言って、市の人に掛け合ったりとかしてまして。
「契約してない人には無理なんです」という感じで、もうひたすらつらい思いをしてきたので、出産でいない間どうするとか、突然倒れたりとか、交通事故に遭ったりとか、そういう時どうするんだろうっていう不安があったので、何とか(したい)と思いまして。

そしたら、障害児だけが行ける幼稚園が市にありまして、そこにお世話になることができて。
そこはお泊まりもさしてくれるっていう所だったんですね。
なので、先生たちが胃ろうができるように試験(研修)を受けてくださって。
万全の対策でうちの娘を受け入れてくれたので、障害児が行くっていう幼稚園のほうに、通わせていただくことができました。

取りあえず私としては居場所があるとか、受け入れられた所があるとか、その場がほんとに子どもらしくて楽しい場所だったので、それはすごく良かったなと思っています。