インタビュー時:37歳(2022年10月)
関係:母(インタビュー41の妻)
医療的ケアのある子:長男4歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。
看護師資格をもつ。息子は生まれた直後に緊急搬送された。生後2か月で気管切開、4か月で胃ろうとなり、その後、両親の遺伝子の同じ部分にそれぞれ異なる変異が偶然あったこと(常染色体潜性遺伝)が原因の稀少疾患とわかった。息子を守るためすべての情報を理解したい母の気持ちと、辛い現実を医療の知識を活用して乗り切ろうという医療者の気持ちが共存していた。息子が1歳過ぎの頃、現在の研究職に復職した。テレワーク中心で、忙しいが柔軟な働き方ができている。市の保育園とその他サービスを使い週5日子どもを預け、共働きで子育てしている。
語りの内容
大きな地震があったとき、本人は寝ていたけど、ここの辺、半日、停電したんです。
電源は蓄電池を2つを買っているんで、それはよかったんです。
その時に保育園でお世話になってる訪問看護の所長さんが真夜中に「大丈夫?」って電話をしてきてくれたんですよ。別の訪問リハビリでお世話になってる人からも「大丈夫?」って。気にかけてもらうってありがたいですね。
あの時はそんなに大したことなかったので、助けを求める感じでもなかったですけど、そういう電話があることで、必要なことをお願いできるので、すごいありがたいことだなと思いました。
――電源は自費で確保したんですか。
一台 は、自費で。退院して帰ってくる時に必要だねって言って確保しときました。
それは病院からも言われました。いろんな蓄電池もあるし、ガソリン入れるタイプもあるし。
もう一台は今年度かな、市で災害用に助成しますよっていうのが始まったんですよ。
すでにもってる1台は呼吸器を1日動かせるぐらいしか持たないので「もう一台買っとこう」って言って。だから、2台あります。
――電源以外の災害備蓄は?
物品ももちろん、かなりの量を備蓄してますし、息子の避難セットだけで引越しみたいになります(笑)。これ持って避難するより、多分、家にいたほうがいいんじゃないかなって感じではあるんですけど。
――そのときの停電ってどれぐらい続いたんですか。
あの時は8時間ぐらいなのかな。
でも、停電しちゃうとエレベーターも動かないじゃないですか。そうすると、もう動けないなと思って。
本人は何とか抱えて下に下ろせるんですけど、車いすないと移動できなくて。車いすも、40キロぐらいあるんです。
だから、本当、近所の人とかお願いしないと避難できないなと思って、うち、自治会役員もやったんです。
引っ越して来て早々に、役員が回ってきちゃって、「実は、こういう事情があるので、人がいなきゃやりますけど、できれば避けたい」って最初は言ったんです。
ですけど、まあ、やろうかって、息子も連れて会合に出たりして。
近所に障害のある子がいると知ってもらっているので、お願いはしやすいですよね。
しかも、たまたま、2軒隣の人が会長さんだったので。
きっとお願いすれば助けてくれると思うので。
そういうふうに、自分たちでも、セーフティーネットみたいなものをつくっていくっていうのが大事かなと思って。時々、面倒くさいなと思うんですけど(笑)出ていってます。