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医療的ケア児の家族の語り

長男、次男それぞれに障害がある中で3人目を授かった。世間のいう「普通」はそれぞれの家庭で違うのだと思っている(音声のみ)

上の子が発達障害で、母親にべったりという状態だったんですね。
母親は長男担当、父親は次男担当っていうような形で、担当付けがされてしまった感じで、自然な流れでこうなった。

どちらかが「じゃあ、こうしようか」っていう話をしたわけではなく、今までの(次男の)
通院付き添いに関しても、基本的に私が行くというパターンがほぼほぼ多かった。
入院をしたら2人で、妻と協力しながらやりくりをしてるっていう状態だったので、ほぼ妻が単独で、次男の付き添いで病院に行くというようなこともない状況だったんです。

――一番上のお子さんと、二番目のお子さんで、それぞれ手がかかったり、病院にかからなければいけない時期があった中で、三男を授かって生まれるときの気持ちは、ご夫婦の中でどうだったでしょうか。

正直に話すと、三男ができたときに、葛藤があったんです。
当時その、全く予想外の時期に、ぽんって授かった状態だったので、その当時、妻自身も体調があんまりよくなくって、かなりアレルギーを持っている感じなので、ステロイドを内服してたりっていうタイミングだったんですね。
その段階で授かってしまったんで、妻も、今後の子育てと言うよりは、薬飲んじゃってたけどだいじょぶかなっていう不安がすごく大きかったみたいで。

僕ら的には、兄弟がいっぱいいたほうがいいやっていうな気持ちはあったので、まあ、何とかなるよねっていうぐらいのイメージで、薬の部分での葛藤はあったんですけど、上2人の状態を見て、じゃあっていうような葛藤があったかっつったら、それはなかったですね。

――同じような状況のご家族へのメッセージとして伝えたいことはありませんか。

普通ってすごく難しいんだなって。

うちの場合だともう病気を持ってる子ども、今の環境がもう普通になっちゃってるので、逆に、そのー、普通の家庭ってどうなんだろうっていうのが分からない。
そのところ、そのところで、多かれ少なかれ問題はあるんでしょうけど、普通で過ごすことってすごいことなんだけど、その普通はそれぞれ違うんだなっていうのは感じました。

医療的ケア児の家族の語り

第4子に病気があって生まれてとても大変な毎日だったが、夫婦の話し合いの時間が増え、きょうだいの絆も強くなったと感じる

(妻の妊娠中に娘の病気が分かった)当時はすごいへこんでて周りから、産まれた後に言われたんですが、「産まない選択肢ってなかったの?」って言われたんですね、病気って、もう分かっている中で。
それは全くなくて、考えたことなかったねっていうふうに妻と話して。

うまくいっているよね、脳室も全然大きくなってない、水頭症も大きくなってないよね、産まれてこないと分からないよねって言ってたら、すごい大きい声で産まれてきたので、やっぱそれは、もう感動ですよ。

――いろんなご夫婦がいらっしゃると思うんですが、その中でも子どもが健康で産まれてこなかったっていうことに関して、お母さん自身が自分を責めるっていうご夫婦もいると思うんですけれども、奥さまの気持ちですとか、ご夫婦の関係っていうのはどうでしたか。

口には出さないですけど、自分の責任というふうには、感じていたんじゃないのか。
やっぱ母親なので。
上のきょうだいの子たち3名いるんですけど、健康にずっと育ってきているので何でっていうふうに多分思ってはいて、自分を責めたりはあったと思います。

ただ、私には見せなかったです。
上の子たちの前でも、それは見せなかったです。
毎日が慌ただしくどんどん過ぎていっているので。

1人になったときとか眠る前とかっていうのは、何が悪かったのかなとかいろいろ考えはするんですけど、考えたところでしようがないので、今を受け入れながら、何ができるか。
進んでいったほうがいいよねって。

良かったなと思うのがですね、家族の会話が増えましたね。
一番下の子が産まれたことで、夫婦で話し合いをどうしてもしないといけないんですね。
たくさん会話をするようになった。
2人で決めることが多くなったのは、すごい感じます。

きょうだいの絆っていうのも、家族の絆が強くなったなっていうのは、一番下の子が産まれてきたおかげだなって思いますね。

――上に3人のお子さんがその一番下の4番目の子が産まれてきたときの対面は、どのタイミングでできたんでしょうか。

一番最初はNICUのガラス越しで対面で、実際、抱っこできたのは、1カ月後、退院してから、おうちに帰ってきたときの1カ月後ですね。
当時、一番上が12歳で、10歳、8歳で、結構年が離れたきょうだいなんで、すごくかわいがってくれて、安心しましたね。
そのとき鼻にチューブが付いていたんですけど、そういったのも怖がらずにちゃんと受け入れてくれたっていうのは、ありがたかったかなと思います。