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インタビュー時:39歳(2021年2月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男3歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。
妊娠5か月頃、エコーで胎児の脳室が通常より大きく、先天性水頭症と診断された。
出生後、自力での呼吸維持が困難なため挿管による人工呼吸を開始し、その後在宅酸素療法に移行した。
自力歩行が困難で発話がまだない等、発達はゆっくりではあるが、数字や電車に興味をもち親とコミュニケーションを図ることを楽しんでいる。
シンガポール人である夫の両親に会うため、子どもが2歳のときに海外渡航を家族で経験した。
語りの内容
本退院する前に、1週間ぐらい前だったか仮退院みたいなのがありました。
1泊だけ家に帰ってくることができて、真夏、8月だったんですよね。
すごい暑い年で、その日は。
今でこそ考えられないんですけど、そのときは普段、私たち夫婦が、日中クーラーはつけるけど、夜間はクーラーはつけないように生活してて、普通に窓開けるように生活してました。
息子が仮退院で1泊だけ帰ってきたときも、一緒にこれこうしながらこうだねとかって言って、酸素の位置とか確認しながらやったりとかしてて、普通に寝たんですけど、何回も何回も起きるんですよね。
そのたんびに汗がすごいびっちょりで、初めて、ああ、赤ちゃんってこんなに汗かくんだっていうのを、それまで1回も一緒に夜寝たことがなかったですし、一緒に夜過ごしたことがなかったので、全然分からなくて。
病院がどんだけ快適だったというか、適する温度で朝から晩までいたんだなっていうのをほんとに思いました。
その1泊のときにだいぶ、あ、こうなんだなっていうのが、分かって、本退院することになって、もう、すごくワクワクドキドキ、不安もあり、楽しみのほうが大きくて、あれもしなきゃ、これもしなきゃねとかって言いながら、迎え入れたのは覚えてますね。
――おうちに帰ってくるにあたって、一番気を遣ったとか、家の中で工夫したところっていうのは何かありますか。
当時の家がほんとに単身用のマンションだったんですよね。
そこで、息子が生まれるまでは主人と2人で住んでて。
手狭になるので引っ越さないといけないねっていうのは、妊娠が分かったときから言っていて、何となーく2人のときは、狭いけど全然暮らせるよねっていう感じだったので、なあなあで来てしまって。
いざ引っ越ししないとねっていうふうに話をしてて、息子がもう生まれる直前までは、ほんとにバタバタだったので、そこまで本腰で引っ越しに、気持ちが向けられなくって、じゃあ生まれてからでいっかとかって思ってたら、もう全く自分たちが(動けない)。
息子の病気は分かっていたんですけど、そこまで入院も長くなるとは思ってなかったし、先生方も思ってなかったぐらいなので、もう全く引っ越しなんて全然余裕がなくって。
だからそこの狭い家で息子と3人で暮らすことになったんですけど、ベッドの位置とか、酸素の位置とか、もちろん子どもは動けないのでそこまで、ころがるよねってことはないんですけど。
やっぱりある程度、酸素の位置とかそういうことはすごい相談して、火気厳禁で火が近くにあると駄目なので、遠い場所であるとか、そこはどの程度、危険なのかとか最初のほうは分からなかったので、すごい神経質になっていたのは覚えてます。
インタビュー13
- 児童発達支援施設に子どもを預けるようになり、気を張って生活していたことに気付き、自分をいたわることも大事だと思った
- 息子が小さい頃は訪問看護やリハビリの方と話すくらい。地域の子育ての場にも入れずに、日々、緊張と孤独の中で生活していた
- 息子は実家の大きいカレンダーに興味を示したことがきっかけで数字にはまった。お散歩で速度標識の数字探しをするのも楽しい
- コロナ禍で家時間が増えたとき息子にYouTube動画を見せたらはまってしまい、電車の動画が見たいと手を打って合図する
- 夫婦2人で生活していた家に息子を迎え、赤ちゃんのいる生活に驚きもあり、病院とは異なる環境で酸素ボンベの位置なども気を遣った
- 息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した
- 子どもと酸素ボンベを背負ってバスに乗っていてもほとんど声をかけられない。その中で近所のおばあちゃんとのなにげない会話がとてもうれしい
- 性別がわかるのを楽しみに夫と一緒に行った検診でお腹の子の異常を指摘された。二人とも何の話か理解できなかった