インタビュー時:39歳(2021年2月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男3歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。
妊娠5か月頃、エコーで胎児の脳室が通常より大きく、先天性水頭症と診断された。
出生後、自力での呼吸維持が困難なため挿管による人工呼吸を開始し、その後在宅酸素療法に移行した。
自力歩行が困難で発話がまだない等、発達はゆっくりではあるが、数字や電車に興味をもち親とコミュニケーションを図ることを楽しんでいる。
シンガポール人である夫の両親に会うため、子どもが2歳のときに海外渡航を家族で経験した。
プロフィール詳細
妊娠5か月頃、エコーで胎児の脳室が通常より大きく、先天性水頭症と診断された。
診断を受けた日は夫婦で呆然としたが、その健診の翌日から夫婦2人だけの最後の温泉旅行を予定していた。
すごく落ち込んでいたが予定どおり行くことに決めた。
旅行はとてもリラックスした時間で、子どもが生まれるまでは心穏やかに過ごしていこうと思えた。
胎内で頭が大きくなると胎児に負担がかかるため、早産で帝王切開した。
自身の出血量も多く時間のかかる手術だったが、子どもの顔を見たときは何にも代えがたい気持ちになった。
生後NICU(新生児集中治療室)に入院しそこで4か月、その後GCU(新生児回復室)に1ヶ月入院した。
子ども自身が息を止めてしまい、酸素濃度が下がることが多く、生後すぐに気管内挿管をして呼吸を確保した。
妊娠中に呼吸を司る脳幹部への影響があったのではないかと言われていわれているが原因ははっきりしない。
産後2日目から3時間ごとに搾乳しNICUに届け、自身が退院後は毎日搾乳し冷凍した母乳を病院に届けた。
病院まで片道1時間以上かかるので、自分でもよくやったと思う。
生後5か月で退院するにあたり在宅酸素療法に移行した。
酸素ボンベが火気厳禁といわれても、家の中で何に気をつければよいかわからず、当初はすごく神経質になっていた。
生後直後はミルクを飲めなかったため、経管栄養も行っていた。
退院時には口からミルクを飲めるようになっていたが、在宅で誤嚥し、経管栄養も再検討された。
しかし口から飲みたい気持ちがある子だったため経管栄養はせず、3歳となった今は食いしん坊なくらいよく食べている。
現在は週3日間、近くの児童発達支援センターに通所し、週1日訪問看護師が来る。
最近は数字に興味をもち、カードを使って数字当てをしたり、道路の速度制限標識の数字を親子で探したりするのを楽しんでいる。
電車も好きで電車が見たいと手を打って合図する。
コロナ禍で在宅が増えた際にはYoutubeで電車の動画を見ることに夢中になった。
児童発達支援センターに通うようになって、子どもが同年齢の子と接する時間ができたことはよかったし、母親自身が少しほっとする時間や知り合いもできた。
客観的には自力歩行ができず、言葉もまだ出てこないなど発達の遅れはあるが、自分達夫婦にとっては息子の子育て経験しかないので、これが当たり前という感覚である。
自身の仕事は個人的な理由で前職の会社を退職した矢先に妊娠が分かった。
それから仕事はしていないが、現時点では子どもの成長と体調次第と考え、復帰への気持ちはそれほど強くない。
海外が好きで長期滞在の経験も複数ある。好きなことをやってきたので、自分自身には満足して、今は息子中心に考えられているのかと思う。
夫はシンガポール人で、日本で生まれ育った自分の考え方とは違うこともあるが、子どもに愛情深く接し頑張ってくれている。
子どもの疾患や障害が分かったとき両祖父母とも最初はとてもショックを受けていたが、今はかわいがってくれている。
シンガポールの祖父母は生後8ヶ月のとき日本で対面し、2歳のときにはこちらから親子3人でシンガポールを訪問した。
酸素ボンベの手配や飛行機持ち込みのルールの確認、キッチンのあるホテルの予約など色々準備し1週間滞在した。
海外ではいわゆる社会的弱者に対し公共の場で手を貸してくれる人がいるが、日本では息子とボンベを背負って荷物を持っての状況の中でも、席を譲ってもらったり、声をかけてもらったりすることもなく腫れ物に触る感じなのかと思うことがある。
優先であるはずのエレベーターにもなかなか乗れず困ることも多い。
酸素ボンベを常にもっているので、外出には気を遣う事も多い。
混んでいるところには行きづらいし、公園では他の親子連れの反応をみるとなかなか気が進まない。
今後、息子の発達がどれくらい期待できるかわからないが、その中でも自分でできる力をつけてほしいし、たくさん経験してほしい。
親自身にもそれぞれ人生があるから、それを大切にするにはどうしたらいいかもゆっくり考えていきたい。
診断を受けた日は夫婦で呆然としたが、その健診の翌日から夫婦2人だけの最後の温泉旅行を予定していた。
すごく落ち込んでいたが予定どおり行くことに決めた。
旅行はとてもリラックスした時間で、子どもが生まれるまでは心穏やかに過ごしていこうと思えた。
胎内で頭が大きくなると胎児に負担がかかるため、早産で帝王切開した。
自身の出血量も多く時間のかかる手術だったが、子どもの顔を見たときは何にも代えがたい気持ちになった。
生後NICU(新生児集中治療室)に入院しそこで4か月、その後GCU(新生児回復室)に1ヶ月入院した。
子ども自身が息を止めてしまい、酸素濃度が下がることが多く、生後すぐに気管内挿管をして呼吸を確保した。
妊娠中に呼吸を司る脳幹部への影響があったのではないかと言われていわれているが原因ははっきりしない。
産後2日目から3時間ごとに搾乳しNICUに届け、自身が退院後は毎日搾乳し冷凍した母乳を病院に届けた。
病院まで片道1時間以上かかるので、自分でもよくやったと思う。
生後5か月で退院するにあたり在宅酸素療法に移行した。
酸素ボンベが火気厳禁といわれても、家の中で何に気をつければよいかわからず、当初はすごく神経質になっていた。
生後直後はミルクを飲めなかったため、経管栄養も行っていた。
退院時には口からミルクを飲めるようになっていたが、在宅で誤嚥し、経管栄養も再検討された。
しかし口から飲みたい気持ちがある子だったため経管栄養はせず、3歳となった今は食いしん坊なくらいよく食べている。
現在は週3日間、近くの児童発達支援センターに通所し、週1日訪問看護師が来る。
最近は数字に興味をもち、カードを使って数字当てをしたり、道路の速度制限標識の数字を親子で探したりするのを楽しんでいる。
電車も好きで電車が見たいと手を打って合図する。
コロナ禍で在宅が増えた際にはYoutubeで電車の動画を見ることに夢中になった。
児童発達支援センターに通うようになって、子どもが同年齢の子と接する時間ができたことはよかったし、母親自身が少しほっとする時間や知り合いもできた。
客観的には自力歩行ができず、言葉もまだ出てこないなど発達の遅れはあるが、自分達夫婦にとっては息子の子育て経験しかないので、これが当たり前という感覚である。
自身の仕事は個人的な理由で前職の会社を退職した矢先に妊娠が分かった。
それから仕事はしていないが、現時点では子どもの成長と体調次第と考え、復帰への気持ちはそれほど強くない。
海外が好きで長期滞在の経験も複数ある。好きなことをやってきたので、自分自身には満足して、今は息子中心に考えられているのかと思う。
夫はシンガポール人で、日本で生まれ育った自分の考え方とは違うこともあるが、子どもに愛情深く接し頑張ってくれている。
子どもの疾患や障害が分かったとき両祖父母とも最初はとてもショックを受けていたが、今はかわいがってくれている。
シンガポールの祖父母は生後8ヶ月のとき日本で対面し、2歳のときにはこちらから親子3人でシンガポールを訪問した。
酸素ボンベの手配や飛行機持ち込みのルールの確認、キッチンのあるホテルの予約など色々準備し1週間滞在した。
海外ではいわゆる社会的弱者に対し公共の場で手を貸してくれる人がいるが、日本では息子とボンベを背負って荷物を持っての状況の中でも、席を譲ってもらったり、声をかけてもらったりすることもなく腫れ物に触る感じなのかと思うことがある。
優先であるはずのエレベーターにもなかなか乗れず困ることも多い。
酸素ボンベを常にもっているので、外出には気を遣う事も多い。
混んでいるところには行きづらいし、公園では他の親子連れの反応をみるとなかなか気が進まない。
今後、息子の発達がどれくらい期待できるかわからないが、その中でも自分でできる力をつけてほしいし、たくさん経験してほしい。
親自身にもそれぞれ人生があるから、それを大切にするにはどうしたらいいかもゆっくり考えていきたい。
インタビュー13
- 児童発達支援施設に子どもを預けるようになり、気を張って生活していたことに気付き、自分をいたわることも大事だと思った
- 息子が小さい頃は訪問看護やリハビリの方と話すくらい。地域の子育ての場にも入れずに、日々、緊張と孤独の中で生活していた
- 息子は実家の大きいカレンダーに興味を示したことがきっかけで数字にはまった。お散歩で速度標識の数字探しをするのも楽しい
- コロナ禍で家時間が増えたとき息子にYouTube動画を見せたらはまってしまい、電車の動画が見たいと手を打って合図する
- 夫婦2人で生活していた家に息子を迎え、赤ちゃんのいる生活に驚きもあり、病院とは異なる環境で酸素ボンベの位置なども気を遣った
- 息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した
- 子どもと酸素ボンベを背負ってバスに乗っていてもほとんど声をかけられない。その中で近所のおばあちゃんとのなにげない会話がとてもうれしい
- 性別がわかるのを楽しみに夫と一緒に行った検診でお腹の子の異常を指摘された。二人とも何の話か理解できなかった