インタビュー時:46歳(2022年5月)
関係:父
医療的ケアのある子:長女5歳
九州・沖縄地方在住。妻と娘5歳の3人家族。
娘が生まれる前に2人の子どもを授かったがいずれも生後すぐに亡くなった。
同じことは起こるまいと信じて3人目を授かったが妊娠中に上の子たち同様、肺の形成不全と知らされた。
出生後、肺を広げる手術や、胃ろう、気管切開などいくつかの手術を乗り越え、現在も気管カニューレを入れており、夜間の人工呼吸器は必要なものの、元気に走り、おしゃべりする子に育っている。
来年度、地元の小学校入学を控え、今後気管カニューレを卒業できるのでは、と親子で次の希望に向かっている。
語りの内容
――お子さんが退院されてから、今に至るまでの発達や、医療的ケアの内容で変わってきたことについて教えていただけますか。
言い方は変ですけど普通になっていく感じ。経管栄養がなくなり、呼吸器も外せる時間が徐々に増えてきて。
スピーチカニューレに2歳で変えたので、そこから声が圧倒的に出るようになったっていうのが、一番変わった。
――お食事は?
普通に食べるまで、結構、練習は必要で、市販の離乳食からスタートして、徐々に固形物になっていって。
月に1回、通ってる病院で、嚥下の練習を、口腔外科の先生と一緒にやってたんですけども、途中から、もういいんじゃないの?って、あとは実践していけば大丈夫だよっていうことで。
誤嚥がないっていうのが、気管切開してる子は一番大事なので、いろいろ食べるようになって、成長して、今は全然問題ないです。
――好きなメニューとかあるんですか。
何でも食べてくれるので、マグロとか刺し身も食べますし、納豆も。
それは助かってますね。
あんまり嫌いなものがないので。
――お子さんは、お話ができるようになって、自分に気管切開の器具があることや夜になったら人工呼吸器を付けることについて、自分の体について、今、どのように理解してますか。
保育園に3歳のときに通うようになって。
自分だけは呼吸器持っていって何かやるっていうので、いい意味で違いというか、相対の世界にぽーんと投げ出されたので、ちょっとずつ自分では理解していってる部分があったのかなと思うんです。
最近よく言うのは、早く(気管切開の部分を)取りたいって言うんですよね。
パパだけ何でないの?って。ずるいって(笑)。
大きくなったら取れるよという話はしてて。
だから、NICUにいたときの動画とか見せるんですよ。
こんなんして頑張ってたんだよって。
本人もよく見たがるんですよね。
そのときの自分の姿を見て何かしらやっぱり感じているのかなと思いますね。
インタビュー40
- 退院時に経鼻経管栄養の管が抜けるたびに受診するのは自宅も遠くて大変だと思い、自宅でできるように訓練した(テキストのみ)
- 娘の気管切開を決断できずにいたところ、気管切開をして元気に過ごす子どもの親とつながり背中を押された(テキストのみ)
- 娘は成長に伴い、食事もできるようになり、スピーチカニューレで話すこともできるようになった。気管切開部も取りたいと訴える (テキストのみ)
- 知り合った家族が保育園に通わせていると聞き、刺激を受けて相談したところ想定外にスムーズに事が運んだ(テキストのみ)
- 入園当初は呼び出しも多く、すり合わせの場を設けてもらった。先生方も娘の成長に対し積極的に取り組んでくれてありがたい(テキストのみ)