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医療的ケア児の家族の語り

第4子に病気があって生まれてとても大変な毎日だったが、夫婦の話し合いの時間が増え、きょうだいの絆も強くなったと感じる

(妻の妊娠中に娘の病気が分かった)当時はすごいへこんでて周りから、産まれた後に言われたんですが、「産まない選択肢ってなかったの?」って言われたんですね、病気って、もう分かっている中で。
それは全くなくて、考えたことなかったねっていうふうに妻と話して。

うまくいっているよね、脳室も全然大きくなってない、水頭症も大きくなってないよね、産まれてこないと分からないよねって言ってたら、すごい大きい声で産まれてきたので、やっぱそれは、もう感動ですよ。

――いろんなご夫婦がいらっしゃると思うんですが、その中でも子どもが健康で産まれてこなかったっていうことに関して、お母さん自身が自分を責めるっていうご夫婦もいると思うんですけれども、奥さまの気持ちですとか、ご夫婦の関係っていうのはどうでしたか。

口には出さないですけど、自分の責任というふうには、感じていたんじゃないのか。
やっぱ母親なので。
上のきょうだいの子たち3名いるんですけど、健康にずっと育ってきているので何でっていうふうに多分思ってはいて、自分を責めたりはあったと思います。

ただ、私には見せなかったです。
上の子たちの前でも、それは見せなかったです。
毎日が慌ただしくどんどん過ぎていっているので。

1人になったときとか眠る前とかっていうのは、何が悪かったのかなとかいろいろ考えはするんですけど、考えたところでしようがないので、今を受け入れながら、何ができるか。
進んでいったほうがいいよねって。

良かったなと思うのがですね、家族の会話が増えましたね。
一番下の子が産まれたことで、夫婦で話し合いをどうしてもしないといけないんですね。
たくさん会話をするようになった。
2人で決めることが多くなったのは、すごい感じます。

きょうだいの絆っていうのも、家族の絆が強くなったなっていうのは、一番下の子が産まれてきたおかげだなって思いますね。

――上に3人のお子さんがその一番下の4番目の子が産まれてきたときの対面は、どのタイミングでできたんでしょうか。

一番最初はNICUのガラス越しで対面で、実際、抱っこできたのは、1カ月後、退院してから、おうちに帰ってきたときの1カ月後ですね。
当時、一番上が12歳で、10歳、8歳で、結構年が離れたきょうだいなんで、すごくかわいがってくれて、安心しましたね。
そのとき鼻にチューブが付いていたんですけど、そういったのも怖がらずにちゃんと受け入れてくれたっていうのは、ありがたかったかなと思います。