インタビュー時:35歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:次男7歳
関西在住。夫と長男(小4)と次男の4人家族。実母と2世帯住宅で同居。
出産時の事故で第二子となる次男が脳性麻痺で生まれ、気管切開をして人工呼吸器を使用し気管内吸引、口腔・鼻腔内吸引が必要な状態である。
嚥下できないため、栄養は胃ろうから注入している。
息子は小学1年生で近隣の特別支援学校に通っている。
同居する母に預けたり、ショートステイ(短期入所)を利用したりしながら、土日に自営業の夫の仕事を手伝ったり、経理、広告作成、広報などの在宅でできる仕事をしている。
プロフィール詳細
28歳のとき第二子を出産する際に子宮破裂が起き、緊急帝王切開となった。
子宮破裂が起こったとき激痛でショック状態となりすぐに気を失ってしまい覚えていない。
結果、次男は低酸素性虚血性脳症による脳性麻痺で生まれた。
1週間ぐらいでMRI検査の結果や子どもの状況について詳しくきいた。
すごく幸せな妊婦生活から急に地獄に落とされたような気持ちだった。
NICU(新生児集中治療室)に息子を見に行ったときも、たくさんの管につながれ見たこともないような赤ちゃんの状況が受け入れられず、自分を責める気持ちと後悔しかなかった。
退院までの2か月間、吸引や注入などの医療的ケアの練習をして退院したが、家でも先の見えない育児の中で這い上がれない気持ちをずっと抱えていた。
1歳半頃に息子が気管切開をすることになり入院した。
その病院で同じようなお子さんをみかけ、勇気を出してそのお母さんに声を掛け、お互いの状況や情報交換をしたときに、やっと1人じゃないという気持ちになった。
3歳で療育園に通うようになると、さらにたくさんのお母さんが明るく子育てしているのをみて自分も救われていった。
5歳頃から、よだれが気管に流れて呼吸状態が安定しない日が続いた。
1日に50回も60回も吸引しなければならなかったり、小学校でも苦しくて息子が目を閉じている時間が長くなったりという状況があった。
そこで、最近、気管と食道を分離する永久的な気管切開の手術を受けた。
この永久的な気管切開を親として決断するとき、息子にはできないことが多いのに声まで親が奪ってしまうなんて、と本当につらかった。
しかし、術後は吸引回数が減って、本人が苦しくて目を閉じている状況が改善され、学校も付き添わずに通え、目をあけて授業も受けられるようになり、手術したことのメリットを感じている。
小学生の長男は本当に優しく子どもながらに母の気持ちを察して、弟のこともすごくかわいがっている。
息子たち2人が仲良くする姿を見るのが今の幸せだ。
長男の友だちの近所の子ども達が遊びに来たいと言ったとき、最初は躊躇した。
しかし、それでは駄目だ、周囲の子と接していく機会を増やすことで周りの子もうちの子との関わり方を知ってくれたらと思って今は対応するようにしている。
子どもの正直な発言に答えに困ったり、傷ついたりするようなこともあるが、あまり気にせず正直に明るく対応するよう心がけている。
インターネットブログなどで情報を収集するうちに、自らもブログを書くようになった。
病院で知り合ったお母さんとランチするうちにランチ会を主催したり、ブログで知り合ったお母さんとも交流したりするようになった。
私の活動が少しは誰かの力になればと今は思う。
出産前は保育士をしていたが、現在は自営業の夫の仕事を手伝う。
同居中の実母に子どもを預けたり、ショートステイ(短期入所)を利用したりして、経理、広告作成、広報などの在宅でできる仕事をしている。
子宮破裂が起こったとき激痛でショック状態となりすぐに気を失ってしまい覚えていない。
結果、次男は低酸素性虚血性脳症による脳性麻痺で生まれた。
1週間ぐらいでMRI検査の結果や子どもの状況について詳しくきいた。
すごく幸せな妊婦生活から急に地獄に落とされたような気持ちだった。
NICU(新生児集中治療室)に息子を見に行ったときも、たくさんの管につながれ見たこともないような赤ちゃんの状況が受け入れられず、自分を責める気持ちと後悔しかなかった。
退院までの2か月間、吸引や注入などの医療的ケアの練習をして退院したが、家でも先の見えない育児の中で這い上がれない気持ちをずっと抱えていた。
1歳半頃に息子が気管切開をすることになり入院した。
その病院で同じようなお子さんをみかけ、勇気を出してそのお母さんに声を掛け、お互いの状況や情報交換をしたときに、やっと1人じゃないという気持ちになった。
3歳で療育園に通うようになると、さらにたくさんのお母さんが明るく子育てしているのをみて自分も救われていった。
5歳頃から、よだれが気管に流れて呼吸状態が安定しない日が続いた。
1日に50回も60回も吸引しなければならなかったり、小学校でも苦しくて息子が目を閉じている時間が長くなったりという状況があった。
そこで、最近、気管と食道を分離する永久的な気管切開の手術を受けた。
この永久的な気管切開を親として決断するとき、息子にはできないことが多いのに声まで親が奪ってしまうなんて、と本当につらかった。
しかし、術後は吸引回数が減って、本人が苦しくて目を閉じている状況が改善され、学校も付き添わずに通え、目をあけて授業も受けられるようになり、手術したことのメリットを感じている。
小学生の長男は本当に優しく子どもながらに母の気持ちを察して、弟のこともすごくかわいがっている。
息子たち2人が仲良くする姿を見るのが今の幸せだ。
長男の友だちの近所の子ども達が遊びに来たいと言ったとき、最初は躊躇した。
しかし、それでは駄目だ、周囲の子と接していく機会を増やすことで周りの子もうちの子との関わり方を知ってくれたらと思って今は対応するようにしている。
子どもの正直な発言に答えに困ったり、傷ついたりするようなこともあるが、あまり気にせず正直に明るく対応するよう心がけている。
インターネットブログなどで情報を収集するうちに、自らもブログを書くようになった。
病院で知り合ったお母さんとランチするうちにランチ会を主催したり、ブログで知り合ったお母さんとも交流したりするようになった。
私の活動が少しは誰かの力になればと今は思う。
出産前は保育士をしていたが、現在は自営業の夫の仕事を手伝う。
同居中の実母に子どもを預けたり、ショートステイ(短期入所)を利用したりして、経理、広告作成、広報などの在宅でできる仕事をしている。
インタビュー04
- ケアの負担から次男に冷たく当たってしまったとき、長男も自分と同じように接するのを見て反省し、2人をかわいがって育てることに決めた
- 夜中も吸引が必要で眠れず1歳半で気管切開をした。日中刺激を受けると唾液量が増え、吸引も1日50回程度だったが、手術で今は1日15回程度になった
- 手術により息子の体調が安定し吸引の回数も減ったため、上の子の野球について考えたり、夫の仕事の手伝いができたりするようになった
- 子どもの障害が分かった当時は誰とも話せずにいたが、今は、周囲に知ってほしいと明るく受け答えするように心掛けている
- 子宮破裂で出産時の記憶はない。目覚めた時には子どもは無事に生まれたと思っていた。起きた現実を知ったときは後悔しかなかった