まだ日本全国でも呼吸器で付き添い介助が外れるっていうのは少ないのかなと思うんです。けど、うちの県では支援学校でも通学生って本当にいなくって、数名しかいなくって。
うちが行ってた学校が県の中央にある肢体不自由の学校なんですけど、看護師さんの人数も多くて。
ただ、看護師さんができる行為っていうのが3行為。
口腔内吸引と胃ろう注入と、導尿の3行為って言われてて、「人工呼吸器管理っていうところが入らないので付き添いは絶対です」って支援学校に入るときにも言われて。
それが条件で入ったっていう感じだったんですけど、それからも校長先生といろいろ話をしながら、「どうしたら(学校での)待機外れるんですか」って。
もう私も大人げなく通ったんですけど、その中で文科省とかそちらのほうでは話はいろいろ進んでるんだなっていうのは校長先生のほうから話を聞くたびに感じてはいました。
実際法が決まっても現場がそれだけに対応できるかっていうのが一番の問題というところも分かっていたつもりでずっと待機をしながらその日を待ってたんですけど。
小学校6年生のときに県が、個別対応看護師っていうシステムを取り入れてくださって。
というのが、呼吸器をつけているうちの娘に、1週間に3日、1日最大3時間、娘専用に看護師をつけますよっていう。
だからその時間だけお母さんが待機を外れていいですっていうシステムを、つくってくださって。
それが2年ぐらい続いて1人、そのために看護師さんを雇ってくださったんですね。
3年目からは学校の看護師、誰もがその個別対応看護師「きょうはあなたがこの係ね」っていうふうな感じでなってたんですけど。
高校1年生のときに多分、文科省だったかの事業で、待機を解除するにはどうしたらいいかっていうような研究みたいなのがあって、で、全国で何校か…。
――モデル事業みたいな?
そうですね。
モデル事業みたいなところ募集されて、うちの支援学校も手を挙げてくださって、それに選ばれて2年間研究をされた結果、待機が外れたっていう感じなんですけど。
でも、それまでに私も当事者として会に入れていただいて、いろいろ参画させていただいたんですけど、ちゃんと順序よくというか。
先生たちも不安がないように看護師さんも不安がないようにっていうので、いろんなシミュレーションをやってみたりとか緊急体制をきっちりつくったりとか、本当いろんなことを2年間かけてやって。
最後に娘のあとはやっぱり一番は本人の意思が大事っていうことで、娘が「もうお母さんはいなくても大丈夫です」っていう言葉が最後決め手になって、待機が外れたっていう感じです。