インタビュー時:36歳(2020年11月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男4歳
関西在住。夫と長男の3人家族。

妊娠中に染色体異常が発見された。
生後3か月で、気管切開と胃ろうの手術をしたが、誤嚥性肺炎を繰り返し人工呼吸器を装着した。
その後も下痢や嘔吐などの消化器症状が出ている。
医療的ケア児を受け入れる保育園は近隣にないため待機の状態で、仕事は育休明けに退職した。
現在は訪問看護や療育を利用しながらも日中はほぼ一人でケアを担っている。
就学年齢が近づいているが、特別支援学校の通学バスに気管切開があると乗れないなどの困りごとがある。

プロフィール詳細

妊娠18週頃、胎児の成長異常を指摘されて、羊水検査を行った。3日後の迅速検査の結果は全部陰性であった。
詳細な検査結果が出るまでに、中絶できる時期を過ぎてしまうということで、産婦人科医も悩んでいるようだったが、迅速検査で陰性なら中絶まではしなくてもという意見だったように思う。


1か月後に詳細な検査結果が出て、染色体異常が分かった。担当医も驚いていたようで、自分もそんな結果になるなんて、と葛藤もありながら、もう産むしかない、運命なんだろうと受け入れて出産まで過ごしていた。

妊娠経過自体は順調で経膣分娩で出産を迎えた。すぐにNICU(新生児集中治療室)に行くことは決まっていたため、出産後一瞬だけ顔を見て、そのまま別室になった。
周りの妊婦さんとは違うとは想像していたが、子どもが横にいないのはとても辛かった。
ただ、出産前は漠然としか思い描けなかった生活が、子どもが成長し生活のペースや将来像が見えるようになってきた今では不安はなくなっているように思う。

NICUで喉頭軟化症のため気管切開が必要、経鼻栄養ではなく胃ろうが必要と言われた。とにかく生きるために手術を受け入れざるを得ない状況だった。
当初は気管切開と胃ろうをすれば症状は安定して退院もできると医師に言われていたが、気管切開をしてからすぐに誤嚥性肺炎となり、何度も入退院を繰り返した。

そこで小児科医から安定して家に帰るためには人工呼吸器が必要と言われ、それはとても衝撃だった。気管切開と胃ろうをすればなんとかなるとの最初の説明とずいぶん違うと、当時は医師への不信感のようなものもあった。

人工呼吸器を装着して誤嚥性肺炎はなくなったが、次は下痢や嘔吐の症状が出るようになった。消化器症状は今も続いており原因は不明である。3歳くらいまでは何度も入院した。 

出産前に就いていた仕事は、妊娠中に病気のことが分かり早めに産休をとった。
職場からは復帰してほしいとも言われていたが、保育園にも預けられず、育休をぎりぎりまでとって退職した。いつか復帰したいが、今は子どものケアを最優先にしている。

日常は朝7時半に夫が出勤し8時頃帰宅するまで、ほぼすべて一人でケアを担っている。夜は夫が先に寝て、夜中1時くらいに起きて交代している。

医療的ケアは一つ一つに気を使い、24時間ずっと気を張っている状態が続いている。
夫以外にも自分の妹が同じケアを学んでくれ、妹はよく手伝ってくれるので、それはとてもありがたい存在である。

これまで困ったのが呼吸器を載せる耐荷重のバギーや、ベッドサイドに必要な機器一式を揃えるのにちょうどよい棚が市販で手に入らないことである。
 
子どもはもうすぐ就学の時期がやってくる。
運動能力や知的な面での遅れはあるものの親が遊ぶと嬉しそうな笑い声をあげている。
コミュニケーション能力を最大限に引き出してくれる特別支援学校への就学を希望している。
しかし気管切開があるから通学バスには乗れない。

現在住んでいる自治体で通学支援助成があっても、親が介護タクシーや訪問看護師を探さねばならない。
自力で契約相手を見つけるのも難しく、制度はあっても利用できない現状に疑問がある。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧