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インタビュー時:47歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
関西在住。夫と長女(15歳)、長男(11歳)の4人家族。
長女は生後何日経ってもミルクを飲まず経管栄養が開始され、生後7か月で胃ろうとなった。
3歳頃に染色体の一部欠損が分かり、今後できないことが多いのかと思ったが、その予測に反し娘は歩けるようになり、歌やダンスが大好きな子になった。
普通小学校入学を希望し、地域の大きな支援を受けて看護師配置が実現した。
娘の小学校入学を機に仕事をしたいと思い、現在自宅で英語塾の講師をしている。
語りの内容
子どもを、カートの赤ちゃん乗せの所に入れるんですけれど、私、ルートを外さないで、付けたままにして、ウエストのゴムの所に、こうやって、くるんってして置いといたんですね。
そうすると、いつでも(栄養剤を)入れることができる。穴にこう掛けて、くるっとやって。
普通だったらルート外して、衛生を保つんですけれど、それを外でやると、とても大変なのでっていうことで、付けたままで行ったんですね。
そのルートの所がカートの網の所に引っ掛かってしまってて、引っ掛かったまんま、私が娘をよっこいしょって抱っこをして引っ張り上げちゃったから、そのお腹のルートの胃ろうのボタンの所が、ポーンと外れまして。
もうそこから大変ですね。
当時は、造りたてっていうほどではなかったんですけれど、早く連れてかないと、お腹の穴がふさがっちゃうと。
ふさがったらまた胃ろう手術だと思って、それは困ると思って、どうしたらいいんだろうと思って、もうほんとに、すぐ駆け込みました。
最初は、(地元)で車で飛ばしたら10分15分で行く所が、その地域の大学病院なので、それはいいんですけれど。何と、里帰り出産をした先でやったんです。
片田舎なので、それをした時に、近くに小児外科っていう分野の病院がなかったんですね。
今で言う総合大学病院ではなくて、まあまあな病院ってありますよね。その土地の。
そこでも小児科はあるけど、小児外科というような所はないんです。
その時に、外科ならあるから来てくださいって言われて、行ったんですけれど、外科の先生は大人の外科しか知らなくて、備品も大人の物しかないんですね。
子どもサイズの物っていうのは、まずない。
だから、代わりに入れる物もないって言われたんです。
私が「14フレで、ほにゃららで」って言ってるんですけど、そんな物はないっていう形で言われてて。どうしたらいいんだろう、ここは京都じゃないしっていうところで、京都の先生を何とかつかまえて、電話で。
早くしないと、もう、またふさがっちゃうって思ってたので。
先生に電話したら、導尿のバルーンを使ってっていうふうに、それだったら外科のほうにあるかもしれないっていうことで、直接、医者同士で話してくれはって。
最初、私を絡んでやってたんですけど、あまりにも私には分からなかったので、先生同士でお話をしてもらうっていうふうにしてもらって。
5~6時間かかったんですけど、抜去してしまってから、そこの先で導尿のルートで胃ろうを確保してもらって、それなりに整えてから、京都に連れて帰りました。
そういうのが、一番のハプニングです。
インタビュー37
- 食事中、娘の行動で注目を浴びて恥ずかしかったようで、息子が「もう一緒に食べたくない」と言った。ついにこの時が来たと思った
- 私は毎日子どものケアなのに、夫は自由に過ごし腹が立った事もある。でも娘の成長を誰より喜べるのは夫婦2人だけという気持ちだ
- 娘が成長し力が強くなり、高齢の祖父母にお願いしづらくなった。自分の親きょうだいも助けてくれたが、吸引は任せられなかった
- 普通小学校入学にあたり行政との交渉が難航した。議員らにも働きかけて、学校に看護師を派遣してもらい、無事入学できた
- 運動会の組体操で、他の子に混じった娘の姿を探した。今まで目立ちすぎていた娘を探さないといけないことがどれほど嬉しかったか
- 下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた
- パソコンやテレビは使い方を教えなくても自分で機能を発見して遊んでいる。音声検索機能で好きな動画や画像を出すのも楽しそうだ
- 胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った
- 娘は小学校高学年まで積極的な様子がなかったが、身体が成長すると急にボールつきをしたり、学習意欲があふれてきて驚いた
- 1時間かけて経鼻で与えたわずかなミルクも吐き戻してしまうため、胃食道逆流症の手術をし、退院後のことを考え胃ろうも造設した