年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

息子は生まれてからずっと入院でコロナ禍で面会も制限されている。家族で一緒に過ごし、よい刺激を与えたいと病院に申し出た(音声のみ)

ある看護師さんに高い高いじゃないんですけど、ちょっと持ち上げて、体を立たせてもらうとすごいうれしそうな顔をするって言ってもらって。
午前中にやってくださるんで、私は見たことないんですけど、いろんな看護師さんに言われたりするんです。

抱っことかトントンとか、誰かそばにいると落ち着くって言われることが多いので、ほんと大変だろうけど、やっぱ家に連れて帰りたいなっていう思いが強くなってますね。

――おうちに帰ってきたら楽しみにやってみたいこととかありますか。

何ができるのかなっていうところが、まだ一番おっきいんです。
病院だと、どうしても自然な会話がそこまでないので、お姉ちゃんとかパパとか、こういう家族の中にいてもらって、それがいい刺激になったらいいなって思ってますね。

――そうですよねえ。早く帰りたいですよね。

そうですねえ。最初、私は割とすぐどうなってもいいから帰りたいと思ってたんですけど、やっぱりパパのほうは、帰ったらどうしてこうなったか(入院中に低酸素脳症になった理由)がうやむやになっちゃうんじゃないかって思っていて。
ずっと病院の(問題が)解決するまでは、退院しないほうがいいんじゃないかって思ってたんですけど。

もうこんだけ時間がたってると、解決って何だろうっていうのと、その問題、いつ急変したか、急変の原因は何だったのかが分かっても、もう息子は元に戻らないっていうことを多分ようやく受け入れるというか。

コロナで(面会時間が短く)行っても寝てるときがあったりするので、だったらもう家でいい刺激をたっぷり、与えられる環境のほうがいいんだなって思い直したみたいで、ほんと今年に入って、夫婦でやっぱ家に連れて帰りたいっていう思いを、病院に伝えたところです。

――かわいいお庭もあるし。

もう、日に当てたり、風を感じさせてあげたいなって思います。

医療的ケア児の家族の語り

息子が障害をもって生まれたことで自分の中の差別意識に気づき、障害者差別をなくす活動につながっている。息子には感謝の思いだ

息子が生まれて、今はすごい良かったなって。
出産事故っていうことはものすごく悲しいことではあるんですけど、今は息子がいることに感謝をしているし、こうなって良かったとは決して言えないですけど。

でも、息子が障害を持っても良かったなって思えるのは、まず自分は、障害のある方に対して差別のない人間だと今まで思い込んでたんですけど、息子が生まれて自分は差別をしてたんだっていうのが分かったことがすごく大きなこと。

今、障害者の方たちの差別をなくしたいと思っていろいろ動いたりとか、それを基に自分がどうするべきかっていうのを考えて行動をしてるつもりなんです。
そういうこと、自分が足を踏み入れなかったら多分考えもしなかったし、行動も起こさなかったと思うので、こういう機会を与えてくれた息子にはすごく感謝をしている。

せっかく足を踏み入れた世界だから、この世の中を変えていきたいって今は思う。
息子が生きる意味っていうのをすごく考えるようになって、こうなったからにはこの世の中を変えていけるじゃないかと。

息子と一緒にやっていきたいなというふうに思ってるので、そういうのを教えてくれた息子に対してはすごく感謝をしているし、息子を産んだ病院に対しては複雑な気持ちがあるんですけど、結果的に息子の命を助けてくれた先生にも、その部分では感謝はしています。

なので、結果的にこうなって良かったのかなって思うことは、すごく大きいなって思います。命の大切さも教わったし、命の素晴らしさとか、障害があるない関係ないんだなと。

障害だけじゃなくて、例えば、性同一性障害とか、偏見とか差別っていう問題がよくニュースで取り上げられると思うんですけど、そういう各方面への興味っていうのも湧いたので、世の中にいろんな差別はあって、どうにかならないかなというふうにはよく考えるようになりました。

医療的ケア児の家族の語り

息子は小学2年生になった。ここまで息子なりに成長してくれたことに感謝しかない。次の目標は10歳の誕生日を盛大に祝うことだ

一般的(な意味)には言えないんですけど、健康というか、元気でいてくれるからこそ(一緒にいられる)なので、そこでありがとうっていうことですね。

最初はほんと、生きていてくれればそれでいい、先のことは考えちゃいけないと思っていたので、でもその考えちゃいけないって思って見ないようにしてきたことを、一つずつクリアしてきて、まずは1歳の誕生日を迎えて、(次は)3歳になったらいいな。
考えちゃいけない(と思っていた)5歳の七五三の準備しなきゃ(となって)。

まさかと思っていた就学を越えてくれたので、もうほんとに忙しくて、パンクをしそうにはなるんですけど、もうありがとう、息子にも娘にも、元気で成長してくれてありがとうとだけです。

今も前も変わらないのはとにかく、目の前のことを大事に生活していこうっていうことです。
ひとまず今の目標というか願望というか、息子が10歳になってくれたら、自分たちのできる範囲、なんかこう言ってしまうとちょっと恥ずかしいんですけど、毎年のお誕生日より、ちょっと盛大にやってあげたいなあっていうふうには思っています。
ひとまずの目標はそこですね。
なかなか成人になるぞっていうのが、言いたいけど言えないっていうところはあります。

7年間、普段、息子を見ていると元気で成長してくれているんです。
もちろん何回か危ないことはありましたし、知っているだけで10何人、お友達を見送ってきているので、生きていることが当たり前ではないっていうことは、家族側は忘れてはいけないんですけど。

本人にしてみればというか、本人を見ていると、自分は自分のペースでマイペースに、特になんか負担を感じることなく、けろっと笑って生きていてくれるので、もうあとは、本人が行けるところまで、こっちは支えてあげるしかないんだなーっていうふうに思っているので。

考えたくはないんですけど、来てしまういつか、本人が楽しかったって……それだけ思って、旅立てるようにしてあげたいなって思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

何度も辛い思いをしながらも成長する娘は、「生きること」そのものを教えてくれる。うちの子で生まれてくれてありがとうと思う

生まれてきてくれたときにすごくかわいいと思って、その思いはもうずっと変わらずなんですけど、最初は、この先どうしようっていう思いがすごく先に立っていて。
もしかしたら妊娠中に私が何かしちゃったから、こうなってしまったのかなみたいなことだとか。
もう精神的に参ってるときなんか、私が今まで人生でなんか悪いことしてきたからかなとか、今までの罰が当たったのかみたいなこととかも、そんなこと考えちゃってた時期もあったんですけど…。

病気を何回も繰り返しても、頑張って治して、どんどん成長してくれる娘の姿を見てると、もう私がどうとかいうことではない。
この体で生まれ、そういう病気を持って生まれてきたけれども、この子はこの子で、私たちのところに来てくれたんだし、この子はもうほんとに生きようとしてるっていうのが、ずっと思い知らされて。

だから、かわいいとかだけではなくって、この子と一緒に生きていこうじゃないですけど、この子に、たくさんいろんなことを教えてもらいながら、成長していくのが楽しみというか……、そういうことを教えに来てくれたのかなみたいなところだったり。

とにかくこの病気があってもなくても、この子が自分のとこの子になってくれてよかったなっていう思いが、今は一番あります。

――ご主人はどのようにお子さんについておっしゃってますか。

夫は、何て言うんですかね。割と冷静なほうで一貫して、病気だったものはしょうがないよねみたいな感じで。
毎回毎回再発したときも、それなりにショックは受けてる様子ではあるんです。
やっぱり入院だったりとか治療、手術っていうのは、苦しい思いを本人にさせてしまうので。
でも、その現実から逃げられるわけではないし、それを支えてくのが自分たちの役割だから、今ある現実を一緒に受け止めていこうみたいな感じで冷静に助言してくれます。

医療的ケア児の家族の語り

娘はカニューレのリーク(空気漏れ)で発話ができる。管の乾燥やつまりを娘本人が理解し、介助者に水分を積極的に要求している

人工呼吸器を使ってて、そのチューブの抜けとか、カニューレが抜けたりとか、そういうことももちろん気をつけてるんですけど、うちの場合は乾燥が一番怖くって、中が詰まっちゃうことがやっぱり冬場とか特にあって。

体重が24キロぐらいなんですけど、そんなにたくさん水分も一気に取れないんですね。
おなかいっぱいになっちゃうと呼吸が苦しくなっちゃうみたいで、水分もそこまで一気に取れないので、加湿とかその辺で水分調整というか、やってるんですけど。
何回かやっぱりカニューレの中が詰まってしまって、もうバギング(注1)をしても入っていかないぐらいまでなっちゃったことがあって、その場で、カニューレ交換を私がしたりとか。
そういうこともあったので、カニューレのサイズアップとかも試してみたんですけど、サイズアップすると今度は声が出なくなっちゃって。

今でもリークがたくさんあって、それをうまく使って発声してるみたいなんですね。
カニューレが大きくなると、声が出なくなって、それにショックを受けて、娘が。
もうずっと泣いてて、声が出ないことが悲しくって。

というので、見かねた先生がじゃあカニューレ小さいままでもSpO₂が下がるわけではないから、加湿だけ十分気を付けて、元のカニューレに戻しましょうということで。
まだ、本当に一番最初に気管切開したとき、小さいときのままのカニューレのサイズでまだ来てるんですけど。やっぱり、乾燥だけすごく気を使ってます。

――それはお母さまも思っているし、お子さん自身も自分で気を付けて。

はい。そうですね。朝、水筒にお茶を準備するんですけど、きょう一日頑張ってこれ飲み切ろうっていうので、自分から「お茶下さい」とかって言って、ヘルパーさんについでもらったりとかしてるみたいです。

注1)患者にバッグ(袋)がつながったマスクを装着し、手でバッグを押して肺に空気・酸素を送り込むこと

医療的ケア児の家族の語り

娘は小学校高学年まで積極的な様子がなかったが、身体が成長すると急にボールつきをしたり、学習意欲があふれてきて驚いた

娘って、あまり何か成長してないなって。見た感じがですよ。
5~6年生ぐらい(まであまり成長していない)と思ってたんですけど、実はものすごく成長してたっていうのが分かった。

1年生から4年生ぐらいまで、何か率先してやるとか(いう姿がなく)、他の育成学級の子たちの中でも、もうできる子いっぱいいてて。
「すごいな、年下の子たちなのにすごいな」とかって思うんです。

いろいろこんなことができていいな、計算もできるんだとか、はさみ使えるんだとか、ボール転がせるとか、いろいろあるんでそういうのを思ってはいたんです。
でも実際、娘はそれずっと見てて、観察してたんですね。きっとね。
今、ものすごくうまいです。

バスケットボールのように、ボールつきが、誰も教えてないのに、すごくできますし。投げるとか。
平仮名とかもものすごくは、教えなかったんですけれど、テレビ出てきた平仮名を、ピッて一時停止ボタン押して、見ながら書くんですね。
漢字とかの難しいやつも、全然形おかしいですけれど、そんなのを見て書いたりとか。

「あ、そんな意欲がこの子にはあるんだ」っていうところを感じると、もう与えてあげたくて仕方がなくて。
かといって、だからといって参考書みたいな、公文のね、そんなんは全然やらないんですけれど。

自分で見つけてやるっていう、そういう力とかがどんどんできてきて。
他の子たちがこういうことしてきたっていうのを、見て学んで、できるようになってからやるんだなっていう。

体がですね。当時、ほんとに歩くのが困難な子だったんですね。
で、片足立ちなんか全然そんな、中学2年生までできなかったんですけれど、それができるようになったら、何かいろんなことをするようになったりとか。

できなかった何かの要素が、どっかに引っ掛かってたのに、見て研究っていうか、理解はしてて、自分にできるようになったら、あふれるようにやるのが、それが今の楽しみです。

医療的ケア児の家族の語り

娘は中1頃から反抗的な行動もある一方、洗濯物を畳んだり、家族のために自分ができることを探してくれたり成長を感じる

精神的な成長で言うと、こんな感じの子でも、反抗期はあるんだなっていうのを感じていて、中1ぐらいからかなあ。
言葉があんまりポンってこう出てこないので、どう反抗するかっていうと黙る。
もう口を一文字に結んでひたすら黙るとか、「はい」って言うけどやらないとか、そういう感じの反抗はあって。

例えば「これはここに置こうね」って言っても、黙ったまま元に戻す、そこに置かないでって言った場所に、あえて戻すみたいな感じの反抗はあったり。
あとは、妹とのけんかがすごく多いです。まあ、それはきょうだいだからっていうのもあるのかな。

後から生まれてきた妹のほうが、成長が早くて、自分より上手にできていく姿をずっと見ているので、そういう意味でもちょっと悔しかったりとか、気に入らないっていうのはあんのかなあと思います。

基本的にお手伝いをするとか、自分が役に立ちたいっていう気持ちはすごく持っている子で、まあ、みんな持ってるんですよね、きっとね。
で、それがうまくできないから、表に出てこないだけで、それを私も「いいよ、いいよ、してもらわなくていいよ」みたいな感じで、やるなっていう意味じゃなくて、そこまであなたはしなくても大丈夫よ、みたいな感じにしてきちゃってたんだなと思うんですけど。

ある日、気が付いたら、洗濯物畳んでる姿見て、どこで覚えたのって思ったり、そういうのを目にする、えって成長に驚かされるっていうのは、度々ありますね。
「見て」って言われて見ると、靴下を2個セットで、くるんってまとめてたりとか。

すごく周りを見る子なので、例えば、食事中に私がきょろきょろってすると「お茶? ティッシュ?」って聞いてくれたりするんですね。
そういうのは、ちゃんと周りを見てくれてるんだなーとは思います。

医療的ケア児の家族の語り

これから補装具を作る子に、補装具を付けて歩く様子を見せてほしいと息子が頼まれ実演したとき、息子の表情が誇らしげで嬉しかった

うちの子、いまだに首座ってないんですけれど、赤ちゃんの頃からリハビリをずっと続けて、首が座ってなくても立つ練習したり、歩く練習するんですね。
最初、導入されたときはびっくりしたけど。

今、毎週1回その補装具をつけて歩く日と時間が決まっていて、歩かせる。
うちの子、体重17キロあるんですね。で、身長が110センチで。
人工呼吸器のおかげなのか、重症心身障害児のわりに成長がよくなってきちゃったほうで、体がおっきいんです。

だから、プロの理学療法士でもうちの子を歩かせるのはちょっと難しいらしいんですね。
それでも歩かせてくれる人は歩かせてくれるんですけど。

この間うれしかったことは、補装具を作るのに、療育センターが地元にあるんですけど、そこに行ったらこれから補装具をつくる子に、この補装具、見本見せてもらえませんかって、知り合いの理学療法士に頼まれて、つけたんですよ。

じゃあ、ちょっと立ってみましょうかって言ったら、うちの子がね、もう歩くものだって思ってね。
私の知ってる理学療法士だけどうちの子に関わるの初めてで、慣れてない人なのに、その人のちょっとした支えだけで、歩き始めたんですね。

そのときに、うちの子の表情がすごい誇らしげで。
「え、俺、歩けるけど、それが何か」くらいな、堂々たる態度で。
そこにいるちっちゃい子のママもびっくりして。

その補装具を作ってくれる整形医もね、あ、こんなに歩けるんだってびっくりして。
だから、本当あのときはうれしかったですね。
家の中で限られた理学療法士じゃないと歩かせてもらえなかったのがね、家じゃない場所で、慣れ親しんでもいない理学療法士のちょっとした支えだけでもう歩けちゃったって。

その表情がね、ドヤ顔だったっていうのがね。
ああ、この子なりにね、成長してんだなって思いましたね。

医療的ケア児の家族の語り

最初はスロープ付きの軽自動車を購入したが、呼吸器のチューブが外れたときに横に介助者がいないと危険なため、買い直した

――現在、福祉車両をお持ちなんですか。

はい、買いました。
最初、お友達に誘われてお花見に行ったり、ちょっとそこまで公園に行ったりっていうのでも、(介護タクシーで)片道5,000円、1万円をかけていたので、もう生活が。

最初、余命2~3カ月という思いがあったので、後で働けばっていう思いがあったんですけれど、長期で考えた場合にとても現実的ではないというところで、福祉車両が必要ということで。

ただ、なかなか金額も張るものなので、最初は軽自動車で後ろにスロープが付いていて乗れるタイプの車を見に行きました。
実際、息子の使っている車いすを持って、載せてみたんです。
これだったら、リクライニングをしたり倒しても載るねということで。

最初、軽自動車の前に助手席と運転席があって、後ろに1台車いすが載るタイプを買ったんですが、呼吸器を付けていると、外れたときにすぐに付けられないんですね、走行中は。
それはとっても危険なことなので、隣に介助者が乗れるということが、とっても大切になるっていうことで。

普通の道であれば、止まってすぐぱっと付けるっていうことで何とか対処はできるんですけれど、例えば高速道路には乗れないとか、いろいろなことがあって、「これはまずいよ」って結局買い直すという二度手間をしてしまったんですが(笑)。

その辺も最初に買ったときには先輩ママの話を聞く前に動いてしまったところがあったので、あ、ちゃんと聞いてからにすれば良かったなっていう後悔は若干あるんですが。
今は、隣に乗れるタイプのものを持っています。

――福祉車両を買うにしても、経済面での負担を少し支援してくれるものとかっていうのは何かありましたか。

この地域に関しては、車に関しては購入に関する補助は一切ないんです。
考え方としては、タクシー券を出してもらえるんですね。
市のほうから、タクシー券の補助が出るので、移動をする際にはタクシー券を使ってくださいというのが多分、原則というか。

障害がある方が運転をするための車の改造費ですとか、そういった補助はあるんですけれど、運転するのは家族であって、ただ乗せるだけというか、そういう福祉車両に関しては、一切購入に関しての補助はないですね。

例えば高速道路を乗るときの、ETC割のような、障害割というものはもちろんあるんですけれど、車を購入に関しては一切補助がこの地域ではないです。

医療的ケア児の家族の語り

バス利用には事前連絡が欠かせない。乗降時に他の乗客の視線が気になっていたが、運転手が遠慮しないでといってくれた

通院介助を使えるまでは、公共交通機関で大学病院に行ってたんですが、バスに医療的ケアというか、障害のある人が乗ると、他のお客さまの邪魔になってしまう。
乗せ降ろしに時間がかかるので、どうしてもいい顔をされない。

それは私も肌で感じたので、あらかじめ数日前に、バスだったらバスの営業所に電話をして、時刻表はもちろん事前に調べて、この系統の何時のバスで、どこからどこまでの区間に行き帰り乗りたい。
ノンステップバスでできればお願いしたいとか、バス停の縁石の近くまでなるべく寄せてほしいとか、そういった要望をあらかじめ連絡をして乗降をする。

もちろん病院が遅くなっても大丈夫なように、時間にとんでもなくゆとりを持って予約もしますし、早く終わっても逆に乗れないような、そういう不便さもありました。

そうやって通ってたときに病院の近くで降りるとき、縁石の近くにとめてもらったので、自分の力だけで降りられそうだなと思って、「私自分で降ります」って、運転手さんに声を掛けたら、「何か心配だな。ちょっと手伝います」って言われて。

運転手さんが降りることで1~2分のタイムラグがもう生じるので、私は、ああ、嫌だなって思ってしまったんですね。
乗ってる方の視線も痛いですし、中にはね、急いでる人もいるので。

でももう運転手さん、こっち来てしまってるので、お手伝いをお願いして、運転手さんも嫌なのかなって自分の先入観で思ってたんですけど。
降りるときに運転手さんから、「利用しづらいかもしれないけど、こちらは迷惑と思ってないので、これからは全く遠慮しないで使っていい」って言われて。

他(の運転手の方もそう思うのか)は分からないですけど、そんなこと思ってくれてる人いるんだっていうのはすごくうれしかったですね。
公共交通機関を使ってもいいのかなっていう初めての経験でした。