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インタビュー時(2021年6月)の年齢:54歳
関係:母
医療的ケアのある子:次女17歳
首都圏在住。夫、長女(大学2年生)、次女(17歳、医療的ケア児)、実母と暮らしている。
次女は気管切開があるが自立呼吸。ほぼ全盲で外出時は白杖を使っている。現在は盲学校高等部卒業後の進路を検討中、18歳を目前に医療・福祉の移行期を迎えている。家族の雰囲気を察して「大丈夫」と盛り上げてくれるムードメーカー。長女がガイドとなり、次女は東京オリンピックの聖火ランナーを務める。次女のがん再発を機に常勤職を退職したが、生命力の強い娘の様子から「娘を諦めない、でも私も諦めない」と考え、フリーランスの仕事を再開した。
語りの内容
10歳 のときに、「東京オリンピックで聖火ランナーやりたいです」って言って、次女と私と、お姉ちゃんもいたかな、そのとき。
何かこう書いたものがあって、決まったときは、私たちもそうだったんですけど、周りの人がすごく喜んでくれて。
今まで、病院の人たちとか、今みんなどんどん先生も変わっていっちゃうし、ナースの方も変わってっちゃうので、直接会ってお礼は言えないけど、なんかそういう場所で恩返しができたらいいなって言って。
それが、なれたことはうれしかったです。ただ、今この状況(※インタビュー時はオリンピック開催直前だったがコロナ禍中だった)なので、本人が走れるかどうかってことが一つと、周りの状況でやれるかっていうことも、大きな懸念材料ではあるけれど。
お医者さんは目標があったほうがいいからって言って、今は家族で元気に、その日を迎えられるようにしようっていうことが、今、一つの目標になっていて、決まった瞬間がうれしかったっていう。周りの人が喜んでくれたってことがうれしかった。
あと直近だと、一昨年の話になるんですけど、お姉ちゃんの学校が高校3年生の夏が最後の大会で、そんなに強い代ではないっていうか、みんなどんぐりの背比べぐらいの感じだったんですけど。
ただ、高校に入ったとき10人いたんですけど、10人みんなやめないで、受験のときもやめないでみんなで頑張ってて。
それで、もう親もはしゃいじゃってたから、全員、子どもたちが着てるチームのTシャツを、親も次女も全員、家族全員分、着て応援しに行って。
あまりの親の気迫に、(次女は)いつもは「お姉ちゃん頑張れー」とか言ってるんですけど、う…って硬くなって見てたのがちょっとおかしかったんだけど。
だけど、みんなでそうやって写真とか撮ったりとかして、みんなで応援できて、そんとき、5位だったのかな。
でも、5位は十分な(成績で)、しかも最後の最後はノーミスで、5位だったので、みんなで「ウォー」みたいな、「よく頑張った、この代」みたいな感じだったので、それは次女も含めて、みんなでわーっとお祝いできて楽しかったかなー。
で、そういう周りの人たちにも、すごいかわいがってもらえたっていうのは、まあ、うちの家族にとっても幸せなことだったかなーと思います。