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インタビュー時:39歳(2021年2月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男3歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。
妊娠5か月頃、エコーで胎児の脳室が通常より大きく、先天性水頭症と診断された。
出生後、自力での呼吸維持が困難なため挿管による人工呼吸を開始し、その後在宅酸素療法に移行した。
自力歩行が困難で発話がまだない等、発達はゆっくりではあるが、数字や電車に興味をもち親とコミュニケーションを図ることを楽しんでいる。
シンガポール人である夫の両親に会うため、子どもが2歳のときに海外渡航を家族で経験した。
語りの内容
準備は、まず、日本の今いつもお世話になっている酸素(ボンベ)の会社の方に事情を説明して、シンガポール(にいく方は)初めてですっていうようなお話をしました。
向こうの電源のこととか、飛行機上のことですとかも。
飛行機のルールって結構しょっちゅう変わるらしいんです。
持ち込みが酸素のボンベ何本までとか1本幾らでお貸ししますとか、そういうのも結構いろいろ状況が変わるので、そこはご自身で調べてくださいっていうことで。
まず航空会社をチケットを買った後にすぐ、連絡をして、日本の航空会社だったので、やり取りがスムーズにいったのでよかったです。
酸素の持込量の規定とか、酸素会社の方とも連絡して、ボンベを持って行くのがいいのか、それとも充電式で、持込可能な機械をお借りして持ってったほうがいいのかとか、全部計算したり。
もちろんギリギリだと困っちゃうので、余分にこういうふうになったときに、じゃあどうするかとかで、飛行機上で壊れちゃったらどうするかとか、想定しながら手配したのを覚えてます。
現地のホテルも、実家に泊まることができなかったので、ホテルを予約することにしたんですけど、それもなるべく大きい病院が近くにあるホテルにして。
息子自身がアレルギーがあるので、日本は結構その表記としてアレルギー表記って、今、レストランに行ってもメニューに書いてあるところもありますし、例えばパン屋さんに行っても、アレルギー表記とかもあったりとか。
もちろん、スーパーで買ったものとかも結構、多いんですけど。
主人に聞いたら「シンガポールでそんな見たことない」って言ってて、「アレルギーの人なんているのかな」とかって言うから、絶対いるとは思うんだけど、多分そこまで、国のシステム自体がそこまでいってないっていうのかなあとも思って、そこもすごい心配で。
そのとき息子も普通にご飯、軟飯っていうか、柔らかいものだったら口から食べれるようになっていたし、1個1個、聞くわけにもなかなかいかないので、じゃあ日本から持っていったほうが安心だなあと思って。
ヨーグルトとかは向こうで買えるけど、基本的な主食とかはレトルトを持っていかなきゃいけないねっていう話になって、そういうのを準備してキッチンがあるホテルを予約したりとか。
いろんな準備はほんとに前もってやったのは覚えてます。
――何泊したんですか。
ちょうど1週間ですね。6泊7日。
――行く前に主治医にシンガポール行きますって伝えたと思うんですけど、そのときのアドバイスだったり、やり取りって覚えておられることありますか。
今の息子の主治医の先生が、ハハハーっていう感じのほんとにおおらかな先生で。
駄目だよとかって言われるかなーと思って心配して言ったんですけど、全然それを吹き飛ばすような感じで。
むしろ「なんで行かないの、早く行きなよ」みたいな感じの反応だったので、「あ、そうなんだ」と思って、行っていいんだってそこで初めて思えて、すごい安心したのは覚えてるんです。
インタビュー13
- 児童発達支援施設に子どもを預けるようになり、気を張って生活していたことに気付き、自分をいたわることも大事だと思った
- 息子が小さい頃は訪問看護やリハビリの方と話すくらい。地域の子育ての場にも入れずに、日々、緊張と孤独の中で生活していた
- 息子は実家の大きいカレンダーに興味を示したことがきっかけで数字にはまった。お散歩で速度標識の数字探しをするのも楽しい
- コロナ禍で家時間が増えたとき息子にYouTube動画を見せたらはまってしまい、電車の動画が見たいと手を打って合図する
- 夫婦2人で生活していた家に息子を迎え、赤ちゃんのいる生活に驚きもあり、病院とは異なる環境で酸素ボンベの位置なども気を遣った
- 息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した
- 子どもと酸素ボンベを背負ってバスに乗っていてもほとんど声をかけられない。その中で近所のおばあちゃんとのなにげない会話がとてもうれしい
- 性別がわかるのを楽しみに夫と一緒に行った検診でお腹の子の異常を指摘された。二人とも何の話か理解できなかった