年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

お兄ちゃんの保育園に送迎する際、誰も頼れず、携帯で呼吸や吸引の様子をモニターしながらケアの必要な子を留守番させた

お兄ちゃんを保育園に送るのに、さあ、この子どうするっていう問題も実はあって。
ちょうど、学校の送り迎えしてくれたりとか、母親が帰ってくるまで子どもと一緒に、お留守番してくれるみたいな、制度が行政の中にもでき始めていて、何サポートだったっけ。(「ファミリーサポート」の事)

――その、子どもを見てくれる?

はい。(サポーター)が、幼稚園、保育園、小学校のお迎えも行くし、そのまま家で預かることもできて、先輩ママたちがそういうお手伝いをしてくれるっていう。
料金もちろん発生するんですけど、そのとき1時間700円だったと思うんですよね。
それを使って、お兄ちゃんの送迎をしてもらおうかなと思ったんですよ。

でも毎日あるので、毎日その金額かあと思って、1カ月で換算するともう何万円ってなっちゃうので。
プラス、チャイルドシートを毎回取り付け直すんですよ。
来てくれた方の車に付けるっていうんで。

ちょっと現実的じゃないかなーと思って、もう何とかするしかないみたいな感じで、最初はお兄ちゃんとこの子を一緒に車に乗せていました。
でも、吸引しないと溺れちゃうし、シートを倒してうつ伏せにして、ダラダラこうよだれを垂らしてもいいようにバスタオルを敷いて、その子を押さえながら運転をするみたいな。

お兄ちゃんは後ろに乗っててもらって、「様子見ててね」みたいな感じで、園まで送っていたんですけど、ゴホゴホって言うと、路肩に車を止めて、すぐ吸引してっていう。
もうなんか、短距離だけど気が気じゃない時間がすごくあって、これよくないと思いながら。

その後は携帯電話で自宅に電話をかけて、自宅の子機を子どもの横に置いて、携帯電話で、息してるかどうかとか、吸引の音が聞こえるかどうかを聞きながら運転して、お兄ちゃんを園に送迎していました。
天気がいいときはバギーに子ども乗せて、お兄ちゃんと歩いて1時間ぐらいかかったかなあ、片道で。
そんなことをしたりしながら、何とかかんとか卒園まで行くっていう感じでした。

医療的ケア児の家族の語り

次男の急変時にきょうだい2人は預け先もなく、病院のベンチに置き去りになり騒ぎになったこともある(音声のみ)

きょうだいが急なけがをして、学校から「病院にすぐ連れてったほうがいいと思いますので、お母さん迎えに来てください」と連絡があっても、次男を置いて迎えに行くことができないんです。
夫も仕事ですぐに行けないことがあると、ほんとにそういう時困って。

学校には元々、事情はちゃんと言ってはあるんですけれども、急きょ訪問看護師さんに都合をつけてもらって、看護師さんが(家に)到着するのを待って、きょうだいの学校に急いで向かうこともありました。

長女が熱性けいれんを起こして顔色が悪くなり、次男の酸素を測る機械を付けてみたら、かなり値が低くて慌てて救急車を呼んでしまったんですけれども、救急隊員は運ぶのは次男だと思っていて。
「いえいえ、そっちじゃなくてこっちなんです」って長女のことを言ったら、「お母さん。この状況でこの子を置いて、娘さんを搬送はできないから」って言って、救急隊員が帰ったこともありました。

夫が仕事で毎日毎日忙しくて、遅くて、なかなか私を手伝うことがないんですけれども、そんなときに次男の調子が悪くなって…。
救急外来に、お兄ちゃんも連れて、妹も連れて行ったこともありますけど、救急外来に次男は入れても、次男と私しか入れないので、きょうだいたちは病棟外のエレベーターに待たせておいて。

結局入院になり、入院の手続きなどを私がいろいろやってるうちに、病棟外のエレベーター前のベンチで寝てる子がいるって話になって。
病院で誰だっていう、しかも夜中の0時頃なんですけれども、そうやって、きょうだいをそこに置き去りにせざるを得ない状況って言うんですかね。

見てくれる人がそばにいないと、次男から私が離れられないので、きょうだいはそこのベンチでいつの間にか寝てしまって、夜中の0時、1時に、看護師さんたちがちょっと騒ぎ出すっていうこともありました。
ほんとに生活の中での不自由さっていうのは、今でもやっぱり感じます。

医療的ケア児の家族の語り

障害児を抱えた生活では少しの外出にも準備がいる。PTAの役を断るために自分の状況を説明するのは気が重い(音声のみ)

障害児を抱えた生活って、不自由さをすごく伴っているというか、やはり外出がすぐにできない。
この子を、連れていけばいいんですけど、吸引があまりにも頻回過ぎて、外出先でもしょっちゅう吸引してるんですね。

そうすると、なかなか外出って難しくって。
きょうだいの行事だったり、習い事の付き添いなどは、よそのお宅みたいには、うまくいかないというか。
次男を見てくれる人を決めてからしか、私も出掛けられないので、きょうだいの学校のPTAとか、すごく困りました。

みんな仕事をしていても、どんなことがあっても、皆さんPTAってやりなさいっていう雰囲気があって…。
(PTAの役が)ポイント制で何点までになってない人は次は役をやってくださいとか、そういうことがあったりするんですけど、どこまで次男の存在をどこまで知らせるべきなのかとか。

下手したら教室の中で「実はうちはこういう子がいて」と、みんなの前で言わされるような状況に陥ったりとか。
みんなみたいに、やってあげたいんだけどできない事情があるんだよって、そこを理解してもらうところは、結構難しい。

同じ屋根の下に暮らしてないと、想像もつかないと思うんですよね。
どういう状況の子を抱えていて、どういうことを毎日やっていて、どんなところに生活の不自由さを感じているかとか。
現場を、この生活を見てくれている人にしか多分、理解できないだろうなって私自身が思ってしまうので。

きょうだいのお友達の保護者や、自分の古いお友達とか、そういう人にどう自分の状況を理解してもらうのか、なかなか壁があると言ったところで。
ちょっと分かんないだろうなって、こっちも思ってしまって、逆に言えば自分から壁をつくってしまうところもありますね。

医療的ケア児の家族の語り

お兄ちゃんと娘で時間を分けていたが、お兄ちゃんを保育園にいれたら生活しやすくなると思い、入園を役所に申請した

午前中は、きょうだいのために時間を使う。
午後は、娘のために病院に行く。
と、自分の中で分けて時間割を作っていて、お料理が好きだったので、週に2回ぐらい、午前中だけ友達に家に来てもらって、みんなで材料を持ち寄ったりして、夕飯を作っちゃうんです。

それぞれタッパーに入れて持って帰ったり、冷蔵庫にしまったりしながら夕飯を作って。
その間は友達の子どもたちと、うちの兄弟が遊んで、子どもも満足するし、私も友達とワイワイしながら楽しい時間を過ごして、午後は集中して、娘のとこに行く。

帰ってくるともう自分で作った夕飯ができてるっていう。
それがすごい自分の中でも落ち着けたっていうか。

そんなふうにしながら、病院に通ってるうちに、仲間の1人が、「もうそろそろお兄ちゃんたち3歳になるけど、幼稚園どうする?」みたいな話になって。

地域の仲間だったので、みんなそれぞれの幼稚園や保育園の情報を持ち寄って「いやいや、あなたのところは下の子が大変で病院に毎日行くんだから、幼稚園じゃなくて保育園でいいんじゃないの?」みたいな話をしてくれて。

そこから、はっと、そっかと思って、お兄ちゃんの保育園探しをしました。
市内に、1箇所だけ障害児の受け入れをしている保育園があったんです。
ここにお兄ちゃんが行けば、兄弟枠で下の子も退院したときに行けるんじゃないかと思いながら、もう絶対そこにしか入れないって気合いを入れて、担当の人を口説きに行って。
市長さんにも、お手紙を書いたりしながら、何とかそこに入って。

お兄ちゃんは朝から保育園に行き、私は家のことをし、午後から病院に行きっていう、ルーティーンに変わってった感じです。

医療的ケア児の家族の語り

お兄ちゃんはわがままを言わずに育ってしまった。サポートの学生ボランティアにわがままを聞いてもらうようにした

お兄ちゃんについて言うなら、もう、ただ一言ですね、いい子過ぎちゃったんですよね…。
いい子過ぎで育ててしまったことが大きな反省です。

今はもう大学に行っているんですけれど、(下の子と)2つ離れているので、身近にいたにもかかわらず、特に小さい頃は、反抗期っていうことをあんまりしていなかったように思うんですよね。

あれもしたかった、これもしたかったっていうことを言わなかった子に育ててしまったし、そういう環境にしてしまったんじゃないかなと、ちょっと反省してますよね…。

欲を言えば、やっぱりもっといろんなことは、親としてはさせてあげたかった。
チャンスをあげられなかったなって反省ですね。
いろんな公的な制度も、それこそ娘には(あったけど)。

お兄ちゃんが小学生だったときに一度言われたことがあるんですよね。
娘にはヘルパーさんが来る、「え、僕には来ないの、ヘルパーさん?」…。
そうなんですよ(笑)。
娘には当たり前なんですけど、公的な制度があるのでヘルパーさんが来ますよね。
でも、お兄ちゃんのためを支える制度っていうのが、ないんですよね。

だから当時、ボランティアできょうだい児に関わってくれる、看護学生さんをしばらく入れていたときがありますね。
そこは、うちの自費でお支払いをして、お兄ちゃんのわがままを何でも聞いてあげてくださいってわざと入れるようにしましたね。
もしかしたらそういうサポートも家族によってはいいのかなって、今思いますね。

医療的ケア児の家族の語り

お姉ちゃんは下の子の病気を理解しているが入院付添いで母が不在になるのは不安なようだ。要所要所でお姉ちゃんを優先している

次女の病気のことは、お姉ちゃんはすごい分かっていて、薬を飲まなきゃいけないとか、酸素を入れなきゃいけないとか、手術になれば、私も付き添っていなくなるっていうことは理解してて。

だから次女が病院に行くことを、ものすごい嫌がる。
私も一緒にいなくなっちゃうんじゃないか不安で、本人にとっては嫌みたいで、「また病院行くの?」っていうのは結構、定期的に聞かれたりはしますね。
普通に妹が生まれるっていうことよりかは、本人、相当、我慢することが多かったのかなとは思いますね。

でもそこは、なるべく、(長女の)気持ちを汲んであげるようにはしてるので。
次女の場合、病気があるといっても、すごい配慮が必要か、生活する上で何かすごい大変かっていうと、そこまで大変ではないので。
どっちかっていうと、次女が病気であるということに関しての、お姉ちゃんの心のケアのほうが大変かなって思うことはあります。

例えば、次女の入院のタイミングで、お姉ちゃんの参観や発表会が重なっちゃうことがたまーにあって。
そうすると、お父さんじゃなくて私に来てほしい、お母さんに来てほしいって、長女はすごいそういう思いが強いみたいなので。

発表会や参観とかそういう、長女を優先すべきときはなるべく私のほうが長女に関わって、次女はパパに預けて、という感じで。
長女を優先してあげたほうがいいなっていうふうに。

そういう大事なとき、要所要所は、お姉ちゃんのほうを、ちょっと気遣ってあげて。
きょうはお姉ちゃんが主役だからね、お姉ちゃんを大事にするからねっていう感じで。
メリハリじゃないですけど、ポイントポイントで大事なところではお姉ちゃんを優先するようにしてます。