最終的には、次女の場合でいうと、1人で暮らすってことはちょっと厳しいかなと思っているので、グループ(ホーム)なのか、施設なのか分からないんですけど、適材っていうか、適所に行ければいいとは思ってます。
ただ今までは医療的ケアがあると、イコール重度心身障害者施設とか、そういう、ちょっとナンセンスというか、おかしいと思う(ことがあった)けど、今後はなくなっていくと思います。
今も、医療的ケアがあるって言ったら、卒業後は重度心身障害者の、日中支援みたいなのがあって,、「お子さんの場合はそこかな」っていうふうにおっしゃってたんですけど。
「歩けます」って言ったら、「ああ、それはちょっとうちでは」っていうので、どっちにも入れないっていうことはありました。今でも、その問題には直面してます。
私が一昨年かな、腎臓結石で手術しなきゃいけないことがあって、手術自体は2泊3日なんだけど、帰ってきてすぐに、お世話するってなるとちょっと難しいので、ショートステイに預けたいって言ったら、全部断られました。
それで、ある病院に検査入院ということで入院させてもらったんですけど、医療的ケアがある子どものショートステイはNGってのは、まず90%ぐらいかな。
いわゆる都立の…ああいったところが、医療的ケア児を受け入れているけど、肢体不自由児のお子さんが、基本なんですって。
事情が事情なので、いろいろ考えてみますけど、もう申込期間も過ぎてるし、そういうお子さんを突然預けるってことは難しいので、事前に来て練習してみたいな。
それでも受け入れられるかどうか、「今回は無理です」とか言われたりしたので。
そういう、何て言うのかな、隙間があるっていうか、今ほんとに医療的ケア児って言っても、ほんとに、元気に走り回ってるお子さんもたくさんいらっしゃるので。
変わってはいくと思うんですけど、変わっていく途中で、まだ「うちでは無理です」って言われちゃうことはあると思います。
だから、交渉していく。先輩として、もし言えるとしたら、交渉は大事だけど…。
これは実は先輩、私のさらに先輩の受け売りなんですけど「交渉していくことは大事だけど、相手の人とけんかをしちゃ駄目よ」って言っていて。
そこだけはもうすっごい頭にきても、肝に銘じて、最終的には丸く収めて、いったんは引き取って、帰ってきてもう一回挑むという姿勢にしています。
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10歳 のときに、「東京オリンピックで聖火ランナーやりたいです」って言って、次女と私と、お姉ちゃんもいたかな、そのとき。
何かこう書いたものがあって、決まったときは、私たちもそうだったんですけど、周りの人がすごく喜んでくれて。
今まで、病院の人たちとか、今みんなどんどん先生も変わっていっちゃうし、ナースの方も変わってっちゃうので、直接会ってお礼は言えないけど、なんかそういう場所で恩返しができたらいいなって言って。
それが、なれたことはうれしかったです。ただ、今この状況(※インタビュー時はオリンピック開催直前だったがコロナ禍中だった)なので、本人が走れるかどうかってことが一つと、周りの状況でやれるかっていうことも、大きな懸念材料ではあるけれど。
お医者さんは目標があったほうがいいからって言って、今は家族で元気に、その日を迎えられるようにしようっていうことが、今、一つの目標になっていて、決まった瞬間がうれしかったっていう。周りの人が喜んでくれたってことがうれしかった。
あと直近だと、一昨年の話になるんですけど、お姉ちゃんの学校が高校3年生の夏が最後の大会で、そんなに強い代ではないっていうか、みんなどんぐりの背比べぐらいの感じだったんですけど。
ただ、高校に入ったとき10人いたんですけど、10人みんなやめないで、受験のときもやめないでみんなで頑張ってて。
それで、もう親もはしゃいじゃってたから、全員、子どもたちが着てるチームのTシャツを、親も次女も全員、家族全員分、着て応援しに行って。
あまりの親の気迫に、(次女は)いつもは「お姉ちゃん頑張れー」とか言ってるんですけど、う…って硬くなって見てたのがちょっとおかしかったんだけど。
だけど、みんなでそうやって写真とか撮ったりとかして、みんなで応援できて、そんとき、5位だったのかな。
でも、5位は十分な(成績で)、しかも最後の最後はノーミスで、5位だったので、みんなで「ウォー」みたいな、「よく頑張った、この代」みたいな感じだったので、それは次女も含めて、みんなでわーっとお祝いできて楽しかったかなー。
で、そういう周りの人たちにも、すごいかわいがってもらえたっていうのは、まあ、うちの家族にとっても幸せなことだったかなーと思います。
お姉 ちゃんが保育園に行って、下の子は、一緒に連れて行ったりすると、やっぱりみんなすごい見たりとか、「怖い」とか「気持ち悪い」とか「これどうなってんの」とか「なんで首に穴空いてんの」とか「鼻に何が入ってんの」とか。
もうすっごい、いろいろ聞いてきて、グサグサになるんですけど。
だけどそこで、「もう傷ついたから連れてこない」とか、「もうみんな見ないで」とか言わないで、そのときに一つ一つ心を強くしていろいろ説明したんです。
そしたら、次のときは、「鼻から管を入れてて痛くないの?」って言う子もいれば、「知ってるよ、鼻からね、鼻とのどはつながっていてね、それもお腹につながってるの」とか言って科学的に言ってくる子とか。
やっぱり、とにかくバックボーンから出てくる自分の発言を言うんだけど、それが、なんか「気持ち悪い」とかじゃなくって、「あ、そういうことなんだ」って、すとんって入るんですよね 。
学校 の先生のほうが、「あんなに障害がたくさんあっても頑張ってるんだから、みんなで親切にして優しくしてあげましょう」とかって言うんだけど、なんかそれのほうが違うんじゃないかなとは思いましたね。
あるとき、お姉ちゃんの友達が道で会ったときに、次女も一緒にいて、「あ、妹いるんだ」とか言って。「なんか障害?」とか言うから、「ああ、目、見えてないんだよ」、「ええ?!」とか言って。
「障害者手帳とか持ってんの?」とか言って。「持ってるよ、1級だよ」て言ったら「え、すげえ!」とか言ってて。
なんかよく分かってないんですけど、よく分かんないカミングアウトで「ああ、俺の何とかも持ってる」とか言って、「ふーん」とか言って、「うちは1級だけどね」とか言ったら、「すげえな」みたいな。
そういう変な同情のまなざしがない。それはもちろん学年が上がるに従って、そんな素直っていうか、あからさまな表現はなくなっていくんですけど。
同情みたいな変な、かわいそうだよね、みたいなまなざしはないのに、教育のあれ(成果)があるのか知らないですけど、目が見えない次女に向かって…。
合唱の練習をしてたんですよね。そこにちょっと一緒に参加させてもらってたんですけど。そのときにすぐ脇でCDをかけるんだけど、「大きな音にびっくりしないですか」って聞いてきたんですよ。
「ちょっと待って」(と思って)。
私、自分が中学生のときに目の見えない子にとって、大きな音はびっくりさせるなんていう想像力がなかったので。「ああ、ちゃんとそんな知識というか、そんなことを思ってるんだ」と思って。
「今から音楽かけるよって言えばだいじょうぶだよ」って言ったんですけど。
だからほんとに、そういう意味ではすごい、若い人には可能性を感じます。
もともと、小さな出版社にいて、それで、フルタイムで働いてたんですけど。
自分の能力は普通(笑)なので、30半ば過ぎてからの出産っていうこともあったし、これで仕事を辞めてしまったら、また同じだけ稼ぐっていうのは厳しいし、自分も仕事が好きだったので、何とか辞めない方法を考えたかった。
こういう子がいるからこそ、正社員でいることが大事なんだと思っていたので、社会的な制度が、保障されているっていう意味でも、正社員は絶対辞めたくなかったんですけど。
(子どもの命が)そんなに長くないのかもしれないなって、これだけがんを2回もやって。だったらもう、子どもに集中してもいいかなと思ったのも、ゼロではないと思います。
ただ、辞めて、ほんと2カ月もたたないぐらいのときに、「あ、ちょっと待て」と。
「こんなに元気ならそんなことはないだろうな」って、なんかすごい生命力を感じる子だったので。そのときに、なんかスローガンじゃないんですけど、「娘を諦めない。でも私も諦めない。」
私は私の人生があるから、私も諦めちゃいけないなっていうふうにちょっと考え直して。
自分でできること、一番最初はほんとに近所の、NPOの事務局のアルバイトをしたりとか、フリーランスで今まで、やってたところをつてにして、フリーランスでそのライターとか。
あとは、それ以外にもちょっと、契約みたいな形で編集とかライターの仕事をぽつぽつと始めたんですけれど。
(娘が生まれて)ここまで来ていろいろありましたけど、唯一、後悔してると言ったら、その会社員を辞めたことだと思ってます。
だから、ほんとにもうこれから先、少なくとも子どもの障害を理由に辞めないでほしいって、ほんとに思います。
今ね、それができる方向に行ってると思うし、働き方のほうも、フルタイムで、例えばこんな事情があっても休むべきじゃないとか、そんなふうにはならない。
もちろん企業によるでしょうけれども、そういうふうにお互いが、今、少し歩み寄ってきている状態なので、そこは何とか踏ん張ってほしいなーと思います。
もちろん、それぞれの価値観だから、障害があってもなくても、子育てに専念したいっていうふうにして辞められることは、全く私は、それはそれで素晴らしい選択だと思ってるんです。
なんかこの子のせいでとか、この子がこうだったからっていうふうに言って、それを変えてしまうと、自分も後悔するけど、その子にとってもちょっと失礼かなーと思います。
だから、そこは何とか、大変なときもあると思うけど、何とか自分の人生も、自分が思ったように生きてほしいなと思います 。
息子の病気、病気というかやっぱりちょっと何か異常がありますというふうに、お医者さんから初めて言われたのは、私が妊娠5カ月のときで。
ちょうどその5カ月の検診のときが、それこそクリスマスイブで12月の24日の日だったので、主人と一緒に午前中、しかも土曜日だったのかな。土曜日だったので、お休みだったので、お仕事も。
で、しかも5か月だったので、きょう性別が分かりますよっていうふうに言われていたので、そこの楽しみもあり、一緒に行ったんですけれども。
そしたら、なんかいつもの、そのおなかのエコーを診ているときとは、やっぱりちょっとなんか違って、すんごく長いんですよね、診てる時間が。
でも、それまで特に異常があるとも言われたこともなかったですし、それが何の意味をするのかも私たちも全然分からなくて、長いなーぐらいに思っていて。
で、終わりまして、ちょっとお話がありますということで、横の椅子に座って、先生から「実は、まだちょっとはっきりはしていないんですけれども、お子さんの脳室が大きいです」というふうに言われて。
その脳室って言われても、何のことか一切分からなくて、一応そのエコーの写真を見ながら、先生が説明してくださって。
「ここの黒い影が、通常だったらもう半分ぐらいの大きさなんですけれども、お子さんの場合は少し大きいように見受けられるので、もしかしたら何か病気がある可能性があります。
今日は、自分が非常勤なので、院長先生に診ていただいて、しっかりした診断があったほうがいいと思うので、次回は4週間後、1カ月後の予定だったんですけど、早めに2週間後に、年始早々に来てください」というふうに言われて、終わったんですけれども。
もう私たちは、何が起こったのか全く分からなくって、いきなりそういうふうに言われて、何の話なんだろうと思って。
それよりも早く性別が知りたかったので、「先生、性別分かりますか」って言って、「きょう、分かるって聞いたんですけど」ったら、「あ、もう間違いなく男の子です」っていうふうにその日に言われて、ああ、男の子なんだーと思って。
私自身、男の子がほしかったので、すごいうれしくて、一瞬、もしかしたらっていう話も引っ掛かりつつも、でもそれよりも男の子なんだっていうことがうれしくて、自分自身、なんか、微妙なテンションになりまして。
で、その日の診察は終わって、何の話だったんだろうねっていうことで、でも、先生もやっぱりはっきりはおっしゃらなくって、もしかしたらっていうお話だったので、まあ、何かの間違いだよねっていうことで、2人で話して。
とりあえず男の子だね、うれしいねっていうことで、その日は終わったんですね、はい。
注射器の形状の物に、薬剤が封入された状態でパッケージされてる商品があって、通常、冷所保管っていうか、冷蔵庫へ調剤されたら保管してる状態な物なんですけども、それを常温に戻して刺激を少なくする。
冷たい物を入れると痛いので、常温に戻して、専用の補助具っていうのがあって、イメージで言うとインスリンの注射のペンがあるじゃないですか。
あれだと簡単にそのまま押し付ければいいじゃないですか。
でも、使ってたのは、シリンジの形をしてるので、そのままだと注射器の状態なんですね。なので、安定させるために、その補助具っていうのがあって、その中にセットするとペンタイプのインスリンのシリンジに近くなるので、それを大腿部に押し当てて、自分の速度で注入してくって感じなんです。
なので、注射の部位ってのは毎回変えなきゃいけない状態なので、(医師に)言われてるのは皮下注射なので大腿部、あと腹部なんですけど、うちなんかだと、どちらかの大腿部、左右で毎回変えての注射が多かったんです。
インスリンだと、パキッて押してしまえば、勝手に薬液が自動的に定量入る感じなんですけど、これの場合だと自分でシリンジの筒を押して押し出して、最後まで注射をしなきゃいけないという状態なので、怖いですよね、結構。
10秒ぐらいかかる感じなので、その間はその状態で保持してる。
なおかつ自分で押し出してなきゃいけない感じなので。
最近、改良されたのが出てきて、ペンタイプという、押し当ててボタンだけパツッと押せばそのまま注入されるという薬剤が、同じ物で出たらしいんですけど、うちはもう点滴に変わってしまったので、それは使うことはなかったんです。
――今、使ってらっしゃる点滴のほうっていうのはレミケード(注1)ですか。
そうです。
――自己注射をしたりケアがある中でも、ご家族の中でのレジャーや旅行、ご兄弟もいる中での楽しみみたいなものもあると思うんですけれど
日程を考えるときにそこに当たらないようにするっていう、要は週1回、2週に1遍とかで、その曜日に当たらないようにするっていう予定の立て方をするっていうことぐらいですね。
他は変わらないです。
(注1)レミケード(インフリキシマブ)は、炎症性疾患に対し、症状を改善する目的で用いられる生物学的製剤です。
――保育園からは呼び出しもなく、朝、行ったら元気に過ごせていましたか。
1年目は、妻に保育所から電話が結構かかってきて、保育所も慎重になってる部分もあるので、しようがないんですけども、この程度は大丈夫じゃないかな、ちょっと対応してもらいたいなという部分との差が出てきたりはしてました。
1年目の終わりか具体的には覚えてないですけども、一度、こちらから話し合いの場を設けてほしいと所長にお願いして、看護師さんと所長と僕らでこういうときにはこれで対応してほしいというすり合わせはやりました。
それで呼び出しの電話が減ったっていうのはあります。
娘の医療ケアの程度も少ないので、うちの場合はそれで済んだというか、それぞれの責任範囲の擦り合わせっていうんですかね、うまく事が足りたというか。
物のことに関して言えば、常時、バッグにこれは入れとくので、何かあったらって。
それまでは、その物一つがないことで、電話かかってきたりするんですよ。
妻はなかなか落ち着いて、過ごすこともできないので、少しストレスになってた部分はありましたね。それも話し合いで解決できたので。
――夏は暑いので、保育園で水遊びや水浴びをすることもあると思うんですけど、保育園とどうしたらよいかの話し合いはありましたか。
コロナで水遊びもあんまりできなかったので、それはなかったですね。
ことしから別の幼稚園に移って、そこの副園長先生がうちの主治医の外来の日に同席して、主治医の先生と意見交換があって、まさに水遊びの話も出て。
先生たちは水遊びをさせたいと。
どういったこと気を付けたらいいですかっていうお話はしてた。
本当にありがたいことに。
保育園もそうでしたけど、今年から通ってる幼稚園の先生たちも安全の範囲でなるべくいろいろさせたいっていう思いが強いので、それは、僕たち夫婦とも一致してて。
児童デイ(児童発達支援)でも十分、社会と接する機会があるし、いいかなと思ってたら、身近に一緒にいた家族のお父さんが保育園の話をしてたんですよね。
最初、保育園に行かせるなんて全くイメージが湧かなかったんですよね。
だけど、ものすごい働きかけてるって話を会うたびにしてて。
そこの家族の住む市町村は、よく言えば慎重だけど、少し、積極性に欠けるような感じとは聞いていたんですけど、そのお父さん、お母さんが対立ではなく、一緒につくっていきましょうって働きかけて、実際、入園できたっていうのを見てて、あっ、行けるんだって初めて自分たちも意識した。
まず妻が、市役所の人に相談するような形で行くと、その時点で市から何かできることはないかっていうような感じだったと記憶してます。
たまたま僕の知り合いが市議会議員をしてて、彼のお子さんが障害があって、福祉に力を入れてる方だったんですね。
保育園に行きたいと彼に相談したら、何かあったら、もう、すぐ協力するからって。
本当に、彼がいい意味で何かする場面もなくスムーズに行ったので、そういった市議さんが、何年にもわたって福祉に力を入れてたっていうのも背景としてあるのかなとは思いました。
議員さんにもお話ししたときに、直接、娘にも会いたいし、妻とも会って話したいってことですぐに自宅に来てくれて、その後に、保育園の担当の部署に相談したらいいと思いますよと。で、行って相談したら本当にその後は割とスムーズで。
そのときの心理士さんと、結局、後々、娘が通うことになる市の保育所の所長さんと、市の保育園課の担当の人だったかな、3名ぐらいが、割と早い段階で自宅にすぐ来てくれたんです。
そのときに、保育所の所長さんが、結構、具体的に受け入れることを想定したような質問をされてたんですね。
相談から1年もかからないで割とスムーズに決まって、あとは看護師さん探さなきゃいけないっていうことで。
これもまたご縁で、娘の訪問のPT(理学療法士)さんがいて、その方に妻が相談したら、その方のお知り合いの方が手を挙げてくださった。
――保育園に入っても母子入園とか付き添いはどうだったんでしょう?
それも結構少なかったですね。
本当に1週間ぐらいだったんじゃないかな。
――保育園に行き始めてから、お子さんの変化は感じましたか?
結構、大きい保育所だったので、上のお姉ちゃんたちもいれば下の子もいる。
一堂に会すと何十人といるので、本人にしてみたら一気に情報量が増えるというか。
他の子には事前に看護師さんや先生がこういう子が来るよというお話をしてたので、子どもたちにしてみたら、いよいよあの子が来るみたいな感じで、受け入れ態勢はばっちりだったんですけど、逆に、注目を浴びることで、割と長い間、緊張してる感じはあったんです。
ただ、2年目ぐらいになって、徐々に慣れてきて。
保育園では、話すことも難しくてなかなかできなかったんですけど、おうち帰ってきたらこんなことして楽しかったとかあんなことして楽しかったってことを話してたので、慣れるまでに1年以上はかかったけど、いろんな刺激もらってきてる。
走るとか、何かに登るとか、身体的なところだったり、大勢の中で自分がどういうふうにして振る舞うかっていうのが徐々に変わっていくのを感じました。
今入っている保育園は今年の4月から入園したんですけど、その直前の3月に今住んでる地域に引っ越してきて、新たな地域で保育園に入ったんですね。
3月に引っ越すことがもう分かってたので、去年まで住んでた地域にいながら今の自治体の保育課の方に問い合わせをしたり、地域の保育園にいろいろ電話を掛けてみて、そういった子どもを受け入れた実績があるかどうかとか、そういうことをいろいろ調査をしました。
見学に行ったりした中で、自治体によって医療的ケア児を受け入れるかどうかの方針もさまざまなんですよね。
前住んでた自治体だと、医ケア児とか障害児の専門のクラスがある保育園が存在していて、そこだったらすぐに受けられます。
ただし、普通の保育園では経管栄養とかケアがあると受けられませんと言われたんです。
今住んでる地区のほうは、専門の障害児クラスみたいなのはないんですけど、普通の保育園でも積極的に医ケア児とか障害児をできるだけ受け入れるっていう方針の自治体だったので、それは、逆に言えばありがたい。
ほかの普通のお子さんと同じように受け入れてもらえるっていうのは、とてもありがたい。本人の発達の面でもすごくいいので。
ただ、その中でも受け入れられる園とそうでない園とまちまちなので、自宅から近くの通える範囲のところに、片っ端から聞いてみるっていう感じで電話をしたり、見学に行ったりしました。
今入れることになった園は、うちからもすごく近くにあって、看護師さんがもともと1人常駐している園で、医ケア児を受けていた実績があった保育園だったので、こういう状況ですけど受け入れは大丈夫ですかっていうことを聞いたときに、自治体の保育課が決めることだけども、対応はできると思いますということを言ってくださった。
そういう話をある程度、幾つかの園とした上で、保育課の方と私と娘と面談して、状況を説明してっていう形で申し込み準備を去年の秋くらいから半年前くらいから準備してたっていう感じですね。
腹膜透析をしてる子どもが、日本の国内でもそうたくさんいないので、受け入れが初めてだっていうことで、すごく不安そうでもあったんですけど。
本人と面談してもらって、透析と経管栄養はしてるけど、元気に遊んでる様子を見てもらえたので、そこでちょっと安心してもらえたのかなと思うんです。
申し込んでよいということになって、晴れて4月から通ってます。
ちなみに、今の常駐の看護師さん以外に自治体のほうで負担して、もう1人、娘を常に見てもらえるように、もう1人、非常勤の看護師さんを雇ってくださって。
看護師さん2人体制で見守って、生活できてるので、すごく安心して預けられてます。
――どれくらい行って、どれくらいの園が受け入れられるよっていうふうに言ってくれたんですか。
通える範囲っていうのもあるので、結局申込書に書いた園の数は、4つか5つぐらい書いたかな。
自治体の公立認可園は、割と区の方針としてそういうのを受け入れるっていうのが多かったので、認可園が比較的多かったかな。
公立認可園を多分3園ぐらい書いて、あとは、民営の認可園を個別に聞いて、大丈夫ですって言ってくれたところを2つ、3つぐらい書いたかな、それもっていう形だったと思います。
――お子さんに関しては、風邪を引いたときは、ほかのお子さんと比べてリスクというか、重症化しやすいとか、そういうことはあるんでしょうか。
腎不全が基礎疾患として存在してるので、リスクは高いと言われていて。
ちょっと熱が出たり、風邪引いたときでも、病院にかかるときは、主治医のいる病院まで来てくださいと言われていて。
負担ではあるんですけど、本来であれば、近所の小児科医で風邪薬もらいたいところなんですけど、必ずいつもの病院に行って、血液検査とか、いろんな検査をして。
発熱しても、それが風邪の発熱なのか、例えば感染症だと、細菌感染したものが、透析のカテーテルが入ってるところに入り込んだりすると、その中で、腹膜に炎症が起きたりすると、それこそ命に関わる、透析できなくなってしまって、腹膜炎が起きると、あの、大変な事態になるので、その辺は気を使わないといけないところですね。
――特に気をつけてることとか、何かされてることはあるんでしょうか。
透析の出口部はなるべく、清潔に保つ。
あと濡らさないようにする。
水遊びもほかのお子さんみたいにはできなくて、保護しなきゃいけないってことはあるんですけど、必要な保護だけして、あとは同じように過ごしてもらいたいと思ってるので。
風邪ももらってはくるけど、集団生活してれば、通常誰でも起こり得ること。
それを触れないで無菌状態にしておくより、主治医のほうからも、免疫を今のうちにつけたほうがいいと。
泥んこ遊びでも、水遊びでも、なんでもしてくださいということは言っていただいたので、そこをあんまり気にしすぎないようにしてます。
もう何年か先に、透析を離脱して、腎移植を受けて透析離脱することが次の目標になってるんですけど、その移植をしてしまうと、一生免疫抑制剤を飲んでいかなくちゃいけないので、それより前にできるだけいろんな菌に触れて、免疫をつけてもらいたいと思ってます。