インタビュー時:47歳(2020年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:次女10歳
首都圏在住。夫と長女、次女の4人家族。
妊娠中、胎児の脱腸が発見され、出産当日に突如胎児の心拍が下がり緊急帝王切開で出産した。
生後2週間で脱腸の手術を行った際、気管内挿管がうまくいかず脳性麻痺となり、その原因を調べて先天性染色体異常が分かった。
生後3か月、誤嚥性肺炎を起こした際、先天性疾患の特徴で喉の構造が複雑なため、気管切開を勧められ手術をし、現在も気管切開と胃瘻がある。
子どもは現在特別支援学校に通う。
プロフィール詳細
妊娠6か月頃、胎児に脱腸があることがわかったが、当時は生後、手術すれば問題ないだろうと考えていた。出産当日、突如胎児の心拍が下がり、緊急帝王切開で出産した。心拍は無事戻ったが、検査の結果、心臓に穴が開いていることが分かった。
生後2週間で脱腸の手術を行ったが、このとき気管内挿管がスムーズにいかず25分間心臓が止まった。手術室に呼ばれてピ――と1本線の心臓の波形をみたときは生きた心地がしなかった。
「2日以内にけいれんが起きなければ後遺症は残らないはず」という話だったが、けいれんは起き、そこから目が合わない障害児の顔になったことを覚えている。
気管内挿管がスムーズにできなかった原因を調べてみると、先天性染色体異常の特徴として、のどの構造が複雑であることが分かった。そのときは挿管がうまくいかなかったのは子どものせいだと言われたような気がしてとても傷ついたが、病院のNICU(新生児集中治療室)の医師も看護師もとても親身になって記録や写真をとってくれたことで本当に勇気づけられた。
生後2か月で小腸の奇形を直す手術を行い、1ヶ月後の退院を検討していた矢先、誤嚥性肺炎を発症した。その際、喉の構造が複雑なため、今後挿管するにも病院の管理が行き届かない心配があるとして気管切開を勧められた。
「そう言われたらやるしかない」と受け入れたが、気管切開をしてICUに横たわる子どもの顔を見るのがあまりに辛く面会に行けなくなってしまった。夫が自分を心配し付き添って一緒に行ってくれたことは本当にありがたかった。
気管切開をしたことで呼吸は安定したが、心臓に穴が開いた状態なため酸素飽和度は常に低く、生後6か月で心臓の手術を行うことになった。
この手術の準備のため麻酔科外来を訪れたのが、次女が初めて病棟の外に出た日だ。初めての姉妹の直接対面が叶い、長女も夫もすごく喜んで自身もすごく嬉しかった。
その後、心臓の穴をふさぐ手術と肺動脈の手術は無事成功し、体重も増えていった。そんな矢先、夫が不整脈で倒れるという事態が発生し、夫の手術と回復を待って、子どもは1歳の春に退院した。
自宅に帰ってきたころは、気管切開に伴う吸引や、唾液の24時間の持続吸引などがあり、持続吸引の電源のことを考えて出かけることもできなかった。
現在はミキサー食を胃瘻から注入し、気管切開に伴う吸引などの医療的ケアがある。2年前からスピーチバルブをつけて少し発話ができるようになった。
自宅に帰ってきて、もっとも変化が大きかったのは姉との関わりによる次女の成長である。姉の姿を見て刺激を受けたのか、子どもは寝返りが打てるようになり、座位がとれるようなり、ちょっとずつ体を動かせるようになった。
子どもは現在10歳で特別支援学校に通う。学校に通うようになり子どもは自分の気持ちをジェスチャーで表すことや待つことを学び、精神的にとても落ち着いた。
就学で一番困ったのは通学手段である。自宅から学校までは8キロあり、公共交通機関を使うと1時間半かかる。自身は車の免許を持っておらず、当時小学5年生になる長女の転校を考えると引っ越しも出来なかった。結局、電動自転車を購入し、子どもを前の座席に乗せ40分かけて通学することにした。
2年前から東京都で医療的ケア児の専用通学車両の取り組みが始まり、幸運なことにこのバスに乗れることになった。現在、毎日学校の通学バスが自宅にきて、週4日は自身が同乗して登校し、帰りは看護師の付き添い、週に1日は往復で看護師の付き添いがあり、自身は見送るだけの日ができた。
制度としては同乗の看護師が確保できれば週5日の往復をお願いすることもできるが、現状では看護師の確保は難しい。
自身は大学卒業後、営業や事務の仕事に就き、仕事は大好きだった。次女出産後もまた復帰したいと考えていたが、それは叶わなくなってしまった。
夫婦共働きの頃からすると経済的には苦しい状況にあるが、高齢の親が健在で、長女がしっかりした子に育ってくれているのでその点はありがたい。
特別支援学校のPTA会長や医ケア児の親の会役員を務めているが、長女が「ママのやってきた仕事が(今の活動に)活かせてよかったね」と言ってくれて、そんな風に自分のことを見てくれていることがとても嬉しく、全ての活動のモチベーションとなっている。
自身でとてもよかった工夫は自作の生活カードの導入である。1日の流れや1週間の目安を視覚で認識できるカードで子どもとコミュニケーションをとれるようになった。
一方でこれまで知的な面ばかりにフォーカスしてきて、歩行や嚥下などのリハビリまで手が回っていないことは反省点である。また今一番心配なのは第二次性徴の発現に伴いこれまでなかった心や体の変化が起こることである。
子どもは側彎(そくわん)を指摘され、夫は子どもを誘って体操の時間を持つようになった。
学校や社会の人からはいろいろなサポートを受け感謝しているが、現在の制度や仕組みに思うところはある。例えば、学校でカニューレが抜けたら保護者が呼び出されるが、子どもの状態によっては緊急対応の必要はなく、看護師がいるなら臨機応援に対応してほしい。
自身も親の会の活動を通じて必要な情発発信や制度提案をしていきたい。
生後2週間で脱腸の手術を行ったが、このとき気管内挿管がスムーズにいかず25分間心臓が止まった。手術室に呼ばれてピ――と1本線の心臓の波形をみたときは生きた心地がしなかった。
「2日以内にけいれんが起きなければ後遺症は残らないはず」という話だったが、けいれんは起き、そこから目が合わない障害児の顔になったことを覚えている。
気管内挿管がスムーズにできなかった原因を調べてみると、先天性染色体異常の特徴として、のどの構造が複雑であることが分かった。そのときは挿管がうまくいかなかったのは子どものせいだと言われたような気がしてとても傷ついたが、病院のNICU(新生児集中治療室)の医師も看護師もとても親身になって記録や写真をとってくれたことで本当に勇気づけられた。
生後2か月で小腸の奇形を直す手術を行い、1ヶ月後の退院を検討していた矢先、誤嚥性肺炎を発症した。その際、喉の構造が複雑なため、今後挿管するにも病院の管理が行き届かない心配があるとして気管切開を勧められた。
「そう言われたらやるしかない」と受け入れたが、気管切開をしてICUに横たわる子どもの顔を見るのがあまりに辛く面会に行けなくなってしまった。夫が自分を心配し付き添って一緒に行ってくれたことは本当にありがたかった。
気管切開をしたことで呼吸は安定したが、心臓に穴が開いた状態なため酸素飽和度は常に低く、生後6か月で心臓の手術を行うことになった。
この手術の準備のため麻酔科外来を訪れたのが、次女が初めて病棟の外に出た日だ。初めての姉妹の直接対面が叶い、長女も夫もすごく喜んで自身もすごく嬉しかった。
その後、心臓の穴をふさぐ手術と肺動脈の手術は無事成功し、体重も増えていった。そんな矢先、夫が不整脈で倒れるという事態が発生し、夫の手術と回復を待って、子どもは1歳の春に退院した。
自宅に帰ってきたころは、気管切開に伴う吸引や、唾液の24時間の持続吸引などがあり、持続吸引の電源のことを考えて出かけることもできなかった。
現在はミキサー食を胃瘻から注入し、気管切開に伴う吸引などの医療的ケアがある。2年前からスピーチバルブをつけて少し発話ができるようになった。
自宅に帰ってきて、もっとも変化が大きかったのは姉との関わりによる次女の成長である。姉の姿を見て刺激を受けたのか、子どもは寝返りが打てるようになり、座位がとれるようなり、ちょっとずつ体を動かせるようになった。
子どもは現在10歳で特別支援学校に通う。学校に通うようになり子どもは自分の気持ちをジェスチャーで表すことや待つことを学び、精神的にとても落ち着いた。
就学で一番困ったのは通学手段である。自宅から学校までは8キロあり、公共交通機関を使うと1時間半かかる。自身は車の免許を持っておらず、当時小学5年生になる長女の転校を考えると引っ越しも出来なかった。結局、電動自転車を購入し、子どもを前の座席に乗せ40分かけて通学することにした。
2年前から東京都で医療的ケア児の専用通学車両の取り組みが始まり、幸運なことにこのバスに乗れることになった。現在、毎日学校の通学バスが自宅にきて、週4日は自身が同乗して登校し、帰りは看護師の付き添い、週に1日は往復で看護師の付き添いがあり、自身は見送るだけの日ができた。
制度としては同乗の看護師が確保できれば週5日の往復をお願いすることもできるが、現状では看護師の確保は難しい。
自身は大学卒業後、営業や事務の仕事に就き、仕事は大好きだった。次女出産後もまた復帰したいと考えていたが、それは叶わなくなってしまった。
夫婦共働きの頃からすると経済的には苦しい状況にあるが、高齢の親が健在で、長女がしっかりした子に育ってくれているのでその点はありがたい。
特別支援学校のPTA会長や医ケア児の親の会役員を務めているが、長女が「ママのやってきた仕事が(今の活動に)活かせてよかったね」と言ってくれて、そんな風に自分のことを見てくれていることがとても嬉しく、全ての活動のモチベーションとなっている。
自身でとてもよかった工夫は自作の生活カードの導入である。1日の流れや1週間の目安を視覚で認識できるカードで子どもとコミュニケーションをとれるようになった。
一方でこれまで知的な面ばかりにフォーカスしてきて、歩行や嚥下などのリハビリまで手が回っていないことは反省点である。また今一番心配なのは第二次性徴の発現に伴いこれまでなかった心や体の変化が起こることである。
子どもは側彎(そくわん)を指摘され、夫は子どもを誘って体操の時間を持つようになった。
学校や社会の人からはいろいろなサポートを受け感謝しているが、現在の制度や仕組みに思うところはある。例えば、学校でカニューレが抜けたら保護者が呼び出されるが、子どもの状態によっては緊急対応の必要はなく、看護師がいるなら臨機応援に対応してほしい。
自身も親の会の活動を通じて必要な情発発信や制度提案をしていきたい。