年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

手続きしに行政の窓口に出向くのは負担だ。コロナ禍で対面のやり取りが減っているが、一層のオンライン化を要望する(音声のみ)

いろんな制度があってありがたいんですけど、その制度を使用するのに、手続きがもうそれぞれ必要で、割とその手続きが重いですね、僕らにとっては。

最近、大体、区役所には僕が行くようにしています。前は妻のほうが一手に引き受けてたんですけど、もう大変過ぎるので、僕がちょっと仕事の合間を見て、部分休を取りながら、役所に行ってみたいなことをやってます。
あれをもう少し何とかオンラインでやるとか、何かしら、もう少しやりやすいようにしてくれたらなーとは思いますね。

――大変さっていうのは具体的にどういうところなんでしょうか。

今でこそ、コロナなので、必ずしも必要ないっていうことにだんだんなってるんですけど、前は、役所の現場に行かないといけなかった。
場合によっては下の子を連れて行かなきゃいけないとかっていう、面談みたいな形ですかね。なんか、そういうのがあったので。

最初の制度を申し込むようなときはそれでもいいのかもしれないですけれども、継続の場合はそれ必要なのかなーと思いながら、何かしら継続の場合は書類、またはオンラインのシステム上で済ませられるような何かがあればいいなーとは思いますねえ。

医療的ケア児の家族の語り

子どもが退院してすぐ訪問看護が週2回来てくれ助かった。今は医療的ケア児の人数が増えなかなか利用が難しいと聞いている

(子育てで)すごくつらかったっていうのがないんですね。そう考えてみたら、すごい制度に守られてたんですよ。
例えば、退院してきて間もない頃は、東京都の場合は東部訪問看護、西部訪問看護(注1)っていうので、重症児のお宅に看護婦さんが1週間に1回来てくれる、東京都の制度があって、それで来てくれてたんですね。

それとは別に(市区の)訪問看護ステーション、週1回来てくれてたんで、外に出れなくても週2回は、大人の人がうちに来て、子どものケアをしてくれたんです。
だから話す相手もいたし、私的には程よい時間だった。
(時間が)少ないっちゃ言えば少なかったんだけれども、すごく制度としてはありがたいなって思ってました。
児童発達(支援サービス)のほうに関しても、年中(組)のときに新しく区でできて、週4ないしは週5通えてたので、すごく満足してたんです。

でも今、丸5年たってふたを空けてみたところで、児童発達のほうは子どもの数が増えてるので、週4とか絶対無理なんですよね。
同じところで、年長さんで週2、それ以外は週1しか通えない。

この丸5年、6年違うだけで、こんなに、受け入れる制度っていうのが違ってきてしまうんだなと思ったときに、それはほんとに、その時代時代なんだなと。
今は就学前でも親が働いてれば、医療的ケア児を預かってくれる保育園とかもありますけれども、もしかして私の子どもがちっちゃいときにそれがあったら、私はそれを選択肢として働いてたかもしれないなって。

そんとき働いてたらまた違った形の姿っていうのが、今あったのかもしれないなとかって思うと、ほんとに何て言うのかな。
制度ってほんと5年、6年ぐらい違うだけで全くやっぱり違うなって。

その時代に合ったものを、その時その時でチョイスしてやってかないと、取り残されちゃうし、自分が嫌な思いするんじゃないかなって思って。
だから発想をね、いいほうにいいほうに全部チェンジしてやっていかないといけないなって、すごく思います。

注1)東京都重症心身障害児等在宅療育支援センター東部・西部訪問看護事業部は、東京都からの委託事業として、特別区と多摩地域の訪問看護事業部を行っています。(特別区を東部訪問看護事業部、多摩地域を西部訪問看護事業部が担当)
重症心身障害児等在宅療育支援センター 東部・西部訪問看護事業部

医療的ケア児の家族の語り

身体障害児用車いすの費用補助のため1歳半頃に身体障害者手帳を申請した。抵抗はあったがその後多くの支援サービスを受けられた

手足が動かないっていうことで、1歳半ぐらいになってくると、成長が遅いとは言いながらも、通常のベビーカーにはもう乗れないサイズになってくるんですよね。

成長は確かに遅かったんですけど、もうベビーカーではだんだん難しくて。
で、大きくなってくると、子供が乗るバギーというものがあって、自費で買うと10万円を当時、超えるような高額なもので。

ただ、通常の数万円のベビーカーには、もう乗れるようなサイズではないので、ベビーカーからバギーに替えるためには、やはり手帳を取らなくちゃいけないよねっていうことを検討し始めて。

身体障害者手帳を取ると、子供用のバギーでも行政が(費用を)負担をしてくれるおかげで、私たち利用者は、一部の費用負担で済むので、一応手帳を取得することを決めて1歳半で身体障害者手帳1級(を取得)。
当時、埼玉県に住んでいたので、知的障害を示す手帳を確か就学前に取りましたね。

ただ、東京都に行くと、その手帳は「愛の手帳」となるので、「愛の手帳」というかたちになると1度という障害になります。
ですので、身体障害者手帳1級、「愛の手帳」1度という、状態としては非常に重い障害の状態の診断が下されたおかげで、まあ大変ではあったんですけど、そのおかげで、ヘルパーさんも行政のいろんな支援も受けやすくなったことも事実です。

正直、手帳を取得したときは、ものすごくショックなことだったんですけれど、でもそのおかげでいろんな支援を受けられるようになったので、すぐに受け止められるようになったと思います。

医療的ケア児の家族の語り

様々な補助を受けるため障害者手帳が早く欲しかった。自治体によっては、発達の遅れでは手帳がすぐに交付されないケースもある

身体障害者手帳は何歳のとき取ったっけな。結構4歳ぐらいのとき取ったかな。
別に違和感なく取りました。もう、いわゆる身体障害者なので早く欲しかった。それがあることによって、日常生活用具の補助とかが出るじゃないですか。
だからこれあるといいよっていうか、早く欲しいんだけれども1歳ぐらいまではもらえないんですよね。その成長を見なきゃいけないからっていうので。

2歳とか3歳ぐらいのときかな、結構、早い段階で障害者手帳もらいました。
障害者手帳があることで、補助が出るっていうのは、お風呂用のシャワーチェアだったりとか、座位保持の椅子だったりとか、そういうので購入ができるっていうのはありがたいので、取ることへのわだかまりもなかった。
早い段階でもらいたいっていうのはあったので、ただ役所的には、何歳までは取れないみたいなのがあるみたいなんでね。ま、明らかにもう障害児だから、はい。ありがたいです。

医療的ケア児の家族の語り

酸素ボンベを使用する子どもが保育園に通う場合、看護師と保育士の加配*が必要。役所が管理できる公立園での入園が決まった

当初、病院の先生からは、最後の手術が終わるまでは(保育園入園を)待ってほしいっていうふうには言われてたんです。
でも私の感覚からすると発育がすごく順調なので、このまま家で様子を見るのは、もういろんな意味で(もったいない)。

別にフルで毎日週5(日)、保育園に行ってほしいってわけではなくって、2~3日でもいいからちょっと集団の中に入ってもらって。
私もその間、仕事をちょこちょこするっていうのがいいかなと思って。
病院の先生に相談をしたら、主治医の先生から、すごい無理させないのであれば(保育園入園を)許可はすると言われたので。

酸素を付けたまま預かってくれる公立園を、認可の保育園を探すってなったときに、いろんなとこ電話したんですけど、いわゆる私立の園は、看護師さんがいたとしても人員的に難しいと言われてしまって。

公立園であれば、役所で一括管理なので、保育士さんや看護師さんの配置もするしということで、公立園を候補にして。
結局、公立園でも自宅から通える範囲ってなると、もうほんと1つ2つぐらいしか入れられる園はなくて。

――何が難しいっていうような感じでしたかね。

そうですね。多分、どの年齢層の集団に入れるかっていうのもあると思うんですけど、次女を入れるってなるといわゆる1歳児クラス、触っていいものと触っちゃいけないものの区別もつかないですし。部屋の中を結構、不安定な状態で歩き回る。

そういう中で、保育室の中に酸素のチューブがあるという状態が、他のお子さんには危険。
例えば、他の子が分からなくてチューブを引っ張っちゃって、娘が倒れるとかっていうリスクもある。
そのチューブで他のお子さんが転んでしまうってリスクもあると。

多分もうちょっと年齢が大きくなって、このチューブがどういうものかって分かってくる、うちのお姉ちゃんぐらい、3歳4歳ぐらいになってくれば、だいじょうぶだと思うんですよね。それが保育園の部屋の中にあったとしても、ある程度みんなが分かる。

ただ、1歳児クラスで、このチューブがあるっていう状態で保育室に預けるってなると、他のお子さんのところまでやっぱりちょっと目が配りきれないっていうところがあったりする。

結局、(酸素)ボンベは先生が背負うっていう今、話になっていて。
でも(酸素)ボンベを先生が背負うってなると、先生が結局その子に付きっきりにならなきゃならなくなる。そうなると、保育士さんの数が確保できない。
いわゆる加配が必要かどうかってなったときに、私は必要ないと思ってるんですけど。
結局、酸素の扱いをどうするかってなったときに、保育士さんが別途必要ってなると、やっぱ加配が必要。

そうすると、先生が余分にいないといけないっていうふうになるので、そういう意味で保育士さんの確保も必要になる。
2つの要素をクリアできるってなると、他のお子さんの安全面と、保育士さんの確保ってなると、私立の園だと厳しいっていうのがやっぱ現状で。
公立園ならば、役所のほうで、うまく配置しますというとこで可能です、と。

医療的ケア児の家族の語り

制度やサポートについて行政に訴えるときには、なぜ必要なのかがわかるように情報を客観的に整理して伝えることが大切だと思う

当時住んでいた埼玉県で、障害のある子供にヘルパーを派遣することがなかなか認められなかった。その地域で初めて認めていただいた、第1号だと思うんです。

お役所の方に、意見を伝えなくちゃいけないときっていうのは、ありがちなのが、お母さん1人で行ってしまって、窓口で号泣しちゃうんですよね。
泣いてしまって肝心なことが何も言えないで(笑)、帰ってしまう。

ぜひ、伝えたいことや伝えたい内容を、整理して、必要であれば紙に書き出す。
私の場合は、ヘルパーさんが必要ってお伝えしたとき、なぜ必要なのかが相手は分からないので、娘を連れて行ったり、一日に必要なこと、なぜこれが必要なのかをタイムスケジュールで示しました。

こういうことを自分たちはやっているんだけど、この時間帯にはこういう人がいない。
でもきょうだい児がいればこういうこともある。
また、娘の体調は常に変化する。
だから、ぜひ何らかのかたちで支援することができないか、一緒に考えてほしいって伝えました。

いろんな感情、混乱することたくさんあると思うんですけれど、整理する時間を持つことも大事なのかなと思います。

医療的ケア児の家族の語り

療育センターの入所は医療的ケアを理由に断られ、居場所がないと思っていたが、越境して通える療育があることをSNSで知った

今使っている医療、育てる上で必要な社会資源っていうのは、行政から紹介されたものではありません。
結局インターネットで収集したり、同じような医療的ケアを行っているお母さんと個人的なつながりをSNS等で持って、そのお母さんから情報を得たりしたものです。
私も以前はブログというものをして、匿名で発信をしてたんですけれど、そういったブログ仲間から収集して得た情報でやっと利用にこぎ着けたというものですね。
まず、その利用にこぎ着けるまでが非常にハードルが高かったです。

最初、居住地域に行くべき療育センターがあったんですけれど、医療的ケアを理由に利用できるかこちらで判断させてください、対応できなければ利用できませんっていうふうに、半ば断りみたいなものが入りまして。

もちろん大学病院の主治医の先生には、療育に通ってもいいというお墨付きがあったり、診療情報提供書は、紹介状は出せるということで、自信を持って行っていいということだったんですけれど。
当時は法律もまだ整備されてなくて、医療的ケアを理由に断られてしまったという、1カ所目が断られてしまったという経緯がありました。

どこにも通えなくて、学齢期になるまでどこにも居場所がないのかなと思ってたんですけれど、同じような境遇のお母さんからSNSの情報をもらって、市内の越境をする形で療育センターに問い合わせをしました。
するとこちらは「では、初診いつにしましょうか」って二つ返事で言ってくれて。

そのときに医療的ケアのある子を育ててて初めていいことがあったかなというか、悪いことしか今までなかったので、いいことの初めてがそれだったというか。
ちょっと理不尽な目に遭い過ぎてて、当たり前のことなのかもしれないんですけれど、それが一番うれしかった最初のことですね。

医療的ケア児の家族の語り

退院時のカンファレンスで、自分だけ制度や流れが分からず置いていかれる気持ちでいたとき、先輩ママがアドバイスをしてくれた

退院してからの1日の流れが全く分からないまま、話だけが進んでいくんですよね。
何曜日にどこどこステーションさんが来ますとか、毎月何曜日に訪問医が入りますとか。

制度が固まるんですけれども、私どうしてればいいのかしらとか、何をしてくれるのかしらというのが分からないまま、自分だけ置いていかれて、制度のほうがこうどんどん固まっていくという期間がありまして、そこのギャップを埋めてくれたのが先輩ママたちです。

で、ありがたいことに、病院で4人部屋だったんですね。
4人のうち3人が呼吸器が付いていて、ナースステーションのいわばアリーナ部屋(笑)。もう歩いて3歩ぐらいのところの、一番、近いお部屋に最重症児がみんな入院してるんです。
そこで知り合ったお母さま方が訪問看護さんはこういうことをしてくれる、ヘルパーさんはこういうことをしてくれるから、お母さんはこういうふうに要求をしなさい。
こういうふうに困ったときはここに言いなさい、と全て教えてくださったのが先輩ママたちです。

あの方々との出会いがなければ、もういつまでも卵の殻の中から出られず、もう鬱々(うつうつ)とした、これからどうしようというふうに思う日々が、きっと今でも続いてたんじゃないかなと思うぐらい、在宅の世界を明るく照らしてくれたのがママたちですね。

――今でもママ同士のつながりっていうのは何かあるんですか。

もちろんです。みんな家から出られませんので(笑)、リアルに会うっていうことは(笑)ほぼないんですけれど。LINEでつながってます。
あとは「誰々ちゃんが今、検査入院してるらしい」と。
「え、うちも、うちも」みたいなことになると、病院の近くの焼き肉屋さんで、ランチ焼き肉食べたりとかですね(笑)。
お母さま方してるみたいで、そのときの様子が写真で送られてきたりとか、するので。

離れていても、夜中にね、医療的ケアしてるのは自分だけじゃない、呼吸器の音を耳をダンボにして聞いてるのは、私だけじゃないっていうふうに思えるのは、彼女たちがいるからです。
そのお母さま方の絆は非常に深くてですね、いい人しかいないんですよね、その(笑)ママたちって。

ほんとに気がいいかたがたばかりで、何でしょう、ソウルメイト。
そうですね、その言葉が一番しっくりくるかなと思うんですが、損得なしに何でも相談し合えるお母さまのネットワークに入れさせていただいたということは非常に幸せな、幸運な病室の、ひとときを過ごさせていただくことができました。

医療的ケア児の家族の語り

呼吸器を載せられるバギーやベッドサイドの棚を探したが、耐荷重や動作確認の保証がされた製品がなく困った(音声のみ)

一番最初に困ったことが、GCUから退院するとき、そのときは吸引器だけだったんですけど、市販のバギーになかなか載らなかったことです。荷物が多くって。
その後、すぐに呼吸器を付けることになって、また呼吸器を付けるってなると、呼吸器が入るバギーがなかなかなくて、すごい苦戦したんですね。

ひとしきり呼吸器をつけて退院していった人はどうしてるのかとか、病院で話を聞いたり、実習で一緒だったママに聞いてみたりとかもしたんですけど、ネットで情報を見たりとかもしましたが、なかなかこれと思う物もなく、すごい困ったんですよね。

おんなじように退院していく(とき)、呼吸器があれば、大体、載る物とかも一緒やし、耐荷重とかも同じなのに、もういちいち自分で探さないといけない。もう情報も1つにまとまってない。
一体どこを見れば、この情報が手に入るねんっていうことも、全くどこにも載ってないので、もう自分でこうじゃないか、ああじゃないかって探しながら、こうできるかなとか工夫しながら今やったんですけど、そのときは。まあ、ほんとに情報がない。

市販のバギーでも、そういう医療的ケアのある子向けのバギーをもう少し開発してもらうとか、こういうふうな子どもたち向けに助成をこんだけ下ろすよとか、やっぱりそういう情報がないと困るなって思いました。

――ちなみにどういう解決をご自身でされたんですか。

私は海外製のバギーを買って、結構容量が載る、耐荷重も載れそうな物を探して、病院で呼吸器借りて、お店に持ってって載るかなとかいちいちやってみて。
下の台のところにプラスチックで補強をDIY専門店とか行って、自分でDIYじゃないですけど、やってみたりとかしたんですけど、それで何とか解決して、思うぐらいのバギーにはなったんですけどね。

でも、それまでの過程がほんまに大変やったんで、もうおんなじやと思うんですよ。載せるもんって。なので、このバギーならこれ載せられるよみたいなのが、もう市販で決まっていればいいのになって思ったんですよね。

ピジョンさん(子ども用品メーカー)かなんかは、呼吸器を載せられるように下かごを改造したバギーを出してはるみたいな話あったんですけど。
ただ、それも医療機器を載せるっていうのと、その耐荷重問題から安全は保証できませんとかって一文が添えてたりとか、もちろんオプションなので普通のバギーよりも高くなったりとか。

医療機器載せるから、動作の保証はできませんとか一文載せないといけないとかも分かるんですけど。
だけど、絶対的に載せないといけないもんなので、動作確認とかちゃんとしたもん作ってくれよって思いました。それがすごい困ったし。

ベビーベッドとかも呼吸器を置くってなったときに高さの問題とかで、どうやって置くかとか、結露の問題とかもあるので、息子のスペースをおうちで作るっていうところが、非常にそこも苦労したところで。

もしも呼吸器のこういう子向けのベビーベッドが、こんな便利なのがあるよみたいな、オプションこうやって付けれるよみたいなのがあるんだったら、みんなそれをきっと買うだろうと思います。
でも、そういうのも売ってないので、また一からこう自分でDIYしてみたりとか、ほんとにそういう作業が大変で、もうそこに手取られて退院できひんのちゃうかっていうぐらい、時間がかかったところでもあって。

業者さんとかが入って、こういうオプションで、こうやって付けられたらこれを売り出しますってやれば、それだけで済む話なのに、全然そういうのが整ってないし、確かにニーズは少ないんですけど、整ってなさ過ぎて大変困りました。

医療的ケア児の家族の語り

相談支援専門員をつけてほしいと希望したが、障害児はサービスを使う年齢ではなく親でもできる範囲だからと断られた(音声のみ)

自分も社会福祉士であり、そのコーディネーターさんも、最近付けた人も精神保健福祉士っていう方だって、同じフィールドの方なんです。

結局、就学のこととかもあるし、いろんなサービスを変えるっていうときにも一から、自分が調べていくのも大変だから、ある程度情報を持ってる人に、こういう意向でねって話すほうが、楽やなと思ったので。
そういう障害児の居宅訪問支援員(相談支援専門員)みたいな制度があって、それを付けてほしいって市役所に言いに行ったんですね。

ほうしたら、障害児はサービスをまだまだ使う年齢じゃない。限られてるサービスを使うのが。
大人だと作業所行ったりとか、社会に出るタイミングが結構あるけど、一般の保護者の方が一からその作業所を探してとかっていうのなかなか難しいから、障害者にはそういうプランナーさんみたいな人が付いたほうが望ましいってなってるみたいなんです。
でも、障害児は多分そういうのがまだ少なくて、保護者でも管理できる範囲の話やからコーディネーターさんを、支援員を付けられない。

っていうのも、障害児とその支援員の数やったら、支援員の数が圧倒的に少なくて、全員の障害児にその支援員を付けられないから。
だから支援員を付けたいどんな理由があるかとか、保護者がどういうことを望んでて付けたいのかとかっていうところを聞かれて、それで受けてくれる人がいるかを当たるって市役所は言ってはったんですね。

言ってみると、日本の福祉制度自体が障害者メインで障害児はまだまだ、置いてきぼりというか、障害者をまずプラン作ってやっていこうっていう考えなので、なかなかその障害児まで手が及んでいない。

なおかつ、障害児を見れるそういう知識のあるコーディネーターさんも、なかなか少ないっていうところで、希望者全員が、障害児のコーディネーターにたどり着けるわけではないっていう状況みたいです。

ただ、今後も必要になってくるから、やってほしいんだってことを訴えていったら、それを受けてくださる事業者を見つけてはくださったので、いないことは多分ないんです。
けど、もう満杯やったりとかもあるので、なかなかスムーズにそういう人が見つかるかどうかも、地域とか特性によっても違うかもしれないです。