月別アーカイブ: 2024年3月

医療的ケア児の家族の語り

娘の気管切開を決断できずにいたところ、気管切開をして元気に過ごす子どもの親とつながり背中を押された(テキストのみ)

主治医の先生が気管切開したお子さんがいるから、会ってみないかって、つなげてくださって、そこのお父さん、お母さんに了承もらって、外来で来るときにじゃあ、会いましょうっていうことで。

その子が娘の1つ上から2つ上ぐらいだったんですけど、ものすごく元気に走り回ってて、気管切開するっていうことへの変なイメージが、全部、払拭されたんですよね。
はっきりとおっきな声でしゃべってたので、あっ、すごいと思って。
実際、そのご家族、お子さんに会えたのが、一番、気管切開することに前向きに考えていくきっかけになったのは事実ですね。

今だったらSNSがあるので、インスタとか、ハッシュタグでつながれる。
たまたま同じ県内に住んでる方で気管切開してるお子さんがいて、ちょっと早めに生まれて、軟化症だったのかな。
その子も、そのときで5歳か6歳ぐらいだったと思うんですけども、いっぱいしゃべってる動画をインスタでかなりアップされてて、こんなしゃべってんだって。

今思えば別に当たり前なんですけど、気管切開したら、勝手な思い込みで声が聞こえないと思ってたから、こんなにしゃべってるって妻にも見せて、すごいって。
それで、かなり前向きになって。

そのお母さんに直接メッセージを送って、実は今こういう状況で迷ってるんですって話したら、迷う気持ちすごく分かると。
ただ、自分たちはやってよかったと思ってますよって。
そういう経験者の言葉が、一番、背中を押してくれた。

なので、そのまま入院して待つよりは、早く病院から出て退院していろんな刺激に触れさせて、身体的ないろんな発達・発育をさせたいって、そっちに考えがシフトしていったんですよね。

医療的ケア児の家族の語り

都内で地震後の停電を経験し、バッテリーの必要性は感じている。バギーと息子を手動で運ぶために近所の力も必要だ(テキストのみ)

大きな地震があったとき、本人は寝ていたけど、ここの辺、半日、停電したんです。
電源は蓄電池を2つを買っているんで、それはよかったんです。
その時に保育園でお世話になってる訪問看護の所長さんが真夜中に「大丈夫?」って電話をしてきてくれたんですよ。別の訪問リハビリでお世話になってる人からも「大丈夫?」って。気にかけてもらうってありがたいですね。

あの時はそんなに大したことなかったので、助けを求める感じでもなかったですけど、そういう電話があることで、必要なことをお願いできるので、すごいありがたいことだなと思いました。

――電源は自費で確保したんですか。

一台 は、自費で。退院して帰ってくる時に必要だねって言って確保しときました。
それは病院からも言われました。いろんな蓄電池もあるし、ガソリン入れるタイプもあるし。

もう一台は今年度かな、市で災害用に助成しますよっていうのが始まったんですよ。
すでにもってる1台は呼吸器を1日動かせるぐらいしか持たないので「もう一台買っとこう」って言って。だから、2台あります。

――電源以外の災害備蓄は?

物品ももちろん、かなりの量を備蓄してますし、息子の避難セットだけで引越しみたいになります(笑)。これ持って避難するより、多分、家にいたほうがいいんじゃないかなって感じではあるんですけど。

――そのときの停電ってどれぐらい続いたんですか。

あの時は8時間ぐらいなのかな。
でも、停電しちゃうとエレベーターも動かないじゃないですか。そうすると、もう動けないなと思って。
本人は何とか抱えて下に下ろせるんですけど、車いすないと移動できなくて。車いすも、40キロぐらいあるんです。
だから、本当、近所の人とかお願いしないと避難できないなと思って、うち、自治会役員もやったんです。

引っ越して来て早々に、役員が回ってきちゃって、「実は、こういう事情があるので、人がいなきゃやりますけど、できれば避けたい」って最初は言ったんです。
ですけど、まあ、やろうかって、息子も連れて会合に出たりして。

近所に障害のある子がいると知ってもらっているので、お願いはしやすいですよね。
しかも、たまたま、2軒隣の人が会長さんだったので。
きっとお願いすれば助けてくれると思うので。
そういうふうに、自分たちでも、セーフティーネットみたいなものをつくっていくっていうのが大事かなと思って。時々、面倒くさいなと思うんですけど(笑)出ていってます。

医療的ケア児の家族の語り

退院時に経鼻経管栄養の管が抜けるたびに受診するのは自宅も遠くて大変だと思い、自宅でできるように訓練した(テキストのみ)

子どもの入院中はNG(経鼻経管栄養の管)を入れるのも、看護師さん呼んで、入れてもらったんですけど、先に卒業したお子さんが、家で抜けて、わざわざ入れるためだけに外来に来て受診してるのを、妻が知って。

そのためにわざわざ外来に来るのは大変だから、自分たちで自宅でできるように、習いたいって伝えたら先生がオーケー出してくれたんですよね。

――特に医療職なわけでもなく、管の入れ直しのためにわざわざ病院に行くのが面倒くさいわって決断したってことですか。

うちは、病院と自宅が離れてるんで、そのためだけに受診ってなったらと思って。
吸引はご両親でっていうのオーケーですけど、それまで経鼻経管栄養は先生たちも気管に入るとまずいからってことで、なかなか、よしとはしてなかったんですけど、やり方習って、音の確認とか教わってオーケーもらったんで、その点、うちは助かりましたね。

医療的ケア児の家族の語り

病院では最近、人手不足なのか親の付き添いを求められる。父親が付き添うなら個室をとってほしいと言われ憤慨した(音声のみ)

――家で自分が見なきゃいけない大変さと、入院先に通わなきゃいけない大変さってまた別のものだと思うんですけど、ご自身の仕事とかいろんなことを含めての生活を考えたときにどっちのほうが安心してられるとかありますか。

それは入院してもらって、しっかり見てもらったほうが、落ち着きますよね。
その間に僕たちも体調整えたり生活を整えたりっていうことができるので、もし病院で看てもらえるんであれば、そういうふうにお願いしたいんですが、最近、かかりつけの病院も、小児がすごく大変で、保護者に付き添いを求めるようになったんですね。
保護者が病院で付き添うぐらいなら、家で見てようかみたいな判断にはなってます。

去年、救急で夜間行って、「もう病棟は満室で成人の個室しかありません」「どっちか付き添ってください」って言われた時に、次の日、妻が学会発表だったんで、私が付き添って3泊ぐらいしました。

今年の夏は気管支鏡の検査があって、その病棟の看護師さん足りないみたいな感じで「付き添ってください」って言われて、妻が1泊2日に付き添ったんですけども、「お父さんが付き添う場合は別途個室料のかかる個室ね」みたいなことを言われて、すごく憤慨した記憶が。

――それは、周りが女性が多いから?

そうですね。ケアをする主体がお母さんっていう前提が病院の側にもあるし、お父さんが来るっていうことをそもそも想定していないっていうことですね。
男女もちろんいろんなことがあるんで分けるっていうことは合理的だと思うんですが、その場合に、お父さん側にだけ金銭的な負担が発生するっていうことは非常に信じられないですよね。

例えば、シングルファザーのご家庭だったり、いろんな事情があるところがあると思うんですが、その辺りもうちょっと考えてくれないかなと思いますけど。

――差額ベッド料って幾らぐらい? 2万円ぐらいするんですか。

1泊2万とか3万とかしますよね。
しかも一日って12時からの一日なんで、ホテルみたいな計算じゃないから、すっごい高くなるんですね、2日間。1泊2日、丸々2日分かかりますから。

医療的ケア児の家族の語り

他の家庭での状況や、新しい制度や機器の情報は相談員や訪問看護師から得た。ハード面での自己負担額も大きく、その情報は貴重だ

お風呂に関しても、私たちだけの情報だったら、どうしても限度があって、訪問看護さんが、他の利用者はこういうふうにやっているよとか、そういった情報が多いんです。
逆にこっちからも、うちではこういうことをしているよっていうのを伝えたり。

訪問看護さんとか相談員さんを通じての情報交換が貴重で、新しい道具を持ってきて、お風呂でこれ試してみたら、とか。
どうしてもしゃがんで体を洗わなきゃいけないと、腰痛めるので、どうやったらきつくないようにできるかなって工夫を一緒に考えたりとか。

――お金が意外にかかったもの、経済的な負担面で気付かれたことってありますか?

ハード面は、専用の椅子であったり、装具であったり、バギーも作って、車椅子も作って、福祉サービスの補助は出るんですけど、何割か負担しないといけないんです。

この物が全て、専門の物になるので、例えば椅子一つ取っても10万以上するとか、バギーだったら何十万する。
そこの何割か負担なので、そういった面ではかなり大きいですよね。自己負担は。

一番最初困ったのが、酸素を測る機械があるんです、パルスオキシメーターといって、今、コロナ禍で皆さん、よく分かると思うんですけど。
在宅用はこのぐらい大きいんですね。ティッシュペーパー(の箱)ぐらい。
ずっとこれを持って病院の外来へ行っていたんです。

酸素は必要だけど呼吸器をしていなかったんです、最初は。
小さくて持ち運びができるやつ、買ったら10万ぐらいするので福祉サービスで購入したい。
で、相談したら買えなかったんです。市の条例では条件が呼吸器を付けている子じゃないと駄目だよって。

実際、1歳のときに呼吸器を付けたから、その条件にはまって購入できたんですけど。
そういったところで市町村によっては、自己購入。
その福祉サービスが、行き通っていなくて、自己負担でしか買えない方たちがいっぱいいるみたいで、実際それを知らない人も多いんですよ。

こういった福祉サービスで買えるよっていうと、知らなかったって、買った後だったって。
私たちは、どういうふうに購入したら一番自己負担が減らせるのかって相談員にいろいろ話聴いて。
ハードの機械面ではすごいお金かかっている。

今、私たち吸引器は、在宅用と、保育園、幼稚園に行くときに持ち運ぶ吸引器あって、全部で今、3つあるんですね。
この残り2つが、よく壊れるんですよ。
この修理代で実際、買った金額の倍かかっているというのがあって。

ただ、本物の吸引器、在宅用の本物の吸引器は、10万以上する。
これも行政で6年(正しくは5年)に1回しか買い替えられないって決まっているので、なかなか買い替えることができないので、そういったところの自己負担は大きいかもしれない。

医療的ケア児の家族の語り

小児科から大人の総合病院への移行は考えるが、コロナ禍や本人の体調、時間的余裕など条件が整わずに悩んでいる(音声のみ)

――生まれてすぐ新生児科、小児科と消化器科ときて、今も小児科なんですか。

今も小児科ですね。
病院自体が小児専門なので、基本的に小児の中の消化器科と腎臓科と腎臓リウマチ科にかかっていて、そろそろ大人への移行医療という部分で、大人の病院へっていう形の話が出てたんですけど、コロナ禍で移動しづらい状況。

大人になったからこその合併症も出てくる状態の中で、小児専門の病院に通っていて、主治医は「うちはいつまでも診るよ」っていうことは言ってくださっているので、何歳までに移らなきゃいけないってことはないんだけど。
大人になって合併症等が出てきた場合に、小児専門の病院だと対応しづらいから、総合的に診れる病院のほうが本人のためにはいいのではないかというふうな話はよくするんです。

如何せんね、今の(コロナ禍の)状態だと動きづらいという部分もあって、現在に至ってる感じです。

――親子の中で、移行の目安みたいなことを考えたりしますか、就職だったりとか。

ほんとは、そろそろ移行したいっていう部分ではあるんです。
タイミングで考えると、病院移るって、移るほうの労力があって、新たな主治医との関係の構築であったり、慣れない病院へ通うことを考えると、ある程度、時間的に余裕があるときに行いたいんですよね。

例えば、長期の休みの間とかで考えたいっていうのは、正直あるんですけど、いいタイミングという部分で、主治医からもコロナがはやる前ぐらいから「動いてもいいんじゃない?」って話もされたことはあったんです。

そのときに本人の体調があまり安定してない状況で、そこで動いてもちょっとどうかなっていうことを言われたこともあったり。
タイミングという部分で、本人の体調も落ち着いてて、時間的な余裕もあってという部分で考えると、なかなかその条件がそろうところが見つからないという部分が現状なんですよね。

医療的ケア児の家族の語り

定期的な製剤投与や体調管理について息子自身が将来の働き方や病気の付き合い方について考えなくてはいけない(音声のみ)

――生物学的製剤の投与には3時間かかる?

大体13時から予約が入っていても、小児の病院で抗がん剤の投与を外来で受けてますよっていう子たちがいるところで集中的に受ける形になるので、処置室に入って、主治医の先生が様子を見に来て、「きょう大丈夫だね」って話があって、初めて投与のGOが出る感じなんですね。

13時に予約で、先生が来て14時近くなってGOが出たとしても、薬の準備が始まって、実際、投与が始まるのが14時半とかで、14時半から3~4時間は最低かかるので、そこから投与が始まって、点滴を打ち始めて3~4時間かかってくる。
17時半、18時いう感じのパターンが多いんですね。

――これから仕事をするにあたって、病気との付き合い方ってどういうふうにお話しされてますか。

そこに関しては、すごく迷っていて全てをオープンにして働き始めるのが、正直、僕自身はベストな状況なのかなと思うんだけど、それはそれでリスクがあるじゃないですか。
当然ながら、病気をオープンにして就職活動をして、果たして、採ってくれる事業者があるかという話もあるし。

正直、結論が出てない。
しっかりと資格が生かせて、常勤、正社員ではなくてもいいのかな、そういう働き方もあるのかなっていう話はしてる。

――今はまだ子どもを守ってあげられる。お父さんお母さんまだ若いですけど、将来についてはどうですか?

その辺は不安ですね、正直。
実際、何とかしていくことを自分なりに覚えてもらわなきゃいけないし、何とかしていくすべを考えていくのが、今後、必要なのかなとは思いますけど。

医療的ケア児の家族の語り

息子の風呂あがりに気管切開部分のガーゼ交換やバンド交換をする。夫婦で息を合わせて行うのが日課だ (音声のみ)

――(お子さんは)お風呂は好きですか。

お風呂、好きですね。

――今、どんなふうにお風呂に入れているんですか。

普段はもうシャワーなんですよ。浴室にお湯を流してかけるようにと思って置いて、シャワーで頭洗って、体流してっていうところは毎日してて。
湯船に入る時は、どっちかが一緒に入ったり、します。

何だろう、足もだいぶ長くなってきて、ちょっとそろそろ、浴槽なんか着きそうな感じがしますけども、体、ぷかーんって浮かして心地よさそうな表情します。お風呂、好きですね。

――湯船に入れてあげられるのは2人一緒にいるときに?

そうですね。

――冬場だとあっためてあげたい。

あっためたいですよね。
基本的にケアは、特に、お風呂の後に気管切開部分のそのガーゼ交換と、バンド交換っていうのをやるんですが、これはやっぱり2人でやります。僕は一人でも、妻がいないときもやりますが、妻はそれはもう危ないからやらないっていう感じで。

――それは、支えが必要だから2人必要?

頭をぶんぶんぶんぶん動かすんで、(入ってる管が)抜ける可能性、危険性っていうのはあります。
僕は(息子の)体を拘束して、頭を股で挟んで、それで(一人で)替えるっていうことはやりますが、2人でやるより、気管切開の部分に負荷がかかったり、できれば避けたほうがいいので。

――なかなかの力業でやるってことなんですね。

力業ですね。だから、それこそ息が合ってるのが大事で、初期の頃は、どんなに夫婦げんかしてても、この気管のガーゼ(とバンド)交換前までに仲直りするみたいな感じでやってました。
今や、別にけんかしててもそれはそれでプロのようにできます。

医療的ケア児の家族の語り

生後1か月で退院してきた頃、吸引が頻回で眠れなかったが、自分は夜勤で仮眠をとることができ、仕事とケアをなんとか両立できた

その当時は、最初の1カ月っていうのは酸素が必要でもなく、ただ、吸引の量がかなり多くて、5分から10分おきの吸引をずっとの状態で、当時は鼻と口なんですけど、まだ気管切開していないので。
夜は眠れなかったですね。
ずっと夫婦で交代で起きてで。

訪問看護さんが来たときに、ちょっと眠ってきますねって言って眠れる状態。
1日、ほんの2~3時間も眠っていないんじゃないかなって感じですね。

――今、さらっとおっしゃったんですけど、すごいつらいですよね。

うーん(笑)。

――眠れないし、もちろん上のお子さんも、仕事もあって。それをどうにか、解消できる方法はなかったんですか?

これは私のほうが恵まれていたんですけど、私の仕事が、24時間の夜勤がある勤務で、その仕事のときに、実は眠れるっていうのがあって。
私が仕事のときに眠れるので、帰ってきてからの休みのときには、妻を休ませて、自分が見るよっていう感じで。

吸引するたんびに起き上がって腰を痛めてしまって、元々ヘルニアを持っているので起き上がれなくなってしまったんですね。
それで、起き上がるこの動作がきついから、もう座った状態で眠って、すぐ吸引ができる。
ずっと手にはチューブを持って常に、で、もう吸引するっていう感じでっていうのを繰り返していましたね。

あとは訪問看護さん来たときにお願いしてっていうことで、そのときに、またゆっくり休めるのかなって感じでしたね。

医療的ケア児の家族の語り

双子を出産し、1人は亡くなり、1人はNICUに入った。悲しみと不安で当時はただその時間を生き延びることに精一杯だった

双子を出産したんですけども、1人が助からなくて、助かったほうの1人がそういう(危険な)状態だったので、どちらの事態も自分の中で整理ができなくて。
亡くなった娘に申し訳ない気持ちと、助かって頑張ってるけど予断を許さない、どうなるか分からないっていう状況の娘に対して不安な気持ちと、なんとか生き延びてほしいっていう気持ちとの全てが同時に押し寄せてきてる、そんな感じでした。

――その後、NICUに入られた娘さんは、治療を続けていく形になられたかと思いますが、そのときに、誰に、どのようにお子さんの状態について伝えられましたか。

一番最初は、入院して随分長いこと、家族ですね、主人と自分の両親と主人の両親とっていう範囲。
私自身は、姉と妹がいるんです。
特に妹は普段からいろいろ相談する関係なので、妹には日々話をしたり。
日々、コミュニケーション取ってたのは、自分自身の家族、夫と両親と妹がほとんどです。

――そのときの、ご家族のご様子といいますか、どのようにご家族でその状況を乗り越えられてこられたか教えてください。

自分自身の記憶がもやがかかったようになってる。
特に最初の、出産した病院から自分が退院するまでの1週間とか、その後の2〜3週間も、もやがかかったようになってしまっていて、細かいことはあんまり思い出せないんですけれど。

私の家族は私と同じように悲しんでたし、不安だったと思います。
あとは多分、私のことを心配してくれてたと思います。
なので、それをどう乗り越えていったかっていうのを、うまく言葉で説明はできないんですけど。

乗り越えるみたいな意識は、そのときの自分の中にはなくて、時間が過ぎるのを堪えるみたいな気持ちっていうのかな。
私のほうが(娘より)先に退院しましたけど、すぐに亡くなったほうの娘の葬儀もあって。
入院中から葬儀の準備はしてたんですけど、それをして。

それからずっと今度NICU通いが始まって。
一日一日を耐えて生き延びる、毎日サバイバルみたいな気分ですね。
乗り越えたっていうよりは、このサバイバルを、次の1分、1時間……1日が過ぎる。
それの積み重ねって感じですね。