インタビュー時:50歳(2022年3月)
関係:父
医療的ケアのある子:次男21歳
首都圏在住。妻と長男24歳、次男21歳、三男19歳の5人家族。
次男は1歳頃から定期的に40度ほどの高熱を出し、3歳頃には発熱と同時に口内炎や陰部の潰瘍が見られるようになった。10歳頃にベーチェット病と診断され、2週に1回の自己注射が必要になった。その後、薬が効かなくなり20歳のとき7週に1回の病院での薬剤の点滴投与に変更した。突然の体調不良から長期入院や休養が必要になることもあるが、見た目は普通の子と変わらず、周囲からさぼっていると誤解されることもある。病気と付き合いながらも息子が自立していくことを親として見守るしかない。
プロフィール詳細
次男は、妊娠40週過ぎに、胎便吸引症候群で呼吸障害が起きた状態で生まれた。人工呼吸器を装着し、予後は厳しいとも言われながら1か月後には状況は落ち着き、人工呼吸器も外れ退院できた。出産時に低酸素脳症になったことから将来、障害が出てくる可能性もあると言われ、不安を抱えながらも、1歳頃まで大きな問題もなく成長した。
1歳頃から定期的に40度ほどの高熱を出すようになり、3歳頃には発熱と同時に口内炎や陰部の潰瘍が見られるようになった。10歳頃まで症状を繰り返し、口内炎がひどいと食事はおろか、水分も摂れず脱水症状で入院した。本人の様子を見ながら高カロリーの栄養剤を経口で補給させ、学校給食時に保健室で飲むように高カロリー栄養剤を持参させることもあった。知的にも運動面でも普通の発育ではあったが、炎症を抑えるためのステロイド投与を行っていた時期があり、成長抑制の影響でやや小柄である。
10歳頃にベーチェット病と診断され、2週に1回の自己注射(ヒュミラ)をするようになった。10歳の子が安全に自己注射をするには不安があり、当初は親がトレーニングを受けて注射をしていた。妻は発達障害の長男にかかりきりだったため、次男のケアは自然と自分が担当するようになった。中学生になる頃には息子自身が注射をできるようになった。将来も病気と付き合っていくのだから、注射を習慣化し、病状を悪化させないようにコントロールしてほしいと親としては口うるさく言っていたが、定期的な自己注射は息子にとって憂鬱でめんどくさい作業であり、家庭内での親子間の気持ちのすれ違いが生じた時期もある。その後、自己注射の薬が効きにくくなり、20歳のときに7週に1回病院で点滴を受けるタイプの薬(レミケード)に変更した。
次男は地域の公立小中学校に通い、見た目や知的、体力面でも周囲の子と変わらない。但し、腹痛や体調不良で数週間から1か月ほど入院することもたびたびで、定期通院のため、早退や遅刻も多かった。宿泊合宿では到着先で腹痛を起こし、親が迎えに行ったこともある。中学以降は定期試験のスケジュールに合わせ体調を整えることに気を遣ったが、それでも欠席や遅刻・早退日数は多く、受験時の内申点への影響も少なからずあった。大学進学では、資格を取ることを親子で話し合い、息子は指定校推薦で看護大学への進学を希望した。息子なりに努力し、学力上は推薦の条件を満たしていたが「不安要素のある学生の推薦はできない」との学校の判断で指定校推薦枠に入れてもらうことができず、親子でとても悔しい思いをした。息子はその後、別の大学に看護師を目指して進学し、現在在学中である。実習の多い看護学生として、体調管理が難しそうで親としては心配もあるが、もう親が口を出す年齢でもなく、見守るしかない。
自分は介護職で24時間365日業務のシフト制である。管理職になってからは、シフトを組む立場となり、通院付き添いのスケジュールを自身のシフトに組み込むことができるようになったが、まだ若手のときには突然の息子の入院で周囲に休みの調整をお願いすることも多かった。職場には息子の状況をオープンにしており、実家の両親も近くに住んでいたため、祖父母の手も借りてここまでこられた。
東京23区内は15歳まで医療費は無料で、15歳以降も小児慢性疾患や難病の医療費助成があり、経済的な負担はほとんどなく、その点はとてもありがたかった。但し、入院中の親の付き添いにかかる費用、交通費もばかにならない負担であったと思う。何より長男と三男の他の兄弟がいたため、長男は妻、次男は自分、三男は祖父母などで分担し、ばらばらに行動せざるを得ない時期もあった。発達障害と内部障害のある子を育てる中で、「普通」という言葉は難しいと感じてきたが、今はそれぞれの家庭にそれぞれの「普通」があるんだということを同様な立場のご家族に伝えたい。
1歳頃から定期的に40度ほどの高熱を出すようになり、3歳頃には発熱と同時に口内炎や陰部の潰瘍が見られるようになった。10歳頃まで症状を繰り返し、口内炎がひどいと食事はおろか、水分も摂れず脱水症状で入院した。本人の様子を見ながら高カロリーの栄養剤を経口で補給させ、学校給食時に保健室で飲むように高カロリー栄養剤を持参させることもあった。知的にも運動面でも普通の発育ではあったが、炎症を抑えるためのステロイド投与を行っていた時期があり、成長抑制の影響でやや小柄である。
10歳頃にベーチェット病と診断され、2週に1回の自己注射(ヒュミラ)をするようになった。10歳の子が安全に自己注射をするには不安があり、当初は親がトレーニングを受けて注射をしていた。妻は発達障害の長男にかかりきりだったため、次男のケアは自然と自分が担当するようになった。中学生になる頃には息子自身が注射をできるようになった。将来も病気と付き合っていくのだから、注射を習慣化し、病状を悪化させないようにコントロールしてほしいと親としては口うるさく言っていたが、定期的な自己注射は息子にとって憂鬱でめんどくさい作業であり、家庭内での親子間の気持ちのすれ違いが生じた時期もある。その後、自己注射の薬が効きにくくなり、20歳のときに7週に1回病院で点滴を受けるタイプの薬(レミケード)に変更した。
次男は地域の公立小中学校に通い、見た目や知的、体力面でも周囲の子と変わらない。但し、腹痛や体調不良で数週間から1か月ほど入院することもたびたびで、定期通院のため、早退や遅刻も多かった。宿泊合宿では到着先で腹痛を起こし、親が迎えに行ったこともある。中学以降は定期試験のスケジュールに合わせ体調を整えることに気を遣ったが、それでも欠席や遅刻・早退日数は多く、受験時の内申点への影響も少なからずあった。大学進学では、資格を取ることを親子で話し合い、息子は指定校推薦で看護大学への進学を希望した。息子なりに努力し、学力上は推薦の条件を満たしていたが「不安要素のある学生の推薦はできない」との学校の判断で指定校推薦枠に入れてもらうことができず、親子でとても悔しい思いをした。息子はその後、別の大学に看護師を目指して進学し、現在在学中である。実習の多い看護学生として、体調管理が難しそうで親としては心配もあるが、もう親が口を出す年齢でもなく、見守るしかない。
自分は介護職で24時間365日業務のシフト制である。管理職になってからは、シフトを組む立場となり、通院付き添いのスケジュールを自身のシフトに組み込むことができるようになったが、まだ若手のときには突然の息子の入院で周囲に休みの調整をお願いすることも多かった。職場には息子の状況をオープンにしており、実家の両親も近くに住んでいたため、祖父母の手も借りてここまでこられた。
東京23区内は15歳まで医療費は無料で、15歳以降も小児慢性疾患や難病の医療費助成があり、経済的な負担はほとんどなく、その点はとてもありがたかった。但し、入院中の親の付き添いにかかる費用、交通費もばかにならない負担であったと思う。何より長男と三男の他の兄弟がいたため、長男は妻、次男は自分、三男は祖父母などで分担し、ばらばらに行動せざるを得ない時期もあった。発達障害と内部障害のある子を育てる中で、「普通」という言葉は難しいと感じてきたが、今はそれぞれの家庭にそれぞれの「普通」があるんだということを同様な立場のご家族に伝えたい。