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インタビュー時:47歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
関西在住。夫と長女(15歳)、長男(11歳)の4人家族。
長女は生後何日経ってもミルクを飲まず経管栄養が開始され、生後7か月で胃ろうとなった。
3歳頃に染色体の一部欠損が分かり、今後できないことが多いのかと思ったが、その予測に反し娘は歩けるようになり、歌やダンスが大好きな子になった。
普通小学校入学を希望し、地域の大きな支援を受けて看護師配置が実現した。
娘の小学校入学を機に仕事をしたいと思い、現在自宅で英語塾の講師をしている。
語りの内容
主人のお父さんお母さんの年齢がもう80すぎてるんですね。
そのお母さんたちとかに何かってお願いする時に、娘が暴れたりとか、娘の特性とか、一緒に住んでいないと分かり得ないところなんですけれど。
逆に何かして、おじいちゃんおばあちゃんたちにけがさせるほうが、そっちのほうがもっと危ないっていうところだったので、今はお願いはしていません。
小さい頃に一緒に訪れたりとか、そういうところで一緒に遊んでもらったりとかっていうことはあるんですけれど、普段一緒に生活していないので、遊び方とかも分からないし、やっぱり理解が難しい。
「大変なんだね」っていうふうには言われるんですけれど、(自分たちが)一緒にいてたら(祖父母も)一緒に過ごせますって感じですね。
お任せっ放しにできるというのは、まあ2~3時間ぐらいですね。
過去に数回ぐらいは2~3時間ぐらいを(お願いすること)はありました。
主人のほうのお母様には。
注入もしてもらおうと思ってたんですけれど、やっぱりご高齢っていうところもあって、不安なところがあるので、なるべくないような感じで。
1回ぐらい(注入の回数を)抜いたところで、死ぬほどのことではない成長になってるのでっていう、そういう気持ちを持って今は生活してます。
私のほうの実家っていうのも遠いので、なかなかっていうところはありますね。
なので私がほんとに風邪で倒れた時とかですよね。
その時は私の看病しには来てくれましたけれど、娘のことにおいてはもう「あと2時間で注入するから起こして」とか言って、死ぬ気になって私が注入するとかそういう感じで使ってはいました。
私の代わりに家族のご飯を作ってくれるとか支援とかっていうのを、私の親はお願いしやすいなっていうふうに思いますね。
それでその、時間的にあれ(前後する)なんですけど、私の娘が生まれた時にものすごく大変だったんですよね。
片道、車で50分かかる病院にいたんですよ。
そこにピストンでお弁当を運んでくれたりとか、(子どもが)ものすごく吐くので服もすごく汚れるんです、ミルクで。
それの洗濯とか。
で、また新しいのとか私の服も病院ではもちろん洗濯できないので。
なので、その辺のこととかも全部やってくれたのが、うちの姉と実家です。
もう嫌なことも全部ですね。
おかげさまで、理解はものすごくしてくれてまして。
かといって、注入だけはちょっと任せられなかったです。
で、いまだに注入ができるのは私と主人だけです、家族の中で。
そんな難しいことはないのでいいかなとも思ってはいたのが、他の先生から言われたのは私が人を信じなさ過ぎて人に任せられてないって言われました。
「あ、あるな」って思いました。
私がこう、3時間おきにするとか3秒に1滴やったら吐かないんですよね。で
も何かアバウトな人って、2秒に1滴とかにするんですよね。
で、ゴボゴボッて吐くんですよ。
で、ゴボゴボッて吐いたところで、その処理をするの私じゃんとか思ったりとかすると、そうすると、私がやったほうが絶対確実にできるのよねとか。
私がやったほうが絶対うまくいくのよ、回るのよっていうところとか。
私が抱っこしたほうが泣きやむのと一緒なんですけれど、他の人に渡すぐらいだったら、私がやったほうが、早くてうまくいくっていうのとかで。
あと何だろう、不満にならないっていうふうがあって、誰にも任せなかったところがありました。
それが一つ、失敗だったかもしれないっていうのはあります。
インタビュー37
- 食事中、娘の行動で注目を浴びて恥ずかしかったようで、息子が「もう一緒に食べたくない」と言った。ついにこの時が来たと思った
- 私は毎日子どものケアなのに、夫は自由に過ごし腹が立った事もある。でも娘の成長を誰より喜べるのは夫婦2人だけという気持ちだ
- 娘が成長し力が強くなり、高齢の祖父母にお願いしづらくなった。自分の親きょうだいも助けてくれたが、吸引は任せられなかった
- 普通小学校入学にあたり行政との交渉が難航した。議員らにも働きかけて、学校に看護師を派遣してもらい、無事入学できた
- 運動会の組体操で、他の子に混じった娘の姿を探した。今まで目立ちすぎていた娘を探さないといけないことがどれほど嬉しかったか
- 下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた
- パソコンやテレビは使い方を教えなくても自分で機能を発見して遊んでいる。音声検索機能で好きな動画や画像を出すのも楽しそうだ
- 胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った
- 娘は小学校高学年まで積極的な様子がなかったが、身体が成長すると急にボールつきをしたり、学習意欲があふれてきて驚いた
- 1時間かけて経鼻で与えたわずかなミルクも吐き戻してしまうため、胃食道逆流症の手術をし、退院後のことを考え胃ろうも造設した