インタビュー時:44歳(2021年4月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男13歳
北海道在住。夫、長男、長女、次女の5人家族。
長男は生後2週間頃、突然チックのような症状が現れた。
4か月の入院中状態は悪化し、退院後も発達は遅れ、その後遺伝子の突然変異による病気(STXBP1 遺伝子異常)が分かった。
食べるのは大好きだったが食後の誤嚥が多く、8歳で胃ろうにした。
特別支援学校に通う中で補装具をつけて立ち、手振りで意思表示するようになり教育の力を感じた。
障害があっても高等教育を受けられる学びの場を作りたいと思っている。
プロフィール詳細
第一子となる長男は生後2週間頃、突然チックのような症状が現れた。
経過観察のため入院し、4か月病院で過ごす中、脳波の状態も症状も日に日に悪くなっていき、不安な日々を過ごした。
退院後は家で過ごしていたが、生後10か月でも首が据わらず成長に不安を感じていた頃、病院から紹介された障害のある子のお母さんの集まりに参加した。
重症度の高いお子さんに愛情深く接しているお母さんと会う中で、自分も子どもをただ好きでいればいいんだと思えた。
母乳を飲み、離乳食もよく食べる子だったが、食後に吐くことが多かった。
2歳半の頃、誤嚥性肺炎を起こし入院し、その後総合病院で検査したところ、これまでも誤嚥が続いていたとわかり、胃ろうを勧められた。
2歳を過ぎても依然首は据わらず、いよいよ発達が他の子とは違うと感じつつも、ご飯だけは食べてくれていたので、「この子から食べる楽しみを奪うなんて」と胃ろうを勧める医師に食ってかかった。
夫は自分とは正反対の性格で静かに子どもの病気や障害を受け止めていたように思う。
その後、入院することも多く担当医から何度も説得をされ、小学2年生のときに胃ろうを作った。
3歳になる頃、検査で遺伝子の突然変異による病気(STXBP1 遺伝子異常)とわかった。
聞いたこともない病名で稀少な疾患であることにも驚いたがショックというよりも、この子をどう育てていくか、自分自身の人生も含めて考えようという気持ちだった。
出産前からしていた営業の仕事を、子どもを保育園に預けて続けていたが、自分たちが様々な温かい支援を受ける中で、自分でもなにかできないか考えるようになった。
長男が小学4年生の学習発表会で補装具をつけステージに立っている姿を見たとき教育の力に感動し、障害があっても高校卒業後も学べる大学のような場をつくることに興味をもった。
現在は、医療法人に勤務し、訪問診療に同行したり、生涯学習セミナーの企画や運営業務を担ったりする中で自分自身も勉強している。
10歳と7歳になる長女、次女がいる。
長男が遊ぼうとしているぬいぐるみを妹たちがとりあげたり、反対に長男が足元にいる妹の頭を蹴ったり、3人でじゃれたり喧嘩したり今は対等な関係だと感じる。
これまで妹たちの保育園や小学校にも長男をバギーで連れて行くこともあり、学校交流の際、給食の時間に長男の胃ろうの注入の様子を普通学級の子どもたちに見せたこともある。
長男は現在特別支援学校に通う。
高等部まであるマンモス校のため年齢も障害の程度も幅広い子たちと交流できるのが魅力だ。
言葉は「あー」「うー」といった喃語(なんご)だけであるが、小学5年生頃から、手で「はい」「いいえ」のサインをするようになり新たな表現が出たことがとても嬉しかった。
この先いろいろな人と関わっていくだろう。長男には他人に理解してもらえるよう自分を表現できる力を身に着けてほしい。
経過観察のため入院し、4か月病院で過ごす中、脳波の状態も症状も日に日に悪くなっていき、不安な日々を過ごした。
退院後は家で過ごしていたが、生後10か月でも首が据わらず成長に不安を感じていた頃、病院から紹介された障害のある子のお母さんの集まりに参加した。
重症度の高いお子さんに愛情深く接しているお母さんと会う中で、自分も子どもをただ好きでいればいいんだと思えた。
母乳を飲み、離乳食もよく食べる子だったが、食後に吐くことが多かった。
2歳半の頃、誤嚥性肺炎を起こし入院し、その後総合病院で検査したところ、これまでも誤嚥が続いていたとわかり、胃ろうを勧められた。
2歳を過ぎても依然首は据わらず、いよいよ発達が他の子とは違うと感じつつも、ご飯だけは食べてくれていたので、「この子から食べる楽しみを奪うなんて」と胃ろうを勧める医師に食ってかかった。
夫は自分とは正反対の性格で静かに子どもの病気や障害を受け止めていたように思う。
その後、入院することも多く担当医から何度も説得をされ、小学2年生のときに胃ろうを作った。
3歳になる頃、検査で遺伝子の突然変異による病気(STXBP1 遺伝子異常)とわかった。
聞いたこともない病名で稀少な疾患であることにも驚いたがショックというよりも、この子をどう育てていくか、自分自身の人生も含めて考えようという気持ちだった。
出産前からしていた営業の仕事を、子どもを保育園に預けて続けていたが、自分たちが様々な温かい支援を受ける中で、自分でもなにかできないか考えるようになった。
長男が小学4年生の学習発表会で補装具をつけステージに立っている姿を見たとき教育の力に感動し、障害があっても高校卒業後も学べる大学のような場をつくることに興味をもった。
現在は、医療法人に勤務し、訪問診療に同行したり、生涯学習セミナーの企画や運営業務を担ったりする中で自分自身も勉強している。
10歳と7歳になる長女、次女がいる。
長男が遊ぼうとしているぬいぐるみを妹たちがとりあげたり、反対に長男が足元にいる妹の頭を蹴ったり、3人でじゃれたり喧嘩したり今は対等な関係だと感じる。
これまで妹たちの保育園や小学校にも長男をバギーで連れて行くこともあり、学校交流の際、給食の時間に長男の胃ろうの注入の様子を普通学級の子どもたちに見せたこともある。
長男は現在特別支援学校に通う。
高等部まであるマンモス校のため年齢も障害の程度も幅広い子たちと交流できるのが魅力だ。
言葉は「あー」「うー」といった喃語(なんご)だけであるが、小学5年生頃から、手で「はい」「いいえ」のサインをするようになり新たな表現が出たことがとても嬉しかった。
この先いろいろな人と関わっていくだろう。長男には他人に理解してもらえるよう自分を表現できる力を身に着けてほしい。
インタビュー21
- 息子は立てるかもと、リハビリの先生が装具をつくった。学校の学習発表会で舞台に立つ息子の姿には感動し、教育の力を感じた
- 地域の小学校の交流に毎学期行って、給食のときにラコールをあけて同学年の子たちににおいをかがせたり、注入を見せたりした
- 支援の必要性を理解しない担当者に敵意を抱いたこともある。親切な人もいるが積極的に情報を取りにいかないと誰も教えてくれない
- 息子と身体を動かすような遊びをしていた。初めてクリスマスツリーを見せたときは目をきらきらさせていてこれが好きなんだと思った
- 息子は胃ろうのみなので電源がなくとも生活できた。普段からラコールや水の備蓄はし、災害時は病院にいくことにしている
- 生後2週間頃自宅で息子のチックのような症状に気づき、てんかんの疑いで入院したが、次第に症状が悪化して入院は4カ月に及んだ
- 胃ろうで子どもの「食べる」楽しみを奪われたくなかったのだが、体調が悪化して入院を繰り返すようになったのでようやく決断した