年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

療育センターを見学し、たくさんのアクティビティと同時に細かなケアに対応するスタッフの姿勢に感激した(テキストのみ)

でも、その間に看護師さんは忙しいですよね。みんな気管切開とかしてるから大変ですよね。
でも、看護師さんも処置しながらも一緒にこう、歌を歌ったりとか、みんな寝たきりの子のそばについて。
ええ? って。だから最初はほんとに理解できなかった。だってめちゃ大変じゃないですかって。

自分1人の子どもを育てんの、こんな大変なのに、人の子が10人も何人もいる、他人の子を育てんのなんて、保育園ですら大変ですよねえ、みんな。
よくやってんなーと思うんだけど、それに加えて、看護師さんが必要な保育園みたいなところで、保育士だから知らんともいかないよね。

だから、みんな保育士さんもケアはできないけど、やっぱりそれは病気を持ってる子たちっていうことは分かってるから、それにちゃんと看護師さんのサポートもするわけですよ。私は知らないから歌だけ歌いますってことないんですよね。

当然そういう連携も取りながら1人1人の個性と、1人1人の病気と、あと、1人1人の、何時から、胃ろうで注入しなきゃいけないとかっていうのが、もう分刻みにあるわけですよね。通園時間に。

僕なんかはお父さんだから分かるわけですよ。
自分の子ども(について)の細かい指示を入れるんですよ、こういう時間帯にこの何をこれをしてくださいとかっていうの。
これが全員分、頭に入ってるんですよ、皆さん。すごいなーって、そこで俺にはできないけど。

だってこの子きょう注入忘れましたってできないですよね。ちょっと、げぼげぼ言ってたけど、放置しました、絶対できないですよ。
だから突発的な、プラス、その子のタイムスケールに合った処置をしながら、「はい、歌、歌いましょう」ってやってるから、もうミラクルな世界なんですよね。どんだけみんなすごいんだーと思って。

僕はやっぱり常々思うんだけど、機械的になっちゃうんですよ。そろそろ注入でしょ。お風呂。
でもやっぱり、そういう人たちっていうのは、何つうのかな。それも当然やる上で、他人のいろんな病弱な子どもたちをケアしながらも、ちゃんと看護師さんも歌を歌ってみんなと一緒にやってるって、すげえと思って。

医療的ケア児の家族の語り

療育園に親の完全付き添いで週2回午前だけ通うことになった。給食の時間もいたかったが、食べられないのにかわいそうと言われた

胃ろうの開いてる子を受け入れたことがないのでって最初は言われたんです。
園の規約とかをちょっと見直して改定しない限り、おたくのお子さんはちょっと受け入れ難しいですって、はっきりその後、言われちゃって。
で、その改定してくれんのって聞いたら、ちょっとやってみようとは思ってますっていう話だったので、多分、保健師さんもそのお立場がね、つらいんだろうなあっていうのは、ちょっと透けて見えたりはしたんですけど。

まあ、待つしかないよねって、ちょいちょい声は掛けて、どうですかって言って待つっていうのを続けているうちに、規約がどうのこうのじゃなくて、実際にそこに入っていたお子さんが、体調が悪くて休んでいるうちに胃ろうになりましたっていう話があって。
実際に籍のある子が胃ろうになったから、もう受け入れないわけにいかないっていう話で、その流れでうちの子も受け入れてもらえたっていう感じで。

行けるようにはなったんですけど、「でも週に2回、午前中だけです」って、「この子はご飯を食べないから、給食の前までですよ」って言われて。
「いやいや、みんなが食べてる姿も見せたいし、それを刺激にこの子の嚥下が回復しないかなーって、ちょっと期待してるんですけど」って言ったんですけど、もう園的にはちょっとかわいそうだって。
「食べられない子の横で食べてる子がいるっていうのは、ちょっとかわいそうですから」って言われて。「んー、なんかかわいそうかどうか、そっちが決めちゃうんだ」とは思ったんですけど。

あとは看護師さんがその時間にいるかいないかみたいな話で、結局、医療的ケアのある子を受け入れるには看護師さん有りきなので。
有りきとはいえ、それでもお母さんはずっといてくださいねなんで、じゃあいなくてもいいじゃんみたいな話なんですけど、でも一応なんかそういうルールというか、格好があるんだなーと思って。
なので週に2回、午前中のみっていう感じで、母もべったりで行きました。

医療的ケア児の家族の語り

療育園は準備が大変なのに、保育士とも他の子とも交流もなく、行く意味があるのかと思ったが、次の人につなげたいと意地で通った

午前中の2時間とか3時間(療育に)行くためにも、出掛ける準備っていうのがすごく大変で。
たった一つ何かがないだけで命取りになるので、家のことを全部して、抜けのない準備をして、ようやく出掛けても3時間しかいられない。
行ったところで保育士さんも付かなくて、よその子との交流もほとんどなくてっていうので、何か意味あるのかなあとは思いましたけど。

でも多分、先輩のママたちがそういうのをコツコツ積み重ねて、きっと今があるんだなと思って、もう私もしょうがない、後に続くしかみたいな感じで、その条件の中で通い続けた。
歴史をつくるじゃないけど、そういう選択をして、すごい頑張ったなっていう時期ですね。

行くことで他の知的(障害のあるお子)さんとかのお母さんたちとの交流(園で悩みを話す会が月1回あった)みたいなのは、ちょっとあったんです。

(うちのように)とにかく呼吸してくれればいいし、1日に1回でも「あー」でも「がー」でも声が聞ければいいしっていうレベルと、「最近、家の電話をいたずらしちゃうんですよ」とか「靴放り投げちゃって」とかって言ってる(レベルの違いがある)。
命の問題のレベルの子と、しつけとか教育のレベルまで上がってる子たちのお母さんたちの悩みとっていうのは、やっぱり違っていて、私が発言しちゃうことで言いづらくなっちゃうんですよね。

まあ、生きてればいいのかみたいな。なんか(雰囲気)壊しちゃってるなーと思いながら、変に悩んでないのに悩みつくってみたりとか、特にないですって言って、口をつぐんでみたりとかしながら、しょうがないなって、もやっとした感じではありました。

でも、そのときのお母さんたちとは、その後、特別支援学校で再び会って、それこそPTAの活動とかで一緒になったりして、今はすごくいい関係なので振り返ればよかったんだなとは思ってます。

――その療育園での活動内容やプログラムっていうのは、ずっと変わらないまま2年?

多分、自閉的な傾向の強いお子さんたちが、落ち着くプログラムがメインだったんだと思うんです。だから毎日変わらない。
内容もなんか例えば季節で歌が変わるとかでもなく、毎日1の次は2だし、2の次は3だしっていう感じの内容が多かったかなあ。

医療的ケア児の家族の語り

自分の身体を休ませ上の子と過ごすために宿泊の短期入所を利用したが、準備が大変で1週間あっても自由になるのは2、3日だった

リフレッシュをできるだけしようと思って、短期入所を利用することを、割と他の親御さんたちよりも早い時期から考え、積極的に利用をしていました。

東京都にある施設で、特に23区内の療育施設で短期入所ができる施設というのはごく限られていました。
奪い合いと言ったら失礼な言い方かもしれないんですけど、非常に希望者が多い状態で、特に入学式とか卒業式のような、決まったタイミングではどうしても希望者が集中してしまいます。
そういった時期以外は、できるだけ私は利用するようにして、たった3日間でもいいから体を休ませる時間をわざとつくるようにしました。

例えば1週間短期入所の期間があったとしても、前半の1日と最後の1日っていうのは、本当に前半の1日は預け入れるだけにものすごく時間がかかってしまいます。
もう行って、帰るだけでへとへとになってしまって(笑)、最初の2日間とか3日間は寝っ放しなんですよね。

最後の日も、あ、いよいよと思いながらも、ちょっとのんびり過ごす時間にしていて。
そうなってくると正味動ける時間って、1週間休みがあっても1日か2日ぐらいになってしまうんですけど、その時間にできるだけリフレッシュするように心掛けて、美容院に行くとか(笑)、そういうようなこともしたりとか。

あとは、お兄ちゃんもいたので、できるだけお兄ちゃんと向き合う時間を取るようにして、そういうときに外食に行くようにしたりして、できるだけゆっくり話を聴けるように、時間を取るように心掛けていましたね。

短期入所は、月1回取るように心掛けてはいたんですけれど、23区内の施設が非常に限られていました。
大きくなってきて少し体力も出て来たら、23区外の東京都の西部の地域にもいろいろな療育センターがあったので、そういった療育センターにも行く希望も出しました。

最大で6カ所、毎月希望を出して、そのうちどこか1つが当たればラッキーぐらい(笑)、の感覚でいましたねえ。
それでも、6カ所、どこも取れないときもありましたし、逆に重複して取れたときもあります。
そういう所を利用しながら、あえて休む時間もつくるようにして、リフレッシュしながら介護と向き合っていましたね。

医療的ケア児の家族の語り

2010年頃、短期入所の予約は申し込み方法が施設ごとに異なっていた。自らマネジメントしながら、予約申請するしかなかった

――そういった短期入所の場所っていうのはご自身で探されたりとか、例えば行政の方から紹介を受けたりとか、何かありましたか。

一応、行政の方からも紹介してもらえたり、病院のソーシャルワーカーですとか療育機関の相談員の方に言えば教えてはいただけるんですけれど、ちょっと困ったことに、当時は、療育機関、それぞれの申し込み方法が全部違っていて。

ある所はFAXで、ある所は何月何日の何時何分に電話で、ある所は窓口で行ったときに、次(の予約)っていうかたちで口頭で言うだけでもできる所もあったりとか、そういった形でまちまちだったんですよね。

ですので、スマートフォンにあるリマインド機能を利用して、そのときになったら、療育センターに電話をしようとか、申し込みをしようっていう、どうやって申し込みをするか療育機関ごとに全部一覧を作りました。
そして、その時々に入れるタイミングで入所できる手はずを整えながら(笑)、申し込みをしていましたね。ちょっと面倒くさいシステムでした。

――それを一つ、一つ、その当時はそのやり方で。

そうですね。(決められた)やり方でやらないとできないので。
例えば、高齢者のケアマネジャーだったら、ケアマネジャーにひとこと言えば済む問題が、障害のある子供、特に医療的なケアがあったりすると、利用できる療育機関も限られるし、専門相談員の方に言ってもそういった対応はしていただけない。
なので、全てのコーディネートやマネジメントをするのは家族。
特に、母親に負担が掛かる場合がほとんどなんじゃないかなっていうのが、私の実感ですよね。

団子の串のように全ての機関をくし刺しにして一つ一つマネジメントしていくのは、それぞれの(機関の)役割の機能を理解していないとできないことですので、私もうまくやれていたかどうかは分からないんですけれど、慣れるまでには時間がかかると思います。

医療的ケア児の家族の語り

下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた

息子を身ごもってまして、出産しようと思ったんです。
でも出産をする時に、娘は胃ろうがあるので、娘をどこかに預けないといけない。
娘の胃ろうをやってくれる人がいない、どうしたらいいかっていうところで。
私が入院してる最中ですよね。出産の1週間をどう過ごすかっていうところで。

今の、あれ(育休制度)だったら父さん休んだらっていうところがあったんですけど、うち大黒柱が主人で、その当時、主人の会社は大手の企業だったんですけれど、休めそうな会社ではなかったんですね。
子どもの出産に10日とかお休み取れるような所じゃなかったので。取れないこともないんですけれど、それをしたら、ちょっと立場的に(難しい)とか、そういう懸念があったので、どうしてもそれを決断できなくて。

例えば私が、高熱を出した時に、誰が注入するのっていう感じで。
もうひたすら這いつくばって、「誰かしてくれる人いませんか」とか言って、市の人に掛け合ったりとかしてまして。
「契約してない人には無理なんです」という感じで、もうひたすらつらい思いをしてきたので、出産でいない間どうするとか、突然倒れたりとか、交通事故に遭ったりとか、そういう時どうするんだろうっていう不安があったので、何とか(したい)と思いまして。

そしたら、障害児だけが行ける幼稚園が市にありまして、そこにお世話になることができて。
そこはお泊まりもさしてくれるっていう所だったんですね。
なので、先生たちが胃ろうができるように試験(研修)を受けてくださって。
万全の対策でうちの娘を受け入れてくれたので、障害児が行くっていう幼稚園のほうに、通わせていただくことができました。

取りあえず私としては居場所があるとか、受け入れられた所があるとか、その場がほんとに子どもらしくて楽しい場所だったので、それはすごく良かったなと思っています。

医療的ケア児の家族の語り

娘と離れる時間を作るよう勧められ、日中一時預かりを利用し始めた。自分は新たな趣味を見つけ、娘も友達との時間が楽しそうだ

今、日中一時預かりに月2~3回行ってるんですけれども、それを利用し始めたのはお姉ちゃんのことも大きかったんです。
私も(娘を)ケアをしたい。娘も私のケアを望んでる。
でも、リハビリの先生に「典型的な共依存で駄目」って言われたんです。
「やっぱり外の世界も知らなきゃ駄目」って。

でもやっぱり、娘は寝たきりとはいえ、娘自身の成長も考えていかなければいけないですし、私自身がずーっと元気で全部見れるわけでもないので、徐々に外で誰かのケアを受けてくということも考えなきゃなと思って、日中一時預かりを利用し始めたんです。

医ケアのあるお子さんを持ってるお母さんって、どうしても子どもとずーっと向き合ってしまって、自分のことはおろそかになってしまったり、きょうだい児のことが二の次三の次になってしまったりとなりがちです。
そういうお母さんたちもたくさん見てきて、私自身もそうなんですけど、なかなか仕事に行くのも難しいし。

でも自分自身の人生っていうのも考えて、子どもだけでこれから先終わってしまうのも、それはつらいだろうなっていうふうに思ったので、実はその娘を預けてる月2回、私ウクレレを習っていて。
そのウクレレは最初は娘のために始めたんですね。音楽的な刺激をつくってあげたいなと思って。

最初は(娘も)連れて行ってたんですね。
で、連れて複数の人数でやってるんですけど、そちらも連れてきていいよっていうことだったんで。
でもだんだんだんだん私自身が楽しくなってしまって、結局、娘を預けて、私が1人の時間をつくるっていうふうになっていて、そういう時間が増えて、やっぱりお互いよかったなと思って。

私自身もリフレッシュする時間ができて、ゆっくり自分の時間がつくれて、ゆっくり買い物をしたりとか、ゆっくり家のことをしたりとか。
娘がいると、どうしても吸引をしてケアをしてっていうふうになっちゃうんですけど。

娘自身も、最初は預けられることに不安があったんですけど、行けばお友達もいる、いろんな製作をしたりして楽しみもある、散歩も行く。
で、私には見せない顔っていうのがあって、やっぱり家にいると、どうしても関わりが単調になりがちなんですけど、初めて「(ディズニー)プリンセスのDVDが好きなんですね」っていうふうに言われて、スタッフの方から。

見せたこともなかったですし(笑)、そういう発想が私になかったので、あ、DVDとか好きなんだって。
ましてやプリンセスが好きなんだっていうのを知って、外で自分以外の誰かと関わりがあるっていうことで、私には見えない娘の一面を知ることができたので、すごくよかったなと思っていて。

今は、割と積極的に利用していて、以前は用事があるから預けるっていう感じだったんですけど、今は用事がない日に預けるっていうふうにして、娘の時間、私の時間っていうのをつくるようにしています。

医療的ケア児の家族の語り

吸引できるヘルパーが非常に少ない。レスパイトもただ寝かされているだけなので子どもが楽しめるプログラムがほしい(音声のみ)

ヘルパーさんで吸引できる人っていうのが圧倒的に少ないですね。子どもを見られる人も少ないので、もっとヘルパーさんでも吸引ができるようなシステムを作ってもらいたい。

ヘルパーステーションたくさんあるのに、吸引の免許がないからできませんとかっていう話になって、結局、子どもの吸引できるヘルパーさんの取り合いになるし、全然ほんまにいないんですね。

小児を診れる訪問看護ステーションすごい少ないとは聞いてて、うちはたまたまその病院の紹介で違和感なく来ていただいて、特に疑問を感じたりってこともなく、うまくやってくださってるんですけど。
子どもを診れるステーションが少なくて、慣れてなくてみたいなところも多分、地域的にはたくさんあるだろうから、小児に特化したような、訪問看護ステーションとかも増やしていかないと。
どんどん医療的ケア児は増えてるのにニーズと事業所の数がかみ合ってないっていう現状が、多分あると思います。

レスパイト先もあるにはあるんですけど、1回だけ、レスパイトの登録をするのに、お試し入院みたいな感じで行かないといけなくて、1回入れたんです。
でも元気じゃないですか、レスパイト行くときは。レスパイトは、通常の健康な状態じゃないと入れないので。

(元気なのに)行くと、もう入院っていう形なので、大体ベッド用意されてて、横になって、日中だから(見に)行ってみたら、子どもは元気やけど何もすることがない。ただ横に寝かされてるだけ。

保育士さんもいはるんですけど、もっと動ける、大変なお子さんに付いてたりするから、医ケア児の横に付いて、なんかずっとやってくれるっていうわけでもない。
OT(作業療法士)さんやPT(理学療法士)さんが、リハビリの何十分かだけは来てくれて、一緒に遊んだりとか体動かしたりはしてくれますけど、それ以外は基本寝てるんですね。

まあ、言うたら放置されてるというか、確かに親の休暇にはなりますよね。子どもが手から離れるわけなので。
だけど、子どもから手が離れるけど、離れた先で、ただ横に寝かされてて。

看護師さんも、お忙しいですからね。あやす、遊ぶとかっていう時間もない中でバタバタしてて、ただ、横に寝てるっていう状態を見ると、私はすごい疑問を感じるし、何のためにレスパイト入れたんやろって、私は思ったんです。

保育士さんが2対1で付いて、一緒に遊ぼうよの時間がもっとあったりとか、工夫ができてて保育の時間とか、お歌歌ったりとか、そんなことができたら、もっと本人も楽しいだろうし、違うのやろなと思うんですけど。
全くそんなことなくて、ほんとに病院に入院。横にならされているだけみたいな状態なので、子どもがかわいそうに見えて、なかなか私は預けようっていうふうになれなくて。

医療的ケア児の家族の語り

息子が大きくなってきていずれ自分だけで入浴させるのが難しくなる。子どもの訪問入浴制度を利用したい(音声のみ)

身体的なところは、例えば具体的に言うと、お風呂を入れるっていうのが、もう妻はできなくなって久しいですね。
自分ではもう無理なので、僕は完全にお風呂係なんですけど、それもいずれ僕1人じゃちょっと難しくなるかなっていう。

今のうちに、その後のことを考えようかっていう話を最近してて、ただ、大人の障害のある方や介護で(用意されているような)訪問入浴の制度がきっちりできてるわけじゃないので、そこを今どうしようかっていうところですね。
まあ、そういう意味で、大きくはなってきてて、前とはちょっとケアの仕方が変わってきてるような時期ではありますね。

――制度に関して何か望まれていることってございますか。

それは訪問入浴とかの辺ですかねえ。医ケアの子たちが大人になるまでのブランクの部分ですよね。
親がケアしにくくなってきて、体が大きくなったけど、まだ未成年で、大人の制度が使えないようなところが、今後どんぐらい出てくるんだろうなと思ってるんです。
ちょっと僕も全部を把握してないので、とりあえず今、入浴のことだけなんですけど。他にもいろいろあるんですかねえ。

医療的ケア児の家族の語り

呼吸器をつけていても動ける子が増えているのに、基準での重症の認定は古いままで、将来必要な支援が受けられないのかもと心配だ

時代がすごい進んだと思います。この10年で。
多分医療的ケア児っていうのが、議員さんのおかげで広がってきたっていうのもあるし。
厚生労働省の中で小児科の先生が動いてきたっていうのもあるし。
小児での在宅医療っていう幅が結構広がってきたのが、この10年ですごい増えたと思うんです。

うちの子が退院したときって、本当に訪問看護を探すだけでも大変だった。
NICUから出る子って、どこも受け入れてくれなかったっていうところが、今は、そういうところ専門で見る子どもの訪看さんも多くはなってきてるし。
この10年で、すごい変わってはきてるとは思いますね。

ただ、福祉のランク付けというか、重症認定というか、呼吸器つけてても動いてたら重症にならないっていう判断とか、そういうの(時代の変化への対応)がちょっと遅いのかなって。
判断が、国の基準が追いついてないのかなっていうのは感じられます。

――動けると重症認定がされないから、受けられない制度があるっていうことなんですね。

なんかそう言ってましたね。
まあ多分、今は大丈夫なのか、ランク付けみたいなのが厚生労働省の中にあるみたいで。
呼吸器よりも動けるか、動けないか。肢体(不自由児)か、肢体(不自由児)じゃないかみたいな感じのほうで丸をつけたりするときがあるみたいなんです。

1年前か2年前で、障害者手帳を更新するときに、いつも呼吸器つけてるから1級だったんですけど、呼吸器疾患が。
1回、ちょっと申請遅れますっての(連絡)がきたときに、それ(理由)を主治医の先生に聞いたら、役所のほうから、「歩けるのに呼吸器なんですか」って、「歩けるのに重症なんですか」みたいな感じで聞かれたって言ってたので。

それを往診の先生がここの都道府県の、昔っからの名残でっていうふうには言ってはって。
ただ、そこでもし(障害の)ランクが下がって返ってきてしまうと、それを私が受け止めてしまうと、これから先、こういう子って多くなるから、みんなが困ってしまう。
困ってしまうっていうか、認めてはいけないところになるから、もし等級が下がって返ってきたら、僕に言ってくださいっていうぐらいだったんで、多分まだ、役所の中の判定基準が昔のままなんじゃないんかなっていうのは受け止めましたね。