インタビュー時:41歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女5歳
首都圏在住。夫と娘の3人家族。
第一子となる長女が原因不明の先天性疾患をもって生まれ、生後まもなく気管切開をし、現在人工呼吸器を装着している。
2歳で胃ろうの手術をし、胃ろうから24時間持続的に栄養を注入している。
大学卒業後から会社員として働き、仕事復帰を望んでいるが、娘の預け先がなく復職は叶わずにいる。
仕事を再開できる環境が整うことを望んでいる。
プロフィール詳細
2014年、第一子となる娘は妊娠中の経過では特に異常はなく、逆子のため帝王切開で出産した。
生まれたときすでに新生児仮死の状態であり、原因不明の先天性疾患をもっていた。
麻酔でボーっとした状態ながら、何か大変なことが起きたとわかり体中の血が逆流するような感覚を受けた。
ただ、付き添っていた夫の感情が乱れて号泣してしまったので、私自身は泣きたいけど泣けない気持ちになり、その気持ちは出産初日からしばらく続いた。
娘はすぐにNICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送され、私は出産した病院に入院したので、1週間くらい別々の生活をしていた。
その1週間はただただ怖いなという気持ちだった。
1週間後にNICUのある病院に行った。障害をもつ子が生まれるなんて全く思ってもいなかった。
子どもに会うのが怖くて、私は育てられないと言おうという後ろ向きな決意をもってNICUに初めて入ったときのことはよく覚えている。
そんな気持ちだったのに、看護師さんにすぐに「お母さん、抱っこしましょうか」と言われ、すごく戸惑った。
無理ですと言いたかったけど言えず、自分の感情を押し殺して物分かりよく従うしかなかった。
自分の中で葛藤しながらも毎日面会に行く中で、ある日の帰り道で「子どもをかわいそうにするかは社会とか親次第なのかな」と思ったときに自分自身で答えが導きだせたように感じた。
現在医療的ケアとしては、薬の投与が1日4回、2,3時間置きに気管内吸引を行うほか、おむつを替えたり、お風呂に入れたり通常の子育てと同じである。
他の子と違う点で、娘は空気を飲む傾向があり、空気がたまるとイレウス(腸閉塞)になる可能性があるため、15-20分おきに、胃ろうからおなかにたまった空気を抜くようにしている。
娘は今、週3回、療育センターに通っている。
集団生活をすることで、娘が知らない人に抵抗してみたり、おっかなびっくりといった表情をしたりするなど、社会性を身に着け、精神的な成長を見せてくれていると感じる。
私自身も療育センターでいろいろなお子さんとお母さんに出会って情報交換をしたりケアの工夫を共有したり青春時代の部活仲間のような関係が築けてとても有意義である。
医療者にはいろいろなサポートをうけて感謝する一方で、医療者の目指すものと親の思いに温度差を感じることがたびたびあった。
例えば、娘が気管切開をするときも「気管切開しなければ抱っこもできません」と言われ、気管切開した後も「抱っこできてよかったですね」など。
医療としてはよかったのだろうが、親は違う。「喉に穴あけているのに、いいわけないよ」、これが親としての正直な気持ちだ。
気管切開した後、医療的ケア児としてその後ずっと生活していく子どもと家族の生活を医療者はもっと配慮してほしい。
大学卒業後、10年以上会社員としてやりがいをもって仕事をしていた。
出産後、すぐに会社に復帰する予定でいたものの、医療的ケアを理由に入所できる保育園が見つからず、復帰はあきらめざるを得なかった。
来年度には娘は学齢期になるが、親の付き添いは必須である。
医療的ケア児を育てながらも、母親が仕事を続けられ、親子だけで孤立しないで済む社会を望んでいる。
生まれたときすでに新生児仮死の状態であり、原因不明の先天性疾患をもっていた。
麻酔でボーっとした状態ながら、何か大変なことが起きたとわかり体中の血が逆流するような感覚を受けた。
ただ、付き添っていた夫の感情が乱れて号泣してしまったので、私自身は泣きたいけど泣けない気持ちになり、その気持ちは出産初日からしばらく続いた。
娘はすぐにNICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送され、私は出産した病院に入院したので、1週間くらい別々の生活をしていた。
その1週間はただただ怖いなという気持ちだった。
1週間後にNICUのある病院に行った。障害をもつ子が生まれるなんて全く思ってもいなかった。
子どもに会うのが怖くて、私は育てられないと言おうという後ろ向きな決意をもってNICUに初めて入ったときのことはよく覚えている。
そんな気持ちだったのに、看護師さんにすぐに「お母さん、抱っこしましょうか」と言われ、すごく戸惑った。
無理ですと言いたかったけど言えず、自分の感情を押し殺して物分かりよく従うしかなかった。
自分の中で葛藤しながらも毎日面会に行く中で、ある日の帰り道で「子どもをかわいそうにするかは社会とか親次第なのかな」と思ったときに自分自身で答えが導きだせたように感じた。
現在医療的ケアとしては、薬の投与が1日4回、2,3時間置きに気管内吸引を行うほか、おむつを替えたり、お風呂に入れたり通常の子育てと同じである。
他の子と違う点で、娘は空気を飲む傾向があり、空気がたまるとイレウス(腸閉塞)になる可能性があるため、15-20分おきに、胃ろうからおなかにたまった空気を抜くようにしている。
娘は今、週3回、療育センターに通っている。
集団生活をすることで、娘が知らない人に抵抗してみたり、おっかなびっくりといった表情をしたりするなど、社会性を身に着け、精神的な成長を見せてくれていると感じる。
私自身も療育センターでいろいろなお子さんとお母さんに出会って情報交換をしたりケアの工夫を共有したり青春時代の部活仲間のような関係が築けてとても有意義である。
医療者にはいろいろなサポートをうけて感謝する一方で、医療者の目指すものと親の思いに温度差を感じることがたびたびあった。
例えば、娘が気管切開をするときも「気管切開しなければ抱っこもできません」と言われ、気管切開した後も「抱っこできてよかったですね」など。
医療としてはよかったのだろうが、親は違う。「喉に穴あけているのに、いいわけないよ」、これが親としての正直な気持ちだ。
気管切開した後、医療的ケア児としてその後ずっと生活していく子どもと家族の生活を医療者はもっと配慮してほしい。
大学卒業後、10年以上会社員としてやりがいをもって仕事をしていた。
出産後、すぐに会社に復帰する予定でいたものの、医療的ケアを理由に入所できる保育園が見つからず、復帰はあきらめざるを得なかった。
来年度には娘は学齢期になるが、親の付き添いは必須である。
医療的ケア児を育てながらも、母親が仕事を続けられ、親子だけで孤立しないで済む社会を望んでいる。
インタビュー03
- 夫も病院でケアの指導を受けたが、成長に応じて必要となる手技や工夫が増えて母中心で回っており分担はほとんどできていない
- 子どもに障害があることが不幸なのではなく、医療的ケアがあるために社会から特別視され、孤立することが不幸なのだと思う
- 療育センターの入所は医療的ケアを理由に断られ、居場所がないと思っていたが、越境して通える療育があることをSNSで知った
- 発話はなくともうれしい時は笑い、嫌なときは寝たふりをする。ストレスがかかると血糖値があがるという形での意思の表出もある
- バス利用には事前連絡が欠かせない。乗降時に他の乗客の視線が気になっていたが、運転手が遠慮しないでといってくれた
- 仮死状態で生まれて高度医療が必要となり、こどもだけが転院搬送となった。自分としては漠然とした状況のみなんとか把握できた
- 心の準備もなく障害児の親になんてなりたくないと思った が、この子がかわいそうな子になるかどうかは自分次第だと気づいた