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インタビュー時:42歳(2021年6月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女0歳5か月(逝去時)
北陸在住。夫、次女2歳の3人家族。
長女は3年前に生後5か月で亡くなった。
緊急帝王切開で生まれた長女は、合指症や心房心室中隔欠損などの身体的特徴があり、検査で染色体異常(18トリソミー)がわかった。
生後まもなく口腔鼻腔内吸引および経鼻経管栄養、さらに人工呼吸器と医療的ケアが必要になっていき、娘のためになにがよい選択か親として悩む日々だった。
娘の「生きたい」という気持ちを感じることができ、とても短い人生だったが多くのことを残してくれたと思う。
語りの内容
看護師さんたちと最後のお別れして、皆さんによくお礼を言って、家に1時半とか、夜中に帰ってきて。
もう、娘と一緒にいられる時間っていうのが、葬儀とお通夜が始まっちゃえば、あんまりないなっていうのもあったんで、徹夜して、3人で川の字で寝たりして。
翌朝、家族とか、おじいちゃんおばあちゃんとか、会いに来たりして。
葬儀の準備進めたりとか、まあ、そんなことがあって。
私、本当に娘が、火葬される、炉が閉まるときに、また戻っておいでって言ったんですね。
だから、あんまり、めそめそしてばっかりもいられないなって。
また、本当に娘がこんなうちでもよかったら、また戻ってこれたらいいなと思って。
年齢的に、もし本当に戻ってこれるような感じに、誰か産むんだったら、本当に早く考えないと間に合わないっていう年だったので、そのとき、39(歳)だったのかな。
その5月、6月前頃に、娘が亡くなった、自分が出産した病院の産婦人科にまた通い出して、妊娠の相談して、7月に1回授かったんですけど、その子は流産してしまって。
その後、10月に妊娠して、今下の子が生まれたっていう感じです。
なんで、悲しい気持ちと、前向きな気持ちとがずっと一緒に同居してたっていうか、結構複雑な感じでしたね。
インタビュー26
- 第1子を生後5か月で亡くし、第2子を妊娠したときに迷いながらも出生前診断をした。異常なしだったが生まれるまで不安だった (音声のみ)
- 娘はクリスマスに初めて一時退院し家族だけで過ごした。様々な人が在宅環境を整えてくれ感謝だ。楽しく、緊張の2日間だった (音声のみ)
- 娘が生まれた年は記録的な大雪で、病院にいくため自家用車もタクシーも利用できず、病院近くの施設に泊まり込んだ (音声のみ)
- 気管挿管が成功し、ほっとしたのもつかの間、娘の心拍が急に下がった。突然のことで受け入れられなかった(音声のみ)
- アロマのお風呂に入れて楽しめることがあると思った矢先に娘は亡くなった。父親も一緒にいられる日を選んでくれたのか(音声のみ)
- 亡くなった娘と家に戻り最後に川の字で寝た。また戻ってきてという思いで、次の妊娠に向け行動を開始し、下の子を授かった (音声のみ)
- 明日が保障されない目の前の子どもの生と向き合うことで精一杯だった。障害は自分たちが寄り添っていくしかないと思った (音声のみ)