月別アーカイブ: 2024年10月

医療的ケア児の家族の語り

医療的ケア児にも様々な状態があり、歩けて目が見えない次女に適したサービスが見つからない。先輩として交渉は大事だと伝えたい

最終的には、次女の場合でいうと、1人で暮らすってことはちょっと厳しいかなと思っているので、グループ(ホーム)なのか、施設なのか分からないんですけど、適材っていうか、適所に行ければいいとは思ってます。
ただ今までは医療的ケアがあると、イコール重度心身障害者施設とか、そういう、ちょっとナンセンスというか、おかしいと思う(ことがあった)けど、今後はなくなっていくと思います。
今も、医療的ケアがあるって言ったら、卒業後は重度心身障害者の、日中支援みたいなのがあって,、「お子さんの場合はそこかな」っていうふうにおっしゃってたんですけど。
「歩けます」って言ったら、「ああ、それはちょっとうちでは」っていうので、どっちにも入れないっていうことはありました。今でも、その問題には直面してます。
私が一昨年かな、腎臓結石で手術しなきゃいけないことがあって、手術自体は2泊3日なんだけど、帰ってきてすぐに、お世話するってなるとちょっと難しいので、ショートステイに預けたいって言ったら、全部断られました。
それで、ある病院に検査入院ということで入院させてもらったんですけど、医療的ケアがある子どものショートステイはNGってのは、まず90%ぐらいかな。
いわゆる都立の…ああいったところが、医療的ケア児を受け入れているけど、肢体不自由児のお子さんが、基本なんですって。
事情が事情なので、いろいろ考えてみますけど、もう申込期間も過ぎてるし、そういうお子さんを突然預けるってことは難しいので、事前に来て練習してみたいな。
それでも受け入れられるかどうか、「今回は無理です」とか言われたりしたので。
そういう、何て言うのかな、隙間があるっていうか、今ほんとに医療的ケア児って言っても、ほんとに、元気に走り回ってるお子さんもたくさんいらっしゃるので。
変わってはいくと思うんですけど、変わっていく途中で、まだ「うちでは無理です」って言われちゃうことはあると思います。
だから、交渉していく。先輩として、もし言えるとしたら、交渉は大事だけど…。
これは実は先輩、私のさらに先輩の受け売りなんですけど「交渉していくことは大事だけど、相手の人とけんかをしちゃ駄目よ」って言っていて。
そこだけはもうすっごい頭にきても、肝に銘じて、最終的には丸く収めて、いったんは引き取って、帰ってきてもう一回挑むという姿勢にしています。

医療的ケア児の家族の語り

聖火ランナーを務めることで周りに感謝の気持ちを伝えたかった。長女の部活の応援でもみんなに可愛がってもらえて幸せだった

10歳 のときに、「東京オリンピックで聖火ランナーやりたいです」って言って、次女と私と、お姉ちゃんもいたかな、そのとき。
何かこう書いたものがあって、決まったときは、私たちもそうだったんですけど、周りの人がすごく喜んでくれて。
今まで、病院の人たちとか、今みんなどんどん先生も変わっていっちゃうし、ナースの方も変わってっちゃうので、直接会ってお礼は言えないけど、なんかそういう場所で恩返しができたらいいなって言って。
それが、なれたことはうれしかったです。ただ、今この状況(※インタビュー時はオリンピック開催直前だったがコロナ禍中だった)なので、本人が走れるかどうかってことが一つと、周りの状況でやれるかっていうことも、大きな懸念材料ではあるけれど。
お医者さんは目標があったほうがいいからって言って、今は家族で元気に、その日を迎えられるようにしようっていうことが、今、一つの目標になっていて、決まった瞬間がうれしかったっていう。周りの人が喜んでくれたってことがうれしかった。
あと直近だと、一昨年の話になるんですけど、お姉ちゃんの学校が高校3年生の夏が最後の大会で、そんなに強い代ではないっていうか、みんなどんぐりの背比べぐらいの感じだったんですけど。
ただ、高校に入ったとき10人いたんですけど、10人みんなやめないで、受験のときもやめないでみんなで頑張ってて。
それで、もう親もはしゃいじゃってたから、全員、子どもたちが着てるチームのTシャツを、親も次女も全員、家族全員分、着て応援しに行って。
あまりの親の気迫に、(次女は)いつもは「お姉ちゃん頑張れー」とか言ってるんですけど、う…って硬くなって見てたのがちょっとおかしかったんだけど。
だけど、みんなでそうやって写真とか撮ったりとかして、みんなで応援できて、そんとき、5位だったのかな。
でも、5位は十分な(成績で)、しかも最後の最後はノーミスで、5位だったので、みんなで「ウォー」みたいな、「よく頑張った、この代」みたいな感じだったので、それは次女も含めて、みんなでわーっとお祝いできて楽しかったかなー。
で、そういう周りの人たちにも、すごいかわいがってもらえたっていうのは、まあ、うちの家族にとっても幸せなことだったかなーと思います。

医療的ケア児の家族の語り

きょうだいの友達の質問にグサグサ来たが一つ一つ説明した。子どもたちは大人と違って同情のまなざしはなく未来に希望を感じた

お姉 ちゃんが保育園に行って、下の子は、一緒に連れて行ったりすると、やっぱりみんなすごい見たりとか、「怖い」とか「気持ち悪い」とか「これどうなってんの」とか「なんで首に穴空いてんの」とか「鼻に何が入ってんの」とか。
もうすっごい、いろいろ聞いてきて、グサグサになるんですけど。
だけどそこで、「もう傷ついたから連れてこない」とか、「もうみんな見ないで」とか言わないで、そのときに一つ一つ心を強くしていろいろ説明したんです。
そしたら、次のときは、「鼻から管を入れてて痛くないの?」って言う子もいれば、「知ってるよ、鼻からね、鼻とのどはつながっていてね、それもお腹につながってるの」とか言って科学的に言ってくる子とか。
やっぱり、とにかくバックボーンから出てくる自分の発言を言うんだけど、それが、なんか「気持ち悪い」とかじゃなくって、「あ、そういうことなんだ」って、すとんって入るんですよね 。

学校 の先生のほうが、「あんなに障害がたくさんあっても頑張ってるんだから、みんなで親切にして優しくしてあげましょう」とかって言うんだけど、なんかそれのほうが違うんじゃないかなとは思いましたね。
あるとき、お姉ちゃんの友達が道で会ったときに、次女も一緒にいて、「あ、妹いるんだ」とか言って。「なんか障害?」とか言うから、「ああ、目、見えてないんだよ」、「ええ?!」とか言って。
「障害者手帳とか持ってんの?」とか言って。「持ってるよ、1級だよ」て言ったら「え、すげえ!」とか言ってて。
なんかよく分かってないんですけど、よく分かんないカミングアウトで「ああ、俺の何とかも持ってる」とか言って、「ふーん」とか言って、「うちは1級だけどね」とか言ったら、「すげえな」みたいな。
そういう変な同情のまなざしがない。それはもちろん学年が上がるに従って、そんな素直っていうか、あからさまな表現はなくなっていくんですけど。
同情みたいな変な、かわいそうだよね、みたいなまなざしはないのに、教育のあれ(成果)があるのか知らないですけど、目が見えない次女に向かって…。
合唱の練習をしてたんですよね。そこにちょっと一緒に参加させてもらってたんですけど。そのときにすぐ脇でCDをかけるんだけど、「大きな音にびっくりしないですか」って聞いてきたんですよ。
「ちょっと待って」(と思って)。
私、自分が中学生のときに目の見えない子にとって、大きな音はびっくりさせるなんていう想像力がなかったので。「ああ、ちゃんとそんな知識というか、そんなことを思ってるんだ」と思って。
「今から音楽かけるよって言えばだいじょうぶだよ」って言ったんですけど。
だからほんとに、そういう意味ではすごい、若い人には可能性を感じます。

医療的ケア児の家族の語り

娘が長くないかもしれないとフルタイムの仕事を辞めたがフリーランスで再開した。娘も自分の人生も諦めないでいたい

もともと、小さな出版社にいて、それで、フルタイムで働いてたんですけど。
自分の能力は普通(笑)なので、30半ば過ぎてからの出産っていうこともあったし、これで仕事を辞めてしまったら、また同じだけ稼ぐっていうのは厳しいし、自分も仕事が好きだったので、何とか辞めない方法を考えたかった。
こういう子がいるからこそ、正社員でいることが大事なんだと思っていたので、社会的な制度が、保障されているっていう意味でも、正社員は絶対辞めたくなかったんですけど。

(子どもの命が)そんなに長くないのかもしれないなって、これだけがんを2回もやって。だったらもう、子どもに集中してもいいかなと思ったのも、ゼロではないと思います。
ただ、辞めて、ほんと2カ月もたたないぐらいのときに、「あ、ちょっと待て」と。
「こんなに元気ならそんなことはないだろうな」って、なんかすごい生命力を感じる子だったので。そのときに、なんかスローガンじゃないんですけど、「娘を諦めない。でも私も諦めない。」
私は私の人生があるから、私も諦めちゃいけないなっていうふうにちょっと考え直して。
自分でできること、一番最初はほんとに近所の、NPOの事務局のアルバイトをしたりとか、フリーランスで今まで、やってたところをつてにして、フリーランスでそのライターとか。
あとは、それ以外にもちょっと、契約みたいな形で編集とかライターの仕事をぽつぽつと始めたんですけれど。
(娘が生まれて)ここまで来ていろいろありましたけど、唯一、後悔してると言ったら、その会社員を辞めたことだと思ってます。
だから、ほんとにもうこれから先、少なくとも子どもの障害を理由に辞めないでほしいって、ほんとに思います。
今ね、それができる方向に行ってると思うし、働き方のほうも、フルタイムで、例えばこんな事情があっても休むべきじゃないとか、そんなふうにはならない。
もちろん企業によるでしょうけれども、そういうふうにお互いが、今、少し歩み寄ってきている状態なので、そこは何とか踏ん張ってほしいなーと思います。
もちろん、それぞれの価値観だから、障害があってもなくても、子育てに専念したいっていうふうにして辞められることは、全く私は、それはそれで素晴らしい選択だと思ってるんです。
なんかこの子のせいでとか、この子がこうだったからっていうふうに言って、それを変えてしまうと、自分も後悔するけど、その子にとってもちょっと失礼かなーと思います。
だから、そこは何とか、大変なときもあると思うけど、何とか自分の人生も、自分が思ったように生きてほしいなと思います 。

医療的ケア児の家族の語り

性別がわかるのを楽しみに夫と一緒に行った検診でお腹の子の異常を指摘された。二人とも何の話か理解できなかった

息子の病気、病気というかやっぱりちょっと何か異常がありますというふうに、お医者さんから初めて言われたのは、私が妊娠5カ月のときで。
ちょうどその5カ月の検診のときが、それこそクリスマスイブで12月の24日の日だったので、主人と一緒に午前中、しかも土曜日だったのかな。土曜日だったので、お休みだったので、お仕事も。

で、しかも5か月だったので、きょう性別が分かりますよっていうふうに言われていたので、そこの楽しみもあり、一緒に行ったんですけれども。

そしたら、なんかいつもの、そのおなかのエコーを診ているときとは、やっぱりちょっとなんか違って、すんごく長いんですよね、診てる時間が。
でも、それまで特に異常があるとも言われたこともなかったですし、それが何の意味をするのかも私たちも全然分からなくて、長いなーぐらいに思っていて。
で、終わりまして、ちょっとお話がありますということで、横の椅子に座って、先生から「実は、まだちょっとはっきりはしていないんですけれども、お子さんの脳室が大きいです」というふうに言われて。
その脳室って言われても、何のことか一切分からなくて、一応そのエコーの写真を見ながら、先生が説明してくださって。
「ここの黒い影が、通常だったらもう半分ぐらいの大きさなんですけれども、お子さんの場合は少し大きいように見受けられるので、もしかしたら何か病気がある可能性があります。
今日は、自分が非常勤なので、院長先生に診ていただいて、しっかりした診断があったほうがいいと思うので、次回は4週間後、1カ月後の予定だったんですけど、早めに2週間後に、年始早々に来てください」というふうに言われて、終わったんですけれども。
もう私たちは、何が起こったのか全く分からなくって、いきなりそういうふうに言われて、何の話なんだろうと思って。
それよりも早く性別が知りたかったので、「先生、性別分かりますか」って言って、「きょう、分かるって聞いたんですけど」ったら、「あ、もう間違いなく男の子です」っていうふうにその日に言われて、ああ、男の子なんだーと思って。
私自身、男の子がほしかったので、すごいうれしくて、一瞬、もしかしたらっていう話も引っ掛かりつつも、でもそれよりも男の子なんだっていうことがうれしくて、自分自身、なんか、微妙なテンションになりまして。
で、その日の診察は終わって、何の話だったんだろうねっていうことで、でも、先生もやっぱりはっきりはおっしゃらなくって、もしかしたらっていうお話だったので、まあ、何かの間違いだよねっていうことで、2人で話して。
とりあえず男の子だね、うれしいねっていうことで、その日は終わったんですね、はい。