年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

療育を利用し、子どもと離れる自分の自由時間が初めてできたとき、近所のスーパー銭湯に行ったことは忘れられない

私の中では障害がある子がいるからこうするべきとか、障害がないからこうするべきとかって違うんじゃないかなって悶々と思ってて。
今思うと、今大変な状況だけれども、仕事復帰して本人も幸せだよっていう姿を見せてあげたい、っていう気持ちもあったのかもしれないですね。

――でも、そのときは保育園が決まらなかったわけですよね。その間はどうしてたんですか。

療育センターみたいな、幼稚園みたいなところに行ってました。
でもそこも、週何回はずっと付き添わなきゃいけなくって、週何回は離れていいよとか、そういう感じでした。

――療育が始まったら、離れていられる時間が少しできましたかね。その時間はどういうふうな使い方をしてたか、覚えてますか。

私、忘れもしないのが、初めて離れていいよって言われたときに行ったのが、スーパー銭湯でした。
今思うと(笑)、スーパー銭湯って、電話出られないじゃないですか。なんかあったときに。なんでそんなとこ選んだのか分かんないんですけど。
本当に近所のスーパー銭湯なんですけど、もちろんゆっくりなんてお風呂に入れたことがなくって、入りたかったんでしょうね。

今思えば、なんでスーパー銭湯(笑)。でも、すっごい、うれしかったですね。迷わずスーパー銭湯に行ってました。
連絡なかったからいいんですけど。
だって、ロッカーに携帯預けてお風呂入っちゃいますもんね。

――裸だしね。

そう(笑)。お風呂入って、マッサージ受けました。
なんてぜいたくな時間なんだろうと思って(笑)。

医療的ケア児の家族の語り

児童発達支援施設に子どもを預けるようになり、気を張って生活していたことに気付き、自分をいたわることも大事だと思った

市内に新しく児童発達支援ができるっていう話を聞いて、そこも(受け入れ)大丈夫ですって、そこは息子だけでいいですよっていうことでした。
最初1日だけ私も付き添いして、その翌週からはもう預けられることになったので、9時から3時まで預けました。

私自身の時間がそこで初めて持てるようになって、週に1回そっちに通って、もう一つのほうは、親子通園で週に1回は通うようになって、2箇所通うようになって。
それがしばらく続いて、去年の4月から息子は幼稚園でいう年少さんの年なので、市内の幼稚園と同じタイプの児童発達支援があって、そこに、幸運にも入れることになって。

でもちょっと週5っていうのは息子的にも、大変だろうなあと思って、そっちに今は週に3回、今までのところは辞めて今、市の児童発達支援に週3回通ってます。

――児童発達支援に行ってから、お子さんの表情だったり、できるようになったこととか、ご自身も少し、時間ができたっていうことで変わったことっていうのはありますか。

そうですね。ほんとにそれはすごくあると思っていて、週に1日だけでも、そのときはほんとに気付かないんですけど、後になって、私こんなに気張ってたんだなっていうのを自分で気付いたんです。
週に1日だけでも、息子のことは心配だけれども、自分も大事だなっていうふうに思うようになりました。
少しでも安心して預けられるところがあって家のこと、今までため続けていたことをできたりとか、少しでもほっとできる時間があったりとか、ご飯が1人で食べられるとか、そういう時間ができただけでも、すごく気持ち的にもありがたいなーとも思いました。

あとはやっぱり、私だけじゃないんだなって。
こんなふうに思うお母さんって私だけじゃないんだな、って思えるようなお母さんやお父さんと会う機会になったっていうのも、すごく大事なことだったなあとは思います。

息子自身も今まで、対大人ばかりだったんです。
病院でもそうですし、私たちもそうだし、訪看さんとかリハビリさんとかも来ていただいてるんですけど、対大人とだけの関係だった。
そこで初めて同じような、小さいお子さんたちに会うことができて、最初はすごいなんか戸惑ってたっぽい、様子を見るっていう感じだったんですけど、だんだんだんだん、やり取りとかも増えてきてますよとかっていうのを聞くと、ああ、よかったんだなっていうふうには思います。

医療的ケア児の家族の語り

成人した娘が、児童館で子どもたちと交流する活動を社会貢献事業として認めてもらい、謝金を娘の口座に振り込んでもらっている

成人式の後何か地域のためにっていうことで、児童館、自分が行っていた小学校の近くの児童館に交流に行くことだったんですね。
自分が成長させてもらった地域に何かできることと言ったら、そこの地域に今、小学校とか行ってる子どもたちに自分のことを伝えていろいろ発見してもらったり、優しい気持ちを培ってもらったり、やっぱりそういうことだなーと思いました。

なので児童館に交流をさせてくださいということで、地元の児童館の館長さんに申し出てました。
実はその館長さんというのが娘が小学校に行ってたときの同級生のお母さんだったんで、非常に話は早かったというメリットはあったんですけれども、今の児童館の子たちもちょっと優しさが欠けてるように思うから、ぜひ来てねって言ってくれて。
それから月に1回の交流をしていたんですね。

今度じゃあ何か仕事っていったときに、あ、そうだ、これを仕事としてできないかなーって思いました。
そのことをまたその児童館の館長さんに相談をしたら、あ、それいいかもしれんということで、他の市内の児童館の館長さんにもその情報を共有してくれて。

で、ま、私もそういういろんな館長さんのとこにも話をしに行ったりとかして、最終的にその館長会から市に対して、児童館の管轄の課に対して要望を上げていただいて児童館ハートフル事業っていうことでそれを事業化してくれて。
娘が市内のどの児童館にもお仕事として交流に行けるっていうふうな形の事業をつくっていただきました。

今も地元の児童館はじめ、他の児童館にも依頼があったら行くっていうふうな形で。
近隣の2箇所の児童館には、月に1回あるいは2カ月に1回ぐらい交流に行って子どもたちといろんな活動をしたりとか、コミュニケーションの機械をみんなに使ってもらったりとか車椅子の体験をしたりとか、いろんなことをしていってます。

もちろん私も一緒に行くんですけれども、お手当は娘の口座に振り込まれるというふうな形で、娘の仕事として。
いろんな人、いろんな関係者から、出会いのチャンスをいただいています。

そこから娘の視線入力の絵を“阿波晩茶”という発酵茶なんですけど、そのパッケージシールに娘の絵をバックに使ってシールを作りたいというふうな話が舞い込んだりとか、外に向けていろいろ活動をしているといろんな人と出会ってそれこそ先ほどのSNSの力っていうのは、そこら辺にはあるかなとは思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

「ファッションの仕事や1人暮らしがしたい」という娘に合った施設を探し、今は自立サポートセンターに通っている(音声のみ)

自立サポートセンターは、今はまだ行きだして1ヶ月ぐらいなので、そこのヘルパーさんに慣れてもらうまで、私も先週まで一緒に行ってずっと付き添って、ヘルパーさんたちに吸引の仕方とか排せつの介助の仕方とか、そういったことを覚えてもらって。

県とか市からバリアフリー調査とかそういった依頼が来たりとか、看護大の講座みたいなのに呼ばれたりとか、なんかそういうのがいろいろそこではあるみたいなので、そういったのに先輩たちについて、一緒に行ったりするみたいです、はい。

中学部になったときから、施設見学とかって卒業後をイメージした施設見学とかが始まるんですけど、いろんなところを見て回って今ある既存の市内にあるいろんな事業所さんとか、就労移行支援とか行ったんですけど、もう娘が行きたいところはなくって。

ファッションの仕事がしたいとかやりたいことはある。
だけどそれをどこに行ってすればいいのかな、1人暮らしとかできるのかなっていうのがあったんですけど、そういう自立サポートセンターの存在を学校も知らなかったんですね。

私は医療的ケアの会をやっていて、市の自立支援協議会っていうのに参加してます。
で、そこにたまたまみえた方がそこの方だったのでそういう存在を知ったんですけど、娘と一緒に行ったときに、娘が「あっ、ここだ」っていう感じで。

で、ここで自分が自立していくために必要なスキルとかそういったものを学びたいっていうので「卒業したらもうそこに行きます」っていうのを、はっきり高等部に入ってから先生に娘も伝えて現場実習とかも全部そこでさせていただきました。

医療的ケア児の家族の語り

娘はICTツールを使って、スケジュールと金銭の管理もしているほか、高校卒業後は母の仕事を手伝っている(音声のみ)

今、支援学校の先生たちもICT機器については勉強されてて。

今、娘はiPadとiPhoneとApple Watchを使いながらいろいろコミュニケーションを取ったりとか、自分で好きな音楽聴いたりとかもですし、自分のスケジュールなんかも管理もしてるみたいです、はい。

――スケジュール管理もされてるんですね。

スケジュール管理と、あと金銭管理(笑)
お小遣い帳的なものもiPhoneでやってますね。

――お給料をもらってみたいなこともあるのかなって思ったりもするんですけれども、なんかそういうことは。

まだ今のところはお給料っていう感じではないんですけど。
たまに、コンテストとか。
去年は人工呼吸器ユーザースピーチコンテストっていうのがあって。
それに応募して最優秀賞を頂いてそれで1万円頂いたんですよ。

そういうのとか、自立生活サポートセンター、県外のところからスピーチコンテストで優勝したことで原稿を書いてくれないかっていう、そういうお仕事というか依頼をもらって。
3,000円のQUOカードをもらいましたとか、お給料ではないけどそういうのをちょこちょこ集めたりとか。

月のお小遣いを高校生までは3,000円だったんですけど、社会人になって、今は5,000円お小遣いをあげてて。

あとは私のお仕事をちょこちょこ手伝ったら、これしてくれたら幾らって決めてやったりはしてます。

――すごいですね。お仕事はどんなふうに手伝ってくれたりするんですか。

私が自営業で、着物リメイクっていうお仕事をしてるんですけど、家でできるお仕事なので作品っていうか、商品管理ではないけどパソコンに打ち込んでもらったりとか、袋に詰めてもらったりとか。

そういった手作業だったり、パソコンのちょっとした作業だったり、そういったものを。
あと、オンラインストアとかにも上げるときに、私がしゃべってそれを打ち込んでもらうみたいな、そういったこともちょこっとずつしてもらってます。

医療的ケア児の家族の語り

高校卒業後に障害児を支援する施設がほとんどない。重症度が高いと施設も限られ、卒業後の進路が不安だ(音声のみ)

卒後はまた施設が全く整っていなくてですね、医療的ケアがある子はもう選ぶ余地なし、そういう状況ですね。
医療的ケアがあったらここっていうような、もうそこしかないっていうようなことだったり。

ただそこにどんどん入れられても、もう今でさえ定員オーバーになって。
その定員オーバーを毎日通わずに週3とか週4とか、それぞれが日数を減らして共用することで定員オーバーを何とか保っているというか。そういうところだったりするので。

それだけうちの子が生まれたときの倍ぐらい今、医療的ケア児がいると思うので、その子たちがどんどん卒業してくるわけで。
今のこのキャパではとてもじゃないけど今でさえもうパンパンで大変なので、もう全く回らない状況になることは目に見えていて。

これは住んでいるエリアのお役所とか、国とかそういうところにもうちょっと、考えてもらわないと、どうするのかなっていうところで。
来年にはうちも卒業しなきゃいけないんですけれど、そういった卒後の施設の問題もかなり大きくのしかかってきています。

医療的ケア児を受け入れる施設ではあるんですけれども、やはり家からその施設までの送迎車両に看護師さんが乗らない施設が割と多くて、今3号研修(注)と言ってそういう研修を終えている介護士さんでも吸引や、注入っていうのはできるようになってきています。
その介護士さんを車に乗せて介護士さんがやれる範囲で、車の中の医療行為を行って自宅から施設まで送迎するっていう施設が割と多いんですけど。

わが家で言うならば、吸引、3号研修は咽頭手前までっていう制限があるんですが、わが家は、それこそ嚥下とむせの反射もできないような子なので、気管内挿管、鼻、口から、気管の中にまで管を入れて吸引をしてるような状況の子なんですね。
それはやはり介護士さんでは無理で、看護師さんでないとできない行為だったりすると、それだけで卒後の施設を選ぶ条件がかなり狭くなって。

家からの距離だったり、他いろいろこういう子を見れる施設なのかとか、いろいろ条件があるんですけど、選べるほど施設がないので介護士さんで対応できないような重度、もっともっと重度な子も含めて、やはり卒後の行き場はないなというのが、もう現状ですね、今の。

(注)3号研修とは、平成24年4月「社会福祉士及び介護福祉士法」の一部改正により、介護福祉士及び一定の研修を受けた介護士等が、一定の条件の下で認定特定行為(たんの吸引・経管栄養)を実施できることになった制度で、介護士らがこの認定を受けるために必要な研修である。

医療的ケア児の家族の語り

高校まではリハビリや、その子なりの課題に取り組み、職業訓練を意識した手厚い教育やサポートがあるが、卒業後が課題だ

中学・高校ってやっぱ、障害があっても一応基本的にはリハビリとか、その子の課題に取り組むところだったので。
あと、高校になると一応職業訓練を意識した活動とかが増えたので、お遊びみたいなことしてるだけじゃないんだなっていうのはありました。

高3までは手厚く(社会的サービスが)いろいろ使えますけど、その先が多分みんな言われているようになかなか厳しいので、そこが今一番課題ですかね。

――今、高3になって、心配なことっていうのは何かありますか。 高3に期待してることと心配なこと。

うん、期待してることね。
何歳になっても、この子はこの子らしく楽しく過ごせるのが一番かなと思ってて。

私の中でもう、赤ちゃんの頃なのかな。
あ、この子は障害児だって心の中で思ったとき、医者からは言われないけど、そのときからこの子を自立させようと思ってて。
その自立っていうのは1人で生活ができることではなくって、家族だけじゃなくてとにかくいろんな人に愛されて、誰といても楽しく過ごせることがこの子の自立なのかなと思って。

だから家族だけでがっちり固めて家族のケアじゃないと安心して過ごせないとかじゃなくって、いろんな人の力を借りながらも、この子らしく楽しく生きていけることがこの子の自立かなって思ってやってきたので。
そういう意味では、誰のケアでも全然ストレスは感じてなさそうですし、このまま成長してってもらえたらいいかなと思うんですけど、ちょっと行き先がね、なかなか難しそうで。
今調整中なので、どこに行けるかなって思ってますけど。

地域にこういう子たちが入れるグループホームができたんです。
昼間は作業所みたいな別のところに行って、夜そこに泊まって、週末は家っていう暮らしなんですけど。
なんせ誰かが退所しない限りは入れないので。
皆さん二十歳前後なんで空く見込みはない。

医療的ケア児の家族の語り

息子に視線入力にトライさせている。学校でも取り入れてほしいが、学校はこういった技術への取り組みが遅れているように感じる

実はうちは視線入力装置を彼にトライさせてるんです。あと手元スイッチも。
どう伝えるっていうときに、そういう方法が、必要だろうと思ったんですよね。
より客観的にこれをこう、皆さんが分かりやすくする方法。

そしたら、すでにあったんですよね、世の中にはそういった方法が。
大人で中途障害の重度障害の方とか、ALSの方とかであれば福祉制度の中でも支給されてたりご自身が申請しないとですけども。

そういうものがあったっていうのがまず驚きでしたね、最初に。
それは自分から調べないと出てこなかった情報で、そこにもまた一つ驚きですよね。

どのように世間がわが子のような重度障害の子を捉えてるかっていうのがこう見えるというか、スイッチであれパソコンの視線入力であれ、もうすでにあるんです、今。

で、それらを使おうっていう対象の中にまず(子どもが)入ってない。
でもあったので、私は息子にそれをさせたいと思ってかれこれ2018年に始めて今3年目ですね。

視線でゲームとか、スイッチを押してピッピッて何か操作するとか。
で、そういう方法はもう今まで使われたデータがないというか、まだこの方法自体も新しい分野ですし、日々進化中の発展途上の分野だと思うんです。

それを実際に重度障害の、しかも生まれたときからの子どもがどのように使っていくっていう、確立された方法がまだなくって、私自身そういう機械関係が苦手と来てて、本当は。

そうなると、ほんと周りに専門のサポートしてくださる方が欲しいんですけど、さっき特別支援学校でっておっしゃいましたけれども、まだまだ先生方もご存じない範囲の話でほんとにここ1~2年やっとですね。

特別支援学校とかに視線入力装置がっていう話が盛り上がってきてるところなので、方法とか、どうアセスメントするとか。

効率的にね、子どもたちのこの分野を伸ばしていくのがいいとかいうのが、まだまだまとまってないなって思うんですね。

だからサポートしていただきたいと思いつつ、もうすったもんだしながら、時には全然させてあげられない状況で、きょうまで来てます。

でも、ご理解ある方にうちは恵まれてるので、学校には実は毎日持ってってるんです、iPadとかスイッチとか。

で、それを学校での作業にいろいろ工夫して使っていただいたり、パソコンのほうも週に1~2回、私が持ってったときは視線入力を先生方がセットして、息子にやらせていただけるっていう状況にまで今なっています。

子どもたちの思いとか好みとかそんなものがこう、はっきり可視化できるんですごいいい方法かなーと思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

息子はしゃべれないので、iPadの画像を本人がタッチすれば読んでくれるアプリなどを、学校教育でも取り入れてほしいと思っている

やっぱり(息子は)しゃべれないので、何か人を呼ぶツールみたいなのを身に付けてほしくて、家でもiPadとスイッチを使ってアプリを(入れて)やってみたりしていて。

学校でもやってほしいなあと思いつつ、去年までの先生はちょっとやってくれそうな感じだったんですけど、今年も言ってはいるけど、どうかな(笑)っていう感じで。

一応世間の流れ的にICT教育が入ってきているので、学校としてもやってほしいということは言っています。

――ICTって言うと具体的にどういうものが最新技術として取り入れられてるんでしょうか。

息子が使えるのはそんなにないので、iPadに画像を入れて文字を打ち込むとその文字を読んでくれるアプリがあるので、ポチって押したら「はい」って言ったりとか。

今日は何々をしましたって入力しておくと、ポチって押したら言ってくれるとかそういうのぐらいはできるようになってほしいなと思って。
親も勉強が必要ですけど、そういうのはやっていきたいなと思っています。

医療的ケア児の家族の語り

地域の小学校の交流に毎学期行って、給食のときにラコールをあけて同学年の子たちににおいをかがせたり、注入を見せたりした

地域の小学校に行く地域交流みたいなものもあって、うちの息子が小学校1年生から6年生まで学期ごとに必ず連れていっていたんですよね。

そうすることで、同じ学年の子どもたちがお兄ちゃんに対して物おじしなくなるというか。「ああ、○○君きょう寝てたね」みたいな「でも、○○君、結構寝てるよね」で終わるんですよ。

バギーを押してくれたり、そのバギーがバックにさがったりとか、すごいなんか恐怖だけど、鬼ごっこに参加させてもらったりとか。

そういうのを1年に2~3回交流していて、その学年の子たちはものすごく、障害があるっていうことに対して抵抗がない学年だったって他の先生から教えてもらって。

4年生か5年生のとき、地域の知的障害の学校と交流することがあった(そうで)。
今までの子たちは、わーって、例えば知的障害がある子たちが叫んだ後もう怖くて近づけなかった。

でも、うちの息子と交流してる学年の子たちは、わーって叫んでも、ああそういうことあるよねみたいな感じで、すぐまた交流に戻ったって。

だからそういった意味で、障害がある子との交流っていうのも「ものすごくありがたかったです」って学校の先生に言ってもらって。

あるとき、給食も一緒に食べさせたいなと思ってラコールを子どもたちの目の前で入れたんですよね。
で、「胃ろうというのはこういうので、このシリンジでやります」と。

で、ラコール開けて、「これがラコールのにおいだよ」って子どもたちにみんなにかがせたら「すごい、いいにおい」、「甘いの?これ」とかって言って。
「それが全然甘くないんだ」とか言って。

そうしたら、3年生のときと5年生のときにやったのかな。
3年生のお便りで、ラコールを入れてる息子の絵を描いてくれてる女の子がいて、すごいと思って。

そういう経験も一緒にしたり、よだれでこうなっちゃうけど、それは全然嫌がらずというか、そういう交流が本当に良かったなと思っていて。