インタビュー時:47歳(2020年11月)
関係:母
医療的ケアのある子:次女9歳
首都圏在住。夫、長女(中学生)、次女(小4)の4人家族。

次女は出産時のトラブルによる脳性麻痺で、医療的ケアは気管切開、胃ろう、口鼻と気管吸引が必要である。
かかりつけ医、訪問看護、リハビリテーションを利用し、父親もケアを担っている。特別支援学校に所属し、地域とのつながりを大切にしている。
自分は、手作りの気管切開固定テープなどを販売している。

プロフィール詳細

次女は、出産時のトラブルで脳性麻痺になった。生後すぐNICU(新生児集中治療室)に入り、人工呼吸器を一時的に装着した。MRIで脳の損傷部位が広く障害が重いと医師から伝えられた。

生後4ヶ月で、経管栄養と口鼻吸引が必要な状態で退院し、しばらくは落ち着いて生活していたが、生後8か月から誤嚥性肺炎を繰り返し、医師から胃ろうを勧められ抵抗を感じながらも決断した。

3歳までに数回窒息を起こし、呼吸状態が悪化し、入退院を繰り返した。自分は寝食を削り吸引を頑張っていたが「吸引を頑張るのではなく、子どもに力を注ぎたい」と考え、気管切開を決断した。
気管切開後、呼吸が楽になった次女は笑顔が増え、周りの人にも喜ばれたのが嬉しかった。

現在9歳の次女に必要な医療的ケアは、1日4回の胃ろうからの注入、気管切開、吸引である。
一日の最初のケアは朝6時からの注入で、長女と夫が出かけた後に次女の学校の準備をする。夫はケアを依頼すれば完璧にやってくれる。

自分だけで医療的ケアを抱え込まず、色々な人に頼ることが大切。そうしないと自分も子どもも大変になってしまう。
これまで多くの医師と関わり、どの先生もとても良かった。リハビリテーションや訪問看護でも色々な人にお世話になっている。

次女は特別支援学校で学んでいる。入学して初めて「障害児という枠にはめられた」感覚を持った。
学校の先生とのやり取りの中で、次女は自分の意思をはっきり伝えることを学び、社会経験ができている。

長女の通っていた地元の学校に通級指導で通っており、学校全体で受け容れてくれていると感じる。
次女と近所の店に行くと知らない子が声をかけてくれることもあり、地元の学校に所属することだけが、インクルーシブではないと感じる。

長女出産前は、医療事務の仕事をしており障害児とも接していた。
自分に障害児が生まれても大丈夫と思っていたが、初めて次女に会ったときに受け容れられない気持ちになり、とてもショックだった。
長女が「かわいい」と次女を素直に受け入れる様子を見て、自分も次女と向き合い始めた。

NICU入院中に東日本大震災があり、多くの命が失われる中、助かった次女の命の意味を考えるようにもなった。
今は、人の目はあまり気にせず、遠方での親戚との海水浴など、どこにでも連れて行く。

医療事務の仕事は長女出産時に退職し、その後、週に数回の仕事に転職したが、次女の出産で退職した。今は、特技をいかして手作りの気管切開固定テープなどを販売している。

また次女のために習い始めたウクレレが自分の趣味になっている。1人でレッスンに参加する時間が、とても楽しい。趣味の時間で自己実現ができ、自分の時間も充実している。

子育ては誰でも大変である。障害を特別に捉えないで、自分の子どもに親としてできることは何か、そのためには親自身がどうしていくべきかを考えると、スムーズに生活していけると思っている。

私は: です。

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