インタビュー時:43歳(2020年8月)
関係:母
医療的ケアのある子:三男5歳
首都圏在住。夫と、長男・次男(双子14歳)、三男、長女(生後5か月)の6人家族。

2015年帝王切開で出産した三男は出生直後から呼吸がなく、集中治療が必要となり、生後3か月で難治性てんかんの一種の大田原症候群と診断された。医療的ケアは気管切開、人工呼吸器(自発呼吸をサポート)、気管内吸引、口腔・鼻腔内吸引、胃ろう。てんかん治療のためケトン食療法を取り入れている。
訪問看護、ショートステイなどを利用。三男出産をきっかけに退職後、自宅で起業。

プロフィール詳細

2015年、三男を帝王切開で出産した。
出産までなんの問題も指摘されていなかったが、出産直後に呼吸がない状態で子どもはNICU(新生児集中治療室)へ直行した。
原因は不明だったが、NICUにいたときから、「上の子たちとは動きが違う」、「赤ちゃんらしい動きが何一つでてない」ということに気づき暗闇に落ちていくような気分だった。

脳波を測定したときから急転直下で専門病院への転院が決まり、生後3か月に転院先で難治性てんかんの一種の大田原症候群の疑いと診断された(確定診断ではない)。
病名と予後を聞いたときはショックというよりも、「やっと分かってよかった」というほっとする気持ちが一番だった。

1歳の誕生日の直前に退院して在宅療養となった。
在宅に移行するにあたっては、蘇生法やてんかん発作への対応、人工呼吸器の管理、救急車の呼び方などを夫婦ともに学んだ。
当時小学4年生だった兄たちにも2日間の研修プログラムを組んでもらい、弟の病気や気管カニューレや人工呼吸器の仕組みを学んだ。
その経験を通じて兄たちの自覚がぐっと芽生えたように思っている。

出産前から勤めていた会社での復職を予定していたが、三男の病気によりそれが叶わず1年半の産休と育休をとった。
その間、居宅訪問型の保育サービスの利用を申請するも、当時居住していた自治体では実現せず、泣く泣く会社を退職することを決意し、しばらくは個人で在宅の業務委託契約の仕事をしていた。
ある日家にあるピアノが昼間は誰にも弾かれていない状態で置いてあることに気づき、ピアノを使って自宅でビジネスを始められないかと思い立ち、夫と相談しながら起業することになった。
ピアノのレッスンをしたい生徒さんと先生をマッチングさせる形で、現在は午後14時~21時頃まで生徒さんが自宅でレッスンを受けている。
自身はそのマネジメントの合間に、子どもの体位の交換やおむつ替えなどのケアや、家事などもこなしている。
 
お世話になった看護師さんから、小さいときから地域に溶け込む努力をしてください、と言われたこともあり、できるだけ地域の中を連れ回すようにしている。
兄たちの小学校の授業参観や行事などにも連れて行ったことがある。
小学校では兄たちが「俺の弟かわいいだろ」と周りの子たちに三男を紹介してくれた。
周りも「かわいい、かわいい」と言ってくれたり、「これ何?」と呼吸器などにも興味を持ってくれたりして、自分が考えているより子どもたちは受け入れてくれるんだと自己肯定感が高まったことを覚えている。
人工呼吸器の外部バッテリーをもってホテルのナイトプールに行ったり、旅行したりして、家族でできることを満喫するようにしている。

自治体の職員の方にはヘルパーの枠を増やしたり、呼吸器や補装具など様々な器具を揃えたりした際にとてもお世話になり感謝している。
ただ、通常の仕事復帰となると、この行政支援だけでは限界がある。
保育園には何度も入園を要望したが、医療的ケアがあるなら無理ですとまったく受け入れてもらえる状況にはなかった。
次は小学校だが、呼吸器をつけているので通学バスには乗れず、学校でも親の常駐が求められるので、下の子もいる現在の状況では通学はあきらめるしかない。
 
今の一番の心配は、台風や地震などの自然災害時の電源の確保である。
蓄電池を2つと発電機を1つ常備しているが、自力での備えでは呼吸器は1日持つか持たないかという状況で不安がある。
呼吸器のバッテリーを1つ多く貸してもらえるようメーカーへの問い合わせもしたが、難しいようで、何とかしなければと思っている。

私は: です。

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